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外れスキル《棚卸し》の俺、物資不足で滅びかけた王国を倉庫から立て直す 〜追放した勇者たちは補給切れで泣きついてきたが、もう遅い〜  作者: のむ


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第9話 在庫は嘘をつかない

 旧酒蔵の扉が開いた瞬間、乾いた塩の匂いが流れ出した。


 中に積まれていたのは、塩樽、薪束、木炭袋。どれも市場から消え始めていたものだ。


 ヴェルナー大商会の男たちは、最初こそ声を荒げた。


「これは商会の正当な在庫です!」


「領主家といえど、商売に口を出す権利は」


「倉庫が混雑していたため、一時的に移しただけで」


 だが、セリアが一歩前へ出ると、声は少しずつ小さくなった。


「一時保管なら、なぜ共同倉庫の帳簿に移動先が記されていないのですか」


「そ、それは手続きの遅れで」


「領主印のない都市備蓄の移動は、手続きの遅れでは済みません」


 セリアの声は静かだった。


 だからこそ怖い。


 ガルドは腕を組み、酒蔵の中を睨んでいる。ミナは護衛の後ろから中を覗き込んでいた。


 レンは塩樽の列を見ていた。


 塩樽、二十四。


 薪束、百十二。


 木炭袋、四十八。


 共同倉庫帳簿差異と一致。


 市場流通停止への影響、大。


 神殿炊き出し、二日以内停止予測。


 保存食生産、三日以内停止予測。


 冬支度、遅延拡大。


 数字は淡々としている。


 だが、その向こうに人の顔がある。


 神殿で鍋を待つ子供。


 治療院で消毒を待つ患者。


 冬支度を急ぐ家族。


 鉱山へ保存食を送る人夫。


 ここに塩と燃料が止められているだけで、街のあちこちが息苦しくなる。


「責任者を呼んでください」


 セリアが言った。


 商会の男たちは顔を見合わせる。


「支店長は不在で」


「では、不在の支店長に責任を取らせます」


「お、お待ちください。若番頭なら」


「呼びなさい」


 しばらくして現れたのは、二十代半ばほどの男だった。


 細身で、身なりは整っている。濃紺の上着に銀の留め具。商人らしい柔らかい笑みを浮かべていたが、目は笑っていなかった。


「ヴェルナー大商会リンドホルム支店、番頭代理のユリウス・バルトと申します」


 ユリウスは丁寧に頭を下げた。


「セリア様。このたびは、何か行き違いがあったようで」


 ガルドが鼻を鳴らす。


「行き違いで酒蔵いっぱいに塩が積まれるか」


 ユリウスは笑みを崩さない。


「共同倉庫の混雑を見かねまして、一部物資を弊商会の管理下へ移しただけです。市場の安定供給のために」


「市場では値段が倍になっています」


 セリアが言う。


「需要が高まれば価格は動きます」


「神殿の炊き出しの塩は半分に減らされました」


「すべての需要を一度に満たすことはできません」


 ユリウスの言葉は滑らかだった。


 間違いではない。


 すべての需要を満たせないとき、誰かを削る必要がある。


 だが、何を基準に削るかが問題だ。


 レンはユリウスを見た。


「その基準は、価格ですか」


 ユリウスが初めてレンに視線を向けた。


「あなたは?」


「レン・アスターです」


「ああ。噂の棚卸しの方ですね」


 柔らかい声に、わずかな棘があった。


「価格は重要です。高く買う者へ売る。商売として当然でしょう」


「高く買えない人が死ぬ場合でも?」


 場が静かになった。


 ユリウスの笑みが少し薄くなる。


「商会は慈善団体ではありません」


「神殿も治療院も慈善だけで動いているわけではありません。街の人が倒れれば、市場も止まります。鉱山が止まれば、鉄具も止まる。荷車が直せなければ、商会の荷も動かない」


「理想論ですね」


「在庫の話です」


 レンは酒蔵の中を指した。


「ここにある塩樽二十四。薪束百十二。木炭袋四十八。これを市場価格で小出しにすれば、短期の利益は出ます。でも神殿の炊き出しが止まり、保存食生産が遅れ、鉱山村への配給が減る。十日後には、リンドホルム全体の輸送量が落ちます」


 ユリウスの目が細くなった。


「なぜ十日後と?」


「今ある保存食、塩の残量、鉱山村の消費量、荷車の修理部品の流れです」


「見たのですか」


「見ました」


「どこを」


「街を」


 ユリウスは黙った。


 初めて、表情から余裕が少し消える。


 セリアが口を開いた。


「ユリウス。都市備蓄の無断移動は見逃せません。この在庫は押収します」


 商会の男たちがざわついた。


 ユリウスはすぐに膝を折った。


「お待ちください。押収となれば、王都本店を通じて正式な抗議を行わざるを得ません。リンドホルムへの今後の供給にも影響が出ます」


 脅しだ。


 だが、完全な脅しでもない。


 大商会を敵に回せば、次の荷が止まる可能性は本当にある。


 ガルドが低く唸る。


「こいつら」


 セリアは冷静に見えたが、指先に力が入っていた。


 レンは一歩前に出た。


「押収ではなく、放出契約にしてください」


 セリアが振り返る。


「放出契約?」


「はい。都市備蓄から無断で移した分は、公定価格で優先用途へ放出。残りの商会所有分は、一定量を市場へ上限価格付きで出す。代わりに領主家は、ヴェルナー大商会を完全な敵にしない」


 ユリウスの眉がわずかに動く。


「あなた、商人ですか」


「違います」


「ではなぜ、こちらの逃げ道を作る」


 レンは塩樽を見た。


「逃げ道ではありません。流れ道です」


 ミナが小さく「流れ道」と繰り返した。


「ここで全部押収しても、次の塩が来なくなれば困る。商会を潰せば流通も傷む。でもこのまま価格で止めれば街が傷む。だから、今ある在庫を必要な順に流して、次の荷が来るまで持たせます」


 セリアはしばらく考えた。


「優先用途は?」


「治療院、神殿、食料保存、鉱山村向け保存食、一般市場の順です。ただし一般市場にも必ず一定量を出す。出さないと不安が広がって、買いだめが起きます」


 ガルドが頷いた。


「市場を空にすると噂が走る」


「はい」


 ユリウスはレンをじっと見ていた。


「弊商会の利益は」


「公定価格分は低くなります。でも市場上限価格は、通常より少し高く設定できます。暴利ではなく、輸送遅延分の上乗せとして説明できる程度に」


「商会に損を飲めと?」


「信用を買い戻すと思ってください」


 ユリウスの目が鋭くなった。


「信用」


「流通は信用で動きます。今日、神殿の炊き出しを止めて利益を出せば、明日から街の人はヴェルナー大商会の荷を疑って見る。倉庫も門番も厳しくなる。護衛費も上がる。短期では儲かっても、長期では高くつきます」


 ユリウスは黙った。


 商人たちも黙っている。


 セリアが静かに言った。


「ユリウス。レンの案を基に契約を結びます。拒むなら、都市備蓄の無断移動として正式に処分します」


 ユリウスはしばらく目を伏せた。


 やがて、深く息を吐く。


「……条件があります」


「聞きましょう」


「放出作業には、弊商会の者も立ち会わせていただきたい。数量の記録を残すためです」


「認めます」


「市場上限価格は、通常価格の一・二倍」


 レンは首を振った。


「一・一倍」


「一・一五」


「一・一二」


 ガルドがぼそりと言う。


「細かいな」


 ユリウスの口元が少しだけ上がった。


「一・一二で」


 セリアが頷く。


「決まりです」


 その場で簡易の契約書が作られた。


 塩樽のうち六樽は都市備蓄として即時回収。


 四樽は神殿と治療院へ。


 八樽は食料保存用として乾燥炉と塩蔵庫へ。


 残りは市場へ、上限価格つきで放出。


 燃料も同じように、治療院、神殿、乾燥炉、市場へ分けた。


 レンは数量を書き出しながら、頭の中で消費日数を組み直す。


 神殿炊き出し、継続可能。


 治療院消毒、三日延命。


 保存食生産、再開可能。


 市場不安、軽減見込み。


 完全な解決ではない。


 だが、止まっていた流れに穴を開けた。


 夕暮れ、酒蔵から最初の塩樽が運び出された。


 ミナは自分の荷札を首から下げ、回収班の子供たちと一緒に空箱を数えていた。


「塩樽、いーち!」


「二!」


「三!」


 ガルドが怒鳴る。


「数えるなら最後まで正確に数えろ!」


「わかってる!」


 セリアはその様子を見ていた。


「レン」


「はい」


「あなたは、商会を罰するより、街を動かすことを優先しました」


「罰しても塩は増えません」


「でも、腹は立ちませんか」


 レンはユリウスの背中を見た。


 腹は立つ。


 届くべきものを止めたことに。


 価格で命の順番を決めようとしたことに。


 だが、怒りだけで流通は回らない。


「腹は立ちます」


 レンは言った。


「でも、怒っている間にも塩は必要です」


 セリアは小さく頷いた。


「覚えておきます」


 その夜、市場に塩と薪が戻った。


 値段は少し上がったが、店頭から消えることはなかった。神殿の炊き出しの鍋も、一つ減らずに済んだ。


 ガルドは倉庫で、レンを見て低く言った。


「倉庫番じゃないな」


「補給係です」


「違う」


 ガルドは首を振った。


「お前は、街を見ている」


 レンは答えられなかった。


 そのとき、北方街道から来た伝令が、門前で馬から転げ落ちた。


「勇者アルヴィン様の遠征隊が、ラト村で足止め! 補給物資、未着!」


 倉庫前にいた者たちがざわつく。


 レンは顔を上げた。


 北方遠征隊・治療薬、残り四日。


 馬匹飼料、残り六日。


 撤退余力、低下。


 勝っているはずの勇者たちが、少しずつ帰れなくなっている。


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