・大いなる誤算 - お父さん、ごめんなさい -
夕方前、ヘソを曲げるイゾルテの機嫌を取った。人化した姿を見せるのは、彼女が悪の総督の仮面を外す夜にして、彼女に代わってシリウス教と駐屯地帝国軍を観察した。
神官レプトウスの急死により、帝国勢力は酷く混乱していた。レプトウスはバロンに討たれたとの噂だ。
謎の黒い影が討ったとか聞かされたところで、信憑性も何もなかっただろう。ありとあらゆる者が我らの情報操作を信じた。
それから夜が来ると、カラスと暴君は自宅に戻った。寂しがりな彼女をしばらく慰めてから、本題を切り出した。
「君に見せたいものがある」
「ふふ……また新しい変身ね?」
「そうだとも!! 俺は今朝、人化の術をついに手に入れた!!」
「まあっ、おめでとう!」
いざ使うとなると臆病風に吹かれた。
使うはいいが、どんな姿になるかはわからなかった。もしかしたら、とんでもないブ男になるかもしれない。
迷い、だいたいそのままの言葉をイゾルテに伝えた。
「バカね、どんな姿でも貴方への気持ちは変わらない」
「言ったな? 後悔するなよ……?」
心臓がバクバクと加速している。カラスではなく人として、好意を寄せる女性の前に立つのが恥ずかしい。勇気が要る。嫌われたくない。そんな感情が入り乱れた。
「まーだ?」
「せ、急かすな……」
「大丈夫。心の綺麗な貴方が醜い人間になるはずがない」
先日、カエルやムカデを同化したばかりだ。カエルのような顔の人間になったら、どうしよう。
「仕方のない子ね」
イゾルテはカラスをベットサイドに落ちていたカラスを拾い、クチバシにいつものキスをくれた。
「さあ、見せて、人間になった貴方を」
「い、いくぞ……」
イゾルテはベッドサイドにカラスを降ろし、自分もその正面に立った。カラスは不安と興奮に高鳴る胸で、人化の術を発動させた。
「人化の力よ……どうか俺を、この女性にふさわしい姿に、変化させたまえ……」
術がカラスの全身を包み、みるみると視点が高くなっていった。それはイゾルテを少し見下ろす高さまで伸びて、成長を止めた。
意中の女性より高い背丈に変化出来たことに安堵するのもつかの間、イゾルテの顔が悲愴に染まった。俺の姿に驚き、大粒の涙を浮かべ、恐れるように後ずさった。
「み、醜いのか……?」
イゾルテは首を横に振るばかりだった。俺の身体は筋肉があり、スマートで体型はかっこよかった。
「なぜ、そんな顔をする……?」
「ごめんなさい……」
「なっ、そんなに、醜いのか……!?」
鏡に駆け込んで自分の顔を確かめた。
「これが、俺……?」
人というのは、自分の顔を正常に評価出来ないものだ。だがそれを踏まえても、その男は十分すぎるほどのイケメンだった。
「いや、だが、この顔……どこかで、見覚えが……。これは……バロン……?」
その男はバロンに似ていた。髪は黒く、精悍で、欠点のない綺麗な顔をしている。年齢はバロンより少し上、20歳前後に見えた。
「おっとっ?! イ、イゾルテ……?」
怯えていたイゾルテが突然、後ろから俺の背へと抱き付いてきた。
「陛下……」
「な、何……!?」
もう一度鏡を見ると、自分がバロンに似ている理由がなんとなくわかった。
「俺は、先王に、似ているのか……?」
「ごめんなさい……ごめんなさい、陛下……。私、貴方に、とんでもないことを……」
計算外だ。まさか先王に似た姿になるなど、一巡目の俺が築いたチャートには記されていなかった。
先王はイゾルテの義父だ。子のなかった先王夫妻は孤児だったイゾルテを後継者に迎え、バロンが生まれても変わらずに愛したという。
俺はイゾルテを口説くつもりが、イゾルテの父親の姿を取ってしまっていた。
「イゾルテ、君は間違っていない。君に首を取れと命じたのは、私自身だ。恨む理由などない」
先王ロジェは気に入らない男だが、彼ならば必ずこう言うだろう。俺はしばらくの間、先王を演じて涙の止まらないイゾルテを慰めた。
「ごめんなさい……お父さん……ごめんなさい……」
「謝ることはない。君はバロンを守っ――」
「ぁ…………」
先王は消えた。彼女の胸の中でかすかな粒子となって、それが足下で黒くちっぽけなカラスに変わってしまった。
「ままならないものだな。人となり、君に愛をささやくつもりだったのに……」
イゾルテの肩に飛び移り、頬をやわらかな翼で撫でてやった。
「カァくん……」
「だが諦めたわけではないぞ。必ず君を振り向かせてやる」
「やっぱり、貴方は陛下なのね……」
「違う、生前の俺はちっぽけな配達屋だ。賢王などと名乗れるような男ではなかったよ」
1日に2度、今の姿を取ると約束した。今夜はもう人化しない方がいいだろうと諦めて、翌日からの自分に託した。
イゾルテを取り巻く状況はよくない。バロンは次の防戦を契機に盤面をひっくり返してくる。それまでにイゾルテを口説けなければ、彼女は運命を受け入れてしまう。
「どんな動物にもなろう。希望はあるか?」
「ええっ、気になる子がいるの! 図鑑でみたのだけど、この子! チワワちゃん!」
「君は、君に恋する男に、チワワになれと要求するのか?」
「なって!」
「チワワ……チワワか……。はぁ、仕方がないな……君のチワワになろう……」
チワワに化けると、我が主はご満悦でリードの準備を始めた。今夜も長い散歩になりそうだった。