最終章 「絆を絶つ者」 一話
既に何年も前に完成しており、自サイトなどに掲載している長編を、少しずつ分割しながら連載投稿しています。
前作「月傾く淡海」よりは、ややライトなテイスト(ラノベより)で、恋愛要素もあります。
全五章で、一章が約十話前後です。
一話の長さにはばらつきがあります。
一度アナログで作ったデータをデジタル変換した際に、一部改行に不具合が出た部分があります。
漆黒に塗られていた大和の空が、少しずつ色を変えていく。
濃紺から群青。そして薄紫へ……。
なだらかな山々の上で、天空は徐々に明るさを増していった。夜明けが近い。--まもなく、神聖な朝日が昇るだろう。
大王の広い宮殿を取り囲んだ高い外塀の上に、斐比伎は音も無く降り立った。
傍らに、若日子建が浮かぶ。
『……今回の吉備攻略に関する全ての指揮をとっているのは、日嗣である磐城の皇子だ。彼を倒さぬ限り、この戦いは終わらぬ』
「--そう」
斐比伎は宮殿を見下ろしながら言った。
袴を履いて男装したその姿は、清冽で凛然とした少年神を思わせる。
「……どうやって、磐城のところまで行く?また転移するか?」
斐比伎の肩に乗った少彦名が訪ねた。
「--必要ないわ、そんなこと」
斐比伎は、髪にさしていた翡翠の柄を抜いた。結い上げていた黒髪が解け落ち、早朝の風になびく。
「出て来ざるを得ないようにしてやるわよ」
斐比伎は腕を伸ばし、布都御魂剣を高く掲げた。
玻璃のごとき刀身が出現する。
山の端から姿を現した朝日の光を浴び、布都御魂剣は神々しく煌めいた。
斐比伎は目を閉じ、己の中の神力を高めた。気の流れを指先に集中し、力を剣に溜める。
「--行けっっ!」
叫びながら、斐比伎は布都御魂剣を振り下ろした。
剣から発せられた激しい雷撃が、宮殿を直撃する。
落雷を受けた宮殿は、轟音と共に半壊し、あちこちから炎が立ち上り始めた。
「……さすが、凄いわ」
斐比伎は布都御魂剣に見惚れながら呟いた。
「神剣を媒介とした力は、これまでとは比べものにならない--」
『……布都御魂剣は、武御雷神の化身でもある。そなたの手にあってこそ、真の神威を発揮するものだ』
斐比伎の傍らで若日子建が言った。
「--それに、斐比伎。お前自身が以前とは違うのじゃ。……わかるじゃろう?」
肩の上で、少彦名が話しかける。
「--そうね」
呟いて斐比伎は、更に布都御魂剣を振り下ろした。
繰り返し発せられる凄まじい雷撃が、壮麗だった大和の宮殿を無惨な姿に変えてゆく。
神力を発するたび、斐比伎の中で天津神の血が--そして、それに導かれるように、魂の記憶が覚醒していった。
(……そう。私は確かに、古の時吉備の地に生まれ、その大地を愛した。私は吉備津彦と呼ばれ……吉備のために戦った王だった)
七百年前の記憶が、鮮やかに脳裏に蘇る。--まるで、つい昨日の出来事のように。
平和だった吉備の日々は、大和の侵略軍によって無惨に蹂躙された。
吉備津彦は吉備を守る為--大和と戦う為に、この布都御魂剣を求め、手に入れたのだ。
(--けれど……ただ人であった『吉備津彦』には、布都御魂剣の神威を発揮させることが出来なかった)
そして伊佐芹彦の奸計にはまり、命を落としたのだ。
落命の瞬間を思い出すと、斐比伎は今でも魂の底が軋むような痛みを感じる。
友と信じた男の裏切りに対する憎しみ。守るべきものを守り切れなかった悔しさ。
激しい憎悪と怨嗟は、自らの魂に枷をかけた。
『--このままでは終わらない。必ず、蘇る。必ず--そして--』
--大和を……伊佐芹彦を、討つ。
強い、強い願い。それは、吉備津彦自身の魂を救われぬものにしてしまった。
(けれど願い通り、私は蘇った……自らの血の裔に。--しかも、天津神の血をも引いて)
憎むべき大王家こそ、天津神の正当なる裔--『天孫』である。
彼らと同じく天津神の血を受け、しかも吉備の魂を持つ自分--。
なんという運命か。この、果てしなく絡まりきった血と魂の因果。
(--しかも……天津神の血を受けたからこそ、こうして神威を発揮して大和を討つことが出来るのだ。……『吉備津彦』であったときには出来なかったのに……)




