東京クリスマス 前編
クリスマスイブの夕方だった。東京の街は、どこも光に溢れていた。ケーキを売る特設会場も設置されて、サンタの格好をした売り子も、あちこちで見られた。
巨大なツリーには、人口の雪が舞う。クリスマスマスソングが流れて、若いカップルがレストランの席を埋め尽くす。
その日の夕方、洋さんは、自宅のある賃貸マンションのエントランスを出ようしていた。
その時、洋さんの目に知った顔が見えた。
麻さんだった。
麻さんが、エントランス前に設置された、ドアフォンのパネルの数字キーを押しているところだった。麻さんが開いたドアから出てきた洋さんを見る。洋さんと、麻さんの視線が合う。
麻さんが聞く。
「出かけるの?」
麻さんは思う。
洋さんの着ているショート丈のトレンチコートが、洋さんにとても似合っていると。
麻さんは、いつもと違う格好の洋さんを、眩しく感じた。
洋さんは腕時計で時間を確かめて言う。
「ああ。約束があって。しかし俺のアパートの場所が、よくわかったな」
済まなそうに麻さんが言う。
「洋さんのおばさんに聞いた」
「母さん……」
洋さんは、脳裏にお節介な母親の顔を浮かべ言う。
「麻さんは母さんのお気に入りの生徒だったからな」
洋さんは麻さんに聞いた。
「俺がいなかったらどうするつもりだったんだ。エントランスもオートロックで建物の中にも入れないのに」
麻さんが小声で言う。
「洋さんが戻って来るまでマンションの前で待っていたと思う」
洋さんが困惑気味に言う。
「今日は冷え込むってニュースで言っていたし。それにナンパでもされたら危ないだろう?」
洋さんのマンション前は人通りが多かった。
「洋さんは相変わらず心配性だね。ナンパなんかされないよ。私可愛くないから」
洋さんは悲しくなる。
「また麻さんはそんな事……。それに俺が今日自宅マンションに、帰って来るかも分かんないだろう?」
麻さんは思い詰めたように言う。
「でも待ってたと思う」
そう言うと、麻さんは鞄から封筒を出した。
「お金を。ボイラー代を、持ってきたの」
封筒に目を向けて、洋さんが言う。
「振り込んでくれたら良かったのに」
麻さんは素直な気持ちを言った。
「会いたかったから」
「会いたかったって……」
洋さんは、既に終わったものだと思っていた。
だからそれは、考えもしない言葉だった。
麻さんが言う。
「会いたくて……。洋さんの顔が見たくて」
「何で、俺に会いたかったの? 俺フラれたんだよね?」
麻さんは答えに詰まる。少し考えから言う。
「振ってないよ。その時は、ただどうして良いか分からなかっただけ。振ってないよ……」
洋さんは、少し困ってしまって、言う。
「麻さん、それってつまり。俺のことを好きって事?」
麻さんは嘘がつけなかった。多分これで会うのが最後だと思ったから。嘘で終わりたくなかった。嘘や誤魔化しで終われば、猫探しの時と一緒になって後悔が残る。
「凄く好き」
洋さんは腕時計を見る。
時計を見ながら、洋さんは難しい顔をして無言になった。
麻さんが謝る。
「ごめん、出掛けるんだもんね」
麻さんが言い訳するように喋る。
「あんな風にわかれちゃって。あれから会えなくて。だから、会いたかったもあるけど。目的はボイラー代を返す事だし。顔見られて良かったよ」
洋さんはやっぱり黙りだ。
洋さんの表情は険しい。
そしてまた間できる。
そして、麻さんは察した。
麻さんが笑顔で言う。
「急に来てごめん」
麻さんは思う。
洋さんの優しい笑顔もない。
洋さんの優しい言葉もない。
でも、なくても充分だと。
洋さんの顔さえ見られたら、充分なんだ。
麻さんは、その程度でも満足するべきだと。
麻さんは少し俯き。
息を飲み込んでから、また喋り出した。
「来ちゃって悪かったね。出かけるんだよね。素敵な格好して、恋人でも出来たの?」
洋さんは、黙ったままだ。
洋さんは、黙ったまま麻さんをただ見つめる。
麻さんは思う。
答えないのが、洋さんの返事だと。
多分、恋人が出来たんだろうと、麻さんは思う。
怖い顔した洋さんの沈黙が続くから。麻さんは、頑張って笑顔で喋り続ける。そして、頑張って明るく振る舞う。
「ごめん。出かけるの邪魔して。彼女さんとお幸せに! 私はね、洋さんに会えただけで充分だよ。私のことなんて気にしなくていいよ。行っていいよ。そうそう」
麻さんは、手に持っていた封筒ごと、ボイラー代を洋さんに渡した。
「お金を返す。じゃ、行くね。さよなら。もし上手く運んで、結婚することになった時は、結婚式は呼んでよ!」
麻さんは、これで最後だって思った。
洋さんとの関係はこれで最後だと思った。
結婚式に呼ばれない事も分かっている。
すべてが終わったと、麻さんは思った。
麻さんは、でも自分は大丈夫だと思った。だって顔を見る以上の、期待なんてしていなかったのだから。
それなのに、麻さんの心はズキズキ痛んだ。けれど麻さんは笑顔を作る。
「じゃ、元気でね」
体を翻して、麻さんは去ろうとした。
去ろうとした麻さんの手を、洋さんは咄嗟に掴んだ。
「勝手に来て、勝手に喋って、勝手の何処か行かないでよ……」
洋さんが苦しげに言う。
「麻さんだけで完結しないで。俺は今、これからどうしたら良いか、考えてただけだ。今電話するから待っていて。絶対何処かに行かないで」
麻さんの手をしっかり掴んだまま、洋さんは左手だけで、何処かに電話をした。
「うん、行けなくなってしまって。本当、申し訳ない。ちょっと私用が出来て……。ああ、店のキャンセルは僕がいれます。ええ、次回は……、ちょっとわかんないです。ええ、では」
麻さんが聞く。
「誰?」
洋さんは言いにくそうにいう。
「イブだろう? だから、今日は、その……、少しだけ気になっていた女性を、夕飯に誘ったんだ。でも今断った」
麻さんが動揺する。
「じゃぁ……その女の人に悪い事……」
洋さんは考えてから言った。
「確かに……。でも……まだ、始まってもいなかったし……。危なかったな。後1日麻さんが来るのが遅かったら……、始まった後だったかもしれない。今日会えなかったら。もしかしたら俺は、またガチクズになるところだった。来る前に連絡くらいしろよぉ」
麻さんは疑う。
「連絡しても、私に会ってくれた」
「会うよ、もちろん」
麻さんの表情は冴えない。
「嘘。さっき洋さんは、お金、振り込めって言った。電話で洋さんにそう言われたら……」
洋さんは少し困った素振りを見せて言う。
「ああ、そうか、そうかも……。でも……」
洋さんが、掴んでいた麻さんの手を、自分のコートのポケットの中に、握ったまま入れた。
麻さんが聞く。
「手、繋いだままなの」
洋さんが言う。
「逃げられたら困る」
麻さんが困って言う。
「逃げないよ」
「絶対手は離さない」
洋さんが続けて言う。
「まずは飯を食べに行こう。今日はクリスマスイブで、何処の店も満席だ。他の女の為に予約した店へ行くしかない思う。そこで良い?」
麻さんは少し嫌そうに言う。
「嫌だけど。仕方ない」
洋さんが笑う。
「仕方ないかぁ」
含みのある言い方に、麻さんが尋ねた。
「え? 何?」
「久々、麻さんの仕方ないを聞いた」
麻さんは俯く。
そして、2人は歩き出す。




