第11話 誰を助けるかではなく、どの順で助けるか
リンドホルム最初の救援荷は、夜明け前にラト村へ向けて出た。
小型の荷車一台。
清潔布六包、治療薬四本、乾燥薬草一箱、飼葉半日分、矢羽根二束、保存食一日分。
少ない。
だが、何も送らないよりはいい。
レンは荷車の後ろ姿が北門の闇に消えるまで見送った。
戻るのではない。
届けるのだ。
セリアの言葉を、何度も胸の内で繰り返す。
だが、最初の救援荷を送っただけでは足りない。あれは時間を稼ぐための荷だ。本当に必要なのは、その後に続く補給の流れだった。
共同倉庫の作業台には、板書が何枚も並んでいる。
ラト村。
北方遠征隊。
リンドホルム治療院。
神殿。
鉱山村。
市場。
それぞれに必要な物資があり、それぞれに残り時間がある。
全部は満たせない。
レンは板書を見下ろした。
北方遠征隊・治療薬、残り四日。
ラト村備蓄、三日で圧迫。
リンドホルム治療院、再補充必要。
神殿炊き出し、塩放出により継続可能。
乾燥炉、燃料準備中。
荷車、修理中。
馬、余裕なし。
問題は、物資だけではない。
運ぶ足がない。
「レン」
セリアが倉庫へ入ってきた。昨夜からほとんど眠っていないはずなのに、背筋は伸びている。
「最初の荷は出ましたね」
「はい。でも、足りません」
「次は何を送りますか」
「それを決める前に、決めることがあります」
ガルドが作業台の向こうで腕を組む。
「何だ」
「誰を助けるかではなく、どの順で助けるかです」
倉庫内にいた数人がこちらを見た。
レンは板書の一つを指す。
「北方遠征隊だけを最優先にすると、リンドホルムの治療院が次の事故に対応できなくなります。リンドホルムだけを優先すると、ラト村が遠征隊を抱えきれなくなる。ラト村の備蓄が崩れれば、村人と遠征隊の両方が危ない」
ミナが手押し車を押しながら聞いていた。
「じゃあ、どうするの」
「早く死にそうなところから、死なない程度に延ばす」
ミナの顔がこわばった。
言い方が悪かった。
だが、きれいな言葉に変えても事実は変わらない。
セリアは静かに言った。
「全員を一度に救えないなら、危険な順に時間を稼ぐ」
「はい」
レンは頷いた。
「治療薬は遠征隊へ少量ずつ。清潔布はラト村と治療院に分ける。飼葉は馬を動かすための分だけ遠征隊へ。保存食はラト村の備蓄を圧迫しない分だけ。リンドホルムの医療物資は最低線を割らない」
ガルドが唸る。
「最低線ってのは」
「次に二十人規模の事故が起きても、一晩しのげる量です」
「昨日の鉱山事故みたいな?」
「はい」
ガルドは嫌そうな顔をしたが、反論はしなかった。
セリアが板書に線を引く。
「では、救援物資は一度に大量ではなく、小分けで出す」
「はい。橋が傷んでいるなら、小型荷車の方がいい。大型馬車で詰まるより、小分けで何度も送る方が早い」
「人手は」
「足りません」
「馬は」
「足りません」
「荷車は」
「足りません」
セリアが少しだけ笑った。
「足りないものばかりですね」
「はい」
「では、あるものは?」
レンは顔を上げた。
あるもの。
旧倉庫街の壊れた荷車。
回収班。
ガルドの倉庫人夫。
ミナの裏道。
セリアの領主権限。
ユリウスから放出させた塩と燃料。
魔石灯。
古い荷札。
「修理できる荷車。街の中を走れる手押し車。裏道を知る配達人。領主印。倉庫記録。夜間作業用の魔石灯」
ガルドが鼻を鳴らした。
「あと、口うるさい補給係」
「それは物資ではありません」
「似たようなもんだ」
ミナが笑った。
倉庫の空気が少しだけ柔らかくなる。
だが、すぐに外から蹄の音が近づいた。
南の宿場へ向かった伝令が戻ってきたのだ。
伝令は息を切らして報告した。
「南宿場の補給荷、橋の手前で止まっています。橋板が割れ、大型馬車は通れません。小分けにすれば人力で渡せますが、人手が足りません」
「荷の中身は?」
「治療薬六箱、清潔布十包、飼葉五袋、矢羽根五束、保存食四樽。ただし薬箱の一部が湿っています」
レンは板書に書き込む。
南宿場補給荷、存在確認。
橋、大型不可。
小分け搬送可能。
人手不足。
薬箱、湿気あり。
「取りに行く必要があります」
ガルドが即答した。
「なら荷車だ」
「小型で。できれば二台」
「まだ直ってない」
そのとき、倉庫の外から鍛冶屋の太い声がした。
「一台なら走るぞ!」
振り向くと、黒い煤で顔を汚した男と、箱職人らしい細身の男が、壊れかけの荷車を押してきた。
車輪は不揃いだが、軸は通っている。荷台の板も新しく打ち直されていた。
ガルドの顔が明るくなる。
「おお、もう直したのか」
「走るだけならな。長旅は無理だ」
鍛冶屋が言う。
箱職人が続ける。
「荷台は軽くした。重い樽は載せるな。薬箱と布ならいける」
レンは荷車に触れた。
修理荷車、一台。
積載量、小。
耐久、不安定。
用途、軽量医療物資向け。
「使えます」
鍛冶屋が笑った。
「そりゃよかった。廃材が飯の種になるとはな」
ミナが胸を張る。
「回収班の手柄」
「おう、札つきの嬢ちゃん」
ミナは首から下げた荷札を見せた。
ミナ。
その名前が、煤と埃の中で妙に誇らしく見えた。
レンは決めた。
「この荷車は南宿場へ向けます」
セリアが確認する。
「ラト村ではなく?」
「はい。最初の救援荷でラト村と遠征隊は半日から一日持ちます。でも南宿場の薬箱が湿っているなら、放置すると失います。そこを回収すれば、次の救援が組める」
「先に取りに行く方が、多く助かる」
「はい」
伝令が不安そうに言った。
「勇者様は」
「今送った荷で、すぐには崩れません。次の荷を確実に作る方がいい」
レンは自分に言い聞かせるように言った。
誰を助けるかではない。
どの順で助けるか。
セリアは領主印の命令書を書いた。
南宿場の補給荷を、リンドホルム共同倉庫の管理下で小分け回収すること。
橋の通行に必要な人足を徴用すること。
薬箱を最優先で乾いた荷台へ移すこと。
レンは横から言った。
「人足には食事を出してください。無償だと集まりません」
「書きます」
「橋の修理材も確認を」
「書きます」
「濡れた薬箱は開けて中身を」
「レン」
「はい」
「一度に言われると、書ききれません」
「すみません」
セリアは少し笑った。
「でも、続けてください。必要なことなので」
レンは頷いた。
その様子を、伝令が不思議そうに見ていた。
「レン殿」
「はい」
「あなたは、勇者様のところへ戻られないのですか」
倉庫内が静かになった。
レンは荷車の新しい板を見た。
昨日までなら、自分でも答えられなかった。
今は違う。
「戻りません」
伝令の顔が曇る。
「でも」
「救援はします。必要な物資も送ります。でも、俺はもう勇者パーティーの補給係ではありません」
レンは胸元の荷札に触れた。
古い荷札。
届かなかった薬。
そして、昨日書いた新しい荷札。
リンドホルム共同倉庫、仮補給担当、レン・アスター。
「今は、ここから届かせる側です」
伝令は何も言わなかった。
セリアも、ガルドも、ミナも。
ただ、ガルドが荷車の縁を叩いた。
「なら、ここから出すぞ。誰か、御者を呼べ」
ミナが手を挙げる。
「あたし、南宿場の近道知ってる」
「お前は街の中だけと言っただろう」
ガルドが即座に言う。
ミナは頬を膨らませた。
「でも、橋の手前までなら」
「駄目だ」
レンも首を振った。
「今回は危ない。道案内だけ地図に描いて」
「地図なんて描けない」
「じゃあ、説明して。俺が描く」
ミナは少し考え、頷いた。
「曲がるところ、変な形の木があるから、それ描いて」
「変な形」
「こう、腕が三本あるみたいな」
ミナが両腕を広げた。
倉庫内に小さな笑いが起きる。
レンは板書の隅に、三本腕の木を描いた。
うまくはなかった。
ミナが真顔で言う。
「下手」
「わかればいい」
「わかるけど下手」
ガルドが笑いを噛み殺した。
忙しい。
足りない。
危ない。
それでも、倉庫にはさっきより人の気配があった。
ただの荷物置き場ではない。
ここから、命をつなぐものが出ていく。
昼過ぎ、修理した小型荷車は南宿場へ向けて出発した。
目的は、勇者を直接助けることではない。
次に助けるための物資を取り戻すこと。
レンは荷車を見送りながら、板書に新しい線を引いた。
救援第一便、出発済み。
南宿場回収便、出発。
補給隊編成、未完。
必要人員、御者、護衛、荷扱い、道案内、記録係。
レンは小さく息を吐いた。
一人では、もう追いつかない。
だから、隊が必要だった。




