第23話 不思議な夢の続き(2)
それは、愛しくも恋しい記憶。帰りたいが決して帰れない翔太が一番幸せだったときの記憶。
翔太は今、心菜に連れられ昼食をとりに、ファミリーレストランへ行く途中だ。柚希が〇〇の左手を翔太が右手を繋いでいる。〇〇は超御機嫌で終始はしゃいでいる。水たまりが前方にあると、翔太と柚希に持ち上げてもらう。何がそれほど刺激するのかわからないが、その事実に〇〇は大興奮だ。キャッキャッとはしゃいでいる。ついに、〇〇が水たまりに落ちて、柚希に水が壮絶に跳ね、服が泥だらけになってしまった。案の定、柚希は真赤になって怒るが何のそのだ。柚希も諦めたように溜息を大きく吐く。
ファミレスにつき席に案内されるが〇〇は中々座らない。翔太の手を握ったままだ。翔太が先に座れという事だろう。〇〇はいつも翔太の隣に座る。一度心菜の隣になったときには一日中、ツンとして口を聞いてくれなかった。そんな翔太に懐いてくるところも反則的に可愛いわけであるが……。
柚希は肩を竦めると、心菜の隣にすわった。翔太と〇〇の様子をみて柚希の機嫌がすこぶる悪くなっている。おそらく今日一日直る事はあるまい。幼い〇〇に対抗意識を燃やしてどうするのだろうか。我が姉ながら困ったものである。
心菜が何を頼むのか聞いて来る。もちろん、〇〇の答えは決まっている。『クリームソーダ』だ。心菜にご飯を食べてからといわれてシュンとしてしまったので、頭を撫でて慰める。単純な〇〇は直ぐに元気になって足をバタバタさせている。
〇〇は口にお子様ランチを放り込むように――いや、実際に放り込んで、ゴホゴホとむせかえっている。背中を摩ってやるが、涙目になってしまっていた。まあ、自業自得ではあるのだが。
『早く! 早く!』と〇〇に急かされて、心菜はその様子に呆れながらもウエイトレスに『クリームソーダ』を注文する。
テーブルの前に出された『クリームソーダ』を見て目を輝かせる〇〇。実に単純だ。目を嬉しくてたまらないというようにキラキラ光らせながら、口にアイスを入れる。
そんな微笑ましい〇〇を見ていたら、〇〇が翔太の視線に気付きアイスの乗ったスプーンを翔太に向けて来る。食べろという事だろう。柚希が悪鬼のごとき形相で翔太を睨むが、それをスルーしつつ、〇〇に頷いて口に入れる。ソーダ独特のジュワッという感触とアイスの甘味が口を刺激する。ありがとうと言って、〇〇の頭を再度撫でると、嬉しそうに猫のように目を細めていた。同時に柚希の靴の爪先が翔太の脛に突き刺さって殊の外痛い。
〇〇は食べてご満悦で、翔太に寄りかかって来る。おそらく眠くなったのだろう。こうした様子は本当に小動物だ。寄りかかる〇〇の重さの心地よさと〇〇の眠そうな顔に頬を思わず綻ばせる。
そして、至福のときにも終わりが来た。霧のように消え失せる幸せを掴もうと必死で手を伸ばす。だがこれはマッチ売りの少女のマッチの炎のようなものだ。所詮は仮初、魔法が解ければすぐにでも崩れ去る。全てを失った翔太に戻る。
そう。現実という名の残酷な世界へ……。
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翔太は叫び声を上げながらも意識を取り戻して行く。瞼を開けるが、今日も涙で顔がグシャグシャで前がみえない。再び瞼を閉じ溢れかえる涙を抑える。
もう嫌だ。なぜ、こんな夢を毎日のようにみる? みるたびに翔太の弱い心が押しつぶされ、引き裂かれる。もう翔太の心はまるで血抜きをしたようにカラカラだ。このままでは本当に壊れてしまう。この訳の分からない夢についてもっと真剣に考えるべきだ。翔太が正気を失う前に。
涙で遮られた視界が開けて行く。加えて、朝の光の眩しさにも目がやっと慣れてきた。そこには……。
「……っ!!?」
唐突過ぎて事情が飲み込めない翔太は著しく混乱する。今まで渦巻いていた強い絶望も何処か遠くに一瞬で吹き飛んしまう。
お互いの息がかかりそうな近距離で、途轍もなく美しい女性が心配そうに翔太の顔を覗き込んでいたからだ。それは翔太がとても良く知る女性――受付嬢ヴァージルだった。
(ヴァ、ヴァージルさん? 何で僕の部屋にいるの? それに……)
ヴァージルの鼻先と翔太の鼻先が僅かに接触している。加えて、翔太とヴァージルの身体は密着しており、お互い強く抱きしめあっている格好となっていた。
翔太は状況を理解できずただ呆然とヴァージルの綺麗な顔を見ていた。ヴァージルは顔を紅色一色に染めて翔太を上目使いで見つめて来る。その表情がツインテールにした髪とこの上なく似合っており、言葉もなく見惚れていると、翔太の唇に柔らかな感触があった。
(え? え?)
それがヴァージルの唇だと分かったとき、翔太の思考は完全に停止した。暫らく間、金縛りにあったように身動き一つとれなかったが、徐々に今まで抑え付けてきたヴァージルに対する激しい愛しさが込み上げてくる。もうこの行為を止められない。止めようとする考えが浮かばない。ヴァージルの舌と翔太の舌が絡み合う。ヴァージルの翔太の背中に当てた両手に力が入る。
翔太も積極的にヴァージルの唇を求め奪い合う。何度も、何度も…………。
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翔太とヴァージルは裸で毛布にくるまっていた。ヴァージルは翔太の胸に顔押し付けて強く抱き付いてきている。ヴァージルは今までの行為を思い出したのか体中真っ赤だ。翔太と目すら合わせず、ショウタの胸に視線を固定している。
翔太も同様で緊張で身動き一つする事ができない。ただ例外的に、いつもの癖である頭撫でスキルを無意識に発動させていた。
だが、翔太の今の状態もそれだけ冷静になったという事だろう。ほんの少し前までは、ヴァージルの愛しさだけがあり、恥ずかしさや緊張など微塵も感じられなかったのだから。
同時に冷静になったことで、何ということをしてしまったのだという思いが翔太の身を焦がしていた。全く事情を読み込めないまま自分にある強い思いに突き動かされて、ヴァージルと身体を重ねてしまった。
確かにヴァージルは翔太を好きなのだろう。確かに今の状況は不可解ではあるがそれでもヴァージルに翔太に対する強い好意がなければ決してこんな関係にはならなかった。ヴァージルは好きでもない男と体を重ねたりするような女性ではない。それくらいは恋愛経験が皆無の翔太にも明確に断言できる。
しかし、同時にこの翔太の行為は以前のキスとはわけが違う。オットーに対する最大の裏切り行為だ。まあキスでも十分すぎるくらいオットーを裏切ってはいるのだが……。
ヴァージルが翔太の顔に視線を向け、躊躇いがちにも言葉を発し始める。それはたどたどしくて要領は全く得られなかったけど、翔太を狂わせるには十分だった。翔太は自らから湧き上がるヴァージルに対する愛しさを必死で封じ込め、ヴァージルの言葉に耳を傾ける。
「ショウタさん。急に部屋までおしかけて……ごめんなさい。昨日、支部長から突然自室待機を命じられておかしいと思って……ギルドへ行ったんです。そうしたら、冒険者でギルドハウスが一杯で……、ネリーに聞いたら魔の森上空に神様が出たとかでギルド中が大騒ぎになっていて……。
私……またショウタさんがそれに関わっていると思って……。それで……心配で……それで……」
今日のヴァージルは翔太を狂わせる天才だ。湧き上がる制御し得ない感情に動かされ、ヴァージルを抱きしめその唇を奪う。
再びお互い長いキスをした後で、唇を離し言葉を発する。もう、これ以上こうしているわけにはいかない。このままではまた過ちを重ねてしまう。それは御免だ。どのみち最低なのだ。どうせ最低ならとことん最低になってやる。
「ありがとう。ヴァージルさん。心配していただいて僕、嬉しいです」
目も合わせず、それだけ言いヴァージルから素早く離れいつもの黒色の上下の服を着る。もちろん、ヴァージルにも服を着るように促すためだ。ヴァージルはその翔太の素っ気無い様子に明らかに動揺しているようであったが、すぐに衣服を身に着ける。
「あ、あのショウタさん? 私……何かショウタさんの気に障る事……しましたか?」
恐る恐る尋ねてくるヴァージルの様子に罪悪感が湧き上がる。だが、これ以上一緒にいれば間違いなくまた自分を制御できなくなる。大分前から気付かぬうちにヴァージルは今の翔太にとって大切な存在となっている。もしかしたら、日葵以上かもしれない。何もかも捨ててしまおうと思うくらいに……。
まだ、日葵、柚希、雪を地球に返していない。何もかも捨てる事だけは出来ないのだ。
「いえ、そんな事ありませんよ。
僕、今から用事があるので、この部屋を出ますが、お疲れのようなら暫らくいてもらっても結構です。どうせ盗まれるものもありませんから、部屋を出る際にも鍵はかけなくてもいいです」
それだけ伝えるとヴァージルを見もせずに部屋のドアに向かって歩き出す。
「ショ、ショウタぁ、待っ――!!」
ヴァージルの悲鳴にも似た言葉が終らないうちに、バタンとドアを閉める。
(僕はいつも自分の事ばかり。本当最低だ。最低の屑野郎だ……)
自らに命一杯の罵声を浴びせかけながらも、逃げ出すように宿屋キャメロンを出る。
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エルドベルグのメインストリートを歩いている。目的は沈んだ気分を転換することと、少し頭を整理しようと思ったからだ。
まず、魔の森深域探索について。今は中域の怪物出没のため魔の森の立ち入りが禁止されているはずだ。解除は未定。翔太は仮に解除されなくても、一人で探索に行こうと思っていた。だが、昨日の晩、魔の森上空に神が出たとヴァージルが言っていた。この言葉が真実なら、翔太も当分の間、魔の森探索は控えねばならない。今の翔太の引きのよさなら神がいれば確実にエンカウントする。しかもただの神のはずがない。いかれた強さの神だろう。中域の怪物ならともかく、神など逃げようもあるまい。魔の森の立ち入り禁止はとかれるまで魔の森探索は自重した方が良さそうだ。
次が、ラシェルの武器の作成の件だ。ラシェルの武器は【憤怒】のような無茶はできない。
無茶をしてラシェルの身を危険に晒したら本末転倒だからだ。素材が手に入れられない以上、最悪【超越級レベル2】で済ますしかない。身の安全は別の方法を考えることにする。
兎も角、いつ魔の森の立ち入り禁止が解除されるかが分からない。デリックに一度、詳しい事情の説明を求めるべきだ。ラシェルの件だと言えば、デリックも翔太と会ってくれるだろう。ギルドハウスに向かうとしよう。
ギルドハウス内は思った以上にガラガラだった。もう、午前9時過ぎだ。普段ならすでに今日のクエストを受けようとする冒険者で溢れかえっているはずである。心なしかギルド職員も疲れに疲れている様子だ。
ネリーに近づくが、彼女は目の下にクマをつくり、今すぐにでもぶっ倒れそうなほどやつれている。ブツブツと独り言を呟き、はっきり言って気持ちが悪い。
(や、やっと終わった。魔の森中域の神様? そんなの私が知るはずないじゃない? いい大人がビビりやがって。それでも冒険者かってのよ!
それに、なんでこんな時にヴァージルがいないのよ。ヴァージルがいれば、冒険者達もかなり落ち着くのに……まったく厄日だわ。ああ!! もう限界よぉ~~!)
とんでもなく声はかけにくい。だが、いつまでもこうしているわけにもいくまい。
「あ、あの~~、ネリーさん?」
「あぁ? 何か御用で?」
完璧に目が座った状態で、視線を翔太に向けてくる。表情が著しく歪んでおり、口調もどう考えてもいつものネリーではない。というか受付嬢の言葉ですらない。
「デ、デリックさんに合いたいんですが?」
「はい。はい。わかりましたよ。でも遅いです。遅いですよ。もっと早く来ていただければ……」
ブツブツ再び呟き始める。狂う一歩手前のような状態だ。兎も角も怖すぎる。
ネリーは付いて来るようなジェスチャーを無言でして歩き始めてしまった。無論、歩きながら終始呟いていたが……。
支部長室へ着くと……。
ドン! ドン!
あり得ない程乱暴にドアを叩くネリー。本当にどうかしてしまったようだ。
「ショウタ様を連れて参りました」
『ご苦労』というデリックの声を聞かずに、ドアの外へ出て行ってしまった。あまりのネリーの変貌ぶりに呆気にとられつつ、デリックのいる応接間に向かう。
デリックはソファーに腰をかけて、多量の書類の前でウンウン唸っていた。翔太が応接間へ来ると視線を上げる。ネリーと同様、ゲッソリとやつれている。
「ショウタか、今日はどうした?」
単刀直入に聞いて来る。ネリーと違い、いつものデリックだ。少し安心する。ギルド職員全員がネリーのようにゾンビ化していたら、目も当てられない。
「魔の森中域に神様が出没したと聞きまして……あと、魔の森の立ち入り禁止令はいつ解けるのでしょうか?」
「すべてが解決した。神様も中域の怪物ももう出没しない。もう魔の森の立ち入り禁止も解けている。好きなだけ魔の森を探索してよろしい。どんどんやってくれ!
もっとも、探索する場所が残っていれの話だがな……フフフフ…………」
デリックは顔に乾いた笑いを張り付かせ、ネリー同様、口から呟きを垂れ流す。
「デリックさん?」
(大体、今回の騒動、全てあの二人のせいじゃねぇか。性格と行動が破綻している一方はともかく、ビフレスト王家も自分の餓鬼くらいちゃんと手綱握っておけってんだ。ただでさえ忙しいのに、傍迷惑な事この上ない。
もう俺、マジで支部長辞めようかな。退職金貰って田舎で、野菜の栽培でも始めっかぁ? それもいいかもなぁ~~)
(……駄目だ。冷静に見えるのは見かけだけだ。デリックさんもゾンビ化してる。一体何があったの? ……これ以上聞いても時間の無駄だよね)
「デリックさん。教えてくれてありがとうございます。僕もう帰りますね」
「ああ、どんどん帰っちゃってくれ。フフフ……」
(こ、これヤバイよね? でも僕にどうしょうもないし…………放っておこう。そのうちデリックさんなら戻ってきてくれるよ。多分――)
デリックが不思議な世界に旅立ったままでいるときのため、一応、南無と合掌をして、支部長室を後にした。
1階ロビーに行くとヴァージルと鉢合わせした。ヴァージルは必死の形相で翔太に何かを伝えようとして来る。いつもならば、そのヴァージルの態度の異常にほとんどの者が気づいていただろう。だが、今日は冒険者もほとんどいない。何より、ギルド職員は例外なくゾンビ化しており、ヴァージルの変化に誰も気付かない。
翔太はヴァージルに軽く礼をして其の脇を無言で通り過ぎる。
二度とヴァージルと関わってはならない。ヴァージルにはオットーという翔太とは比較にならない程の相応しい男性がいる。地球に帰るかもしれない翔太とこれ以上関わっては、ヴァージルのためにならない。そのような卑怯で自分勝手な理論を構築し、自分を正当化し、ギルドハウスを後にする。
勿論そんなのは大嘘だ。本心は段々ヴァージルに夢中なる自分が怖かっただけだ。夢中になって、この世界に残る事を選択する。それどころか、日葵や、柚希や雪を見捨て、ラシェルの事まで放置して今の幸せにのめり込むのではないか。そう思ってしまったから……。
背後からヴァージルの嗚咽が聞こえる。もう頭がグチャグチャだ。卑怯な自分に対する強烈な嫌悪感しか湧いてこない。