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空白の世界とモノクローム  作者: 藤 光一
四、終曲

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-混沌の庭園(3)-


「戻って・・・きたの?」


 辺りを見渡すとどうやら戻ってきたようだ。入り乱れたパズルのように無理やり継ぎ接ぎされた床。ほんのりと焼けた鉄の臭い。生臭い鉄の臭いは、焦燥感が漂う戦場の跡地みたいだ。現地に訪れた事は無いが、きっとこの血生臭さや悲壮感は同一に近いのだろう。ふと、私は一つの違和感を覚える。何かが足りない。そう、それは大事な事。


「モノリス!・・・モノリスは、どこ?」


 そう、あの時私を助けてくれたモノリスの姿が見えない。どれだけ振り返っても、どれだけ周りを見渡しても彼の姿がどこにも居ない。先程まで横たわっていたところにあるのは・・・。

 

「ま、まさか・・・。」


 そこにポツリと居たのは、シャドウだった。手も足も無い。薄く黒く染まったその身体の中心には黄土色の目があった。虚な瞳で、虚に空を見上げ、ただ無心な表情で遠くを見つめている。瞬間、時間が硬直してしまうような感覚に陥る。けれどそれはほんの一瞬。何故ならば、そのシャドウの傍にはモノリスが流した血痕が遺されていたから。


「モノリス・・・なの?」


 私は、恐る恐る声を出した。

 そうであって欲しくないと言うのが、正直な意見だからだ。これ以上の現実をまだ畳み掛けるように受け止めなくてはならない。急な嗚咽感が喉元を襲う。私は咄嗟に手で口を押さえていた。自分でもわかるくらい瞳が震えているのだ。これ以上胸を張り裂こうとでも云うのだろうか。


「・・・。」


 私の言葉に反応を示したのか、和らぐ風の速度でシャドウは私に視線を合わせた。けれど、虚の瞳は変わらない。黄土色の瞳に光は無く、淡く俯いているようだ。


「嘘・・・でしょ?」


 信じたくない。その想いで一杯だ。

 途端に肩の力が抜け、私は崩れるように床にへたり込んでいた。受け止める・・・。今の私に耐えれるだろうか。広く深く深く、真っ暗な海へ放り込まれた感覚。沈んでいく私の身体は、浮き上がる泡とは逆方向に徐々に落ちていく。そう思うと、声が震えてきた。辺りの視界が滲んで見えてくる。


「ちょっと、何、やってんのよ。なんで・・・。なんで、あなたがシャドウになってんのよ?」


「・・・。」


 私はシャドウに語りかけた。モノリスだったであろうシャドウに。私の声は、届いているのだろうか。ただ、虚な瞳だけがこちらを覗かせている。


「そんなの、嘘よ!モノリス、なんとか言いなさいよ・・・。やっとまた・・・、やっとまた、お父さんに、逢えたと思ったのに・・・。」


 私はシャドウの身体に触れた。掴んだ。生き物の体温とは思えない程、その体躯は冷え切っていた。寒空に放置されたコンクリートを掴んでいるみたいだ。


「どうして・・・。どうして・・・、私なんかを庇ったの。」


 そして、抱き締めた。

 どれだけ身体を近づけても、シャドウの心臓の鼓動は聞こえない。息遣いも、血が流れる脈も。どれだけ訴えかけても、壁やぬいぐるみに話しかけているようだ。その現実を突きつけられる度に、逆に私の胸は締め付けられる感覚に陥る。


「返事をしてよ、お父さんっ!」


 私は、モノリスを抱き締めながら叫んだ。モノリスが云っていた。一度でもシャドウになってしまったら、人の記憶は抹消される。そして、この世界を幽遠に彷徨い続ける亡者と化す。それでも、目の前に起きている現実を受け止められないでいる私が居る。だから強く抱き締めた。


「・・・ジ、・・・ガ。」


「え・・・?」


 刹那の間、静寂を気取っていた空間を断ち切ったのはシャドウの口元からだった。まるで、一雫の水滴が水面へと落ち響き渡るよう。ノイズ混じりの声が私の耳に入る。


「セナ・・・、セナ、、セナ、、セ、セナ・・・。」


 私の名前だ。私を呼ぶ声がする。何度も、何度も、ノイズ混じりだけれど必死に声を発している。その声はとてもか細く、耳元で微かに呟くように聞こえてきていた。

 何よりもその声は、酷く懐かしさすら感じていた。


「モノ・・・、リス・・・?」


「ジ、ブンノ、ムス、メヲ、守るの、はトウゼ、ンダ。」


 その声は、シャドウでは無い。モノリスでも無い。今に途切れそうなノイズ混じりの声の主は、他でも無い。幼い頃、私が聞いていた優しい父の声そのものだった。


「セナ、ワタシは、こんな姿ニ、なってしマッたがまた、アえて、嬉しイ・・・。」


「お父さ・・・ん。」


 シャドウの姿をしているが、その黄土色の瞳が父の顔とリンクする。およそ十三年ぶりの再会。父の事を忘れる筈が無い。仮に空白の世界に記憶を喰われたとしても、絶対に離したくないからだ。

 そう思うと、何かが一気に溢れ出した。あぁそうか、ずっと気を張っていたからだ。胸の鼓動は高まり、ずっと留めていた杭が外れたようで、瞳から一気に込み上げてきた。

 

 自分でも止められないくらい、啜り泣く声が収まらない。止めなきゃ、止めなきゃ。どれだけ目を擦ってもどんどん溢れていく。自分でも分かっている。私の頬は、恥ずかしいくらいに赤らんでいる。止めどなく溢れる涙に気付かないのは、きっとそのせいなんだ。


「大丈夫、心配ナい。もうお前ハ、立派ダ。それに何よリ・・・。」


 すぅーっと、息を吸う音が聞こえる。私は泣いていた。シャドウの姿となった父を抱き締めたまま、直視出来ないでいる。


「オ前は、私ノ、誇リだ!だから、モウ泣くな。前に進メ。」


 手が、心臓が震えている。こんなところで父に巡り会えるとは、思わなかったからだ。あぁ、このまま時の流れさえ止まってしまえば良いのに。せめて時間よ、今だけはゆっくり進んで欲しいと願ってしまう程だ。


「でも、私・・・。」


 俯きかけた私の横目に映り込んだのは、父の背中。シャドウを模した父の姿。けれど、彼の傍らにあった影が少しずつ縮んでいく。縮む影に気付き、改めて父を見るとぼんやりとノイズがかっているように見えていた。時折、ノイズ音を発して歪な不安を抱えさせる。


「ん、そうか・・・。」


 父も自分の異変に気付いたのか、何かを悟ったかのように天井を見上げた。


「え・・・?これは一体・・・?」


 見上げた父の身体を見て、何故か咄嗟に手を離してしまう。


「時間、ラしい・・・。」


 父はそう言った。

 まるで、小説の最後のページを捲ったような素振りだった。悲しさも侘しさも全てを把握した上で、彼はその重い口を開いたのだろう。一定に動く時計の振り子がピタリと止まってしまったみたいな感覚だ。時が止まる程の衝撃が胸を打つ。高鳴る心臓を原動力に大粒の涙が頬を伝う。


「時間・・・?それ・・・どういう事?」


「私モ永く、ここに居過ぎタのだ。コノ通りだ、モウそんなに、時間ハナイだろう・・・。」


 永く居過ぎた。父はそう告げたが、恐らくそれだけでは無い。彼は再び私を庇ってくれただけでなく、残された力で私を助力してくれた。私を庇わなければ、私に力を与えなければ、彼はまだここで生きる事が出来た筈だ。


「いやよ!どうして、どうして!ほら、ご自慢の知識はどうしたのよ?まだ、手があるんでしょ?私に出来る事なら、言って‼︎一人は・・・、一人は、もう!」


 私は、力任せに彼の身体を揺さぶった。その身体は、明らかに先程よりも冷たかった。冷え切った窓ガラスのように。いくら揺さぶっても、彼の表情は変わらなかった。空を仰ぐように虚で、ずっと遠くを見ているようだった。

 

 それでも、何か手はある筈。彼を救える手立てが。思い出せ、思い出せ。私だって馬鹿じゃない、何か手はある筈なんだ。どこでも良い、記憶の奥を呼び醒ませ。けれど、私の記憶からはメスを入れるような凶器。無慈悲で鋭利なもの。


 〈お前が求めるもの。手にしたいもの、探したいもの。全てはお前次第だ。

 だが、求めるものに対し代償は払ってもらう。〉


 記憶の片隅から、我が物顔でその言葉は覗き込む。言葉は音となり、その文字が脳裏に投影される。冷えた言葉がグサリと胸を刺す。驚愕とも云える言葉に腕の力が抜け落ちた。


「あ、あの時のは、こういう事だと云うの?そんなの。そんなのって・・・、あんまりよ。」


 今流しているこの涙が、一体どんな感情なのか整理がつかない。色んな事が起き過ぎた。こんなの耐えられる筈が無い。冷静?思慮深い?そんなのは、ただの仮面よ。自分を上手く隠しているだけ。本当の私はもっと、もっと臆病で泣き虫な子供のまま。


「大丈夫、セナ。顔を上げなさい。」


 途方に暮れた私に、父は声をかける。何故か今は父の声が鮮明に聞こえる。先程のノイズが祓われ、今は鮮明に聞こえる。その時、父の手が私の頭を摩ったような感覚が走る。妖精が見せてくれたのだろうか。

 一雫の奇跡という幻を。気まぐれな妖精が悪戯してくれたのだろう。乾いた瞼が酷く痒い。声だって啜り泣いたせいで、喉がつっかえている。身体も無意識にひくついている。

 それでも、父は続けて口を開く。



「いいかい?よく聞くんだよ。」


 また、だ。今度は、優しく撫でてくれた感覚。


「この先、君は何十回と嫌な思いをするだろう、何度も悲しむ事があるだろう。そして、幾度なく後悔をしてしまう事とがあるのだろう。」


「お父さん・・・、身体が、透けて・・・。」


 父の身体が徐々に透けていく。半透明となり、抱き締めていた私の掌が見える程に。本当にどうしようも出来ない現実が少しずつ迫ってきている。それでも父は、消えゆく自分の身体を咎める事なく言葉を続ける。


「でも、お前なら、大丈夫・・・。一つ一つ、噛み締めなさい。そして、お前が大切だと思う人の傍に居なさい。」


「お父さん・・・。」


「どうした、セナ。その時は、極上のBGMを流してくれるんじゃなかったのか?」


「・・・。」




「さぁ、もう行きなさい・・・。」


「待って!お父さん・・・ッ‼︎」


 父の身体が、光を帯び始める。現実は残酷で、その身体はどんどん透明度を増していく。気が付けば、父の身体を抱き締めていた感覚すら無くなっていた。空を掴むように、そこにあるのに掴んでいる感覚が無い。

 そして、蛍の光のように。


「今度こそ、お別れだ。」


「行かないで‼︎」


 父はそう遺し、一雫の光を零し消えていった。 


「どうして・・・。でも・・・、そうね。泣いてばかりじゃいけないわ。前に進まないと・・・。この先に、きっとトウマがいるんだから。」


 私は、そう言い聞かせた。奮い立たせた。目の前に映り込む扉を潜るんだ。最初の一歩さえ踏み込めば、大丈夫。そう思い、私はゆっくりと一歩ずつ踏み込んだ。前へ進んだ。

 父が遺してくれた勇気を、言葉を背に。


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