Attack
「アキラ?」
レイジはマイクに呼び掛けた。返事はない。
アイモニタを確認すると、通話アプリケーションがエラーを起こしていた。音声セッション、映像セッションとも、強制的にクローズしていた。
「いったい何があったのでしょう」
「わかりませんなあ」
カフェの中がざわついていた。席を立っている客もいる。
見回すと、さっきまで椅子に座っていた半透明の人間がいなくなっていた。
「機器障害か?」
カフェの機械が壊れたのかもしれない。
レイジはコーヒーを一口飲んで気分を落ち着け、コンソールに分析ツールを展開した。
アイモニタに起動完了のメッセージが出力された。原因を調査する準備ができたことを意味する。
レイジは慣れた手つきで、コマンドを入力した。青い波紋が瞬き、所狭しとウィンドウが開いていく。
ここまで一息の動作だ。
職業柄、何らかの不具合の原因を追い求めることがある。身体に染みついている行動で、流れるままに指が動いていた。
しかし、仕事以上の動機があった。
憤りだ。
残りわずかとは言え、アキラとのデートを邪魔されて、気分を害していた。カフェに落ち度があれば、文句のひとつでも言いたいところなのだ。
レイジは苛立たしげにテーブルを叩いた。右手が滑り、ポインタが次々にウィンドウを選択する。それぞれにコマンドを打ち込み、結果を表示させる。
「ここだな」
レイジは、自分のコンソールから通話アプリケーションのログを呼び出していた。エラー状況の記録とあわせて、トラブルが発生した時刻の状況を調査する。その結果、コンソールに転送されてくるデータの塊――パケットの量が極端に減少していることがわかった。これでは会話が成り立たなくなるのも頷ける。
人間の声は、マイクを通してデータ化される。音声データは、細切れのパケットになり、受け手に転送する。パケットが再構築されると声になり、イヤホンから聞こえてくる。パケットが欠けすぎると、ちゃんとした音声に戻らない。通話が成り立たないのだ。
これと同じことが、客たちにも起きたと考えられた。
レイジはテーブルに青い波紋と緑の軌跡を複雑に描いた。
アイモニタに、ネットワーク機器のシンボルマークが映し出された。ルータと呼ばれる、外部とカフェ内部を結ぶ機器だった。カフェの外との通話は、このルータを介して提供される。映像も同様だ。
ルータに接続要求をかけた。トラブルの原因で、もっとも疑わしいのがこのルータだった。
ルータからパスワードが要求された。まずは、ルータの製造会社の標準パスワードを入力する。
「まさか」
ログインが許可されてしまった。あり得ない状況だった。誰でも知っているようなパスワードを、そのまま公共の場で使用するなど、あってはならないことだった。
レイジは頭を抱えつつも、ログの解析に取りかかる。
「ああ、やっぱり」
トラブルの原因は、機械の故障ではなかった。ザルのようなセキュリティを見せられれば、想定せざるをえないものだった。
「攻撃されてる」
ルータは、複数の地点から一度に大量のパケットを受信していた。パケットの中身は、音声ではない。ネットワークの監視などに用いられる通信規約に属するものだった。
「DDoS攻撃か」
Distributed Denial of Service Attackと呼ばれるネットワーク攻撃のポピュラーな手法である。
この攻撃によって、通話などの通信が圧迫され、カフェ利用者たちに送られるはずのパケットが届かなくなったのだ。
「なぜだ」
レイジは、カフェが標的にされた理由を考えた。
ネットワーク攻撃の目的は、大きいものではサイバーテロ、よくあるものでは嫌がらせだ。社会的なダメージを与えるためなら、官庁や大企業のサーバを狙う。街のカフェを選んだ理由は、後者と考えるのがしっくり来る。
レイジはコーヒーカップを傾けた。もう残っていなかった。おかわりを頼もうとしたところで、客の一人が大声をあげた。
「おい、なにやってんだよ!」
「す、すみません」
怒鳴る男性客に、従業員が頭を下げていた。
「店長、レジが動きません!」
「あれ、開かない?」
男性客の連れがドアを押していた。引いても同じだ。
「鍵がかかってるじゃねえか」
店長があわてて出てきた。客の指し示すドアに、首を捻りながら手をかけた。
「動かない?」
腰に下げていた鍵を差し込んでも、ドアは動かなかった。
「と、閉じ込められた」
客が言うと、店長は「落ち着いてください」と引きつった笑いを浮かべた。
「乗っ取りか」
レイジは不謹慎にも感心していた。
カフェを攻撃した犯人は、ネットワーク攻撃だけでなく、それに乗じてカフェ内のネットワークにまで侵入したようだ。レジが動かなくなったり、ドアが開かないのは、管理サーバに不正アクセスされたと考えられた。
近年、電化製品やライフラインなどは、ほとんどがオンライン化されている。便利だが、中枢が攻撃されてしまうと、影響は大きかった。
「やるじゃないか」
攻撃者は、短時間のうちにサーバまでたどり着いていた。それなりの技術を持っているということだ。嫌がらせによる営業妨害ではないのかもしれない。
「どういうことさ」
隣りの席のサングラスの女性が首を傾げていた。彼女は事件の起きる前から一人でいた。誰かを呼び出していたわけではないため、事態が飲み込めていないようだった。
「ネットワークが攻撃されたんだ」
レイジは簡潔に答えた。
女性は、煙草に火をつけようとしていた。
「それで?」
「攻撃と同時に、誰かが店のサーバに侵入した。ドアは電子錠で、レジはオンライン化されているから、攻撃者の支配下。だから、あれさ」
出入口を指し示したレイジに、女は困り顔をする。
「ルータの動作は正常だ」
標準パスワードでログインでき、変更もされていないことから、ルータは乗っ取られていない。
レイジの指がせわしなく動いた。
「一時措置として、インターネットからの通信を遮断する。そうすれば、操られることもない」
一分と経たないうちに、店のドアが開いた。
「あら」
女はようやく煙草に火をつけた。
レイジは、乗っ取り犯をネットワークから排除した。もちろん、カフェから外に通信できなくなるが、この際は仕方がない。
「あんた何者なのさ」
「ただのネットワークエンジニアだよ」
「嘘つかないでよ」
ただの技術屋が、悪質なネットワーク攻撃を行う相手を簡単にはあしらえない。
「それはそうと、この店、禁煙だぜ」
「あら、そう」
女は携帯灰皿に煙草を突っ込んだ。
レイジは事情を説明するため、レジで頭を抱える店長に声をかけた。
次の瞬間、店の照明が一斉に消えた。




