第一話「補助科の目」
魔導学園では、撃てない人間に価値はない。
少なくとも、そういう空気がある。
ユウト・アーセルは、その「撃てない側」だった。
セルディア王立魔導学院。
国内でも指折りの名門だ。
でも、補助魔術科の腕章は目立たない灰色をしている。
攻撃魔術科は赤。
防御魔術科は青。
剣術科は白。
それに比べると、灰色はどこか言い訳めいて見えた。
ユウトはそう思っていた。
本人がそう思うのだから、周囲がどう見ているかはだいたい分かる。
入学して一年と少し。
その灰色が何を意味するか、この学院の生徒なら誰でも知っている。
補助科は、戦えない者たちのクラスだ。
ユウト自身は、自分の顔はどこにでもありそうなものだと思っている。
背は少し低め。
体つきも細い。
目だけが、少し違う。
暗い茶色の、落ち着きすぎた目だ。
よく「何を考えているか分からない」と言われる。
考えていないわけじゃない。
ただ、口に出す機会が少ないだけだった。
◇
月に一度、全科合同の実技観覧日がある。
各科の代表がグラウンドへ出て、術式や技を披露する。
他科の生徒は、それを見学する。
学院のパンフレットには、交流と相互理解のためと書いてあった。
でも、ユウトは違うと思っている。
あれは交流じゃない。
序列の確認だ。
どの科が強いか。
誰が突出しているか。
見る側も見られる側も、それを分かったうえで来ている。
補助科の生徒たちは、グラウンドの端に固まっていた。
五人ほど。
全員が灰色の腕章だ。
ユウトは、その固まりから少し離れたところに一人で立っていた。
浮いているわけではない。
でも、わざわざ混ざる理由もなかった。
「補助科は端で見てればいい。採点もしないし、する意味もないからな」
担当教師はそう言って、もう補助科のほうを見ていなかった。
最初から視線はグラウンドに向いている。
近くにいた攻撃科の男子が、隣の友人に小声で何かを言った。
二人が小さく笑う。
ユウトには聞こえていた。
聞こえていたけれど、何も言わなかった。
言い返しても変わらない。
むしろ目立つだけだ。
灰色の腕章をつけた人間が何か言っても、この場所では雑音にしかならない。
それが、この一年で覚えたことだった。
ユウトは小さく頷いて、グラウンドを見る。
最初に出てきたのは、防御魔術科の代表だった。
地味だが堅実な展開で、教師からは「基礎が安定している」と評価される。
次は攻撃魔術科の女子。
鋭い単発術式を三連続で的に当て、見学席に感心したような静けさが広がった。
そのあと、レオ・グランドが前に出た。
空気が変わった。
攻撃魔術科の首席は、立つだけで場を持っていく人間だった。
背が高い。
肩幅もある。
日に焼けた肌に、明るい金褐色の髪。
顔立ちは整っているのに、柔らかさがない。
どこを見ているのか分からない、据わった目をしていた。
笑わない顔、というより、笑う必要を感じていない顔だ。
魔力を練り始めると、周囲の生徒が自然と半歩引いた。
誰かに言われたわけでもない。
ただ、そうなった。
術式が展開される。
光の奔流が的へ走る。
着弾の瞬間、土煙が上がった。
一拍遅れて歓声。
続けて二発、三発。
連続術式が的を次々に消していく。
教師がボードに数値を書き込みながら、珍しく表情を動かしていた。
「さすがはグランドだな」
隣の攻撃科の男子が呟いた。
ユウトに向けた言葉ではない。
ただ、口から出ただけだ。
ユウトはグラウンドを見ていた。
(――第三層、少しズレてる)
レオの術式の流れを、ユウトの目が無意識に追う。
魔力の筋道が光になって見えるわけじゃない。
ただ、なんとなく分かる。
どこに負荷がかかっているか。
どこで歪みが生まれているか。
説明しろと言われても困る。
子どもの頃からそうだった。
見ていると、見えてくる。
それだけだ。
(あのまま連続で撃ったら、干渉が起きる。出力を下げるか、間隔を空けないと)
次の瞬間、レオの五発目がわずかにぶれた。
的を外したわけではない。
でも、軌道が揺れた。
着弾点が数センチずれる。
レオ本人がすぐ立て直したので、大半の生徒は気づいていない。
教師も数値だけを追っていた。
ユウトには、最初から分かっていた。
声に出す理由がないから、黙っていただけだ。
レオが評価を終えてグラウンドを引き上げる。
周囲の生徒が自然と道を空けた。
レオはユウトのほうを見なかった。
補助科の生徒に目を向ける理由など、彼にはない。
でも、その五発目のぶれだけは、ユウトの中に残った。
◇
観覧が終わってから、ユウトは人の流れを外れて歩いた。
廊下を抜け、中庭へ続く角を曲がったところで、向こうから来た生徒と肩が触れそうになる。
「っ」
相手が用紙を取り落としそうになり、とっさにつかみ直した。
剣術科の腕章。
そこでユウトは、今日は剣術科の実技評価日だったことを思い出す。
近くで見て、一瞬だけ言葉に詰まった。
目を引く。
その言い方が、これ以上なく正確に当てはまる相手だった。
肩のあたりで切り揃えられた明るい金髪。
肌は白い。
顔立ちは絵から抜け出たみたいに整っている。
でも、柔らかさがない。
切れ長の目は薄い青紫色で、感情を映さない硝子みたいに澄んでいた。
美しい。
でも、近づきがたい。
怒っているのか。
ただそういう顔なのか。
ユウトには分からなかった。
リア・ソレイユ。
剣術科でも上位の名前として、ランキングで何度か見たことがある。
こういう顔をしているとは思っていなかった。
拾うのを手伝おうとして、ユウトが屈みかけたとき、用紙の表面が視界に入る。
つかみ直した拍子に、一瞬だけ文面がこちらを向いた。
評価シートの書式は補助科のものと同じだ。
数値の列。
所見欄。
手書きの文字が数行。
全部は読めない。
でも、「制御」と「粗さ」だけが目に飛び込んできた。
(剣術科で、魔力制御の粗さ)
ユウトの視線が、反射的にリアの利き手へ動く。
右手だった。
構えを作るときの癖が、体の軸のズレとして出ているとすれば――
「何か言いたいことでもある?」
リアがユウトを見ていた。
用紙をしっかり手元に引き寄せたまま、まっすぐこちらを見ている。
強い目だった。
値踏みではない。
真正面から向かってくる目だ。
「いえ」
「補助科が私の評価票を見て、何か分かることでもあるの」
「……何でもないです」
ユウトは先に目を逸らし、そのまま歩き出した。
リアが何か言いかけた気がした。
でも、振り返らない。
(余計なことを考えた)
言ったところで何になる。
補助科の自分が剣術科の上位生徒に何か言えば、どういう顔をされるかくらい想像がつく。
今朝の笑い声が、まだ耳に残っていた。
だいたい、見えたからといって全部口に出す必要はない。
自分は、そういう立場じゃない。
そう片づけて、ユウトは歩き続けた。
けれど、「制御」と「粗さ」の二文字だけは頭に残ったままだった。
◇
午後の自習時間。
ユウトは教室の隅の席でノートを開いていた。
授業の予習ではない。
今日のレオの術式の流れを図に起こしていた。
どこで負荷が集中したか。
どこで干渉が起きたか。
文字だけでは分かりにくいので、自分なりの記号で整理する。
誰かに見せるものではない。
ただの習慣だった。
「何それ」
ミハイル・ロンドが隣から覗き込んできた。
防御魔術科の腕章。
癖のある黒髪は、いつも少し寝ぐせっぽい。
顔もどこか眠そうだ。
背はユウトより頭一つ分高い。
でも、姿勢が悪いせいで、そこまで高く見えない。
成績は中位より下。
それでも、話していると分かる。
この男は思ったよりずっと物を考えている。
ただ、それを表に出すのが面倒なのか、いつもどこかぼんやりしていた。
一年の頃からの顔見知りだ。
「今日のグランドの術式」
「……グランドって、首席の?」
「ああ」
ミハイルがノートをまじまじと見て、首を傾げる。
「これ、何が書いてあるか全然分からないんだけど」
「干渉が起きた箇所の記録」
「干渉って、あの完璧な評価で?」
「完璧じゃなかった」
ユウトは言った。
「五発目で術式がぶれた。誰も気づいてなかったけど」
ミハイルが少し黙る。
「……お前、毎回こういうの書いてるの」
「特に気になったやつだけ」
「なんで気になるの」
ユウトはペンを止めて、少し考えた。
「見えるから」
それ以上は、うまく説明できなかった。
ミハイルは「そういうもんか」とだけ言って、自分の教科書に目を戻した。
追及しないのが、ミハイルのいいところだった。
ユウトもまたノートに戻る。
(見えても、それだけだ)
分析して、整理して、ノートに書いて終わる。
それを誰かのために使ったことは、これまでほとんどない。
使う機会もなかったし、使える立場でもなかった。
補助科は数値に出ない。
評価されない。
必要とされない。
ユウトは、ずっとそう思っていた。
でも、その「それだけ」が本当にそれだけなのか、まだ少し分からなくなっていた。
◇
放課後になり、ユウトは図書室へ向かうつもりで外回りの廊下を歩いていた。
グラウンドが見える角を曲がったところで、模擬戦の音が聞こえる。
足が自然に止まった。
剣術科の生徒が数人、魔力を付与した模擬剣で打ち合っていた。
放課後の自主練らしい。
その端で、リア・ソレイユが構えている。
夕暮れの光の中でも、あの金髪はよく目立った。
ユウトは、そのまま通り過ぎるつもりだった。
一合目。
リアの踏み込みは速い。
剣筋も鋭い。
体幹が強く、無駄な動きがない。
かなりの練習量だと分かる動きだった。
ただ、何かが噛み合っていない。
(――右側の出力が、踏み込みのたびにぶれてる)
足が止まった。
利き手側だけ、魔力制御のタイミングが半拍ずれている。
剣の動きに、魔力がついてきていない。
連続攻撃に入った瞬間、威力にムラが出る。
そこが隙になる。
相手の生徒が、その隙間を突いた。
リアが一歩下がる。
また同じ展開だ、という顔をしていた。
原因が見えないまま繰り返している顔だ。
二合目。
踏み込んだリアの連続攻撃が、また途中でリズムを崩す。
相手が体勢を整え直し、カウンターに入る。
リアは防いだが、さらに下がった。
「……くっ」
舌打ちが漏れる。
三合目が始まる前に、ユウトは口を開いていた。
「右の踏み込みのとき、魔力の送り出しが半拍遅れています」
言ってから、少しだけ後悔した。
リアが動きを止めて振り返る。
ユウトと目が合う。
周囲の剣術科の生徒の視線も集まる。
補助科の腕章は、どうしても目に入る。
一人が小さく「補助科?」と呟いた。
もう一人は、訝しげな顔をしている。
「……何?」
「構えの癖だと思います。右を踏み込むとき、肩が先に入るから魔力経路が一瞬詰まる。肩の動きを少し抑えれば、タイミングが揃うはずです」
言い切った。
リアの眉がわずかに動く。
青紫の瞳が、ユウトをまっすぐ見ていた。
値踏みするような間がある。
「補助科が、剣術科に何か言えることがあるとは思ってなかった」
「すみません、出すぎたことを――」
「もう一回言って」
リアの声が遮った。
「肩を、どうするって」
ユウトは一拍置き、もう一度繰り返した。
今度は少し丁寧に、踏み込みと肩の動きのタイミングについて話す。
リアは黙って聞いていた。
途中で頷きもしない。
ただ、最後まで聞いていた。
聞き終えると、何も言わずに相手の生徒へ向き直る。
構えを作る。
踏み込む。
今度は、肩より先に足が出た。
魔力が剣の動きに追いつく。
打ち込みの音が、さっきより明らかに重く響いた。
相手の生徒が体勢を崩す。
リアは止まらない。
二撃、三撃。
タイミングが揃ったまま続いていく。
連続動作が、初めて本当に連続動作として機能していた。
最後の一撃で、相手の模擬剣が弾き飛ばされる。
グラウンドが静かになった。
「……今の」
さっき「補助科?」と呟いた生徒が、思わず声を出す。
「ソレイユの動き、さっきと全然違くないか」
「誰が言ったんだ、あれ」
視線がユウトに集まる。
灰色の腕章に集まる。
リアは剣を下ろし、ゆっくりユウトを見た。
驚いているのか。
考えているのか。
怒っているのか。
よく分からない顔だった。
感情がまだ整理されていない顔。
たぶん、それに近かった。
「……名前は」
「ユウト・アーセルです」
「補助科ね」
「はい」
リアは一度視線を外し、また戻してくる。
「なんで分かったの」
「見ていたら、分かりました」
「それだけ?」
「それだけです」
リアは何か言いかけて、やめた。
代わりに、一度だけ短く頷く。
それから踵を返し、模擬戦の位置へ戻っていった。
夕暮れの光の中で、金髪が揺れる。
ユウトも歩き出した。
(余計なことを言った。でも、合ってた)
合っていたことは、少しだけ嬉しかった。
認められたいわけではない。
ただ、見えていたものが本当に見えていたと確かめられるのは、悪い気分じゃない。
それだけだ。
それ以上ではない。
廊下の角を曲がるとき、背後でもう一合始まる音がした。
さっきより重い着地音。
リアが踏み込んでいる。
タイミングが揃っている。
ユウトは振り返らなかった。
でも、その音だけは、しばらく耳に残った。
◇
グラウンドに残って打ち込みを繰り返しながら、リア・ソレイユはもう三度、同じことを考えていた。
肩を抑えるだけで、こんなに変わるのか。
午前中の評価結果を思い出す。
「魔力制御に粗さが残る」。
原因が分からないまま、何週間も繰り返してきた。
教師に聞いても、「練習量が足りない」としか言われなかった。
それを、補助科の生徒が一度見ただけで当てた。
リアは模擬剣を構え直す。
踏み込む。
重い音。
また揃っている。
(あいつ、何が見えてたんだ)
その答えは、まだ分からない。
ただ、明日もあの灰色の腕章を見かけたら、今度は自分から声をかけよう。
リアはそう思っていた。
その時点では、まだそれが何を変えるのか、自分でも分かっていなかった。
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それでは、また次話でお会いしましょう。




