第四章 「星、堕(お)つる」 三話
既に何年も前に完成しており、自サイトなどに掲載している長編を、少しずつ分割しながら連載投稿しています。
前作「月傾く淡海」よりは、ややライトなテイスト(ラノベより)で、恋愛要素もあります。
全五章で、一章が約十話前後です。
一話の長さにはばらつきがあります。
一度アナログで作ったデータをデジタル変換した際に、一部改行に不具合が出た部分があります。
表向き大王の使者として吉備入りした伊佐芹彦達を、彼の地の者達は、警戒しつつも丁重に迎え入れた。
当時の吉備の長は、吉備津彦。民人の信頼篤い、闊達で明朗な青年王だった。
どす黒い真意を底に隠し、伊佐芹彦は友好的に振舞った。互いに年が近かったこともあり、吉備津彦はすぐに伊佐芹彦に打ち解けた。
『……恐ろしい大和の将軍が来ると聞いていたが。噂も当てにはならんな。そなたとは、よい友になれそうだ』
仕掛けられた偽りの「友情」を、吉備津彦はあっさりと信じ込んだ。彼はよく宴に伊佐芹彦を呼び、二人で杯を傾けた。
屈託のない笑顔を向けられるたび、伊佐芹彦は心の底で、より激しく吉備津彦への敵意を燃やした。
吉備津彦は、伊佐芹彦が望んでも得られなかったものを全て持っていた。
--揺るがぬ王としての地位。人々の信頼と尊敬。それらを受けることによって育まれた、自信と自負。そして、暖かい家族。
(……満ち足りているからこそ、あのように明るい瞳で笑えるのだ。お前に、何も与えられなかった者の思いがわかるか?)
つくり笑顔を返しながら、伊佐芹彦は心の中に吉備津彦への憎悪を蓄積していった。
美しい吉備の大地。平和で豊かな国。
……蹂躙してやる。この自分が、何もかも奪い取ってやる。
(そして、全てを失い、私と同じような惨めで哀れな思いを味わうがいい、吉備津彦!)
--激しい憤りは、常に奇妙な陶酔感をともなっていた。
本来ならば、長年に渡って溜められた伊佐芹彦の憎悪は、大王や皇后に対して向けられるべきものである。
しかし、あくまでも「大和の皇子」であることに拘わる伊佐芹彦には、これまでそれを認めることはできなかった。
歪んでねじ曲がった伊佐芹彦の心は、この吉備の地へ来て、初めて負の感情をぶつけることの出来る相手を見いだしたのだ。
「大和の敵」である、吉備津彦。
それは、彼の暗い感情を解放して、思うさまに倒すことができる相手だった。この時、伊佐芹彦の一番底にあったもの--それは、恐らく「悦び」だったのだろう。
--充分に自分を信頼させ、油断させた上で、伊佐芹彦は吉備津彦を裏切った。伊佐芹彦は吉備津彦を奸計にはめ、追いつめて、自軍の兵を挙げ、国を奪った。
窮地に立たされた吉備津彦は、僅かな手勢を連れて「鬼ノ城」と呼ばれる居城に立てこもった。伊佐芹彦は城を取り囲んで陣を張り、激しく矢を放った。
軍と軍との打ち合いでは、互いに放った矢が途中で食い合って落ち、勝負が着かない。
伊佐芹彦は一度に二本の矢をつがえて射たところ、そのうちの一本が吉備津彦の左眼に命中した。
それを契機に、伊佐芹彦は城へ攻め入った。吉備津彦は城から脱出し、川の流れに沿って逃げようとした。
伊佐芹彦は一人で吉備津彦の後を追った。彼の流した血の後を辿り、山中で吉備津彦を発見した。
両者は共に携えた神剣を取り出し、激しい打ち合いとなった。
『何故裏切った! 答えろ、伊佐芹彦っ』
『……別に裏切ってなどいない。私の目的は、始めから吉備を奪う事だった。--お前が愚かだったのだよ、吉備津彦』
『……俺はお前を友だと思っていたのに……』
『……ああ。私もお前を友だと思っている。だから、堕ちてきてほしいのだよ。私と同じところまで』
伊佐芹彦は、吉備津彦の持った神剣を弾き飛ばした。--そのまま、斜めに斬りつける。
『……っ……』
致命傷を負い、吉備津彦は崩れ落ちた。
落命の寸前、彼は凄まじい眼で伊佐芹彦を睨み据える。
『……これで終わりではない……まだ、これで終わりでは、な……。俺は必ず……吉備の危機に蘇り……再びお前を討つだろう。その時まで、俺を忘れるな……決して‥‥』
--その、悽愴な瞳。凄絶な笑み。
……この時、伊佐芹彦は激しい恐怖を感じた。勝利したのは自分だというのに、身体の奥から震えが止まらない。まるで、吉備津彦の残した呪いが魂に刻み込まれてしまったかのように……。
『--命? どうなさいました』
立ち尽くす伊佐芹彦に向かい、追いついた部下が心配そうに尋ねた。
『……いや。なんでもない』
伊佐芹彦は神剣を鞘に納め、平静を装って言った。
『--征くぞ。既に吉備は我が手に堕ちた。--次は出雲だ』




