四十四
俺がそれを追及しようとするより早く加藤は席を立つ。「ちょっと、失礼」そう言うと、かかってきてもいない携帯電話を内ポケットから取り出して壁際に歩み寄り、小声で話すふりをした。こういう変り身の速さが何期も議員を勤めるためには必要なのだろうが、ヤツの動揺を確信した俺の目には、自身を落ち着かせるための小芝居としか映らない。携帯をポケットに戻して振り返ると「秘書からの電話だった。視察に行かねばならないところがあったことを忘れていた」と、いきなり辞去の弁を告げてくる。
「もっと早く話がつくものだと思っていたからな。予定を入れてしまっていたのだよ。後は頼むよ、中島君。すまんな、祐二君」
ちらりと俺の方を見やり、足早に応接室を後にする。迎えに出た秘書に何事か毒づいたようだがドアが閉まるとその声も聞こえなくなった。
勝った! 時効が成立していようがいまいが、ひとひとりを自殺に追い込んだ事件との繋がりが発覚すればヤツの政治家生命も危うい。隠蔽に成功したはずの事件をほじくり返すことに図らずも手を貸してしまったとなれば、上からの叱責にも遭うだろう。参議のひとりやふたり、権力はあっさりと切り捨ててしまうものだ。
俺の鼻孔はきっと広がっていたはずだ。心の中で小さくガッツポーズを繰り出し、どんなもんだい、と快心の笑みを紗江子に向ける。しかし詳しい事情を知らされていない彼女は事のなりゆきが掴めず、怪訝そうに俺を見つめ返すだけだった。もっとうっとりしろよ、俺はちょっぴり落胆した。
残された魚男と中島は呆気にとられたような顔で、俺を見ている。俺は次の作業にとりかかった。
「ご挨拶が遅れました。私は富士ノベルテックの小野木と申します。こちらでは、いつもお世話になっております」
「あ、うん。そうか、そうだったな」
事のなりゆきが掴めないでいるのは中島も同様だ。ここは一気呵成に行こう。紗江子を呼びつけた理由すら理解出来ていない様子の中島には、ブラフもさぞかし有効なはず。
「ところで中島参事、このオフィスの規模ですと退職金はさぞかし莫大なのでしょうね。うん百万――、いや、ゼロがもうひとつ増えるのかな。しかしあの参議さんと懇意になさっていては、その保証はありませんよ」
俺は完全に調子に乗っていた。