5 逃げるブリジッド
ブリジッドは小さな頭に必死で考えを巡らせました。
(いくら吹雪を起こしても、みんなコオリオオカミに吸い取られてしまう)
ブリジッドの魔法では、逃げることは難しそうでした。魔法なしでの方法を考えなければなりません。
(飛び降りて、それから吹雪に乗ったらどうかなあ?)
ブリジッドは思いつくなり、ぽんと飛び起きて暗闇の森に飛び出しました。コオリオオカミの背中から離れると、ブリジッドはできる限りの吹雪を身に纏いました。
(とにかく下へ)
ブリジッドは、橇に乗るような姿勢で自分の吹雪に乗りました。身体を左右に傾けて、上手に木々の間を縫ってゆきました。登っていた斜面をあっという間に降り切ると、そのまままっすぐ森の中を進みました。
ブリジッドは、きょろきょろと辺りを見回しながら逃げました。アンリが溶かして作った道を探していたのです。もし見つからなければ、一旦森を抜けて、昨日入ったところからほら穴を目指せばいいと思ったのでした。
アンリが溶かした場所にも、雪は積もっておりました。けれども、一旦地面が見えるまで溶けてしまいましたので、今も他よりは浅く積もって異ることでしょう。
(暗くてあまり見えない)
ブリジッドはアンリなら辺りを照らすことが出来るのに、と羨ましく思いました。氷の欠片が闇の中でわずかな光を拾っております。けれども、ブリジッドの周りをぼんやりと灰色に浮かび上がらせるだけでした。
これでは却って危険です。ブリジッドからは周りが見えないのに、追手からブリジッドは見えてしまうに違いありません。けれどもブリジッドは幼い子供でしたので、そこまでは考えられませんでした。
「逃がすものか」
温度のない低い声が、突然ブリジッドの上に降って来ました。
「ひぃっ」
ブリジッドは両肩を乱暴に掴まれて、思わず首を縮めました。投げつけられた時にぶつけた肩が、ズキンと痛みました。
それまでは前へ運んでくれていたブリジッドの吹雪が、後ろの方へと流れて行きます。コオリオオカミの群れが追いついて来たのです。ブリジッドの吹雪はどんどん吸い取られてしまいました。
「やめてよぅ!」
一回は逃げ出したことで、ブリジッドは少し強気になっておりました。最初に腕を引っ張られた時には、怖くて声も出ませんでした。投げ飛ばされても、木の幹に叩きつけられても、なされるがままでした。
けれどもいまは、違います。ブリジッドはジタバタと暴れて抵抗しました。紫色の髪をした男の子は、顔色ひとつ変えません。ブリジッドの肩を掴んだまま、無言でコオリオオカミの背中へと投げました。
コオリオオカミの毛は、今度もチクチクとブリジッドを刺しました。
「ぐうっ」
ひと塊りのコオリオオカミは、隙間なくくっ付き合って行進致します。コオリオオカミたちは再び、速くもなく遅くもなく、淀みなく斜面を登り始めました。
ブリジッドは痛む肩に顔をしかめながら、転がり落ちようと寝返りを打ちました。
「ゴグァウー!」
なんとも恐ろしい唸り声が、耳のそばで上がりました。
「ひゃぁぁ!」
ブリジッドは情け無い声を立てて、目だけを唸り声の方へと動かしました。群の先頭にいた、ひときわ大きな身体のコオリオオカミです。
コオリオオカミのリーダーは、鋭い氷の牙を剥き出してブリジッドの肩に食いつこうとしました。
「きゃああっ」
ブリジッドは夢中でブリザードをぶつけました。ブリジッドはアンリの魔法の真似をしました。咄嗟に氷柱も混ぜたのです。アンリが魚や鳥を仕留める時に、細くした炎を使うのを思い出したからです。
吹雪の魔法は、コオリオオカミに吸い取られてしまいます。氷柱もやっぱり、コオリオオカミの大きな身体に溶けるように消えてしまいました。
「うわぁあん!」
噛みつかれた痛みで、ブリジッドの魔法が膨らみました。暴走に近い激しさだったので、森の木々から小枝が折れました。地面からは木の葉や小石が巻き上がりました。
「ガーッ!」
コオリオオカミのリーダーは、思わず口を離しました。小石や小枝は魔法ではありません。大きな傷にはなりません。でも、顔の正面から大量に飛んでくれば、少しはダメージがあるのでした。
ブリジッドの魔法が暴走していた時に、塊になっていたコオリオオカミたちにも小石は当たりました。けれどもその時は横からでしたし、分厚く纏った氷の毛皮で防がれていたのです。時折かすり傷がついた程度でした。
リーダーが口を離したはずみで、ブリジッドは枝にぶつかってしまいました。雪がドサリと落ちて来て、コオリオオカミを埋めました。
「痛ぁい!」
ブリジッドは咄嗟に傷口を冷やしました。手から雪を出して肩に当てたのです。レマニたちが怪我をした時によく使う、血止めのやり方でした。
肩も痛みますし、辺りは真っ暗でした。ブリジッドはまた泣き出してしまいました。それでもブリジッドは諦めてはいませんでした。もう一度吹雪を起こして逃げてゆきます。雪の中からコオリオオカミたちは這い出すと、身体や首をブルブルッとふるいました。
自然の雪が飛び散って、灰色の吹雪に混ざって渦巻きました。先頭を歩く男の子は、今度はしんがりになって追ってきました。雪も氷も宿さずに冷たい顔を崩しません。肩まで伸びた髪の毛も、風に乱れることがないままでした。
ブリジッドが出す吹雪の半分は、コオリオオカミに吸い取られてしまいます。ブリジッドはそれを利用して、小石や小枝を投げつけました。追いかけてくるコオリオオカミたちに向かって、巻き上げられた小石や折れた小枝が飛んでゆくのです。
コオリオオカミたちは怒り狂って唸り声を上げました。ブリジッドは夢中で前へと進みました。氷柱を投げつけると、重たい雪を乗せた木の枝が重なり合って落ちてゆきます。コオリオオカミたちは四方に飛んで避けました。
そうやって少しずつ時間を稼ぎながら、ブリジッドは雪の森を進みます。泣きながら吹雪に乗っておりました。
「うぇぇん!おとうさーん!おかあさーん!」
ブリジッドは、風の魔法使いを思い出しました。風に声を乗せると、遠くまではっきりと聞こえるのです。吹雪で声がかき消されることなく、ブリジッドの声は闇夜の森を走ってゆきました。
「長老さまー!アンリー!オーギュストー!セシルー!」
ブリジッドは声の限りに叫びます。思いつく限り、レマニの名前を呼び続けました。細く甲高いブリジッドの声が、灰色の空に駆け上りました。黒々と揺れる枝々の間をすり抜けて走りました。高い梢を飛び越えて、遠くレマニたちが休むほら穴にまで届くのでした。
「大人しくしていろ」
ブリジッドが声にハッとして振り向くと、紫色の髪が闇の中で不気味に光っておりました。血色の瞳は湿り気を帯びてギョロリと動きました。
「おかあさーん!」
叫ぶブリジッドになんの興味も示さずに、男の子は脚を一振りいたしました。銀紫の毛皮マントがこの時ばかりはひらりと翻りました。マントの下には、鱗のようなものがびっしりと並んだ銀色の上下を着ておりました。
硬い銀色のブーツに蹴り飛ばされて、ブリジッドはコオリオオカミの背中に逆戻りです。
「何するの!」
ブリジッドはすっかり強気になっておりました。だって、ブリジッドは幾つもの魔法を成功させたのです。アンリが言う通りでした。ブリジッドは強い吹雪を出せるのです。自分を運んだり、声を届けたり、枝を折ったり、いろいろなことが出来たのです。まだ自由自在とはいきませんけれども。
「厄介だな」
ブリジッドが抵抗すると、血色の目をした小さな魔物は呟きました。ブリジッドは、出鱈目に近くのものを吹雪に巻き込んでぶつけたのです。無我夢中でしたので、魔物には何が飛んでくるのか予想がつかないのでした。
「厄介なら離してよ!」
ブリジッドは叫びました。
「我儘な子供だな」
魔物は冷淡に言い放ちました。
「我儘はお前だ!」
ブリジッドは強い口調で言い返しました。勝手に花嫁だなんて決めて連れて行こうとしたくせに、ブリジッドのこと我儘だなんて言うのです。そんなの、認めるわけにはいかないではありませんか。
男の子は眉ひとつ動かさずに、ブリジッドをコオリオオカミの背中に乗せました。何度か蹴って、うつ伏せに乗せたのです。
「これで動けまい」
銀色の硬いブーツで、ブリジッドは背中を踏みつけられました。
「ぐうぅ!離してよぅ!」
ブリジッドは潰れたような声で訴えました。
山の中腹まで来る頃には、自然の吹雪が止んでいました。ブリジッドを連れ去ったコオリオオカミたちは、石造りの小さなお城に到着しました。魔物たちのお城でしょうか。人間のお城とは違って、灯りは一切灯っておりません。
巨大な石の引き上げ扉が、音もなく上がりました。一行は立ち止まらずに、お城の中へと入ってゆきました。コオリオオカミはブリジッドを背中に乗せたままです。
中に入ると、小さな魔物の男の子は、ブリジッドから足を離して飛び降りました。その紫髪の魔物を先頭に、コオリオオカミたちは冷たく硬い灰色の石を踏んで、灯りのない吹き抜けを横切りました。
突き当たりの階段を昇り、細い回廊を抜けると、狭い階段がありました。階段は斜めでしたが、ブリジッドはどうしたわけかコオリオオカミの背中から滑り落ちることがありませんでした。
階段脇の壁には、ところどころ細長い穴が空いておりました。ブリジッドは痛みに歯を食いしばりながら、もう声も立てません。どうにかして逃げたいと思いながら、まだちらほらと小雪の残る夜空を見上げました。
空には、上が平らになったお月様がぼんやりと滲んでおりました。
(いつか見たお船みたい)
ブリジッドは思いました。
(お月様のお船に乗ったら、みんなのいるほら穴まで帰れるかなあ)
その時、一瞬、分厚い雪雲が途切れました。ブリジッドは目を見張りました。お月様は銀色の輝きを見せて、夜空の海に漕ぎ出したように見えたのです。
「乗せてください!お月様!」
ブリジッドは考える前に叫んでおりました。
「煩い子供め」
野太い声は平板な口調で文句を言うと、銀色の手袋をした手でブリジッドの口を抑えてしまいました。
遠い森のほら穴で、レマニの大人たちは目を覚ましました。ブリジッドの声が聞こえたのです。
「俺が行こう」
アンリのお父さんがいいました。炎の魔法使いなら、吹雪の夜でも進めます。闇雲に探すのは、大人でも危険でした。ですが助けを求める声が届いて、場所が分かったのです。
「私も行くわ」
風の魔法使いが申し出ました。
「声が来た場所まで、風の流れを追ってゆきましょう」
他にも数人が名乗りをあげて、レマニたちはブリジッドを探しに出発いたしました。アンリはお母さんにしがみついて眠っておりました。
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続きます




