第0話:魔王の走馬灯と、見知らぬ天井ならぬよく知った天井
空を覆うほどの巨大な質量が、大地を揺るがして咆哮を上げる。
シンの奥地、キュリア山脈のさらに深部。俺たちが欲をかいて手を出したその獲物は、ただの龍などではなかった。神話の時代から生きる『真龍』。
山すらも消し飛ばす圧倒的なブレスと、いかなる魔法をも弾き返す理不尽な鱗。
「ハァッ……ハァッ……」
血まみれの視界の中で、俺は荒い息を吐きながら絶望的な戦況を見渡した。
俺の放つ極大の魔法はことごとく無効化され、近接戦闘で挑んだセリーナとザラは、命懸けで一撃を叩き込んだ代償として瀕死の重傷を負い、瓦礫に沈んでいる。
普段は魔法の使えないレナも短剣を握りしめて俺たちを庇おうとしたが、真龍の風圧だけで吹き飛ばされ、すでにピクリとも動かない。
常に俺の肩にいた妖精のスーすら、魔力枯渇で地面に転がっていた。
詰んだ。どう考えても全滅である。
だが、ただでやられるつもりは毛頭なかった。
セリーナとザラが命を削って抉り開けた、真龍の胸元にある巨大な傷口。あそこなら、魔法を弾く鱗がない。
「……最後っ屁だ、トカゲ野郎」
俺はインナーバフで限界を超えた力を引き出し、自らの足の骨が砕けるのも構わずに大地を蹴った。
迫り来る真龍の牙を間一髪で躱し、その巨大な胸の傷口へ、自らの両腕を根元まで深く突き入れる。
ドクン、ドクンと脈打つ巨大な心臓の鼓動が、腕を通して直に伝わってくる。
その瞬間、なぜだろうか。
極限状態の脳裏に、走馬灯のように自らの奇妙な人生がフラッシュバックした。
――俺は元々、日本という国で、パッとしない四十三歳のバツイチとして孤独に死んだ男だった。
心筋梗塞であっけなく人生を終えたはずが、なぜか魔法と剣の異世界に転生。
そこで得たのは、血の繋がらない愛する妹と、少しばかり物騒な前世の化学知識を応用した魔法技術。
愛する家族の平穏を脅かすという理由だけで、俺は容赦なく大国を一つ、文字通り地図から消し飛ばした。
いつしか『魔王』や『バケモノ』と呼ばれるようになった俺の隣には、同じように狂った倫理観を持つ、世界最狂の女帝と狂女神、そして愛すべきムッツリが立っていた。
異世界でやりたい放題やって、国を滅ぼして、今度は欲をかいて神様みたいなトカゲに喧嘩を売って、相打ちになろうとしている。
「……まあ、愛する嫁たちと一緒に死ねるなら、上等すぎる人生か」
俺は血に塗れた顔で、ニヤリと笑った。
真龍の傷口に突っ込んだ両腕の先で、俺は『水魔法』を発動する。対象は、この巨大な神の体内を流れる膨大な血液。
血液中の水分を極限まで『水素』と『酸素』に分解し、真龍の体内に極大の『爆鳴気』を生成する。
魔法を弾く鱗など関係ない。内側から起爆してしまえば、どんな生物だろうと木っ端微塵だ。
「じゃあな」
俺が呟くと同時に、真龍の体内に充満した爆鳴気が、その膨大な圧力と熱量によって自然発火を引き起こした。
世界から音が消え、視界が純白の閃光に染まり上がる。
俺自身の体も、凄まじい爆風と超高温に飲み込まれ、蒸発していくのを感じた。
痛みはなかった。ただ、遠くでセリーナやザラたちの微かな声が聞こえたような気がした。
これで、俺の二度目の人生も終わり。
そう、確信して意識を手放したはず、だったのだが。
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「……ん」
微かなモーター音と、どこかから聞こえる車のクラクションで、俺はゆっくりと目を開けた。
純白の光の代わりに目に飛び込んできたのは、ひどく見慣れた白い壁紙と、見慣れた灯のついた天井。
背中に感じるのは、ゴツゴツとした岩肌ではなく、程よい反発力を持ったスプリングマットレスの感触である。
「なんだ、ここ……」
体を起こし、周囲を見渡す。
テレビ、本棚、パソコンデスク、そして窓の外に見える電柱とアスファルトの道路。
間違いない。ここは異世界へ転生する前、俺が一人暮らしをしていた2DKのマンションの寝室だ。
状況が全く理解できず、俺は自分の顔を両手で覆う。
「……ん?」
その瞬間、自分の手の感触に強烈な違和感を覚えた。
異世界で剣を振り、過酷な戦場を生き抜いてきたはずの分厚いマメと傷だらけの手でも、魔法で動かす義指でもない。どこか柔らかく、少し肉付きの良い、デスクワークばかりしていた平和な手。
慌てて布団を跳ね除け、自分の腹部を見下ろす。
そこにあったのは、インナーバフと鍛錬によって引き締められた鋼のシックスパックではなく。
だらしなく弛んだ、中年特有のぽっこりとしたお腹だった。
「嘘だろ……」
俺は思わず、寝起きの掠れた声で呟いた。
神殺しの魔王として死んだはずの俺は、なぜか転生前の『四十三歳の冴えないおっさん』の肉体へと逆戻りしていたのである。




