まどろみからこんにちは
長い夢を見ていた気がする。
父さんがいて母さんがいて。妹と小梅がいて。毎日が真夏の陽射しの下のようにキラキラと眩しい。いや、眩し過ぎて目を細めてしまうぐらいの明るさだ。小学生の頃か。
まるで写真のような、断片的な記憶がフラッシュバックし続ける。
やがて曇り空のように、不安定な中学時代の記憶。
思春期特有の危うい感覚。笑いたいのか泣きたいのか。憤りたいのか諦めなのか。
この頃から僕の中で何かが欠けっぱなしで、それがなんなのかわからなくて。
ただ訳もわからず走ってた気がする。
「誰が」だとか「学校が」「親が」「世間が」とかではなく、外に悪態はついているけれども、「それ」が何なのかわからずに。
高校、大学、そして会社勤めになって。
もういい加減に大人なのに、その欠けた「何か」がずっとわからずにいた。
欠けたものが何なのかわからない。
欠けたことすらわかっていない。
未だにだ。
ただ漠然とした不安が心の何処かに潜んでいた。それだけは理解していた。
部屋の隅の綿埃のように、何かが落とした影のように。大事なはずの「何か」に薄墨のような靄をかけて僕から隠している。
それだけは感じていた気がする。
自分の人生を「長い夢」のように振り返りながら探し続けた。古いアルバムのページをめくるように。途方もない砂漠のど真ん中を歩くように。
縁側で坐禅を組んで草木と虫の音を聴くように。
世界中をバックパックで旅するように。
図書館に入り浸り片っ端から本を読むように。
繁華街の灯りにふらふらと寄る蛾のように。
そうしてたどり着いたのが『もみじさん』が最後に言った言葉だった。
あぁそうか。これが『何か』なのか。
唐突に心の奥底が魂が引きずり出される。
なんだっけ? この感触は。
あぁそっか、床か。
そうだこれは。この指先に感じる硬質な感触。背中や僕が滅多に見ることが叶わない四肢の背面に感じる感触はあれだ。
古い石畳のゴツゴツ感だ。
ツン ツン
「は~い! 起きて下さ~い!」
聞きなれた声に脳みそが揺さぶられる。
頬に感じる刺激で無理矢理に覚醒させられる。
それは深い眠りから強制的に起こされる感覚と同一のものだ。「気持ち良く大空を飛んでいた鳥がダンッという短い銃声を聞いた瞬間に現実から切り離され落下を始めるような感覚」と表現すればいいだろうか。飛ぶ鳥に青天の霹靂が落ちる瞬間だ。
端的に言えばコードを抜いた瞬間のテレビか。
いや違う。
終わったと感じた瞬間に現実が始まる境目だ。
あぁ、幻想と現実の狭間。
どちらが現実かなんて。
そんなのわかりゃしないな。
「うるせぇよ、クソが」
つっついてくる手を払いのける。
だが目は開けない。開けなくたってわかる。
ここは未だに見慣れない世界であり、自分の部屋でも知っている場所でもなく、明らかに異質な空間だということを。
見渡す限り周囲には何もなく、壁もなく。無いなりに地平線的なエンドラインがありそうなものなのに、四方が霞がかり果てが無く。そして空ですら無い世界だということを。
夢オチ、なんてことは無い。
「起きてくれないと〜
くれないならちゅ〜しちゃおっかな?
かなかな?」
「ふっざけんなよ!
クソ『猫乃木まどろみ』がぁああ!!」
飛び起きるように上体を起こし、その勢いのまま立ち上がって『猫乃木まどろみ』を見下ろす。
「えへ! あはっ!
やっと名前を呼んでくれましたね?
本多くぅ~ん!
ん? あ! あれですね!
『シュンちゃん』の方がいいかな?
それとも『俊くん』の方がいいのかな?
かなかな?
それとも〜」
こいつは殺意を芽生えさせるツールなのだろうか。怒りや憎しみを増幅させるシステムなのだろうか。
だがこいつは倒す対象じゃない。七人目、最後の殺す対象ではない。こいつを殺して得られるものなど無い。
「消えろ」
「えへへ〜」
「消えろよ!」
爆風によってズタズタになったはずの身体は回復している。いいや、文字通りリセットされている。
感覚的にはまだ爆風を受けた余韻はあったが、痛みは無い。むしろそのことが悲しくすらあった。身体に刻まれた痛みすら、いとも簡単にこの手からすり抜けていく。
「もう何も失いたく無い」と、「忘れたくない」と自分の心を抱きしめるだけで精一杯だ。
身体が回復した今、『猫乃木まどろみ』は不要だ。
こいつを蹴り転がしたい衝動には駆られたが、そのことも、その焚き付けられる感情も不要だと思い、視線を外して前を見た。
「気配があったから」というより、「僕が正面を見たから」という方が正しい気がする。
薄暗い先に現れた気配はゆっくりとこちらへと歩み寄り、その気配を強くし、そして姿形をはっきりとさせていった。
「最後の最後は。
七人目ラストはお前だって、そんな予感はしてたよ」
僕は目の前に現れた奴に、そう声をかけた。




