20-3 美しき魔女の姿
白髪の魔女は急いて階段を降りた。
焦れて逸る気持ちに追いつけない両足がもどかしい。たかだか四階から一階に降りる程度だというのに息が切れた。この老体め、と歯噛みする。
魔王城中核に務める者すら踏み入ることが許されぬ、禁足区画へのドアを開き、そのまま一気に最下層のコンデンサー室への直通エレベータ前に立つ。
網膜認証で制限解除、ドアが完全に開く間ももどかしく中に飛び込む。直ぐさま「閉」と「下」のボタンを押した。
エレベータが下降を始める。最下層までは約四〇メートル。
荷役用も兼ねるため高層ビルの高速エレベータに比べれば遙かに鈍足だ。滅多に使わないからコレで充分と割り切ったのだが、今は過去の自分の判断が呪わしかった。
よし、あと一〇メートル。
だがソコで唐突な変化があった。
え、あ、待て!
詠唱の気配が伝わって来たからだ。転移陣の門戸が開こうとしているのだ。
到着と同時にドアをこじ開けんばかりの勢いで飛び出て、短い廊下を走った。
途中で帽子が脱げた。だが拾う間も惜しい。「部屋」とは名ばかりの、巨大なコンデンサーが立ち並ぶ大広間に駆け込むと、その広間の中央に在る転移陣を目指した。
「君枝ちゃん!」
髪を振り乱し白髪の魔女が叫ぶ。
振り返ったのは術士の宮廷魔法使いだった。そして転移陣に乗っていたエルフの女性もその姿に気付いて驚愕し、瞬時に歓喜の表情を浮かべた。
鰓子おばあちゃん。
彼女の唇は確かにそう読めた。
だが声は届かなかった。
術式は完了し、その姿はかき消えてゆく最中であったからだ。
「あ……」
白髪の魔女は手を伸ばす。
触れたと思った。だがそれは叶わなかった。
指先は虚しく空をかく。手応えも無ければ在った筈の気配すら見当たらない。
つい一瞬前までは確かに在ったのだ。しかし既に彼女はかき消えてい、転移陣の中心核は無人。薄暗い広間の空気だけが在る。
後は低く唸るコンデンサーの音が聞こえるばかり。
無言、ただ無言。そして沈黙。
「魔女エラ。送るのが早すぎただろうか」
躊躇いがちな言葉が在る。
頭を向ければ、少し頬の痩けたエルフの魔法使いが申し訳なさげな顔で立って居た。
「いえ、謝る必要はないわ。あなたは君枝に頼まれただけでしょう」
台詞の後に吐き出された溜息は、実に重たそうな疲労感を纏わり付かせて居るように見えた。
そしてユテマルスより「手紙を預かっている」と白い封筒を手渡された。表面には「鰓子おばあちゃんへ」とある。ボールペンなどではなくて普通のインクペンで書かれた文字だった。
ひょっとしてこれは、父親になる以前の公介くんから彼女の誕生日に送られたプレゼント。あの万年筆で書かれたものではなかろうか。いったい何十年前の品なのだろう。ヘタをすると百年経ってやしまいか。
確かに物持ちの良い子だけれども。
思わず苦笑が洩れた。
封を開けると丁寧な文字で書かれた丁寧な文章が現われた。
鰓子おばあちゃん。
無理を言ってごめんなさい。おばあちゃんの言っていることは良く分かります。
わたしが何故に彼の地へ向わねばならないのか。何故に女王さまの招待に応じねばならないのか。そしてわたしでなければならないのか。
その問いかけに、絶対と言えるような理由はありません。
でも向こう側で大勢の人達が困っているのは間違い無いのです。魔力の枯渇した状態で、病める人達が苦しんでいるのは確かな事なのです。
現代医術は確かに中世のソレよりも遙かに進んでいますが、万能という訳ではありません。なのでそれに胡座をかくつもりも無ければ、相手へ問答無用に押し付けることをするつもりもありません。
トールマンに効く薬がエルフに効くとは限らないし、コチラ側の知識がそのまま向こう側に通用するとも限りません。試行錯誤になるのは間違い無いでしょう。
でも寄り添うことは出来ると思うのです。完全ではなくとも、類似した怪我や病原への対処方法はいくらでも応用させることが出来ると信じて居ます。
いま向こう側に必要なのは、魔法魔術に頼らない医術です。だというのに、その知識や技術をもつ人達があまりにも少なすぎるのです。
わたしたちの世界でも、国際医療機関から医療過疎地、病院どころか薬すら手に入れられない地域へGM(総合診療)として赴任する方々がいらっしゃいます。
それと同じです。僭越ですが、わたしは彼の地での緊急医療医師としてやっていきたいのです。
緊急医療どころかフライトドクターの資格まで取って、大勢の人達を助けたお母さんほどじゃないけれど、わたしもわたしの力を必要としてくれている人達の助けになりたい。
頼まれれば分け隔て無く、直ぐさま力を貸そうとするお父さんみたいになりたい。
平坦な道ではないというのは覚悟の上です。
でも、何処にもアテが無い、頼る者が誰も居ない、見知らぬ土地にたった一人で降り立ち、長い時間をかけて決して挫けることもなく、同族を助けるというただソレだけの目的の為、信念を貫き、やり遂げた人をわたしは知っています。
そんな人を間近で見て育って、挫ける訳にはいかないと思うのです。
鰓子おばあちゃん。身勝手なわたしでごめんなさい。
怒ってくれて良いです。許してくれなくてもかまいません。でもおばあちゃんはわたしの尊敬する人です。お父さんやお母さんと同じくらいに大好きで、とても大切な人です。
向こう側との時差で、次はいつ会えるか分かりません。ですがその時まで、どうかどうかお元気で居てください。
わたしは必ず帰ってきます。
PS:実家も古くなりました。立て替えたり引き払ったりすることもあるでしょう。色々と捨てるものも在るでしょうが、わたしのマグカップだけは取って置いてください。
三千本桜君枝
「・・・・」
後に残した気がかりがマグカップとはね。
白髪の魔女は読み終わると、口元だけで小さく笑って丁寧に手紙を折り畳むと封筒に入れ、そのまま懐にしまった。
「随分と買いかぶられたものだわ」
わたしはあなたのお母さんほど公平でもないし、あなたのお父さんほど慈悲深い訳でもないと言うのに。
でもあなたの覚悟が生半可ではないというのは良く知れた。その願いはきっと成就するでしょう。わたしの勘はよく当たるのです。
子供の成長を頼もしいと思う一方、寂しいと感じるのはどの親も同じに違いない。まぁ、わたしは血の繋がった子を持ったことは無いのだけれど。
しかし捨てたはずの向こう側に、こうも次々と自分の家族が吸い取られるのはどういうコトなのだろう。これも大いなる願いを欲したその対価というコトなのだろうか。
何処まで搾取するつもりなのだ、世界の理というヤツは。強欲に過ぎるだろう。
「でも、そこまで言われたら仕方が無いわね」
そう独り語ちて自分の髪を諸手の手櫛ですいた。
その途端、白髪は見事なまでの艶やかな黒髪に変貌した。肌が瑞々しく張って潤いを取り戻し、唇が艶めかしく赤らみ、瞳の濁りが失せ、黒曜石の如き漆黒が蘇るのである。
「最後まで老人ごっこをキめてても良かったんだけど、そうもいかないか」
おばあちゃんって呼んでくれる子も、しばらく帰って来なさそうだし。
「ま、魔女エラ?」
呆気に取られたユテマルスが固まって居た。
その面立ちが一瞬前とは別物であったからだ。初めて会ったその時そのままであったからだ。事前の知識は確かに在ったが、唐突に目の前で披露されて言葉を失っていた。
まさに一瞬の変貌であった。
魔女がそのまま軽く頭を振ったら、艶を放つ黒髪がサラリと宙を舞った。老婦人であった姿が幻影か、或いは錯覚であったかと思う程の見事さだ。
「元気で、なんて言われたらトコトンまで生きてやろうと思うじゃない?お願いされたら仕方がないじゃない?」
何せ、あの子のお願いだし。彩花ちゃんや公介くんにも似たような期待をされていたし。
或いは此の身には、心の臓が停まるその瞬間まで駆け抜け続けよと、気狂った駿馬にも似た呪いが課せられているのかも知れなかった。
そして君枝もまた自身の天命が許す限り、世界を駆け抜けようとして居るのではないか。
あの子は決して口にしなかったが、ヘレンに触発されているのは明らか。己の有り様を、わずか百年で冥界へと旅立つトールマンが残す何かを拾い上げ、次代に受け渡すのが役目と信じて居るのではないか。
自分の寿命と彼の地との時差をもって刻を跨ぎ、両親が生涯関わったこの魔族領の行く末を、直にその目で見届けようと考えて居るのでは在るまいか。
ならば祖母としてそれを支えずには居られまい。
それが家族というものではないか。
まぁそれに、勇者にはエルフの魔法使いがつきものよね。優れた医術は魔法と区別出来ない訳だし。
ある意味必然と云っても宜しかろう。恐らく成るべくして成ったのだ。
「わたしの寿命があとどれ位残って居るか知らないけれど、百年でも二百年でも踏み留まってやろうじゃないの」
君枝が帰ってくるまでは。ヘレンの顔をもう一度みるまでは。ここは安寧安息の地、二人の居場所は他の誰にも譲りはしない。
「天寿なにそれ美味しいの?死に神さん、面会のご予定は御座いません。冥界の門がわたしを招くのは一千万年早いわ」
「万は無理ではないか」
反射的に洩れた反問であったが黒髪の主は特に気にした様子もない。
「魔王付き宮廷魔法使いユテマルス様ともあろうお方が、何を気弱なことを仰っているのかしら」
片手を腰にあて、チッチッと小刻みに舌を鳴らして人差し指を振った。そして「判ってないわね」としたり顔で嘯くのだ。
可能不可能を決めるのは他人じゃ無い、本人よ。出来ると信じるなら迫り来る百万の軍勢を空に吹き飛ばし、故郷を大地ごとえぐり取って新天地に置き据えることすら容易い。
たとい途中で心が折れてぶっ倒れても、三秒以内に立ち上がればノーカン。
それは負けじゃあないの。
「信念と気概が在れば、道理や常識は尻尾巻いて逃げ出すわ」
そのようなコトをのたまう姿に、数分前まで老婦人であった筈の面影など微塵も無い。
若々しい肌つやとトールマンで云うところの二十代の淑女。零れんばかりのとびきりの笑顔をふりまく、美しき魔女の姿であった。
完
最初はエピソード数一〇〇程度を目論んでいましたが、その倍の規模となりました。思わぬ長編で、登場人物が増えるわ増えるわ。しかもどいつもコイツも我が儘で、自分の活躍が少ないと暴れ出す始末。なだめるのに一苦労でした。
しかしそれでも、ほぼ最初の筋書き通りにまとめることが出来て、一安心といった所です。予定外のイベントやストーリーは多々あったのですがw
この作品を選んで下さったあなたへ。楽しんでいただけたでしょうか。少しでも何か残るものが在れば幸いです。
最後まで読んでいただき、真にありがとう御座いました。
九木十郎




