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6 お月様のお船

 ブリジッドは、何もない部屋の中に閉じ込められました。テーブルも椅子も、ベッドもありません。棚やタンスもありません。床は剥き出しの石で、窓はなく真っ暗でした。


 ブリジッドは雪と氷の魔法使いですから、寒さはへっちゃらです。喉が渇いた時には、掌に雪を少し出せば大丈夫。殆どの日は野天で眠る旅暮らしでしたから、家具は無くても気になりません。


 今は夜なので、暗いのも怖くはありませんでした。ただ、窓がなく扉が固く閉ざされていたのには困りました。逃げ出すチャンスがないのですから。


 ブリジッドはひとりになって、少し気持ちが落ち着きました。肩や背中は痛みますが、恐ろしい魔物が見えなくなってほっとしたのです。


(逃げなくちゃ。でもどうしたらいいんだろう)


 そう思いながらも、ブリジッドは次第にうつらうつらとし始めました。ブリジッドは、暴走したり逃げたりしたり、たくさん魔法を使いました。今夜はとても疲れていたのです。




 次に気がついた時に、ブリジッドは灰色の空におりました。少し雪の残る夜空には、お船のようなお月様が浮かんでおります。そして、ブリジッドはどうやら、そのお月様に乗っているようなのでした。


「わあっ、お月様ありがとう」


 ブリジッドは感激しました。


「ねえ、みんなのところに連れて行ってくださいな」


 ブリジッドは、銀色のお船の縁を掴んでお月様に頼みました。お月様は黙っていらっしゃいましたが、すいすいと雪空を進んでゆきました。


 お空にはうっすらとお星様も見えました。ブリジッドがのんびりとお船の外を眺めておりますと、銀色の蝶々がひらひらと遊びに参りました。


「なんて不思議な蝶々!」


 ブリジッドは、近くにやってきた銀色の蝶々に手を差し伸べました。蝶々はブリジッドの周りを踊るように飛び回ります。けれども、けっしてブリジッドに触れることはありませんでした。ブリジッドのほうからも、無理に触ろうとはいたしませんでした。



 銀色の蝶々が、いつの間にかすっかりいなくなってしまう頃、お月様のお船は花園を通っておりました。小さな花々は、宝石のようにきらめいておりました。


(わあ、葉っぱも!)


 ブリジッドは身を乗り出しました。レースのような薄い葉も、やっぱり宝石を並べて造られたように美しい物だったのです。


 風がそよそよと吹いております。ガラスの欠片がぶつかり合うような、繊細な音がいたしました。風に吹かれた花たちが、おじぎをし合っているのです。


(あれはお母さんの瞳、あっちはお父さん、長老のもある)


 宝石のような天のお花は、さまざまな色をしておりました。形はどれも同じに見えます。春の岸辺に花開く、蓮華のような花々でした。



(あっ、琥珀色。アンリだわ)


 ブリジッドはおかしくなって、クスクスと笑いました。だって、琥珀色の美しい蓮華は、ちっともアンリとは似ておりませんもの。


(アンリはこんなに()()()じゃないのに)


 思えば、アンリの髪の毛も、アンリには似合わないような気がいたします。


(とっても細くてふわふわで、本物の金みたい)


 ブリジッドは、赤や濃いオレンジ色の火の粉で飾られた、アンリの金髪を思い浮かべました。真っ赤なローブの胸元には、琥珀で出来た蓮華の花を一輪だけ飾ります。


(王子様みたいじゃない?)


 ブリジッドは、一度だけ王子様を見たことがありました。何かのお祝いで、王子様は花に埋もれておりました。花で飾られた屋根のないお馬車に乗って、王子様は鷹揚に手を振っておられました。



 ブリジッドはどきりといたしました。ブリジッドをさらった魔物は、このお城の王様でしょうか。子供の姿をしておりましたが、大人の声を出しました。


(あんな魔物より、アンリのほうがお城に住んでいそうだわ)


 自信に満ちたアンリの様子が、ブリジッドの胸に温かな灯りを点しました。いつもは威張って意地悪ばかり言うアンリでしたが、今は頼もしく思えます。


(アンリは、あたしが魔法をうまく操れるって、信じてくれてたんだ)


 ブリジッドは気がつきました。自分勝手な魔物に出会って、アンリの心が解ったのです。紫色の髪をした男の子には、ほんとうに酷い目に遭わされました。


(アンリは自分勝手じゃなかったもん)



 アンリはいつも、


「意地悪じゃない」


 と言い張って怒りました。


(意地悪じゃなかったんだ。悪いことしちゃったな)


 ブリジッドは、少し恥ずかしくなりました。アンリの話をきちんと聞かないで、すぐ泣いてしまいましたから。


(ちょっと子供っぼかったなぁ)


 ブリジッドだって子供です。でも、セシルたちよりはお姉さんでした。


(すぐに泣いちゃうなんて、赤ちゃんみたい)


 ブリジッドは、またクスリと笑いました。



 宝石の蓮華畑を過ぎると、今度は銀青色(ぎんあおいろ)の川にさしかかりました。それまではお空にぷかぷかと浮かびながら、そよ風に運ばれておりました。川に入ると、お船はゆらゆらと波に運ばれて参ります。


(これは銀河というものかしら?)


 ブリジッドは、いつかお母さんが旅の空を見上げて、教えてくれたことを思い出します。


(だけど、森も野原も見えないな)


 ブリジッドは縁から乗り出して、お船の外を覗きました。そこには銀と青とに光る星の波があるだけでした。見上げると、真っ赤な宝石の体をした蜻蛉の群れが、雲のように漂っておりました。


 いく匹かの蜻蛉はときおり降りてきて、お月様のお船で休みます。ブリジッドが届かない場所で、羽をすっかり下げておりました。


「なによ、イジワル」


 ブリジッドは笑いました。この蜻蛉も、やっぱりアンリみたいでしたから。レマニの子供たちは、いつも一緒に過ごします。ですがアンリは、少しだけみんなから離れておりました。楽しく遊んでいたかと思うと、またひとりで座っていたりもするのです。



 アンリみたいな赤い蜻蛉が飛び立つと、お船の舳先は草海原を分けて進みました。音もなく、まだ青いススキのような丈の高い草のようなものの上を滑るのでした。草の上には、白銀の霜が降りていました。


 霜柱を踏んでゆくような、ザリザリという音がいたします。ブリジッドは自分も飛び降りて踏んでみたくなりました。ブリジッドは、霜柱を踏むのが好きなのです。


 とても寒い冬の朝、地面を持ち上げる小さな霜柱は、とっても力持ち。可愛らしくてしばらく見つめてしまいます。ですが、踏んだ時の不思議な感覚と素敵な音を思うと、やっぱり足を載せてしまうのでした。


「えいっ」


 ブリジッドはお月様のお船の縁を飛び越えました。すると、銀色の霜が音もなく草海原に舞い散りました。



 ブリジッドの頬が、薄桃色に染まりました。思っていたのとは違いましたが、白銀の霜柱が砕け散る草海原は、ブリジッドの心を捉えたのです。


 ブリジッドは、霜の欠片を浴びながら、草を縫って走りました。次第に高く笑い声を上げながら、くるくる回って走り回りました。どこへ行きたかったのか、ブリジッドはもう忘れてしまっておりました。


「あっ」


 お月様のお船はずんずん先に行ってしまいます。気がついた時には、もう追いつけないほどでした。


「どうしよう」



 お月様のお船には、銀色の小鳥が次々に乗り込んでおりました。身体も羽も嘴も、みんな銀の小鳥です。


「待ってぇ!」


 ブリジッドはお月様のお船を追いかけました。


「あたしも乗せてよぅ!」


 ブリジッドの声が聞こえたのでしょうか?それまでは静かにしていた銀色の小鳥が、一斉に囀り出しました。


「わぁぁ」


 ブリジッドは耳を塞ぎます。


「なによぅ、イジワルー!」



 ブリジッドは怒って吹雪を起こしました。吹雪がブリジッドを前に進めます。


(あっ、そうだ、吹雪に乗ればいいんだ)


 ブリジッドは気がつきました。吹雪に乗れば、お月様に追いつけるかも知れません。お月様には今、銀色の小鳥たちが群がり乗っておりますけれども。


(あたしひとりくらい、乗せてくれたっていいよね)


 ブリジッドはすっかり気が大きくなりました。ブリザードを自由におこして、好きなように操れるようになったのですから。



 灰銀色の吹雪に乗って、ブリジッドはお月様に追いつきました。


「捕まえたッ」


 ブリジッドは両手を広げて、船の(とも)に抱きつきました。銀色の小鳥たちは一斉に艫に集まりました。ブリジッドをつついて落とそうといたします。


「痛い!やめてよ」


 ブリジッドはまた吹雪を起こしました。雪と氷の風に巻かれて、小鳥たちはお船の中から吹き飛ばされてしまいました。


 ブリジッドは艫からよじ登って、お月様のお船に戻ります。小鳥たちには、ほんのちょっぴり、申し訳ない気持ちを感じました。でも、小鳥たちもブリジッドに意地悪を致しましたから、おあいこかな、とも思いました。



 つつかれたところは、もう痛くありません。血も出ておりませんでした。ブリジッドはゆったりとお船に納まって、空の旅を楽しみました。


「もう降りないほうがいいかもしれない」


 また置いてゆかれるのはごめんです。ブリジッドにお船の行先はわかりません。ブリジッドが行きたいところも、記憶に残っておりませんでした。それでも、置いてゆかれるのは、少し恐ろしい心持ちがしたのです。


 銀色の小鳥たちも消えて、草海原は遥か後ろに置いてきました。お月様は、水から離れて木々の間を進みました。銀色の枝々から、赤や青に光る雫型の氷が下がっております。銀色の木々は、ときおり枝を震わせました。


「なんだか美味しそう」


 震えた枝から、雫型の氷が落ちて参ります。ブリジッドは小さな両手で、銀色の氷を受け止めました。雪の中でもぎ取った、甘くて爽やかな林檎のような香りが鼻をくすぐりました。


 ブリジッドは迷わず齧りつきました。甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がりました。


(美味しい)


 ブリジッドがにっこり笑うと、急に景色が変わりました。




 ブリジッドは灰色の部屋におりました。魔物のお城に連れてこられた時に入ってきた扉が、ぼおっと浮かび上がっております。部屋の中では、なんの音も聞こえません。ブリジッドはそっと扉に近付くと、外の様子を伺いました。木と鉄で造られた、重そうな扉です。


 この部屋に放り込まれた時には、確かに外側に開く扉でした。ブリジッドは押してみましたが、その時にはびくともしませんでした。吹雪の魔法をぶつけても、扉の様子はそのままでした。凍りついたりひび割れたりはしなかったのです。


(なにも聞こえない)


 部屋の外はしいんと静まり返っておりました。


「んんー!んんー!」


 ブリジッドは呻きながら、扉を両手で押してみました。


「あっ!」


 扉はギィと軋んでおります。もう少しで開きそうでした。


お読みくださりありがとうございます

続きます

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[良い点] ブリジッドだって子供です。でも、セシルたちよりはお姉さんでした。 ⬆ 比べる相手がいるから自分がどう在るべきか理解する 年上年下 先輩後輩 同僚 同性 異性 フンッ って そっぽ向かない…
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