ハーメルン
『さぁついておいでなさい子どもたち』
『あの山越えたら夢の国』
『キャンディがなる木にビスケットのおうち』
『怖い先生もお母さんもいない』
『みんなが夢見るそんな国』
笛の音に乗って、歌が聞こえた。木馬を持ったまま、少年は立ち上がる。笛の音の主は、目に痛いほどの色とりどりの服で身を包み、爪先の尖った靴を鳴らしながら街を練り歩いていた。
日曜の昼前、大人はみな教会へ行っている。街の中心の広場に行くと、子どもが大勢集まっていた。少年は、噴水の縁に立っているその男を見上げる。うやうやしく子どもたちに礼をしたのは、少し前によく見かけた旅芸人だった。
「さぁさぁ、ここにおわすは神の御使い」
男は仮面の下で笑みを浮かべたまま、何もない空間を手で示す。
「清き心は誰に宿るか。さぁ、さぁ、さぁ!」
男が笛を吹き始めた。子どもたちはみな顔を見合わせ、年長者などは苦笑いをして、自分の頭をトントンとつつく。
ぴぃ、ひゃらり。笛が鳴る。神父様が見たら、聖書で殴るだろうと一人が笑った。
ぴぃ、ひゃらり。笛が鳴る。大人が見たら、追い出すだろうと一人が笑った。
ぴぃ、ひゃらり。同じ曲が三度目だ。子どもも呆れると誰かが言った。
ぴぃ、ひゃらり。同じ曲にも飽きてきた。
ぴぃ、ひゃらり。何だか男が揺れている。
ぴぃ、ひゃらり。気付けばみんなが黙っている。
ぴぃ、ひゃらり。とても眠たくなってきた。
ぴぃ、ひゃらり。男の指が踊っている。
ぴぃ、ひゃらり。年長者ですら眠そうだ。
ぴぃ、ひゃらり。このまま眠ってしまおうか。
ぴぃ、ひゃらり。
ぴぃ、ひゃらり。何かがきらりと光ったような。
ぴぃ、ひゃらり。男の隣に何かがいる。
ぴぃ、ひゃらり。あれは神の御使いさまだ。
ぴぃ、ひゃらり。嗚呼、自分達は選ばれた。
『さぁついておいでなさい子どもたち』
笛の音に声が乗る。男が歩き始めると、ふらりふらりとその後を追った。
『ついておいでなさい、子どもたち』
木馬を持った少年だけが、一歩遅れて後を追う。笛吹き男はずんずん歩き、子どもたちは夢見心地で走って行った。
『あの山越えたら夢の国』
ぴぃ、ひゃらり。子どもの一人が口笛を吹く。ぴぃ、ひゃらり。ぴぃ、ひゃらり。ぴぃ、ひゃらり。ぴぃ、ひゃらり。ぴぃ、ひゃらり。ぴぃ、ひゃらり。ぴぃ、ひゃらり。ぴぃ、ひゃらり。ぴぃ、ひゃらり。ぴぃ、ひゃらり。ぴぃ、ひゃらり。
「あ」
木馬を持った少年は、振り上げた木馬で足を打った。それでも足は前に進みたがったので、両手で木にしがみついた。
「あの山越えたら夢の国」
「だぁれもいない夢の国」
笛の音を真似て、歌いながらみんなが走って行く。木馬を持った少年だけが、ずぅっと後ろに取り残された。石や木の枝で、両足はずたずたになっていた。
正午の鐘が遠くで鳴って、ようやく大人達が駆けてきた。木馬を持った少年の母親は、傷だらけの足を見てわんわん泣いた。それ以外の親たちは、もう誰も見えない山を見て、涙の一つも零れなかった。




