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岡崎悦子

つらつらと書き綴っていたスピンオフですが、この辺でひとまず終了させて頂きたいと思います。

では。(暇があったらまた数話書くかも。。。)

          *



 はあ……あんなふうに唄えたらどれだけ気持ちいいだろう。


 私は市内の、長崎ではよくある山の上の進学高校に通う十七歳だ。学校では合唱部に入っているけれど、いつかソリストとして唄えるようになれたらいいと思っている。だから私の夢は音大に入ることだ。


 そんな私がこの街いちばんのアーケード前でバスを降りるのは乗り継ぎのためだ。だから決して都会ではなくて、お寺の近くの地味な平屋だ。福岡の親戚の健翔叔父さんみたいなお金持ちなら、私の願いもすぐに叶うのに。健翔叔父さんはいつも福岡の美味しいお土産を買って来てくれる。


 それはそうと、私の願いというのはフォークギターを買うこと。ギターさえあれば、合唱部ではソプラノパートBなんていう十把一絡げの立ち位置の私でもひとりで唄えるようになると思うのだ。ああ、ギターが欲しい。


 私がそこまでしてひとりで唄いたい理由は合唱部のソロを取りたいからじゃない。その訳は、あの人――中央橋で夕方に唄っている謎のマントのクールなお姉さんだ。あれを聴いて以来、私の心は寝ても醒めてもギター一色だ。ああ、叶うならばあのお姉さんにギターを教わりながら一緒に唄ってみたい。そう思うのだった。


 しかし現実はシビアで、合唱部では今日も唄い飽きた『あのすばらしい愛をもう一度』を夕方まで繰り返すのみだった。


 そんなある日、お母さんが押入れ整理の話をしていた。お父さんは無口にビールを飲みながら聞き流していた。


 お母さんがため息混じりに言う。


 ――「アンタもう、あげん要らんもん早うゴミに出してくれんね」


 するとお父さんは珍しく声を荒げ、


 ――「あれは俺の青春が詰まっとると! そげん簡単に捨てらるっか!」


 何の話だろうと、私は耳に栓をして黙々とカレイの煮つけを食べていた。そこへ、


 ――「いくら何でも今からオヤジバンドでもやる訳じゃなかろうたい!」


 ――「あのギターは出すとこ出せば四十万するとぞ! 手放さるっか!」


 瞬間、私の耳栓が落ちた。


 ――「お父さん! ウチにギターのあると! どこにあると!」


 首根っこをつかみそうな私の勢いにお父さんは慌てたけれど、訳を(半分)話すと、そうかそうかと笑顔を見せた。


 それから私の毎日は食後のギター特訓に明け暮れるようになった。お父さんは私がギターを覚えたがっているのを喜んでいる節があって、つきっきりでギターを教えてくれた。呆れているお母さんをほったらかしにギター講習は毎日続いたのだ。


 それから私はいつしか合唱部に籍を置いたまま、軽音部(同好会だったけど)に毎日入りびたりになった。いちばん嬉しかったのは三年の男子の先輩が、


 ――「これビンテージギターぞ? 珍しかってことさ。百万するぞ」


 そう言ってくれたことだ。私のお父さんは百万のギターを持っていたのだ。よくぞ今まで捨てられずにいてくれた。


 ギターを弾き始めた私は人生が変わった。通学のバスでかさばるケースを持っているのも平気になり、逆にそれを持っている自分が誇らしかった。しかし――。


 ある日の午後だった。


 ――「岡崎さん。アンタ、ボーカルから練習せんといけんね」


 女子の先輩から冷たく言われたのだ。こちらは仮にも合唱部出身だというのに。


 先輩が言うには、


 ――「合唱のボーカルと弾き語りのボーカルは違うけんね。キレイに唄うたらいけん箇所もあるとさ」


 ショックだった。キレイに唄うことばかり教えられてきた身としては、落ち込むばかりだった。


 その日はあまりのショックでうつむいたままバスを降りた。すると、そこにまた彼女はいた。曲は分からない。でもとにかく今日一日の救いとばかりに、橋の向かいからその演奏を聴いていた。


(そんなこと言ってもこの人はキレイな声だ。先輩の言うことは分からない)


 思い切って話しかけてみようか。そう思うも、彼女の周りにはまるで見えないバリアがあるようで、とても近づけなかった。そしてその日も私はバスへ向かうと家へ帰った。



 変化があったのは三か月後の発表会だった。H2Oの『想い出がいっぱい』を唄った。発表会と言っても身内なのだけど。


 ――「岡崎さん、今日いい感じやったよ」


 例の女子の先輩から言われた。私としては何を変えた訳じゃなかったのに。


 家に帰り、私の講師であるお父さんに訊ねてみると、


「ボーカルちゅうとは変声期が必ずあるとたい。誰に聴かすかどこで聴かすか、それが自然と身についていく訳よ。声帯が太うなってな」


 なるほど、頼れる講師だ。初めてお父さんの言葉が自然と胸に落ちた。これでもしかすると彼女に声をかけられるかも知れない。どんな言葉で話しかけよう。こんにちは、からでいいだろうか。それとも、ちょっとすみません、くらいがいいかしら。


 なのに――。


 十二月。冬の只中に彼女の姿は見えなくなった。毎日夜の八時(門限)いっぱいに待ってみても、彼女の姿をついぞ見かけなくなってしまったのだ。


(ならばいっそ私が……)


 けれど、その思いつきにはすぐに首を振った。私みたいな初心者には無理だ。



 年が明けて、三月が来て、私は高校三年生間近になった。同好会も三年生は活動を辞めて、受験勉強に入るという。これで私のギター人生も終わりか。そういう気分だった。


 そんな、まだうすら寒い春休みのアーケードで、私は意味もなくギターケースを抱えていた。ギターはすでに身体の一部だった。


 特に買い物気分でもなくリカちゃん通りを歩いていると、突然、ホントに突然、雷に打たれた。ショーケースの向こうに、見覚えのあるバスマットがあったからだ。もちろん、彼女が使っていた青と黒を織り合せたようなマットだ。


 私は誘われるように店内へ入った。千三百八十円。新学期に合わせようと思っていた靴をあきらめれば買えない額じゃない。私は思うが早いかそれを手に取っていた。


 そして二時間後、私はギターケースを抱えて歩いていた、中央橋をウロウロとするだけで一時間経った。もう七時。門限まであと一時間。一時間したらバスに乗るかお母さんへ電話しなければいけない。


 そんな時の時計は残酷で、早回しのように過ぎてゆく。


(あの人だって最初は緊張したはず!)


 私は心の中のあらゆる勇気を振り絞り、彼女の座っていた場所へ向かう。途中、足が震えて止まりそうになる。でもダメだ。私はあの人と同じように唄ってみせるのだ。そのための特訓だったんだ――。


 腰が抜けたように座ってしまうと、思ったほど人はこちらを見ないものだと気づいた。


(できる。私にだってできる!)


 いつも持ち歩いていたギターケースをついに公道で開くと、ギターがまるで照れているようだった。私は大事なギターに今日の挨拶をして、お父さん譲りのチューニングを始める。隣にいたカップルがいなくなる。通行人は丸く弧を描くように避けていってくれる。私も彼女と同じバリアを張れた。時間はない、チューニングが終わればあとは覚えたコードを弾き下ろすだけだ。中央橋の雑踏に、私のギターが初めて響いた。



 高校三年になった。相変わらずギターを抱えている。そして唄っている。もちろんあの場所で。


 世間、というものを少し分かった気がするのは、世の中には色々な人がいるということ。そしてその大多数は大らかで優しいこと。


 人生初めてのナンパ(とはあとで知ったが)に合ったのもストリートならば、それを蹴散らしてくれた人に会ったのもやっぱり路上だ。白いスーツで髪がテカテカな人だったんでナンパの人より怖かったけれど、


 ――「頑張れや」


 そう言って千円札を置いていった。いったい何のためのお金だったのか分からなかった。数日唄い続けてようやく分かったのは、それは応援のお金だったこと。私を応援してくれる気持の表れだったのだ。お金稼ぎのバイトのつもりで唄い出した訳じゃない。それでも、その心はありがたかった。お金は毎回貯金することにした。


 お父さんとお母さんには、始めて一カ月くらいしてこのことを話した。お母さんは案の定で泣き伏せっていたけれど、お父さんは高笑いして、「それでこそオイの娘たい!」となぜか喜んでいた。それでも、今後は帰宅時間を決めて演奏することと試験の成績を落とさないことを条件に許可が下りた。晴れて親公認のストリート演奏だ。


 そんな四月の末――。


 だいぶ自分では板についてきた演奏を始めた午後五時過ぎのこと。ひとりのオジさんが近付いて来た。私はユーミンの『卒業写真』を唄っていた。その人はニコニコと笑顔だけ向けて、


 ――「すごか所で唄いよるね」


 そう言ってきた。私は歌を止めて、


 ――「ここ……ダメなんですか」


 こういう場所では確か決まりがあったのだと、急にそのおじさんが怖くなった。けれど、


 ――「ダメじゃなかさ。ただ、日向那由多って子がおってね。その子が唄っとった場所たい」


 ヒュウガナユタ……もしやあの人の名前かと思い訊ねると、


 ――「そうそう。いつも鋭い目つきで独特の声で唄いよった」


 ――「じゃ、じゃあその人、今はどこで唄ってるか知ってるんですか?」


 そう言うとオジさんはいかにも楽しそうな顔をして、


 ――「今は福岡たい」


 なんだ、そうなのかと口を尖らせかけた私に、


 ――「ばってん、六月にライブで帰って来るよ」


 ――「来るんですか? 私、行きたいです!」


 思わず言ってしまった。


 ――「それはライブを見に来るってことかな」


 私はお小遣いの残りを計算して、来月分も上乗せして、


 ――「行きます! えっと……五千円くらいなら」


 しかしオジさんは、さらに楽しそうな顔で答える。


 ――「まあ、それじゃ無理やねえ」


 笑顔を崩さず言った。やっぱりあの人くらいのレベルになると、六千円くらいするのだろう。そう思って気を落とした時に、


 ――「ただね、出演者でどうかなと思うとる訳よ。紹介の遅れたばってん、須藤と言います。仕事はライブスタジオよ」


 じっくりと聞いていたはずが、まったく訳の分からない言葉が並んだ。私は手渡された名刺を読み上げる。


 ――「ライブ……スタジオ、ですか」


 ――「そう。そこで唄うてみんね。ここで唄うとった日向さんも来るばい」


 一瞬、気の遠くなりそうな意識をなんとか引き止め、私は答えた。


 ――「出ます! 私、出ます!」


 ――「うんうん。そしたらまたここにおってくれんね。チケットとか連絡事項もあるし。それから親御さんにもきちんと話してね。それでダメやったらこっちもあきらめるけん」


 オジさんはそれだけ言うとアーケードへ消えた。私ははやる気持ちの中でまずはお父さんを味方につけようと、今夜の家族会議の議題を考えていた。


(ヒュウガ……ナユタさん)


 私は時計を見つめ、次の歌を選ぶ。こんなに迷いなく唄えるのは初めてだ。すでにライブで唄う歌を心に描きながら。まずはもう一度『卒業写真』を唄い始めた。


この作品から読みだした方は分かりにくかったと思うのですが、本編は「はじまりさえ唄えない」

https://ncode.syosetu.com/n2529fj/で完結しております。気になる方はどうぞ。


そんな訳で、お付き合いありがとうございました。    2019 8.8 空芯菜

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