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元勇者、誓う

「ロ……ヒロ……ヒロ……」


 温かな雫が、俺の頬に落ちて細かな飛沫(しぶき)になり顔全体を濡らしていく。


 浮上する意識の中で、一心に俺の名前を呼び続けるエギスの声がかすかに聞こえた。


 「あ、あ……」


 返事をしようと口を開けるが、周りの筋肉が引き攣ってうまく動かない。


 傷口が急速に再生して出来た新しい組織の具合に、まだ脳の方が慣れていないようだった。


 俺はゆっくりと目を開く。


 眩しい光が闇から覚めたばかりの俺を刺激して、二、三度瞬きをしてからやっとその光景が把握する。


 俺の視界はエギスで埋め尽くされていた。


 その光に透き通るオリーブオイルのような美しい髪を乱して、紺碧の大空から抽出したような蒼い瞳に揺らぎを湛え、どこまでも美しい涙をボロボロと落とすエギスがそこにいた。


 「ヒロぉっ!」


 俺が目を覚ましたことが分かると、エギスは泣きじゃくりながら抱き着いてくる。


 再生したばかりで敏感で、回復薬(ネクタル)に濡れる肌へと、ダイレクトにその温かい感触が伝わってきた。


 「え、ぎす……」


 引き攣る筋肉に、片言ながらもかろうじてそれだけ言うと、俺を抱きしめるエギスの力が更に強くなる。


 「……だよ……」


 「……、え?」


 俺とエギスの距離がゼロよりも近い距離で、その可憐な唇が開かれた。


 「ぐすっ、死んじゃ、嫌だよ……」


 絶え間無く流れつづける涙に顔をぐしゃぐしゃにして、止まる様子もなく漏れる嗚咽に不明瞭なものを声に混ぜながらも、エギスは確かにそう言った。


 「ヒロ……ぐずっ、お願いだから……ぐずっ、死な、ないで……?」


 離さないと、離したくないと……そして、ずっと一緒にいたい、絶対に失いたくないと語りかけるような熱が、痛いほどに抱擁を続けるエギスから、火傷しそうなくらい伝わってくる。


 同時に胸の奥がすうっと冷えて行くような、そして叫び出したくなるほどの恐怖の片鱗もが流れ込んできた。


 それは、俺が目覚めるまでにエギスが味わった感情の切れ端なのだろう。それが、ほとんど突き刺さらんとばかりの戦慄が、この思慕を溢れさせる一因になったのだろう。


 「あ、あ……」


 俺の名前を呼びながら子供のように泣きじゃくり続けるエギスの背中へ、俺は躊躇いつつも左手を回す。


 感触からはとても冒険者をやっているとは思えない、少女特有の細く、すぐにでも折れてしまいそうな体は、一瞬びくりと体を震わせたが拒絶することはなかった。


 たったそれだけの事実が、俺の心を温かくする。


 そして、ここで俺の中に込み上げてきたのは、やはり覚悟だった。


 これまでの考えと同じだ。俺はエギスに悲しそうな、嫌な思いをしてほしくない。こんな事を、二度と繰り返さないようにしないといけない。そのためには、もっと俺がきちんとしなければ……。


 「ごめん、な……」


 嗚咽を漏らすエギスにそう言うと、俺の方にまで涙が流れてきた。


 それは、悲しみの涙でも、安堵の涙でもない。


 エギスにこんな思いをさせてしまった俺の不甲斐無さを呪う、悔恨の涙だ。


 「……う゛ん、ヒロの……ばかぁ」


 少女の流す涙とは対称的に、少年は静かな涙にその声を震わせながら、なきじゃくる少女へと宣言する。


 「強く……なるから」


 頬には一本の銀線が流れ、決意に満ちた声を放つ少年に、少女は涙に震える事を止められないまま疑問の声を上げた。


 「うう、ん……? ヒロ、は強い、よ……? わたしよりも、魔族、よりも……」


 そんな少女の励ましにも、しかし少年は頭を振って言葉を続ける。


 「でも、君、にそんな表情をさせ、てしまった……。……もっと強くなる。この手で、君を守れて……そんな気持ちにさせないくらいに」


 「う゛ん……」


 「だから……そうしたら、この気持ちを言うから……」


 「ヒ、ロ……」


 どこか気付いたような、期待するような声色の少女が放つ呼び掛けを聞いて、少年はその一言を告げる。


 「待ってて、くれるか……?」


 それを聞いて。


 少女の瞳から、どこまでも透明で、果てもなく純粋な雫が落ちた。


 それは、さっきまでの涙とは完全に違う。どこまでも温かい気持ちが体全体を巡って、いつのまにか結晶化したものがぽろりと落ちたような、その日を待ちわびる涙だった。


 「う゛ん……、分かっ、たよ、ヒロ……!」


 体全体を満たした温かい気持ちが流させる嗚咽を抑えようとして、でもやっぱり抑え切れなくて、それでも懸命に浮かべる少女の笑顔を、少年は決して忘れないだろう。


 少年はその右手を少女の美しい髪へと伸ばし、泣きじゃくる少女をあやすようにいつまでも撫でていた。








 ◆  ◆








 ところで、今俺の格好は、焦げかけのパンツ一丁な訳だ。


 当たり前だろう。『レーヴァテイン』の範囲に自らを取り込んだ俺は、その時点でミヒャエルから借りた鎧も砕かれていた。パンツだけでも残っていたのは奇跡に近い。


 おそらく俺がエギスに救出された時は、全身のあちこちを炭化に近い第三度火傷に覆われた無残な姿だっただろう。


 結局、無傷で残っていたのは、そうなることを万一にでも予想していた装備、長剣『レーヴァテイン』だけだった。


 ほぼ裸の男に抱き着いていた事に、今更ながら認識が追いつき、顔を真っ赤にしてエギスが離れた後、俺は木の陰に隠れながらこう頼んだ。


 「アセト。服か鎧の復元を頼めるか?」


 「あ……はい。わかりました……」


 ウシルとアセトの方は、死兵を何とか倒しきることが出来たらしい。


 エインヘリヤルの魔族が『レーヴァテイン』に飲み込まれても、死兵は消えることは無かったが、急に弱くなったという。


 ということは、死兵の召喚自体は一度魔力を支払えば良い現象だが、死兵の強化は常に魔力を注いでいないといけないのかもしれない。


 「Isis」


 献身的な慈愛を想起させる声が響く中、俺が見詰めていたのは俺とエインヘリヤルの魔族が戦っていた跡地だった。


 魔力制御が不十分だったせいか、地面までが焼け焦げている中、なにか炭化したものが引きずられたような跡が森の中へ続いていた。


 「……逃がした、か」


 俺はそっと呟いた。


 俺がそうだったように、この世界では回復薬(ネクタル)の回復力が強すぎるため、たとえ致命傷を負わせていたとしても治されてしまう。つまり、逃がしてしまった時点で何もやっていないのと同じになるのだ。いや、相手に手の内をさらしてしまっていると考えれば、悪いのかもしれない。


 「とりあえず、ミヒャエルに報告しないとな……」


 ここでの魔族との遭遇。それは何の意味があるのだろうか。


 魔族が『エインヘリヤル』を使ってセーラムの街を襲わせ、王国最強、ミヒャエル・カリバーンをこの場に呼び寄せて……王都を襲撃しようとしたならまだ分かる。


 だが、あのレベルの魔族が、おそらく主戦力級であるだろうエインヘリヤルの魔族がここにいるとなると話は違う。


 魔族は、やはりこのセーラムの街で何かをしようとしているのだ、ということになる。


 「ナオヒロさん。……出来ました」


 そこまで考えたところで、アセトによる復元が終わったらしく、そんな声が聞こえた。


 木の陰から顔だけだして覗いてみると、ミヒャエルから借りた騎士鎧が綺麗に復元されている。脇には借りた長剣も置かれていた。どうやら、服の方は復元しなかったらしい。


 「まあ、当たり前か」


 俺はそう呟くと、とりあえず鎧を木の横に移動させて着込みはじめた。


 ここからセーラムの街に帰るためには、またこの森を抜けて行かなければならない。防御力皆無の服と、鎧。どちらを優先するかなんて、考えるまでもないだろう。


 「冷ってぇ!」


 足を突っ込むと、金属の冷たさが直に伝わってくる。


 俺はこれから、世にも奇妙な全身素っ裸に鎧だけ、という鎧の中身を知るものからすれば完全に変態な格好をする訳だが、これでは先が思いやられる。


 (この先、自分の体温でぬるくなった鎧を着続けないといけないのか……。服の方を復元してもらった方が着心地としては良かったな……)


 げんなりしながら残りを順に着てく俺だったが、そこでふと気付いた。


 急いで鎧を全て着ると、なにやらしょんぼりしてる兄妹の片方へと声をかける。


 「アセト」


 「は、はいっ」


 何か失礼があったのかと、びくびくしながらこちらに向き直るアセトに、俺は一つ聞いてみた。


 「イシスの『模倣神技』で復元できる条件は何なんだ?」


 その言葉に、少し戸惑ったような表情をするアセトだったが、おずおずと口を開いてその内容を告げる。


 「え、えと……構成要素の大部分が残っていて、復元する元の状態を見つけられれば可能です」


 「ええと、ナオヒロ、さん……?」


 冒険者同士のマナー違反を咎めるような、しかし相手が自分より高ランク冒険者のため声量が小さい響きに、俺は謝りながらも依頼する。


 「すまん、詮索したいわけではなくて……。アセト、街に帰ったら俺の武装の『状態復元』を頼みたいんだが、いいか? 実はこれは借り物で、メインのやつは、今壊れてるんだ」


 その言葉に兄妹は顔を見合わせると、何か目で会話したようで、少したってからゆっくりと頷いた。


 「……わかりました」

 「ああ、もちろん依頼料は払うよ。いくらが良い?」


 兄妹はどうやら、自分達が良いように利用されている可能性を考えてたようだが、俺の言葉に正式な依頼だと分かって安心したような息を吐く。


 「いえ、大丈夫です」


 「えっ、お兄ちゃん?」


 そしてウシルは言った。


 「今回、僕たちは助けてもらったし……それに足を引っ張っていました。だから、そのお詫びです」


 どうやら、さっきから兄妹が暗い雰囲気だったのはそれが理由らしかった。


 自分の力を過信して飛び出したは良いが、レーヴァテインを放つ邪魔になっていたことに、今更ながらに気付いたのだ。


 「いや、仕方がない。こと魔族との連携戦闘については、お前達はまだまだ初心者なんだからな。まあとりあえず、普通の鍛治修理代くらいは出すさ、気持ちだと思って受け取っといてくれ。またはCランク到達のお祝いだとでも思えば良い」


 その言葉に曖昧ながらも頷いた兄妹を見て、俺はぐぐっと延びをする。


 体のあちこちが引き攣るような感覚がした。回復薬(ネクタル)によって作られた新しい組織を早く慣らさないとな、と俺は頭の片隅で考える。


 「さて……」


 俺は、未だ真っ赤に泣き腫らした瞳に、頬にかすかな涙の跡が残るエギスに体ごと向き合って、優しく告げた。


 「……帰ろう」


 その言葉に、俺の完全な再起動を認めたのか、エギスは嬉しそうに頷いた。


 「うんっ!」


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