表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外れスキル《棚卸し》の俺、物資不足で滅びかけた王国を倉庫から立て直す 〜追放した勇者たちは補給切れで泣きついてきたが、もう遅い〜  作者: のむ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
75/82

第75話 北からの証言

 崩壊まで、残り九日。


 朝、宿の表に、赤と黒の徽章を付けた武人が立った。


「門外、失礼いたします。カーレル・ヴェン、と申します。とは言え、二度目のご挨拶にございますな、補給官代理殿」


 関所の夜に黒馬で現れた男は、あの時と同じ格式で、あの時と少し違う声で言った。


「あの晩は、迎え入れる側で参りました。今日は、運ぶ側で参りました」


 供は、二騎だけだった。いつか大路で擦れ違った先触れと同じ、房飾りの馬具。街道の宿場の馬を五日先まで押さえて進んできた、あの一行の主が、供回りを表に残して、単身で宿の敷居をまたいだ。格の高い者が身軽に動くとき、用件はいつも重い。


 ニスが、廊下の奥で一礼した。カーレルは目礼を返し、ほんの一拍だけ、視線を留めた。十年前の王都厩舎で擦れ違った者同士の、名前のない挨拶だった。どちらも、何も言わなかった。



 宿の卓に、カーレルは油布の包みを置いた。


 中身は、書状が一通と、小さな印章がひとつ。


「オルブライト男爵の証言状を、お持ちいたしました。印章は、男爵ご本人がお預けくださった。……写しではございません。現職の印、そのものにございます」


 ヤールが、書式を検めた。男爵の自署。日付。証言の要旨。読み上げる声は、いつもの通り途切れがちで、いつもより少し速かった。


 要旨は、こうだった。関所の兵を引き上げさせた、あの命令書。男爵は、自分の名で出されたその書状を、書いていないと証言する。偽の書状が出たことに、男爵は自分で気づいた。気づいて、騒がず、身柄ごとヴェン家の神殿に保護を求めた。以来、北で生きて、この証言状を書く日を待っていた。


「殺されもせず、奪われもせず、ただ名前だけを使われた。男爵は、そう仰いました。名前を使われた者は、名前で返すしかない、とも」


 街道の宿場の馬が、五日先まで押さえられていた理由が、これだった。儀礼の一行の荷は、祭具でも進物でもない。紙が一通と、印がひとつ。それを、確実に、誰にも抜かれずに王都へ入れること。ヴェン家は、そのためだけに儀礼の格式で街道を進んできた。儀礼の荷は、街道の誰も検められないからだ。


「途中、二度、荷を検めたいと申し出る者がございました。所属は名乗らず、様式だけは整っておりましたな。……儀礼の格式で、お断りいたしました」


 抜く側も、この紙の意味を知っている。八日の道中は、静かな運び合戦だったらしい。カーレルは、それを茶飲み話の口調で言った。


 偽の書状は、正しい様式で書かれていた。書式を知り尽くした手が、どこかにある。それは、トムルの写しが指すのと、同じ方角だった。


 レンは、証言状を置いて、訊いた。


「ヴェン家は、なぜここまで動くんですか。関所では、迎え入れる側だったはずです」


 カーレルは、すぐには答えなかった。答えの代わりに、格式を半歩だけ崩した。


「家の中にも、見る側と、取り戻す側がございます。百年、家はその二つで保ってきた。あなた方を見張っていた目は、見る側が置いたもの。私と、私の主が動くのは、取り戻す側の務めと、心得ております」


 見る側と、取り戻す側。布の人を置いたのは、一族の保守の側。そして関所の夜にレンたちを試した姉弟は、取り戻す側として、この証言状を八日かけて運んできた。


「詳しくは、いずれ。今日のところは、紙の話をいたしたく存じます」


 カーレルはそこで区切り、それから、思い出したように付け足した。


「ああ。……ひとつ、紙にならぬ話もございました。神殿で、保護している少年がおります。名は、まだ申せません。ただ、木を彫るのが、たいそう巧い」


 ヤールの手が、綴りの上で止まった。


 木を彫る少年。南宿場の薬瓶の底に、名前を彫った子。関所の裏門から入り、書記課で預かられ、半年前に北へ移された子。ヤールが関所で最後に記録を見た、あの子だ。


「……生きて、いるんですね」


「生きて、彫っております」


 それ以上は、どちらも言わなかった。名前のない報せは、名前のある報せより、静かに深く届くことがある。ヤールは目を伏せて、一度だけ強く瞬きをして、それから書式の検分に戻った。



 昼、三度目の申請を出しに行った。


 貸付証文。トムルの写し。そして、オルブライト男爵の証言状と印章。ヤールが様式を整え、カーレルが証人として連署し、レンが携えた。


 マゼルは、今日も机の前にいた。紙の角は揃い、筆は三本、長さの順に並んでいた。冬の陽が、その紙の縁だけを白く炙っていた。


「三度目の、ご申請です」


「はい。前回の差し戻しの理由は、添付文書の作成者が現職でないこと、でした」


 レンは、証言状を机に置いた。


「今回の作成者は、オルブライト男爵です。署名と、職印。……現職です」


 マゼルは、証言状を手に取った。書式を検める。署名を検める。印影を、控えの印譜と突き合わせる。手つきは、いつも通り正確だった。一つの動作に、一つの確認。積み方に、隙がない。


 検めながら、マゼルは一度だけ、顔を上げた。カーレルの徽章を見て、また紙に戻った。北の家の格式と、王都の様式。二つの正しさが、同じ机の上に載っている。


「この証言が確かなら、関所の兵を引かせた、あの命令書は、偽文書ということになります」


「なります」


「偽文書が、正規の書式で作られていたことにも、なります」


「なります。……あなたの様式が、あなたの知らない場所で使われていた。そういう話です」


 レンは、それ以上は言わなかった。書式を作った側と、書式を悪用した側。マゼルがそのどちらに立ってきたのかを、この場で断じる材料はない。ただ、この男が様式を信じてきたことだけは、疑っていなかった。信じてきたものの背中に、偽の判が並んでいた。それを、いま本人が数えている。


「書式は、整っております。作成者は、現職。証人の連署も、有効です」


 そこで、言葉が止まった。


 規則です、と続くはずだった。時間がかかります、でもいい。順を踏むしかありません、でもいい。この男の言葉は、いつも次の一文が決まっていた。前の文の尻尾を受けて、正確に積み上がっていくはずだった。


 続きが、来なかった。


 マゼルは、証言状を机に置いた。それから、保留印を手に取った。朱肉に、正確に一度だけ触れた。


 印が、紙の上で止まった。


 帳簿が乱れれば、配りが乱れる。配りが乱れれば、飢える者が出る。私はそれを見たことがある。いつか、この男はそう言った。規則は、この男にとって飢えを防ぐ堤だった。その堤の石の間に、偽の判が挟まっていた。いま、本人がそれを知った。


 押されない判を、レンは初めて見た。差し戻しの判も、保留の判も、この男は一度もためらわずに押してきた。規則が答えを決めていて、手はそれを写すだけだったからだ。その手が、宙で止まっている。規則が、答えをくれなかったのだ。


 偽の書状は、正しい様式で書かれていた。その証言を、正しい様式が運んできた。正しさを守ってきた男の目の前で、正しさが二枚に割れて、互いを指していた。


「……本日の返答は、いたしかねます」


 長い沈黙の後で、マゼルはそれだけを言った。声は、乱れていなかった。ただ、いつもより一文だけ、短かった。


「預かります。正しく、預かります」



 局を出ると、冬の陽が傾きかけていた。


「押させましたな」


 カーレルが、歩きながら言った。


「いえ。止めただけです」


「止まらぬ判を止めるのは、押させるより難しゅうございます。……あの御仁、割れますぞ。ああいう手合いは、折れるのではない。割れて、どちらかが残る」


 武人の見立てだった。レンは、止まった判を思い返した。あの手が次に動くとき、押されるのが保留なら、道はまた塞がる。押されないなら。


 その先は、まだ誰にも見えなかった。


 宿に戻ると、ユリウスが卓で待っていた。首尾を短く伝えると、商人は指を三本立てた。


「判が、止まった。なら、三日のうちに、どちらかへ動きます。商いの経験では、迷う相手には、迷わせたまま次の材料を届けるのが上策です。幸い、届ける材料は、まだ残っています」


 控え帳の二割差異。厩の偽印の列。北縁の倉の中継搬送。一枚の絵は、まだマゼルの机には載せていない。出す順を、間違えないことだ。ヤールが綴りを繰り、ニスが図面を畳み、カーレルが茶を含んで、それぞれの持ち場で夜が更けた。


 崩壊まで、残り九日。

 番人の手は、まだ印の上にある。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ