【 Deeper than ultramarine blue 】
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いついかなるどんな時でも、夜と言う物はやってくる。その日も例外ではなかった。蒸し暑い闇が家を覆い隠す。
「暑い……クーラーが欲しいよな」
「クジ兄ちゃんわがままー」
「我がままじゃねーよ、結構普通の望みだよ」
冷たいフローリングに肌を押しつけているクジを見て、攸貴はああ、昔は自分もこんなんだったかとため息をついた。熱気を孕む空気すらも懐かしく感じる。
――要塞の中は、空調が完璧だからな……。
第零大部隊の任務がなければ外にも出られない身のため、こういう空気は新鮮味があって良い。まぁ、蛇や虫があまり好きではないので田舎暮らしはあまり気が進まないが。
この環境にもすっかり慣れてしまった。もしも今日何も起こらないのであれば、このままでもいいと思えている自分がいることが怖い。
――もしかしたらガチで死んだのかもしれねーし……。
頭の中で出した声が、なんだか真実味を持っていて泣きそうになった。
「あれ、お姉ちゃんが居ない……」
カジの声にはっとなる。そう言えば、あの奇妙な女は自分の視界のどこにもいなかった。
「本当だ。どこに行ったんだろうな」
「ああ、東井さんならさっきちょっと外に出てくるって言って行っちまったよ。『見晴らしのいいところはどこですか?』って聞いてきたから、多分東の丘じゃないか? あそこは村が一望できるからなぁ」
父親が煙草をふかしながらそう言った。
その時、クジがイヤらしい顔をして笑う。
「俺、東井さん迎えに行ってくるわ」
「そう? まぁいくら田舎だって言っても夜だしねぇ、危ないわね。クジお願いね」
「おう、任せとけ」
「クジ兄ちゃん、僕も一緒に行くー!」
「お前はダメだ、家に居ろ」
クジはそう言うと、履き古された運動靴を履いて外に出て行った。その後ろ姿が見えなくなったころ、カジも靴を履き始める。
「おいカジ、兄ちゃんのあと着いていくのか?」
「うん、だって僕も東井お姉ちゃんのこと心配だもんっ。兄ちゃんにばっかり良い格好させないよ!」
「そうか。気をつけるんだぞ」
「うん!」
父に頭を撫でられて、上機嫌に笑ったカジは小さな足に見合った小さな靴を履いて家を飛び出した。向かうのは東の丘だ。
つられて、攸貴もそのあとをついていく。あの女のことが気になってしょうがなかったのだ。
丘に着いたころには、クジの息はすっかり上がってしまっていた。
酸素不足でひーひー言いながらも、その顔は満足そうだ。なにせ、目の前には東井がいるのだから。
「東井、さん」
「あれ、クジ君? どうしたの、こんな夜遅くにこんなところに。もしかして、東井のこと迎えに来てくれたの?」
ニコニコと笑う東井に、クジの胸が高鳴る。
こんな田舎に、可愛い女子はいない。少しでもルックスがいい人は自信家が多く、皆都会に出て行ってしまうからだ。
いずれはクジも家を継がなければならない。その嫁にブスを迎えるだなんて真っ平御免だった。
東井と、少しでも距離を縮めたい。きっと恋人までは行かなくても友達くらいにはなれる。メールアドレスを交換すればそれなりに仲良くなれるはずだ。
「あ、うん、そうなんだけど……あの、ちょっと、いいかな?」
「ん? いいよ、なぁに?」
東井が無邪気に問いかける。クジの手首につけられた、腕輪型端末が電源を入れられたことによって僅かに光る。
「あの、さ、メールアドレス、交換してくれないかな?」
「え、東井と交換してくれるの? 嬉しいな」
クジの心は絶頂に達した。その笑顔は、好意と受け取ってもいいのだろうかと。
「ねぇね、あたしの端末メール以外の交換機能ついてないからさ、手打ちじゃないといけないんだ。クジ君のアドレス画面見せて?」
「え、あ、おお」
無邪気にそう言ってくる東井に、だらしなく顔を崩したクジが端末の画面を開き、保護ブロックを解除するために「解除」と音声認識で画面のブロックをといた。
この時代では、現代で言うところの携帯電話の端末を起動すると巨大な電子画面が表示される。その際、個人情報を保護するために電子画面は登録者しか見れないようになっている。しかしそれだとコミュニケーションの点で問題が出るため、登録者の声で一定の人間だけに解放することができるようになっている。
その解除をすると、意気揚々と東井のとなりに並んだ。
「あれ、なんか村が明るいな」
「気のせいよ」
「いや、この明るさは……」
谷の上から見える風景に異常を感じて振り向こうとすると、東井がやんわりと止めた。それでもクジが振り向こうとすると、東井がにこりと笑った。
「ダメって、言ってるでしょ?」
その笑顔と同時に、クジの体が大きく傾いた。
「あ、兄ちゃんだ」
無邪気な声が攸貴の耳(これも文章上の表現である)に届く。この齢でお兄ちゃん大好きっ子とはいいことだ。自分は一人っ子だからその気持ちは分からないが。
カジの言った通り、30mほど先にクジの姿が見えた。携帯端末の光を浴びてその姿が浮いて見える。その横には、東井がいた。
――ほー。二人で逢い引き中か。良い御身分だな。
攸貴には冷めた思考が蔓延っていた。クジはそこまで見目は悪い方じゃない。美女の東井と並ぶと見劣りはするためお似合いとは言えないが、まぁまぁ良いカップルには見えるだろう。
――リア充爆発しろ。本気で爆発しろ。こっちは18年間恋人居ないってのによー。
あーあ、とため息をつく。まぁ、18年間も恋人がいなかったのは理由があったからなのだから、負け組というわけでもないのだけれど。
――……理由? 理由なんてあったか?
自分で思考を働かせて自分で突っ込みを入れる。恋人がいないことに理由をつけるなんて三流だ。これでは本当に負け犬の用ではないかと。自分が嘆かわしくなった。
「兄ちゃんと東井さんお話してる……まだ出て行っちゃダメかなぁ?」
――止めとけ止めとけ。あとでクジ兄ちゃんに怒られるだけだぞ。
聞こえない相手にこう言っているとなんだか本当に泣けてくる。原点の問題に戻ると、この少年が本当にアスクリアなのかどうか、まだ判別が出来ていないのだ。自分が幽霊だと思うと鬱になる。
「んー……まだなんか話してるみたい。あれ、兄ちゃんなにしてるんだろ?」
――何って、なによ。
一人もさびしいので、とりあえず声に出してみる。それはもやもやとなっただけで空気を振動させはしなかったのだが。
カジが注目した方を見れば、たしかにクジの様子がおかしかった。画面に照らされた顔には、驚愕の表情が見て取れる。視線の先には村があるはずだ。
そして、村に完全に体が向くのを東井が止めている。修羅場のようだった。東井とクジの間で一体何があったのだろうか。とても気になるところだ。
東井がクジに何かを囁く。おそらく東井の囁いた言葉に驚いたのだろう、軽く目を見開いたクジは、
「えっ?」
体を、吹き飛ばされていた。
攸貴も何が起こっているのか分からない。この世界に来てから対応能力は高くなった方だが、それでも情報処理の限界と言う物がある。今回のはその限界を大幅に振り切っているに違いなかった。
ただ約三秒後、カジがクジのいるところへと駆けだしていったことが危険だと言うことだけは、分かった。
――やめろ、カジ!
叫んだ声は空気を振動させずに、自分だけに聞こえる。カジは東井の足元に居るクジに寄り添った。
「兄ちゃん、兄ちゃん!」
「あらカジ君」
攸貴もそこに駆け寄った。東井の足元に倒れているクジを見る。死ぬ直前のまま、目が見開かれていた。
東井は冷静だった。目の前で人が不可解な死を遂げているというのに、何も動じていない。いや、冷静を装っているだけなのかもしれない。誰だって、人が死んだらどんな反応をすればいいのか分からないだろう。
カジは上半身だけになってしまったクジを揺らし続けていた。しきりに、兄ちゃん、兄ちゃんと悲痛な声が聞こえる。
クジは、肺の辺りからへそまでを丸くえぐり取られるような形で死んでいた。視線をさまよわせれば、直ぐ近くにそれと同じ大きさの弾丸を見つけた。
弾丸と言うにはあまりに大きすぎる大きさだ。大砲の弾と同じくらいではないのか。いや、きっとそれ以上だろう。となると、クジは大砲で撃ち抜かれたということになる。そんな大がかりなもので一一人を撃ち殺すだろうか? 攸貴はすぐに結論を出した。否だ。
ということは、その大砲の持ち主は無差別殺人を行っているのではないだろうか。攸貴は先ほどクジが視線を持っていこうとしていた村を見た。
――なんだ、これ……!