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45 真実と燃焼

 板垣は実験室の中心でイスに座って待機していた。


 早坂が実験室に着くと、西尾に手招きされ、西尾の隣のイスに座る。

 すぐに六条が合流し、三人は強化ガラス壁越しに板垣が横向きに見える位置で座っていた。


 早坂は怪訝な顔で六条に尋ねる。

「なんで壁越しなんですか?」

「危険だからだよ」 

「は!?」

 早坂は六条を睨みつける。


 六条は微笑しながら西尾に尋ねた。

「西尾くん、準備できた?」

 西尾は眉間に手をついてため息を吐いた。

「勘弁してくれよ……。準備できました」


 六条は口元のマイクに向けて言った。

「それじゃあ、板垣さん。始めるよ」

 その優しい声に、早坂の背中がぞくりと冷えた。



 板垣は開始の合図に一瞬心臓が跳ねるが、すぐに呼吸を整える。

 板垣が頷くと、耳元のヘッドホンから声が飛び込んだ。

『今日は早坂さんが来てるけど。板垣さんの心理的負担は増えてないかな? 板垣さん、正直“なんで早坂さんが来たんだ”って思ってない?』


 板垣は膝の上に置いた手を食い込ませた。

「……そんなこと、思ってませんけど」

 板垣は震える声で答える。

『本当に?』

 一瞬の沈黙の後、板垣のマイクがノイズのような呼吸音を拾った。


 板垣のヘッドホンから小さな笑い声が聞こえる。

『板垣さんは優しいね。……さっき早坂さんから話を聞いたんだけど、早坂さんは、板垣さんが早く元の生活に戻れるようにしたいんだって。だから、板垣さんのこの実験を止めさせようとしている』

 板垣は唾を飲んだ。

 ヘッドホンの声は穏やかな口調のまま続いた。

『板垣さんの苦しみを理解せずに、彼女は自分勝手な善意で動いている。板垣さんをこの実験から解放すれば、板垣さんは元通り幸せな日々を送れると思い込んで……』


 強化ガラス壁の向こうで、早坂は六条の肩を掴み、イスごとひっくり返した。イスが床にぶつかる音が大きく響き、六条は仰向けのまま驚いて早坂を見た。

 その傍で西尾は目を強く瞑り、顔を背けた。


 板垣もヘッドホンからの物音に驚き、強化ガラス壁の向こうに顔を向ける。

 怒りを滲ませた顔の早坂と倒れた六条の姿を見て、板垣は目を見開いた。

「るみ……」

 膝が震え、呼吸が早くなる。


 早坂は六条を睨みつけて怒鳴った。

「お前、ふざけんなよ。さっきから……あろまんのことを危険とか、私のこと邪魔者みたいに言いやがって。あろまんを混乱させるなよ!」


「実験で意図的に板垣さんの心を強く揺さぶるための言葉を掛けてるんだよ」

 六条は困ったように笑って立ち上がり、イスを戻して座り直した。

 早坂は俯いて黙り込んだ。六条の言葉のどれが本心で、どれが実験のための嘘なのか、分からなかった。

 六条は口元のマイクに向けて再び話を始めた。


『板垣さんからも言ってやってよ。“あなたの善意は迷惑です”って。……正直に言えるよね? だって“大事なお友達”だもんね』


 板垣は呼吸を乱した。視界の端が歪み、全身に汗が滲む。


 強化ガラス越しの早坂と目が合い、板垣は身体を震わせながら口を開きかける。

 その直後、板垣は焦ったように身体の向きを戻して、視界から早坂たちの姿を外した。


 板垣は歯を食いしばり、肩を上下させる。

 ――るみを傷つけたくない。失いたくない。あの子のことは、何があっても、私が……。


 何も言えずに、ただ荒い呼吸が口から漏れた。


「あれ、この前の体育の授業の時と一緒……」

 早坂は呟き、しばらく不安げに板垣を見守っていたが、はっとして六条を見た。

「早く、止めてください! あろまん、倒れちゃいます!」

 六条は笑みを浮かべたまま西尾に尋ねる。

「どんな感じ?」

「まだ、です」

 西尾がぼそりと答えると、早坂は西尾を睨みつけた。

「まだ、ってなんですか!? あろまん、明らかに苦しそうじゃないですか!」

 西尾は困ったように早坂を見つめ、呻くような息を吐いた。

「止めてよ! あろまん!!」

 早坂は強化ガラス壁に手を貼り付けて叫んだ。

 六条は穏やかな口調で板垣に話し掛けた。


『早坂さんがさっきから邪魔してくるんだけど。板垣さん、止めてくれない?』


 ――なんで、こんなことに。

 みんな、私の周りで勝手に騒いで、私の心なんて無視して。


 ――あれ。私の心って、なんだったっけ?


 板垣の胸の中で焦りが広がる。

 動悸がひどく、息が上手く吸えない。周りの音が遠い。


 ふと耳の遠くで椅子か何かがぶつかるような大きな物音がした。


 その中に紛れて、早坂の怒声が聞こえる。板垣は肩をびくりと震わせ、振り返ろうとした。

 だが、振り返れなかった。


 視界が色を失い、頭の中が焼けるように熱くなる。

 ――来る。どうしよう、止めなきゃ。


 板垣が慌てて息を深く吸った瞬間、板垣の頭の中が制御不能な熱に侵食された。

 そして一瞬、時が止まる。


 窓がガシャンと大きな音を立てて割れた。


 その音に早坂はびくりと反応し、驚きで固まった。

 西尾は絶望したようにため息を吐き、項垂れた。

 六条は表情を緩ませて笑っていた。


 板垣は散らばったガラスの破片を一瞥した後、全身を震わせてその場で俯いていた。早坂の方を振り返れず、どうしていいか分からないまま足元を見る。


 足音が近づき、板垣の肩に六条の手が触れた。板垣は驚いて顔を上げると、六条は穏やかに笑って言った。

「お疲れ。今日も頑張ったね」

 板垣はチョコレートを受け取り、六条に尋ねた。

「るみは怪我してませんか?」

「お友達は無事だよ」

 板垣は目に涙を浮かべながら小さく息を吸った。

「るみが、傷ついてたらどうしよう。私のこと、もう嫌だって思ってたら……」

 板垣が声を震わせると、六条は優しく板垣の頭を撫でた。

「板垣さんは何も悪くないよ。ちょっと心を落ち着けよう」

 板垣は頷いて、六条に縋るように嗚咽を漏らした。



「何が、起こったんですか?」

 早坂は表情を失ったまま、隣の西尾に尋ねる。

「……あとで説明する」

 西尾はパソコンを操作してデータを取り込みながら答えた。

 マウスの無機質なクリック音を聞きながら、早坂は怪訝な顔で強化ガラス壁の向こう側を見つめていた。

「……あの六条って人は、今何をしてるんですか?」

「実験で心理的負荷を掛けた後だから、板垣さんに精神的なケアをしてる。限界になった心を元の状態に……」

 言いかけて西尾は真顔になった。

「ちょっとあっち行ってくる。早坂さんはそっちの居室に戻ってて」

 西尾は言い残して板垣の元に駆け寄った。


 早坂は眉間をさらに寄せて西尾、六条をそれぞれ睨みつけた。



 板垣は嗚咽を漏らしながら、徐に立ち上がり、一歩退いた。

「……もう、大丈夫です。っ、落ちつき、ました」

 六条はきょとんとして板垣を見つめていた。

「まだ落ち着いてなさそうだけど」

 板垣は唇を噛んで黙っていた。六条から一歩距離を開けたまま、首を横に振る。


 すると西尾が駆け寄ってきた。

「板垣さん、大丈夫?」

 板垣の表情が緩み、目を腫らしながら板垣は頷いた。


 西尾は板垣を庇うように六条の前に立ち、しばらく黙って二人を交互に見つめた。

 その後、ゆっくりと西尾が口を開いた。

「一旦休憩にしましょう。時間が経てば、板垣さんも落ち着きますよ」


 西尾の声が響くと、実験室はようやく静寂と落ち着きを取り戻した。



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