第一章 「雷(いかづち)の娘」 八話
泊瀬の大王は、妃こそ数多く召していたが、あまり御子には恵まれていなかった。
それも皇子となると、長子・磐城と次子・星川、そして第三子白髪の三人しかいない。
白髪の皇子の母は、葛城の韓媛である。
葛城は、大和にある古い豪族の一つで、かつては吉備に負けぬほどの勢力を誇っていた。だが大和領内の度重なる勢力争いの果て、今では昔の勢いをなくしてしまっている。
更に、問題は皇子本人にも数多くあった。白髪の皇子は、生まれついての極端な虚弱体質で、常に何かしらの病気を抱えており、まわりの者からまともには育つまいと思われていた。しかも、その名の示す通り、皇子は奇形児だったのである。赤子の時から皇子の髪は白く、その目は赤みがかっていた。宮廷の人々は白髪の皇子を疎み、側に近づこうとはしなかった。つまり彼は、始めから日継の候補として考えられてはいなかったのである。
数に上がっていたのは、長子と次子である二人の皇子。どちらも吉備系だ。
「前から話は出ていたが、今度正式に決まった。急なことだが、大和で祝いの宴が開かれる。ところが、それが間の悪いことに、神事と日程が重なってな……」
建加夜彦は、疲れたように嘆息した。
「吉備五氏族の王のうち、年寄りどもは皆神事を優先させると言って譲らなかった。確かに吉備にとって、神事に王族が連ならないという事態は、ありえてはならんことだ。……しかし、宴に欠席するわけにもいかん。なにしろ、吉備系の日継の祝いだ。そこで話し合いの結果、俺と波久岐王が宴に顔を出し、残りの年寄りが神事に出ることになった」
「そうなの……」
斐比伎は口元を押さえながら呟いた。
(ここ数日、父様が里を留守にしてらしたのは、その為だったのね)
父の話を頭の中で反芻しながら、斐比伎はそう理解した。大和の情勢やら、吉備の事情やら、急に聞かされてなんだか混乱してしまうが……自分が単純に「神事に参加できない」と怒っていた一方で、上のほうは結構大変な事態になっていたようだった。
「……まあ、何にせよ、めでたい事には変わりない。折角の祝いの宴に、男達だけというのでは華がなくてつまらんのでな。俺も波久岐の王も、それぞれ姫を連れていく事にした」
「それじゃ私、父様と大和へ行くのね!」
全てを理解した斐比伎の顔が一気に輝いた。
「だから始めからそうだと言っているだろう」
言って、建加夜彦は喜ぶ娘の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「凄い! 私、吉備の国外に出るのは初めてよ! 父様と旅をするのも。すごい、すごいわ!」
斐比伎は手放しではしゃいだ。
彼女は普段、吉備ほどすばらしい国はないと思っている。豊かだし、進んでいるし、「都」である大和であっても、きっと吉備にはかなわないだろうと考えていた。
だが、一度も見たことのない国へ行くというのは、また別の喜びだ。しかも、大好きな父の供をしての旅である。これ程興奮することがあるだろうか?
「宴には、豊葦原中からあらゆる国々の王や王子、姫達がやってくる。その中で、お前は吉備加夜族の姫として、正式に披露されるんだ。神事に出るより、よほどいいぞ」
「ええ父様! もう神事なんてどうだっていいわ」
「まったく、立ち直りの早い奴だ。先刻まで、あんなに怒ったり落ち込んだりしていた癖に」
喜ぶ娘を見ながら、建加夜彦は苦笑した。
「まあ、そういうわけでな。近いうちに出立となる。色々と準備が慌ただしくなるだろうから、お前もそのつもりでいるように」
「はい、父様!」
笑顔で返事を返す斐比伎の頭をポンポンと叩くと、建加夜彦は腰を上げ、そのまま室から出ていった。




