突入
19.突入
「分った……だが本当に俺の安全は確保してくれよ。裏切りやがったら、俺の仲間が黙ってないぞ。」
白髪頭のメガネ男は観念したように俯きながら、小声でジャックに告げた。
「ああ、呪いでもなんでもかければいいさ。だが俺は、約束は必ず守る。お前の証言の信ぴょう性にもよるけれどもな。正直に告白してくれたなら、お前を安全な場所で匿ってやるさ。」
ジャックは何度も頷きながら、やはり小声で告げる。最後列の麻薬の常習者にこちら側の会話が聞こえないよう、気を使っているのだろう。
「場所は大曲4丁目の……」
(すごいね、取り調べってこうやってやるんだ。)
(ああ、そうなんだろうな……俺も刑事ドラマとかでしか見たことがないが、観念して何もかも吐いちまえ!って怒鳴るだけかと思っていたが、匿ってやるから……とはな。身の安全は保障してやるから、おとなしく仲間を売れと言っているわけだ。それくらい組織の粛清が恐ろしいということなんだろうな。
捜査に協力したことでの酌量とか言って、罪もある程度軽くしてやるのだろうな……うまい事麻薬の輸入や生産に関わっている悪党を根こそぎ捕まえてしまえば、ただの密売人には売るものがなくなるからな……そう考えているのだろう。)
「よし、ここからすぐ近くに売人たちの元締めのアジトがあるようだ。こいつはそこと大通りを行き来して、常連客に通りすがりに薬を手渡ししていたというわけだ。官庁街からあらゆる方角へ売人を散らして商売しているようだから、かなり大きな組織のようだ。うまい事麻薬の精製場迄突き止められるとありがたいのだがな。
じゃあ、出発するぞ。場所は大曲4丁目裏の……」
ジャックは御者席側の窓を少し開けると、御者に行き先を指示した。
(そういえば御者はただの乗合馬車の御者なのか?そんな麻薬の密売人たちの巣に突っ込むというのに、大丈夫なのか?とはいえ……今ここでジャックに御者は大丈夫か?とは聞けないよな……)
(そういえばそうだね……後でさりげなく聞いてみようよ……)
大型の乗合馬車は一旦表通りに出てから2つほど交差点を越え、右へ曲がるとすぐ先の細い路地へと入って行き、50mほど先で停まった。
「ようし……お前たちはこの馬車の中でおとなしくしておけよ。下手に騒ぐと悪党どもが集まってくるからな。この辺りは銀行街だから、夕方5時を過ぎると人通りがほとんどない。銀行の中には警備員がたくさんいるが、外の通りには誰もいなくなってしまう。
だから夕方以降なら、頻繁に怪しげな密売人が出入りしていたとしても気づかれにくい。うまい事考えたもんだな……だが……テナントを借りるにしても信用審査とか、かなり厳しいはずなんだがな……やはり大物がバックについているというわけか……ふうっ。」
ジャックは大きくため息をつきながら、馬車を降りた。
(大物か……政府の上級役人とか大臣とか……だったら厄介だな。下手に中途半端に麻薬組織にダメージを与えると、今度はこっちが危なくなるかもしれない。殺し屋なんか雇われたりしてな……ここの組織が前回潰した人買い組織とつながっている可能性は十分あるからな、同じ地域だし……。
そうなると厄介だぞ……未だに黒幕が捕まっていないんだからな……連邦中にはびこる巨大組織なんだろ?)
(えっー?だだだ……大丈夫なの?)
(分らんが……こうなりゃ徹底的に踏み込むしかなさそうだぞ。最後の大物まで上げることが出来さえすれば、問題はないはずだ。さすがに今度こそ、組織を根こそぎ葬ることが出来るだろうからな。)
(わわわ……分かった……でもジャックはどうして、おいらを相棒に選んだのかな?こんな危険なクエストなのに……初級冒険者のおいらなんか……もっと経験豊富な冒険者の仲間がたくさんいるだろうに。)
(詳細は分からないが……ジャックの仲間たちに問題があるのだろうな。
さっきも言っていただろ?仲間使って手広く捜査しようとすると、どうしても情報漏れで売人が雲隠れしてしまうって。何度も失敗しているはずだ。それに懲りて今度は、以前からの仲間を一人も連れずに挑むわけだ……お前なら密売人とつるんでいるはずはないからな。まだ子供だがそれなりに戦えるしな。
権力と金さえあれば、人を懐柔するのはさほど難しい事ではないのかもしれない。それなりに信念を持って人生を送っていたとしてもだな……例えばギャンブル好きに潤沢な資金を提供してやるとか、女好きには絶世の美女を金で雇って送り込むとかだな……身持ちの硬くて真面目な奴でも弱みの一つくらい……。
例えば……そうだな……家族が……愛する娘が不治の病に侵されている……とかで、上級司祭を手配して祈祷してやる……とかかな?病人がいなければ、作ることだって出来る訳だろ?こんな世界なんだから呪いとか……そうなるともう……一度目を付けられたら逃れられないんじゃあないのか……?
だが……仲間を信じられないのは……辛いな……。)
(そうだね……分かった……おいら頑張るよ。ジャックにはずいぶんお世話になっているから、それに報いられるよう、頑張るよ。)
(いや……あまり頑張るな……と、敢えてここでは言っておく。俺が今ここでジャック側の事情を推察して説明したのは、その為だ。かなり危険を伴うクエストだ。身の危険を感じたなら、一目散に逃げろ!ジャックのことなんか放っておいて構わない、奴にだって覚悟はあるはずだからな。
お前は新人冒険者でしかもまだ子供だから、恐らく組織だって許してくれるはずだ。どこまでも追ってくるようなことはしないだろう……だから……危なくなったらすぐに指示するから、ダッシュで逃げるんだぞ!)
(えーっ?いやだよう……おいらもジャックと一緒に戦う……)
「おいっ!大丈夫か?ぼーっとして……この辻を通りに出た先が、奴らのアジトのすぐ横だ。ボケっとしていると、奴らに見つかってしまうぞ。」
心の声と議論しながらジャックの後をただ歩いていたら、立ち止まったジャックを追い抜きそうになり、ジャックが慌てて美都夫の右手を掴んで押しとどめた。
「あ……ああ……ご……ごめんなさい……」
「まあいいさ……密売人の殺されるだのと言っていた会話を聞いて、ビビっているのだろ?無理もない……魔物ひしめくダンジョン経験すらない新人冒険者だからな。しかも半年間の修業は全て地域貢献の、健全な肉体づくりのクエストのみ……だがなあ……ダンジョンの魔物たちより恐ろしいもの……分かるか?」
「えっ……狂暴な魔物よりも恐ろしいもの……?なんだろ……???」
「人間だ……人間が一番恐ろしい。魔物は人を襲うが、それはダンジョン内で自分たちの領域に入り込んだ場合のみだ。余程腹を空かせている場合は……遠くからでも獲物の匂いを嗅いで襲い掛かってくるけどな。
襲い掛かってくるときは向こうだって命懸けだから、目を血走らせ息も荒げてかかってくるわけだ。
だが……人間だけは……人を食うわけでも恨みがあるわけでもなしに……ただ殺そうとする場合がある。しかも……平然と表情を一つも変えずに……普通に呼吸するかのように……人を殺す。
そんな恐ろしい人間たちの……邪悪な心を持った人間たちの巣窟に、これから忍び込む。捕まえるのは、奴らの親玉ただ一人だ。ほかの奴らはどうでもいいが、先回りしてその先へ連絡されては困るから、動けないよう確保だけはしておきたい。一人も逃がすな。
売人の話では手下どもは大した連中ではないようだから、美都夫はそいつらだけを相手にするようにな……親玉とその周りの用心棒は、かなりの手練れと思われるから美都夫は絶対に手出しするな。俺一人で片づける。逃げようとする手下どもを拘束することにだけ専念しろ!分かったな?」
ジャックが細い路地の暗がりの中で、美都夫にアジトへ忍び込んでからの役割分担を告げる。
(ほら見ろ……ジャックはお前に危険な役割は、させたくないようだ。)
(でも……)
(でもも何もない、お前が怪我をして双葉を泣かせたら、ジャックが困るんだぞ!)
(分ったよ……)
「分った……ジャックの後から入って、出入り口をふさいでおくよ。奥まで入らない。」
「そうだ……じゃあよろしくな。」
ジャックは美都夫が物分かりがいいことに満足したのか、軽く頷くと裏通りを出て表通りを右に曲がった。
「この建物の3階の部屋だ。明りがついているから、売人たちは中にいるはずだ。中には今日の売り上げを勘定して納めている奴もいるだろうな。静かに中へ入って行くぞ。」
ジャックは木造3階建て建物を見上げ、3階の窓に明かりが灯っていることを確認すると、静かに入り口ドアを開けて中に入って行く。中は長い廊下になっていて、階段は奥になるようだ。足音を忍ばせながら廊下を歩いていく。廊下の左右はガラス窓になっていて、事務机などが並んでいる部屋の中が伺える。
1階の会社は勤務時間を過ぎているようで人影はなく、部屋に明かりはともっていないが外側の窓から差し込むわずかな明かりで、なんとなく様子が伺える程度だ。
廊下を渡り切り奥の階段を足音を立てないように1段ずつゆっくりと上がって行くと、2階の廊下の左右の部屋に明りはともっていない。1、2階共に借りている会社は勤務時間を終了しているようだ。
3階まで上がってようやく廊下の左側の部屋だけに、明かりが灯っているのが確認された。ここが麻薬の密売人たちのアジトとなるのだろう。
ジャックは身をかがめて部屋の窓の下を通り、部屋のドアのところまで辿り着いてから美都夫の方を見た。
(おいっ……俺たちも身を低くして、あのドアまで行かなくてはいけないんじゃないのか?)
(ああっ、そうか……)
美都夫が焦って、ほぼ四つん這いになってジャックのところまで駆けつける。長い錫杖は普段は背中側にさしているので、少々身をかがめても錫杖が突き出て目立ってしまうので、この体勢だ。
ジャックはドアまでたどり着いた美都夫と目を合わせた後、何も言わずに立ち上がった。
「麻薬取り締まりだ!神妙にお縄につけ!」
ドアを開けたままの勢いで数歩部屋の中へ駆け入ると、ジャックは大声で叫んでまた部屋の奥へと駆けて行った。
「手入れだ!ずらかれ!」
誰かが叫ぶと、一斉に人の流れがドアへ集中してきた。
(よしっ美都夫、このままドアの影に隠れていて、出てくる奴らを捕まえるぞ。床から50センチくらいの高さの位置に、錫杖を構えて待ち受けていろ。)
(うん、わかった)
美都夫が言われた通りに引き戸の扉の手前側から錫杖を手に待ち受けていると、すぐに手ごたえと大きな叫び声が上がる。
「いたたたっ、誰だ!こんなところに……あれ?お前……あいつの仲間か?」
逃げ出そうとして錫杖に足を取られ、思い切り床にたたきつけられた若い男が、目の前にしゃがみこんでいる美都夫を見つけて、怒鳴りかかってくる。
(みぞおちだ、錫杖でみぞおちをつけ!)
「ぐっ!」
すぐさま錫杖が相手のみぞおちに決まり、男が苦しそうにその場にうずくまる。
「てってめえ……何しやがる。」
一人倒して立ち上がった美都夫の大きさに、ビビるように後ろへ下がりながら男たちはなおも怒鳴り散らす。
部屋の奥の方ではジャックが4人の男たちと戦っているようだ。美都夫の前にはまだ6人の男たちがいるが、こちらは先ほどの白髪メガネ男同様に、体はなよっとしていて見た目で強さは感じられない。
威勢はいいが、戦い慣れている感じは受けないので、こちらの方が余裕がありそうだ。
(錫杖の反対側で腹をつけ!そうすれば一撃で倒せるだろう。絶対に頭は叩くなよ!死んじまったら大変だ。)
(分っているよ)
美都夫は錫杖をひっくり返し、持ち手側の平らな側で男たちの腹めがけて思い切り付いて行く。中には避けるものもいたので腹の横からなぎ倒したが、恐らくあばらを折ったりしてかえって重症となっただろう。
すぐさま鎮圧して、男たちを用意してきたロープで後ろ手に縛りあげていく。
「美都夫、避けろ!」
最後の男を拘束し終えたタイミングで、部屋の奥からジャックが叫び、慌てて美都夫が身をかがめて床に伏せると、上方を一陣の風が通り過ぎて行った。
「逃げられた!禁制の俊足を使っていやがる。俺はこいつらを縛り上げるから、美都夫、追ってくれ!捕まえなくてもいいから、見失うな!」
ジャックが続けざまに奥から叫ぶ。
(禁制の俊足……ってなんだ?)
(分らないけど……追うよ!)
美都夫はすぐさま起き上がると、廊下をかけて階段を勢いよく下りていく。長い階段を折り返して1階へ向かい、大通りへ出て左右を見るが人通りの少ない今の時間帯で、はるか遠くまで見通せるのだが人が駆けていく姿は見えない。
(いくら何でも、一瞬で通りのはるか向こうまで行くことは出来ないだろ。そうなると俺たちがやって来た細い路地だ。急げ)
すぐさま左へ回って路地へ回り込むと、はるか向こうに小さな動く影が見える。
(落とし穴は無理だ……遠すぎるし足も速いから、正確に足元を狙えそうもない。それよりもぬかるみだ。広範囲にぬかるみにできるか?)
(分った、やってみるよ。)
「安寧と安らぎを与える地の神よ、我らにその力を貸し与え、敵の足を留めよ……ぬかるみ!……ぬかるみ!……ぬかるみ!……ぬかるみ!」
駆けだした美都夫が、ぬかるみの呪文を続けざまに唱えると、遥か向こうの影の動きが止まったように見えた。
(ようし……ぬかるみに嵌ったぞ。後はもっと深くして、ひざ下まで埋めてしまえ。)
(分った……)
「安寧と安らぎを与える地の神よ、我らにその力を貸し与え、敵に更なる深みを与え賜え……底なし沼!」
美都夫が唱えると、止まっていた影の動きが途端にあわただしく左右に揺れだした。
(ようし……泥の沼に嵌り始めたぞ。近づいていくが距離を置いて止まれよ。炎系魔法の射程まではいったら、ジャックを待つんだ。何か武器を持って居たらまずいからな。)
(分った……逃げようとしたら、炎系魔法で脅すんだね?)