五十一
「君の車は?」
「この雪よ、タクシーで来たの」
紗栄子は俺を見もせず、そう答えた。
「場所を変えるっていっても――、どこがいい?」
「静かなところならどこでも。お任せします」
『お任せします』ときたか――。相手と距離をおきたい場合、言葉遣いが慇懃になるのは俺も同じだ。すんなり仲直りとは行かないようだ。それどころか、もしかすると……
十分ほど車を走らせて川縁の公園に車を停める。最近よく見かけるドッグランの併設された広い公園だ。今朝まで降り続いた雪が積もる駐車場に車影はない。俺の乗るクロカン4WDでもなければ身動きがとれなくなってしまうほどの積雪だった。余程の物好きでもない限りこんな夜にこんな場所に車を乗り入れることもないだろう。『静かなところ』その条件は充分に満たしている。
贈り物――調査費用がそれにあたるかどうかはわからないが、それを突き返してくるような場合はたいてい別れ話になる。一体、なにが気に入らないんだ? 春先になると幾度となく別れ話を持ち出てきた元カノを思い出した。だが、いまはまだ冬だ。俺の悪い病気(先天性多方面好奇心懐包症候群=浮気癖)も出ていない。俺は紗江子の不機嫌に全く思い当たる節がなかった。
「あなたにとって、あたしはなんなの?」
フロントガラス越しに川面を見つめたまま、不意に紗江子が言った。声が尖っている。
「なにって……、いつも言ってるだろう、俺は君の恋人であり父親でありボディガードだって。一体、なにが気に入らないんだ? 言ってくれなきゃわかんないじゃないか。この前のラーメン屋以来、君は変だぞ」
釣られて俺も少々喧嘩腰になる。
「そうね、あなたはいつも助けてくれるし護ってくれる。職場での一件もそうよね、普通、あんな状況になれば、誰だってあたしを見捨てるわ。そうしないあなたに誰よりも大切にしてもらえてるって感じられてる」
それのどこが悪いんだ、反論を口にする前に紗江子の言葉が続く。
「でも、あたしはあなたになにひとつしてあげられてない。わかってる? あなたの瞳から哀しみの色が消えていないことを。恋愛はイーブンでなきゃいけない、そう言ったのはあなたでしょう。ジュンの眼はあたしを見ているようで、その視線はいつもどこか遠くを見ているの。それがナオコさんなのか悦子さんなのか、それとも他の誰かなのかはわからない。いいえ、そんなことはどうでもいいの。どんなににこやかに笑っていても、あなたの瞳には哀しみがある。それをどうにもしてあげられないことが、あたしはもどかしくて仕方ないの」
口調は激しかったが、予期した別れ話ではなかった。俺は安堵しながらも当惑する。そこまでいわれる俺は一体どんな眼をしているのだろう? 疑問そのままを口にしてみる。
「哀しみの色とかいわれても俺に心当たりはないよ。ただ俺にだって悩みぐらいはある。思いつくことといえばそれぐらいなんだけど……」
「どれよ」