10話 二人の王女
プリシアこと〈アレクシア〉は、大急ぎでイルティムに向かっていた。
(な、なんで本物の婚約しているんですかっ!?)
馬車の中。隣に座るジョアンは、黒いドレスを握りながら眠っている。
揺れに小さく呻くと、プリシアはそっと ふわふわした金髪を撫で、優しく微笑みかけた
ジョアンはまだまだ甘えん坊。周囲から微笑ましい笑みに包まれるほど、プリシアにべったりとついて歩く。
自身こと〈アレクシア〉の身体は、十三歳の活発さについてゆけ、馬や剣術、山を散策するなど退屈しない時間を送っている。
そうしている内に、プリシアもすっかりと情が移ってしまった。
――僕は、男らしくなってアレクシア様を迎えたいです
偽りの夫ではなく、本物の夫として。
プロポーズとも呼べる言葉に、胸が熱くなるのを覚えてしまう。
マダン国を出てから四日。いよいよ故郷の城が見え始めると、身体が戻らなかったらそれもいいか、なんて考えもした。……が、そのような浮かれた考えも城に入るまで。
「これは、いったい……っ」
イルティムの城内、いやその空気は随分と様変わりしているのを前に、プリシアは茫然となった。
作業にあたる者たちは少なからず、城勤めに対する誇りと毅然とした態度があったはず。なのに帰ってきてみれば、それが消え失せているではないか。
業務中の者たちに律したものがなく、まるで競い合うかのように動き回る。かつての横暴と醜態のためか〈アレクシア〉の立ち位置は低いものの、まがいにも客人に対して、いやらしい目を向ける不届き者すらいるほどだ。
「――プリシア様」
声のした方を向けば、そこには恰幅のいいメイドが。
「サマンサっ、ああ、お久しぶり……」
「プリシア様。再会の喜びはあとに……城内の様子に気づかれましたか?」
ええ、と頷く。
「あそこの階段下に腰掛けている殿方らは、みな家臣のご子息ですよね?」
「ええ。今やお嬢様の親衛隊です」
「んな゛ッ!?」
「メイドたちが何名か、餌にされてます」
アレクシアはここでも親衛隊なるハーレムを作っていたのか。
いやそれよりも、自分の身体で何を、と焦りが生じてしまう。
「そして、マイルズ家が滅びました」
「……え?」
「謀がバレたのです。共謀していたトーリシア家を攻め、支配したのはいいものの、すぐさま両隣の国からブスリと。家族だけはイルティムに残りましたが、身の保障は正直なところ……」
プリシアは頭痛を覚え、隣にいたジョアンが心配そうに見上げる。
他に話を聞いても、どれも信じられないようなことばかりだ。
(私は裁縫や絵描き、読書とかに留めていたと言うのに……)
しかし、そんなことよりも〈身体〉が結婚することが問題だ。
『プリシア様もまんざらでもなさそうだ』
『羨ましい。あの器量なら、男は一生手放さないだろう』
『何よりトーラスの東領を、まるまる手中に収めるのだからな。あちらの国でも大ごとになっているようだ。国を大きく分断し、内乱が起こるぞ』
今、こうしているだけでも結婚についての噂が聞こえてくる。
トーラスは一枚岩ではない。攻め落としたがっていた〈アレクシア〉はそこを突き、内部から瓦解させようと企てていることは推察できた。
しかし、本人の承諾な結婚――もう戦争の引き金を引くのはゴメンだ。
サマンサにジョアンを応接間に案内するように告げ、自身は〈プリシア〉がいるであろう自室へと駆け向かった。
(よく考えると、私は城の一区画・一部分しか知らなかったのですね)
部屋は城の奥・王女の道にある。
勝手知ったる道ではあるが、新鮮味の方が強い。
「――これはアレクシア様。応接間は反対側ですよ」
正面から来たメイドに、やんわりと来る場所ではないと告げられる。
どうして自分の居室なのに。それでもゆこうとすると、
「申し訳ありませんが、これ以上の侵入は許可できません。お戻りください」
「ごめんなさい、サシャ。ちょっと用があるの」
「なりません。プリシア様はいま裏の庭にいますので、部外者は遠慮してください」
睨み、道を阻む。さっと横を抜けようとするも、素早く阻む。
確かに王族の区画は、いかなる者に対しても自国側の主張が優先される。
しかしこれは、アレクシアをまるで恐れていない威圧の態度だった。
(いったい、どうしたと言うのでしょう。客人にこのような)
ふとその時、サマンサの言葉を思い出す。
――メイドたちが何名か、餌にされてます
まさか、彼女はその一人なのか。
親衛隊と言えば王女の側近、上から数えた方が早い。
つまりは彼らのお気に入りであれば、メイドであってもほぼ同位置の立場になれる。
親衛隊、メイド……と、これまでの実績・家名を飛ばし、地位を与えればどうなるのか。親衛隊はメイドを飼い、そのメイドは仲間から持てはやされ、更に下の者は気に入られることに努めるだろう。
贈賄などによる不正の横行、不実な仕事を招きかねない。
――人欲の繰り糸
川を越え縦横に張られた線は、蜘蛛の網の如く。
中央に座す〈女王蜘蛛〉が力を得る、悪のカリスマを備える彼女だからこそ成し得られる侵略。イルティムの真の女王・プリシアとして、これを何とかして止めねばならない。
「サシャ。道を譲ってください」
「馴れ馴れしく呼ばないで頂きたい」
「そのような応対、教えた覚えはありません」
「はん。貴女から教わった覚えはありませんよ」
はぁ、とプリシアは息を吐く。
「――貴女は半年前、王家の皿を割りましたね」
「え……」
「懲戒だけでは済まない。青ざめ、震えているところ、誰に庇ってもらいましたか」
サシャと呼ばれたメイドは狼狽しながら、よろよろ。
そう、庇ったのは自分なのである。
「その態度は、私――いえ、プリシア様に泥を塗るもの。改めなさい」
「ふ、ふんっ! そんなの、アンタが言うことか。証拠もないし」
「ありますよ」
「え?」
「暖炉の底が仕掛けになっていて、そこに仕舞ってあります。テューバ王がお探しになった際、割ってしまったと渡すために」
「ま、まさか……」
「信用できないなら、取りにゆきましょう」
メイドのサシャは、声にならない声をあげ、走った。
プリシアも「あっ」と駆け出す。〈アレクシア〉の身体は、身体能力が高いため、普段運動していないメイドに追いつくのは容易い。腰のリボンをぐっと掴み、引っ張れば、サシャは悲鳴をあげて廊下に転がった。
今のうちに。プリシアは自身の部屋へと飛び込むと――
「な、何ですかこれッ!?」
部屋は金銀の財宝多く、数多の派手なドレスが並んでいるではないか。
いやそれよりも、部屋の中央に置かれている黒紫のドレスは何だ。
「まさかこれ」
「――どいてッ、証拠を証拠を隠滅しないと……ッ」
「サシャ、答えなさい。このドレスは何ですか」
「うるさいッ、プリシア様がトーレスの王子様との挙式で着るドレスだよッ」
やはり彼女は、この国を完全に支配するつもりだ。
冷遇された王族の妻・王座奪還の立役者ともなれば、名と存在感を確固たるものとなる。
(せ、せめて婚礼だけでも止めさせねば……)
考えるよりも早く。プリシアはドレスを掴み、駆けだした。
メイドのサシャが「あッ」と声をあげて立ち上がろうとするも、証拠とドレス、どちらを選ぶか迷うように交互を見比べる。
『誰かッ、誰かーッ! アレクシアがプリシア様のドレスを盗んだわーッ!』
背後からサシャの声が追いかける。
本当は証拠も、暖炉の仕掛けなんてない。彼女のわずかな躊躇が、プリシアに逃げる時間を与えた。
(こ、こうなった以上、サシャは解雇に、関わった親衛隊もそれを理由に解散させましょう……! それと、人事も洗い直して――)
窃盗を聞きつけ、ぞろぞろメイドや使用人が追いかけるのに、考えることは城のことであった。
この〈アレクシア〉の足は速く、狭い廊下を右に左に。階段を五段残して飛び越えることにも躊躇せず、軽々と石策すらも跨ぎ越えられた。
裏の庭なら王女の区を抜け、連絡路を通ればすぐだ。
黒紫のドレスを引きずりながら、後ろに追っ手を引きずりながら。いよいよ連絡路に入ろうとした、その矢先――
「あうッ!?」「あがッ!?」
プリシアの目に火花が散った。
ガツンと鈍い音がしたと分かったのは、その直後のこと。
遅れて、額からじいんと痛みが広がってゆく。
――誰かとぶつかった
そうと分かったものの、目に涙を浮かべうずくまったまま動けない。
「み゛ゅ゛う゛ぅぅぅ~……」
「ど、どこ見て歩いてるんですの……ッ」
その罵声に、覚えがあった。
「ま、まさか、アレクシア様……?」
「そうよっ! あ、うぅ、このナメクジ頭ホント軟弱……」
プリシアを睨みながら、アレクシアは言う。
正面から迫る追っ手に気づき、プリシアは立ち上がろうとしたものの、
「プリシア様ッ、大丈夫ですか!? ――またも貴様ッ」
「……は? ちょ、ちょっと何ですの、貴方たちッ!?」
追っ手は何と、正面にいたアレクシアを掴んだのである。
「プリシア様の婚礼のドレスを盗むどころか、またプリシア様に怪我を負わせる。いくらマダンの娘と言えど、懲罰は逃れられんぞッ」
「はァ? ドレスってなに……てこれ、私が作らせたやつでありませんの? あれ、私なんでこんなの持って……?」
「おのれ、この期に及んでなお――」
プリシアは「ドレス?」と首を傾げた。
それは小脇に担いでいたはずなのに。そしてまた涙で滲む目には、どうして赤い乗馬服の裾と白いパンツが映っているのだろう。黒いドレスを着てきたはずなのに、どうして正面にいる彼女がそれを着ているのだろう。
顔を上げてみれば、ちょうど彼女と目があった。
「――あ、あああああッ!?」
「あ、アレクシア様ッ、も、もも、戻って……ッ!?」
互いに指差し合い、そして身体を確かめ合う。
少し日に焼けたものの、まさしく自分の身体・プリシアのものだ。
まさか、と声をあげるそこに、
「――どうしたっ、娘に何があった」
騒動を聞きつけ慌てる父母が。
それに遅れて、ジョアンと長身の無骨そうな男・シュナウザーがやってくる。
「い、いったいどうしたのです」
母が問えば、
「も、戻りましたッ、身体が戻りました……」
プリシアの言葉に、彼女の父母は目を瞠った。
「ちょ、ちょっと何で、何で今ですの!? よりにもよってこのタイミングで……!」
「も、戻ってよかったです。このままだと結婚させ――」
「よくないッ! マズい状況になってしまいますわッ!?」
「マズい?」
「それぞれ、相手が誰ですのッ」
プリシアは父母の後ろにいる、事情を知らぬ二人を認めた。
怪訝そうな顔をしている、長身で無骨そうな男。
不安そうにアレクシアを見つめる、幼い顔立ちの少年。
それぞれ結婚を考えた相手だが、元に戻った今、誰が誰と結ばれるのか。真っ暗な虚無の闇の奥底から、とんでもない事実が浮かび上がってくる。
『貴女、シュナウザーと結婚なさい。それですべて丸く収まりますわ』
『い、嫌ですよっ!? まるでタイプじゃありません』
『私だってあんなガキ嫌よっ!? ていうか、贅沢言えないじゃないの『私たち入れ替わってましたあ。この話はなしね』なんて言ったら、全面戦争よ!?』
『じゃあ何でがっつり婚約したんですかあ!? 私はそうならないように偽婚にしましたのにいー!?』
『ハメられたかったのよっ、誰だって逞しい男に組み敷かれてアンアン言いたいでしょうがっ』
無茶苦茶ですう、とプリシアは嘆く。
そして二人で、長身の男を少年に目を向ける。
「……もしなんですけど」
「……相手、それぞれ交換して結婚しましょう、はOK?」
男たちは『何を言ってるんだ』との顔をした。
『あれはNOですわね』
『絶対にダメですね』
うーむ、と二人でもう一度確かめ、そして頷き合う。
そこに父・ティンバー王が、まさかと冷や汗を浮かべながら、訊ねた。
「お二人がた、結婚はどうするつもりで……?」
二人の娘はがっくり肩を落とした。
「「婚約破棄します」わ……」
健康な身体と健全な精神。
この先に待ち受けるであろう戦争は、互いに無いものを望み合った代償か。
――また頭をぶつけたら入れ替わるかしら
二人の娘はそんなことを考え、大きなため息を吐くのだった。
※短編のためあっという間でしたが
読んで頂きありがとうございましたm(_ _)m




