第12話 悪役令嬢は、居場所のない者に役割を与えますわ
空き教室は、静寂の中に取り残されていた。
窓は大きく、光はよく入る。
だが、机は古く、棚は埃をかぶり、誰も使わなくなって久しい。
「……誰が使うんだ、ここ」
通りすがりの声。足は止まらない。
エミリアがそっと扉を押し開けた。
「……ここ、ですか?」
「ええ。ここが良いですわ」
リリアーナは迷いなく言った。
アレクシスは腕を組んで室内を見回す。
「部屋にするには、少し荒れているな」
「荒れているからこそ、使う価値がありますわ」
リリアーナは床に落ちた紙片を拾い上げながら言った。
「役割を持たぬ場所は、役割を持たぬ者を生みますもの」
ヴォイドが埃を払いながら言った。
「しかし、部屋を作るだけで構造改革になるのか?」
「なりませんわ」
リリアーナは即答した。
「それじゃあ、どうして」
ヴォイドは不満げだ。無駄なことをやらされていると思ったらしい。
「学園には、線があります。貴族と平民、成績上位と下位……
その線を越える橋が必要ですわ」
エミリアが首をかしげる。
「この部屋が……橋?」
「そうなるには、それだけでは足りませんわ
橋は、あちらとこちらを繋ぐ人が渡ってこそ橋になりますもの」
(繋ぐ人になれる方たちを探さねばなりませんね)
リリアーナは窓を開け、春の風を入れた。
作業は思った以上に大変だった。
机を運び、棚を磨き、古い本を分類し、
埃を払い、窓を拭く。
いつもは、影の薄いヴォイドだが、ここではその存在を十分発揮していた
エミリアは袖をまくりながら言った。
「こんなに大変だとは……!」
「大変だからこそ、価値がありますわ」
リリアーナは淡々と答える。
「続く形は、手間を惜しんでは作れませんもの」
夕方。
ようやく形になった部屋を見て、
エミリアが感嘆の声を上げた。
「すごい! 本当に使える部屋になりました!」
レイナードも頷く。
「悪くないな。これなら誰でも入りやすい」
アレクシスは窓際の席に腰を下ろし、静かに言った。
「……落ち着くな」
リリアーナは微笑んだ。
「必要とされる場所は、自然と守られますわ」
秘伝書の一節が胸に響く。
『役割を持たぬ者を責めるな。
役割を与えぬ構造を責めよ。
場所を整えよ。
そこに人は立つ。』
(これが最初ですわね)
その時、放課後の中庭の喧騒に混じって、
神経を逆なでするような尖った声が響いてきた。
校舎脇の水場に、数人の生徒が集まっている。
掃除当番らしいが、手は止まり、空気が険悪だった。
「だから、そこがまだ汚れているでしょう」
言ったのは、ひとりの少女。
淡い灰青の制服の裾を乱さず、
桶にも雑巾にも触れず、
ただ少し離れたところから床の端を指さしている。
「あそこもです。見えていませんの?」
口調は鋭い。
指摘そのものは正しい。
石畳の隅には乾きかけた泥が細く残っている。
だが、言われた側の顔は、険しくなっていた。
「……じゃあ、お前がやれよ」
「私は本日の掃除当番ではありません」
「うわ、出た」
「言うだけは一人前だな」
小さな笑いが漏れる。少女は眉を寄せた。
「当番であるなら、責任を果たすべきでしょう」
「責任責任って、さっきからうるさいんだよ」
「うるさいのではなく、
当然のことを言っているだけです」
「だから、その言い方だって言ってるんだろ」
誰も雑巾を動かさない。水桶の水面に、皮肉な笑いが写る。
「あの方、どなたですの」
隣にいたエミリアが、水場の方を見て少しだけ困った顔をする。
「アリシア様です」
「貴族?」
「はい。でも……」
「でも?」
「立派な方なんです。でも、ああいうふうに……」
言葉を濁した。
ヴォイドが横から言う
「アリシア嬢か、俺も彼女は苦手だ」
「おまえは、いつもやり込められているものな」
アレクシスは、恨みがましく言う。
「おかげで俺まで、とばっちりだ」
「どういうことですか? 殿下」
「ちゃんとの手綱――、いえ管理をしておけってことです。」
レナードがすまし顔で言う
リリアーナは静かに視線を細める。
確かに正しい。
だが、正しさを外側に置いて内に入らない。
それでは反発される。
「行きましょう、エミリア様」
「え?」
リリアーナは中庭の並木道でアリシアを呼び止めた。
「少しよろしいかしら」
「なんでしょう」
振り向いたアリシアの表情には、最初から警戒があった。
それでも逃げずに立ち止まるあたり、気位は高いのだろう。
「掃除当番の件、見ておりましたわ」
アリシアは顔をしかめた
「それが?」
「あなたの指摘は正しかった」
「ええ、そうでなければ、指摘していませんわ」
「ですが、誰も動かなかった」
アリシアの唇が、きつく結ばれる
「同じようなことが何度も?」
悔しそうな表情が、YESと答えている
「私は、正しく指摘しているんです。」
「置き方が悪いのです」
何を言われたのかわからず、
アリシアの顔から表情が消えた
「正しさは、人を動かすこともあれば、止めることもあります」
いまのあなたは、後者です」
アリシアは反発しなかった。
怒るよりも、戸惑いが大きかった。
「私は……間違いを見過ごすのなら、私でなくなります」
「……」
「手を抜く者を見ると腹が立ちます」
「そうでしょうね」
「だったら」
「だったら、なおさら外側にいてはいけませんわ」
「外側から言う者の正しさは、たいてい嫌われます。
ですが、中に入った者の言葉は、通ることがある」
「中に……?」
「ええ。当事者になるのです」
「……意味が分かりません」
「では、分かるようにいたしますわ」
学園長室。
「今度は何ですかな」
学園長が、生徒会の顔ぶれを見渡す。
「当番運用について提案がある」
学園長は目を細めた。
「聞きましょう」
アレクシスは簡潔に説明した。
校舎脇の掃除当番が止まりやすいこと。
指摘する者と、実際に動く者が分かれていること。
それによって正しさが機能していないこと。
そして、アリシアを共同当番監督に置く案を出す。
学園長は紙を一瞥し、すぐに言った。
「破綻しますな」
エミリアの肩が小さく揺れる。
レイナードは表情を変えない。
ヴォイドは何も分かっていない。
アレクシスは黙ったままだった。
「理由を」
とリリアーナ。
学園長は指で紙を軽く叩く。
「その者は、今のままでは正しいだけの者です」
上に置けば、嫌われる」
嫌われるだけならまだよい」
誰も従わなくなる」
静かな声だった。だが、容赦はない。
「さらに言えば」
学園長はリリアーナを見る。
「役割を与えれば立てる、と君は言う」
「ええ」
「だが、役割は人を立たせもするが、縛りもする」
その娘が潰れたら、どうしますかな」
アレクシスは横目でリリアーナを見た。
ほんの一瞬、リリアーナの指先が止まった。ごくわずかに。
(……今のは)
呼吸が、わずかに変わった気がした。
だが次の瞬間には元に戻っている。
誰も気づいていない。
学園長も、レイナードも、エミリアも。
「どうしますかな、副会長」
と学園長。
リリアーナは顔を上げた。
「修正いたしますわ」
声はいつも通りだった。
「最初から全権は与えません」
共同当番監督といたします。
確認・分担・終了記録のみ」
「ほう」
「初日は生徒会が立ち会います」
さらに」
リリアーナは一拍置いた。
「本人にも、監督である前に当事者であることを求めます」
学園長の目が細くなる。
「つまり?」
「指図だけでは終わらせません。自分でも手を動かさせます」
言葉を通したいなら、同じ場所に立たねばなりませんもの」
短い沈黙。
「嫌われますぞ」
と学園長。
「ええ」
「失敗しますぞ」
「ええ」
「それでも?」
「だからこそ、ですわ」
迷いのない返答だった。
学園長はしばらく黙り、それから頷く。
「条件付きで許可しましょう」
指を三本立てる
「三日」
「はい」
「初日は生徒会長も立ち会うこと」
アレクシスが眉をひそめる。
「俺もか」
「会長ですからな」
学園長は涼しい顔で言う。
「それと
その娘が折れそうなら、止めること」
「……承知いたしました」
その返答の、ほんの一瞬前。また、あの間があった。
(……何だ?)
アレクシスは何も言わなかった。
翌朝。
学園の掲示板に、一枚の紙が貼り出された。
『共同当番監督 任命』
説明は短い。
清掃・備品整理・準備当番の確認
作業分担の指示
終了確認と記録
監督 アリシア・ウェルグレイ
「は?」
そのまま勢いよく振り返ると、
ちょうどそこへ歩いてきたリリアーナと目が合う。
「決定ですわ」
「決定ですわ、ではありません!」
「何か問題が?」
「大ありです! なぜ私が」
「適任だからですわ」
「嫌です」
「そう」
あまりにあっさり返されて、
逆にアリシアが一瞬止まる。
「……そう、って」
「断っても結構ですわ
困るのは、あなたではなく学園ですもの」
アリシアの眉が動いた。
「どういう意味ですか」
「掃除は当番の責務。備品整理も準備も、誰かがやらねばなりません」
「それは……」
「ですが今の学園では、
やる者、やらない者、文句だけ言う者、どなたもおられます。
けれど、全体を整える役の者はいない」
リリアーナは、掲示板の紙を指先で軽く叩いた。
「ですから、置きました」
アリシアは黙った。
「あなたは、正しさを通したいのでしょう?」
「……ええ」
「なら、言うだけでは足りません」
「割り振り、確認し、最後まで責任を持ちなさい」
「それでは、私が嫌われ役になるだけでは」
「ええ、それがなにか?」
「なにかって、あなた!」
「これで、初めて立つことができるのです」
その言葉に、アリシアの表情が揺れる。
拒否したかったのだろう。
けれど完全には切り捨てきれない。
「やれば、通るんですか」
「やり方次第ですわ。少なくとも、今よりは」
長い沈黙の末、
アリシアは任命書をひったくるように取った。
「……やります」
「結構」
「ただし、失敗しても知りません」
「それは、失敗してから考えればいいのですわ」
「本当に嫌な方ですね」
その日の放課後。
最初の仕事は、中庭脇の掃除当番だった。
昨日揉めていた生徒たちも、同じ場所にいる。
空気はかなり悪い。
アリシアは、水場の前に立ったまま一瞬だけ動かなかった。
リリアーナは例の部屋から見ていた。
アリシアは、やがて小さく息を吐いた。
「始めてください。」
誰も動かない。
沈黙。
水面が揺れるだけだった。
アリシアははっとして言いなおした
「始めます」
「まず、石畳は二人。水場のまわりは一人。
桶の水替えは私がやります」
「は?」
昨日の男子生徒が眉をしかめる。
「なんでお前が指図してんだよ」
「監督だからです」
「昨日まで何もしてなかったくせに」
「ですから、今日はします」
アリシアは、
言葉だけで終わらせなかった。
自分で桶を持ち上げ、冷たい水を入れ替え、雑巾を浸し、
石畳の端へしゃがみこむ。
昨日、自分が指さしていた泥の残りに、真っ先に手をつけた。
場の空気が少しだけ変わった。
「……そっちは俺がやる」
ぼそりと一人が言う。
「じゃあ、こっちやるか」
「桶、もう一つ持ってくる」
アリシアは顔を上げたが、何も言わなかった。
ただ、次にやるべき場所を短く示した。
「石畳の継ぎ目、そこは泥が残ります」
「……ああ」
「終わったら、最後に私が確認します」
「はいはい」
返事はまだ雑だ。
けれど昨日のような反発ではない。
作業が半分ほど進んだところで、
アリシアは備品箱の蓋が壊れているのを見つけた。
「これ、以前からですの?」
「前から」
「なぜ報告しないのです」
「誰に?」
彼女は口を閉じた。
そして少し考え、言い直す。
「終わったら、記録に書きます。
次回から先に確認しましょう」
「ああ」
前より言葉が届く。
それは、彼女の言い方が少しだけ、変わったからでもあり、
彼女自身が桶を持ち、雑巾を絞り、
同じ場所に立っているからでもあった。
作業が終わる頃には、石畳は朝より明らかに綺麗になっていた。
アリシアは最後に全体を見て、短く言う。
「結構です」
「上からだな」
「監督ですもの」
「言うよな」
小さな笑いが起きる。
昨日と違う笑いだった。
変化は目に見えて現れた。
中庭の掃除は揉めなくなり、備品の欠損は記録されるようになり、
準備当番も少しずつ回るようになる。
何より変わったのは、アリシア自身だった。
当番の一人が箒を雑に壁へ立てかけようとしたとき、彼女は言った。
「それでは倒れます」
以前なら、その一言で空気が凍っただろう。
「どこ置けばいい?」
「そちらの棚の内側です。湿りも飛びます」
「なるほど」
会話が続く。通る。
アリシアは、そのたびに少しだけ不思議そうな顔をする。
放課後。
回廊でアリシアが、リリアーナに声をかける。
「ありがとうございました」
アリシアは深く頭を下げた
学園では、静かな話が広がっていた。
「アリシア、最近変わったな」
「前より話しやすい」
「ああ、俺たちと同じ場所に立ってる感じがするな」
誰かがそう言った。
その言葉を聞き、リリアーナはわずかに目を細める。
『居場所を与えたのではない。
立てる場所を置いただけ。』
その上に立ったのは、あの方自身なのだから。




