組織事務所
6.組織事務所
(よし……じゃあ次は攻撃魔法を教えてくれ。敵のアジトを全壊させるぐらいの威力のあるやつと、接近戦で敵の出足を止めるようなやつを知りたい。
俺の全ての技を知られているのが相手だからな……と言っても付け焼刃じゃ、実際の戦闘には通用しない。向こうもプロだからな……だから、脅かす程度だけでいい。少しでも動揺させることが出来れば、その隙をつけば、勝機も生まれるだろう。)
(分った……中級の炎系魔法と初級の土系魔法でいいんじゃないかな。落とし穴とかぬかるみ程度でも十分、相手の出鼻をくじくことは可能だ。何せ向こうは、お前が魔法を使えることは知らないからな。
それよりも……やはり集中力が並じゃないんだな……初めて中級魔法を唱えて、すぐに魔法効果が得られるなんて……勉強始めたばかりでは、初級ならまだしも中級魔法なんか、毎日唱えても効果の片鱗が見えるまで半年以上はかかるんだぞ。だから……お前なら付け焼刃と言うことにはならないはずだ。
まあそれでも最後に頼りになるのは、これまで厳しい訓練で身に着けた暗殺術ということにはなるのだろうがね。相手がプロ中のプロじゃあ、こっちも奥義を駆使しないと対抗できないだろう。
じゃあ行くぞ……燃え盛る炎を制する…………………………)
弥恵がじっと恨めしそうに睨んでくるため目を閉じて、逸樹は心の声が唱える魔法の呪文に意識を集中させた。
(ようし……中級魔法の極大火炎と落とし穴とぬかるみに石つぶて……すべて覚えた。試してはいないが……まさか馬車の中で使うわけにもいかないからな。使うとしたら、ぶっつけ本番になるが仕方がない。
それはそうと……弥恵をいやらしい目で見るな!許さんぞ!)
(はあ?いつ俺が?彼女は一晩中寝ずにずっとお前を睨みつけ……あの時か?左乳房を治療したあの時か?確かに治療後の乳は……本当に美しかった……ぐっと来た……だが……今頃かよ!
それから俺だって、好きでお前の中にいる訳じゃあない!こっちはお前が目で見て音を聞いて……お前が触ったら感じるだけで、手足どころか瞼を自由に動かすことさえできないんだ。そんな身の上で、あんな色っぽいの見せられたら、マジで地獄だ!
いや、まあ……自由に動けたところで相手があることだからな……思い通りに行くときばかりではないことは十分承知だが、こっちは口説き文句さえ囁けない身の上なんだからな!せめて美しいものは美しい……色っぽいのはそれなりに言うくらい、見逃してくれ!何もかも我慢している身の上なんだからな!
そもそも彼女はお前にぞっこんじゃないのか?お前だって……なのになぜなんだ?お前の態度……)
(あの子は、俺の子供だ……変な気持ちは持ちようがない。)
(変な気持ちって……孤児を拾って育てたんだろ?お前の実の子じゃないだろ?苦労して育てて、見事に花開いた……というか、別嬪に育ったじゃないか。しかも向こうはお前に好意を寄せている……お前は独身……何を悩む必要性がある?)
(だからあの子は、俺の子供だ!今でも俺にとっては、小さな子供なんだよ!)
(歳の差ってことか?あの子は……20くらいか?中学出てから殺し屋としてコンビを組んで5年と言うんだからそんなもんだよな?お前は……幾つだ?そうか……25であの子を拾ってそれから10年だから35か。俺がいた世界じゃあ……それほど歳の差って訳でもなかったはずだぞ……15違いだろ?普通!)
(お前がいた世界と言うのが俺には分からん。今いるこの世界じゃあ、結婚相手は大抵親が決めた、幼馴染の許嫁か、容姿端麗なら金持ちの次男坊あたりだ。歳の差はせいぜい5歳くらいまでだ。)
(歳の差なんて本人たちの問題で、弥恵がお前がいいといえば、それでいい訳だろ?)
(そんな訳に行くか!世間体が……)
(ぷっ……世間体って……殺し屋風情が何気取ったこと言ってるんだ。お前がいる世間は、冷酷非情な殺人者の集団じゃないか。そんな荒れ果てた砂漠のような環境に咲いた、可憐な一輪の花……決めた!俺が指導してやる……そうして弥恵といい関係になろう。)
(ダメだ……これからはなるべく弥恵に近づかないようにするし、顔も見ないことにする。)
(ちぇっ……正気かよ……)
夜通し馬車が走る中、明け方近くまで攻撃魔法呪文を覚え、2時間ほど仮眠を取り食堂からもらった朝食の握り飯を食べ終わった頃、馬車の客車の窓の風景が原野から家々が建ち並ぶ街中のものに変わって来た。
首都周辺の衛星都市に差し掛かったものと見え、予定通り昼頃には首都の中央馬車ターミナルに到着するだろう。その間トイレ休憩がわずかに3度しかなく、特急並みの速さで帰って来た。
「あれ?直接斡旋所へ行くのじゃないの?先に家へ帰る……でもなし……まさか冒険者組合に用事ってわけでもないよね?どうしてこんなところで馬車を降りるの?予約の行き先がここだったわけ?」
馬車は首都中央区の中央馬車ターミナルの貸し切り乗り場へ到着したので、弥恵が怪訝そうな表情を見せる。朝食の握り飯をほおぼっている最中にも逸樹を睨みつけていたので、ようやく表情を変えわけだ。
「仕事の斡旋所へ向かうが、直接は向かわない。襲ってきたのは、別支部の連中だからな。人買い組織の黒幕が出席する祭事だなんてのも、真っ赤な嘘で罠だったからな。間違いなく組織が裏切ったんだ。理由を確かめるのと、当然ながら報復するために、こっそりと近づいて襲撃する。」
逸樹は近所へ買い物に行くとでも言うように、あくまでも冷静に告げながら馬車を降りた。
「へえ……通りで隠れ家のことを知りたがった訳だ……これまで稼いだお金を取り返そうなんて、せこいね。」
弥恵も続いて馬車を降りる。
「まさか……そんなケチな考えは持っていないと信じたいがね……」
御者には手だけで挨拶して、ターミナルを後にした。
組織の事務所は中央馬車ターミナルから3ブロック離れた地域の商店街の中の、旅行代理店の2階にある。遠方での殺しの依頼のために旅行鞄を下げて出入りする殺し屋たちの、いい隠れ蓑になっているようだ。勿論1階では一般の旅行客に対する宿の手配や、駅馬車の切符を取り扱っている。
「弥恵はここに居て、建物の非常階段から逃げてくる奴らを担当してくれ。殺してもいいが……眠らせておいた方が、俺たちを狙った訳を聞き出すことが出来る。」
「分った……じゃあ、1時間くらい眠らせるよう、薬を調整して矢じりに塗っておく。」
代理店脇の路地で、建物の側面に作られた鉄製の非常階段を見通せる位置に、弥恵を配置しておく。
(おい、何をやっている?)
逸樹は肩から下げているショルダーバッグの中から化粧道具のような鏡がついたケースを取り出し、ガサゴソと路地裏で作業を始めた。
(ああ……含み綿とメガネとカツラを使って変装している。襲ったのが俺とばれないようにな。)
(ああそうか……変装も商売道具と言うわけだな?)
変装を終えた逸樹は何げない様子で旅行代理店のドアを開け中の様子を伺うと、店内には数組の客が旅行の申し込みに来ていた。店の奥のデスクに位置する店長が逸樹の入店とほぼ同時に、電話の受話器を持ち上げた。
一瞬で逸樹がカウンターを乗り越えて奥へ行き、店長の背中にナイフを突き立てる。神脚だ……店内の客は誰一人、逸樹の動きに気づいてなく、商談を続けているようだ。
「受話器を置け……」
カウンターの向こう側の客には聞こえないような小声で、店長に告げる。勿論逸樹はさりげない笑顔で、店長も笑みを絶やさないように装っている。
観念したように店長がゆっくりと受話器を置くと、逸樹は素早く店長の両手を後ろに回し、客には気づかれないようさりげなく会話するふりをしながら、椅子に両手をデスクの上にあったガムテープで縛り上げた。
「声を出すな……このまま笑顔でいろ……下手な動きをしたらすぐにクナイが首に突き刺さるぞ。」
「わわわ……分かった……命だけは……助けてくれ!」
「俺だって、お前のような雑魚の命まで取ろうとは思っていない。静かにしていれば、明日からもこの店の営業は可能だ……あと1時間は従業員は、ここへ来させないようにして、お前は黙って座っていろ。いいな?」
店長はこっくりと頷く。殺しの斡旋業をやっている事は、1階では店長以外知っている者はいない。2名いる店員は、普通の旅行代理店と思って働いているだけだ。だから上をつぶしても下はそのまま営業も可能だ。
逸樹は店長が動かない事を確認しながら部屋奥のドアを開け、2階へ続く階段をゆっくりと上がって行った。
階段を上がった先のドアをゆっくりと音がしないように少しだけ開け中の様子を伺うと、声が聞こえてきた。ドアの向こう側へ漏れないよう気を付けているのか、こもったような小さな声だ。
「ああっ?卓司たちと連絡が取れないって言ったって、まだ1日しか経ってないだろ?山小屋で弥恵を白状させようと、頑張っていたんじゃあないのか?連れ歩くよりははるかに楽だからな。弥恵は女だが強情だし、なかなかアジトの在りかなんて吐かないだろうから、きつい拷問でもしているんじゃないのか?
それから予約した馬車に乗って帰るんじゃあ、恐らく今日の夕方以降になるだろ?麓の村じゃあ、電話は食堂にあるだけで、周りに話を聞かれるから使えないだろ?もう少し待っていれば帰ってくるよ。
あん?だって……逸樹は間違いなく始末したんだろ?なに?急所はかすった程度?それでも出血は多かったから、死んでるはずだ?…………じゃあいいじゃないか……何を心配している?
ああああ……分かっているよ、逸樹は親父が育てた中でも、一番の腕利きだったからな。だからと言って……殺しの腕は最高でも、不死身って訳じゃあないだろ?人は誰でも死ぬんだ……特に傷ついた体は、自分じゃあどうしようもならない。すぐに医者にでもかかれば別だがなあ……だろ?
そもそもだなあ……そんな腕利きを……なんでまた始末したんだ?こっちだって奴がいなくなったら、引き受けられる案件ががた減りだぜ?週2ノルマなんて課さないでくれよ……親父の独断で行ったことなんだからな。分かっているだろうな?
それに……こんな用事でもう30分以上もああだこうだと話してきて……この間に奴らが電話してきたところで、親父のところもこっちも話し中で電話が通じないじゃないか。向こうだって心配しているかもしれないぞ。今日の依頼分はないんだろ?だったら一旦切って、夕方になってもこなければ電話くれ。
こっちも暇じゃあないんだ……じゃあ切るぞ。」
受話器に手を添え、なるべく興奮しないよう声を押さえて話す中年男は、ようやく電話を終えてほっと息をついた。そうして目の前の大きな机の引き出しを開け、煙草のセットを取り出す。
目に見える所に置いてあると、吸い終わるとすぐに次に火をつけてしまうため、節煙のために引き出しの中にしまってあるのだ。キセルにタバコの葉を詰め、机の上に置いてある卓上火鉢の上で裏返して火種の上で火をつける。数回短く息を吸い込むと、うまく着火出来た様子だ。
男はうまそうにキセルを吸うと、ゆっくりと煙を吐き出した。
「誰だお前は……?うん?いい……逸樹……か?とと突然……入ってきて……しかも変装までして……どどど……どうしたんだ?ととと……苫小町での仕事は……かかかかたがついたんだな?あああ後金の……受け取り……か?はっ早かった……な?」
受話器を置いてからずっと俯き加減だった中年男は、いつの間にか部屋の中央に立っている男に気がつき、驚きのあまり言葉を詰まらせた。酒やけなのか、赤ら顔で額が広く目はぎらぎらとしていて、鼻は横に広く肉厚で口も大きめの顔は、縁日とかで売られる鬼の面を連想させた。
「ふん……さすが……お前の前では、こんな変装などすぐにばれてしまうな……苫小町では俺たちが標的の……罠だっただろ?……今もそう……話していたじゃないか……電話の相手は……親父殿だな?
そうだよな……親父殿でなければ、あんな仕事は……おかげでこっちは弥恵に裏切られたものと勘違いして……何があった?なんで俺たちを裏切った?」
逸樹は、ゆっくりと考え考え鬼顔の中年男に尋ねた。
「いっいや……俺がお前たちを裏切るはずはないじゃないか。親父だってそうだ……何か勘違いをしているぞ、そっそうだ……これから親父に電話をかけるから、直接話してみて……」
中年男が受話器に手を伸ばそうとするよりも早く、一歩踏み込んで逸樹は、中年男と電話の間に大きなナイフを突き立てた。
「ひいっ……。」
中年男は小さく悲鳴を上げながら、焦って伸ばした手を引っ込めた。
「道三よ……親父殿は首都南本部に戻っているのか?」
「あっああ……ほんの30分ほど前に戻ったところだ。本部に連絡が入っていないからって……俺のところへ掛けてきて……親父は心配性だからな……だが……まさか……お前が生きていたとはな……しかもピンピンして……親父も歳で……焼きが回ったようだな……。」
道三はがっくりとうなだれる。
「いや……前回の殺しはかなり厄介だったから、動きが悪くなるからと普段は着けない鎖帷子を、弥恵が心配してどうしても装備しろとうるさくて……仕方なく着けて行った。殺しはさほど難しくはなかったが、すぐに発覚して追手に取り囲まれた。何せ敵の縄張りの真っただ中での仕事だったからな。
敵の刃を寸前で躱したり矢を射かけられたりしたから、確かに役には立った……そうして次の依頼まで家へ立ち寄る余裕もなかったからな……ボロボロに斬られたシャツだけ変えて夜通し馬車で駆けて行って……そのまま現場だ。
おかげさまで命拾い……と言うことだけではないのだがな……まあ、用心に越したことはないという教訓さ。神脚を使う時は、衣服の空気抵抗ですら気になるくらいだが、身の安全には代えられないということだな……勉強になったよ。」
「そっそうか……それは幸いしたな……世話女房の……内助の功だな?そっ……それで……これから親父のところへ行くのか?」
「ああ……電話の内容じゃあ。お前は何も知らないようだからな……手下どもは、今日はいないのか?」
「そうだ……親父からは何も知らされていない。仕事の依頼も直接行っただろ?
うちのもんは……親父の手のものをお前たちの始末に回したもんで、手が足りないからと言われて、本部へ全員回した。だからこっちは空だ……」
「そうか……残念だったな……」
「いや……全員残っていたところで……お前と弥恵のコンビには敵わないさ……」
道三はふっと息を吐いた。