Cafe
短期集中連載。
ネットワーク関係の知識があると、突っ込……面白いかも?
朝と昼の間の穏やかな時間。
レイジは眼鏡をかけ直すと、歩きながら自分の腿を叩いた。
車道寄りの視界の片隅に、濃緑の地図が浮き上がった。小さなカレンダーほどの大きさで、空中に漂っている。腕を伸ばせば指先くらいの位置だ。地図の中央にある三角は彼の位置を示しており、点線は目的地までの道順だった。
周辺地図と位置情報を提供するナビゲーションソフトウェアである。パーソナルコンソールにプリインストールされた標準のアプリケーションで、眼鏡状のアイモニタに映し出される。
レイジが再び指を動かすと、ジーンズの上に青い波紋が広がった。外から見ればリズムを取っているだけだが、アイモニタを通すと、ミズスマシの足跡のような小さな円が明滅していた。
指の動きはトレースされ、パターン認識により、意味のある記号に変換される。見えないキーボードを打つような動きが、パーソナルコンソールへの入力方法なのだ。
通話アプリケーションが起動する。動作中を示すアイコンが、画面上部に表示される。レイジは続けて個人IDを入力し、相手を呼び出した。
しばらくして通話セッションが確立した。半透明の顔が、アイモニタの右側に描画される。
「おはよう」
『おはよ!』
元気のよい声が、レイジの頭を揺らす。
「アキラ、声がでかい」
骨伝導のイヤホンマイクから出力された声は、囁きでもしっかりと聞き取れる。
『ごめん。でも、昨日から楽しみにしてたんだ。大目に見てよ』
「わかったわかった。もう着いたから、店から呼び出すぞ」
レイジはいったん通話を終了し、かねてからアキラが行きたいと言っていたカフェのドアを開けた。
『都会って感じだあ』
アキラははしゃいで周囲を見回した。レイジは苦笑いして、海老とアボガドのサンドイッチとコーヒーを頼んだ。ウェイトレスの女性はアキラの仕草にも微笑みを絶やさず、注文を繰り返した。
「メニューをお下げします」
「もう少し見させて」
「かしこまりました」
レイジはメニューを立てかけた。
『たくさんあるね』
アキラの身体は透けていた。向こう側に、椅子の背もたれが見える。
三次元の映像だ。椅子とテーブルの端に、映像を作り出すプロジェクタが組み込まれているのだ。アキラの目は、背もたれに設置されたネットワークカメラだった。
彼らがいるカフェは、遠く離れた相手を招くことができる店だった。こういった店は、街にいくつかあった。
『高いんだね』
アキラはメニューの値段に驚いていた。
「こういうところは、こんなもんだ」
『裏も見せてよ』
アキラは目を輝かせて写真を眺めた。
『これ食べたいな』
透過率の高いアキラの指が、高級そうな名前の林檎を使ったアップルパイを指していた。「そのうちな」
『そのうちかあ』
しょんぼりとするアキラに、レイジはいたたまれなくなった。
二人は、同じ場所にいるように見えても、現実は違う場所だ。食べたいと思ったメニューも、彼らが一緒に楽しむことはできない。
そして、アキラがこの店に訪れるのは、おそらく、ない。
「そうだ」
レイジはテーブルに指を走らせた。青い波紋がいくつか浮かび、コンソールで決済する。手のひらを上に向けると、透き通った一輪の薔薇が現れた。
『わあ』
薔薇に物体の感触はない。アキラと同じで、三次元映像で作られていた。
『薔薇が好きだっての、覚えててくれたんだ』
「まあな」
レイジは、アキラの髪に薔薇を挿す。三者の座標が一点に集まる。しかし、それぞれが別の場所に存在していた。
微笑むアキラに、レイジも微笑み返した。
電子決済で購入した薔薇が、アキラの元に宅配されるのは明日になる見込みだ。薔薇と彼女は出会える。だが、レイジはアキラの髪に触れることは望めない。
レイジは指についたクリームを舐めとり、コーヒーを飲んだ。映像のアキラも、彼女が作ったスープを口に運んだ。
「そろそろ時間か」
デートの刻限が迫っていた。アキラを呼び出していられる時間は限られていた。申請した時間を越えての接触は、どんな理由があろうとも罰則の対象となる。
『えー』
「しかたないだろ。今度、休みがとれたら、会いに行くよ」
『来れるの! いつ!』
身を乗り出したアキラの顔が近い。けれども、体温も人の気配も感じられなかった。
「休めたらな。いつかはわからないし、問題は申請が降りるかだ」
『なんだー』
アキラはうつむいて唇を尖らせた。
「そんな顔するな」
『だって……あれ……レ……』
イヤホンからの声が途切れがちになった。
「どうした」
アキラの映像が乱れた。彼女の顔の輪郭が崩れ去る。カフェに砂嵐が舞った。
『レイジ……』
レイジの名を残して、アキラは掻き消えた。




