優しくとつとつと、僕の髪を梳く声
「私たちの幸せってさ、きっと人の『幸せ』の上に成り立ってると思う。
うん……、ほんとはさ、
多くの犠牲の上に、多くの人々の不幸の上に成り立ってるのは知ってる。
ねぇ、君がよく言ってたじゃない。僕らは多くの『生き物』を食してしか成り立たないですよね、って。生きてくだけで多くの犠牲がありますよねって。だからすべてに感謝するしかないじゃないですか、生き続けるって、って。
確かにそうだよなぁって思ったんだ。
でもね、それって課せられた義務というか、驕っちゃいけないんだけど当然のことなんだなって。なんだかんださ、食物連鎖の頂点にいる者の定めな気がするの。それは。
犠牲にしてきた数だけ生き続けるのに必死になるのは、本能として努めるのはライオンだってそうでしょ?
でもさ、
そんな世界の中でね、やっぱり自分の幸せって周りの人の幸せの上に成り立ってると思うんだ。
ねぇ私さ、幸せだった。
私の旦那ってさ、演劇をずっとやってた人でさ。
言ってたっけ? あまり文学を読むタイプではなかったけれど、それなりに知識としては知ってる人だったから話は合ったというか、価値観は似てたんだ。
そのまま演劇俳優をやってたらまた違ったのかもしれないけれどね。
うん、でもきっと。私も旦那も夢を追いかけて来たから、そしてそれをどこかで区切りつけたから結婚できた、夫婦になれたのかなって思う。
人生の何が正解か不正解かなんてさ、後から決めることなんじゃないかな?
少なくともね、私はそう思う。オンとオフの落差の激しい人だったけれど、ちゃんと私を愛してくれたし、必要としてくれたし。やっぱり私と居て幸せだって言ってくれてた。
人を幸せに出来たなら、私は幸せだった。
娘が生まれてさ、ものすっごく幸せだって思った。
上手く言えないんだけど、なんかさ、
自分が生きててよかったとか、ちゃんと次を生み出せたとかいう存在価値の肯定だとか、
私たちの間にちゃんと愛の形が生まれただとか。
いろいろと利他的なものに見せかけて、うん、実に自己肯定な幸せなんだけど。
それなのに不思議なんだけど「自分はもうどうなってもいいや」っていう、この子が生まれてくれたんだからとか、幸せになってくれるんならなんでもいいやとか。
上手く言えないけど、自分のことはあまり考えられなかったし、魂の分化ってこういうことなのかな? とにかくこの子が幸せなら私の幸せだし、そのために費やそう、この先は。
そう想うだけで幸せだった気がする。
運命って残酷だと思う。うん、残酷かもしれない。
自分が死ぬなんて思ってなかった。
私ね、交通事故にあったの。
旦那は私の死に目には会えたみたい。でも私は会えなかった。
旦那にも、娘にも、お母さんにもお父さんにも、みんなにも会えなかった。お別れも「ありがとう」も言えなかった。何もできなかった。
命はまだ繋ぎ止められていたけど、意識は戻らないまま逝ったの。
私、あんなに喧嘩したの初めてかもしれない。
神様っていう人にたくさんたくさん文句言ったし、泣き叫んで訴えたよ。
でも駄目なんだって。それが節理なんだって。どうしようもないんだって。
やり直すというか、生き返るというか、せめてお別れの言葉を言うのも出来ないんだって。残してきた娘にちゃんと言いたかったな。最後の言葉。
でも無理なんだって。
さんざん泣いて、さんざん叫んで、悔やんで悔やんで。
もう私の中が空っぽになったかな、ってなった時にね、神様が言ったの。
「ボクの世界を救う手助けをしていただけないでしょうか」って。
最初は何言ってるんだろう? って思った。
でもね、ずっと。ゆっくりと説明するんだ。
始めは興味なかったし、話半分な感じで聞いてた。でもさ、空っぽになった私の中にその話が積みあがっていったの。なんか物語、小説を読んでるみたいに。
私ね、そのお願いを聞くことにしたの。ただその条件として私からもお願いした。やっぱりどうしても娘にはお別れの言葉を残したいって。
あのね、
神様と色々と相談した結果ね、手紙を書くことにしたの。
だって形に残せるわけじゃない。それにね、神様だから時空とか時間軸とかは度外視みたいで、過去に書いた遺書みたいな形で残したの。「私の人生」という一冊の本にしおりを挟む。ううん、直接書き足したみたいな感じで。
歴史というか世界の流れに影響が出ないように、整合性を保つためにね、色々と制約はあったけど書くことが出来たし、でもね、
ちゃんと伝えることが、残すことが出来た。
だからね、ちゃんと踏ん切りをつけたんだ、私。
ねぇ、
君はどうだった?」
僕は……、どうだっただろう。
いや考えるまでも無く「ちゃんと踏ん切りをつけた」なんてものはない。気が付けば「やっちまったな」って言う感じで死んだ。
そして……、僕は「幸せだった」と胸を張って言えない。「幸せだったか」と聞かれてもどう答えたら良いのかわからない。ゆえに後悔や未練を感じることはなかった。
でも……、でもでもでも!!
「次は、君が話して?」
そう言って『もみじさん』は、僕の手からバトンを受け取るかのようにそっと、
抱えていた手榴弾を僕の手から奪った。




