第87話 拳の延長
ドワーフたちの区画は、特区の一番奥にあった。
山を一つ丸ごと使った場所で、斜面には岩をくり抜いたような住まいが並んでいる。山の中腹には滝があって、麓には広い鍛錬場まで作られていた。ノピアの山奥で暮らしてきたドワーフたちにとっては、何よりも落ち着く景色だった。
ここにも観覧エリアがあって、見学客たちが柵の向こうから手を振っていた。二メートルを超えるドワーフたちがバスから降りてくるたびに、見学客たちから「でかい!」「本物だ!」とどよめきが起きた。
それとは別に、麓の広場には、招待客の一団が待っていた。
酒造メーカーの人たちだった。ノピアにいた頃に、白龍を通して契約の話を持ちかけてきた、あの酒造メーカーたちだ。日本酒の蔵元、焼酎の蔵元、ウイスキーやワインのメーカーまで、それぞれ自慢の酒を長い机の上にずらりと並べていた。
ドワーフたちは、その机を見た瞬間、足を止めた。
◇
蔵元の社長たちは、少し緊張した顔で身構えていた。
ドワーフは、酒をこよなく愛する種族だと聞いている。樽ごと抱えて、一気に飲み干してしまうに違いない。せっかく用意した酒が、味も分からないまま水のように消えていく覚悟を、社長たちはしていた。
ところが、ドワーフたちは、荷物を丁寧に地面に置くと、一人ずつ机の前に並んだ。
族長が、最初のグラスを受け取った。日本酒だった。
族長は、まずグラスを鼻に近づけて、香りを確かめた。それから、ほんの少しだけ口に含んで、ゆっくりと舌の上で転がした。喉を通した後も、しばらく目を閉じて黙っていた。
「……甘口だが、後味がすっきりしているな。米の香りが、最後にふわりと残る」
社長の一人が、目を見開いた。
他のドワーフたちも、同じように一杯ずつ、じっくりと味わっていった。
「こっちのは、喉を通った後に、腹の底が温かくなる。芋の匂いがするな」
「この琥珀色のは、木の香りがする。樽で寝かせているのか」
「この赤いのは、少し渋いが、肉と合わせたら旨そうだ」
一つ一つ、きちんと論評していく。酒の作り方まで言い当てられて、社長たちは顔を見合わせた。
ウイスキーのメーカーの男が、思わず声を詰まらせた。
「こんなに……こんなに真剣に、うちの酒を味わってくださるなんて……」
日本酒の蔵元の老人も、目頭を押さえていた。
「わしらが何十年もかけて作ってきた味を、一口で分かってくださった……」
社長たちは、しばらく感激で言葉が出なかった。やがて、日本酒の蔵元の老人が、遠慮がちに口を開いた。
「皆さん。もし、遠慮されているのでしたら……どうぞ、皆さんのペースで飲んでください」
族長が、グラスを置いて、にやりと笑った。
「……よいのか?」
「ええ。もちろんです」
その言葉を合図に、ドワーフたちの飲み方が変わった。
大ジョッキになみなみと酒を注いで、ぐいぐいと飲み始める。それでも、酒をこぼす者は一人もいなかった。一杯飲むごとに「旨い」「これもいい」と、ちゃんと味を口にしていく。
社長たちは、空になっていく瓶を見ながら、嬉しそうに次の箱を開けていった。
◇
ドワーフたちのところには、地球の格闘技団体からも問い合わせが来ていた。
だが、ドワーフたちは興味を示さなかった。ノピアにいた頃に、ケントから言われていたのだ。
「地球人は、ドワーフよりずっと弱い。戦っても面白くねえぞ」
ケントにそう言われて、族長は「弱い者を殴って何が楽しい」と、その話をあっさり断った。
それよりも、ちえが持ってきた別の話の方が、ドワーフたちの気に入った。
ボディーガードの仕事だった。ドワーフは体が大きく、立っているだけで相手を威圧できる。しかも、強い。要人の警護をさせるには、これ以上の人材はいなかった。
「守る仕事なら、拳の使い甲斐がある」
族長は、満足そうに頷いていた。
◇
その日の昼間、ドワーフたちは区画の広場で、大きなスクリーンを見せられていた。
ちえが用意した、魔法の使い方の説明映像だった。他の種族の区画でも、同じものが流されている。画面の中では、ザラとレナが、身体強化のやり方を説明していた。
だが、ドワーフたちは腕を組んで、鼻を鳴らすばかりだった。
「我らには筋肉がある」
「魔法など要らん。拳がある」
誰一人、練習場に行こうとはしなかった。
ただ一人、エリンだけが、画面の中のザラをじっと見つめていた。
◇
その夜、ドワーフたちは、もらった酒で大宴会を開いていた。
焚き火を囲んで、ジョッキを打ち鳴らし、腹の底から笑い合っている。その輪の中から、エリンがこそこそと抜け出した。
向かった先は、区画の端にある練習場だった。
エリンは、ノピアにいた頃から、ザラが身体強化で戦うのをずっと見てきた。ザラの拳は、エリンの拳よりも小さいのに、エリンよりも重かった。自分も、あれをやってみたかったのだ。
エリンは、昼間の映像で聞いた通りに、体の中に溜め込んだ力を巡らせてみた。
最初は、何も起きなかった。もう一度、ゆっくりと息を吐きながら、力を腕から足へ、足から背中へと回していく。
やがて、体の芯が、じわりと熱くなった。
エリンは、拳を握ってみた。皮膚が、鋼みたいに硬くなっているのが分かった。軽く地面を蹴ってみると、体がびっくりするほど速く動いた。
「……これは、いいな」
エリンは嬉しくなって、何度も拳を振るった。拳が空を切るたびに、ぶん、と低い音が鳴った。
そのうちの一発で、拳の先から、風が飛び出した。
風は練習場の端まで飛んでいって、立てられていた標的をぐらりと揺らした。
エリンは、自分の拳を見つめた。それから、小さく呟いた。
「……これは、拳の延長として使えるな」
エリンは、夜が明けるまで、一人で拳を振るい続けた。
◇
翌朝、ドワーフたちの日課の鍛錬が始まった。
宴会明けとは思えないほど元気なドワーフたちが、鍛錬場で組み手をしている。その中で、エリンは一人の男の前に立った。
男ドワーフの中で、一番強い男だった。エリンは、今まで一度もこの男に勝てたことがなかった。
「手合わせを頼む」
男は、余裕の顔で構えた。
「いいだろう。また地面に転がしてやる」
二人の間には、拳が届かないくらいの距離があった。
エリンは、その距離のまま、拳を振るった。
拳の先から放たれた風が、男の顔を叩いた。男は、何が起きたのか分からずに、一瞬だけ目をつぶった。
その一瞬で、エリンは身体強化した体で、一気に男の懐へ飛び込んだ。男の巨体を両腕で抱え上げると、そのまま地面に叩きつけた。
地面が揺れた。
鍛錬場が、しんと静まり返った。
男は、仰向けに倒れたまま、空を見上げて目を白黒させていた。エリンは、拳を握ったまま、少し照れくさそうに言った。
「……拳の延長だ」
それを見ていたドワーフたちの目が、一斉にギラついた。
「……魔法を、覚えなければ」
誰かがそう呟いた。
その時には、族長がもう、誰よりも先に練習場へ向かって歩き出していた。




