第三章 「吉備の反乱」 八話
『……すばらしいな、これは』
幻影の中で、斐比伎と同じ神剣を手に取った青年が呟く。
『これが、かの神剣か。……神が、伊波礼彦命に天より下されたという』
青年は、恍惚となりながら神剣に見入っていた。
『はい。その後、その神剣は新羅へと渡り、新羅の王子がやってきた際に、再び豊葦原へもたらされたと言われています』
青年の傍らに立ったいま一人の男は、熱心に弁を振るった。
『……しかし、神府に納められていたはずの神剣が、なぜこのようなところに?』
『伝承では、神剣が神府を嫌がって飛び出し、ひとりでにここまでやってきたと……』
『そうか、おもしろい』
青年は、快活に笑った。
『よいものを得た。わざわざ淡路島まで足を運んだかいがあったぞ。……伊佐芹彦は、あやしげな神剣の威容をもって各地の平定を成功させていると聞くが……もはや、彼らの思い通りにはさせぬ。我が領は、俺が護る。この……』
「ふつ……みたま、の……つるぎ……で……」
何かに導かれるように、斐比伎は青年の言葉を受け継いだ。
その途端、神剣の刀身が激しい光を放つ。
「……っ」
斐比伎は思わず眼を背けた。
光が止んで再び目を開けた時、斐比伎の持つ神剣からは、透明で美しかった刀身が消失していた。
「あれ? これは……?」
「――危ぶむことはない。刃は、必要なときに現れる。その布都御魂権はそなたのものだ。いつも身につけておくがいい」
若日子建は、落ち着いた声音で斐比伎に告げた。
「……はい」
若日子建を暫し見つめ、斐比伎は素直に頷く。その姿は、神託を受ける巫女のようだった。
斐比伎が翡翠色の柄を胸元に納めるのを見届けると、若日子建は無言のまま、溶けるようにその場から消え去った。
後には、人間二人と小人神だけが残される。
「……さてと。そんじゃ、俺も帰るかな?」
十拳剣を右肩に担ぎ上げ、五十猛はぼそっと言った。
「――え、帰る? 五十猛、帰っちゃうの? 何処へ?」
突然の発言に驚いた斐比伎は、この磐座へ来たときと同じような問いを口にした。
「ああ。俺の目的はな、嬢ちゃんにここの封印を解いてもらって、俺の剣を取り戻すことだったんだ。――この、十拳剣を」
言うと、彼は力を込めて剣の柄を握り直した。
「封印を解くためには、嬢ちゃんに守人に認められるだけの力をつけてもらわなきゃならなかったんだ。……勝手に振り回して、悪かったな」
五十猛は殊勝に詫びた。彼のそんな姿を見たのは初めてだったので、斐比伎は慌てながら答えた。
「あ、いや、それは……楽しかったから。もういいんだけど……」
言いながら、斐比伎はふと口ごもる。どうやら家に帰れるらしいのは嬉しいが……この五十猛ともう会えなくなるのは、何やら寂しい気もした。
「……ねえ、結局、何もわからないんだけど。どうして封印が解けるのが私だけだったのか。何故、守人はこの神剣を私のものだと言ったのか。……そして、五十猛。あなたが、何処の誰なのか。――教えてくれないの?」
斐比伎は、真摯な眼差しで五十猛を見つめる。五十猛は、困ったように頭を掻いた。
「――あー、それな……。うーん……。今は言いたくねえ、っていうんじゃ駄目か?」
「駄目って言いたいところだけどね……」
諦めたように呟いて、斐比伎は嘆息した。
この短期間のつきあいで、斐比伎にも分かっている。五十猛は余計なことは山ほど喋るくせに、話さないと決めたことは、絶対に言わないのだ。
結局、何も分からないまま終わるのだろう。――無駄だったとは、決して思わないが。彼といて、得るものは多かった。
「でもよ、嬢ちゃん。そうがっかりすんなって。俺とあんたは、またきっと会えるから。俺たちが、互いに神剣の主である以上、絶対。な? 約束だって」
「約束ね……」
勢い込んで言う五十猛に対し、斐比伎はあまり本気にしないで呟いた。
「ところで、ねえ、いなくなる前に、帰り道教えてよ。ここは、一体何処だったの?」
「あれ? 教えてなかったって?」
「そうよ」
「そりゃ、うっかりしてた。すまねえすまねえ。――ここは、吉備の吉井にある、石上山さ」
「吉井の石上山!? 吉備の!? じゃ、私、ずっと吉備の中にいたわけ?」
斐比伎は愕然と叫んだ。
今までずっと、吉備から遠く離れた異郷の地にさらわれたのだとばかり思っていたのに。
まさか、よりにもよって、吉備の山の中にいたとは。吉井ならば、加夜からもそう遠くはないではないか。
「実はな、この山降りるのも、そう大変じゃないんだ。そこの小道をまっすぐ行けば、やがて麓へ出られる。今の嬢ちゃんなら、すぐに帰れるぜ。……いやあ、嬢ちゃんに逃げられないように、嘘ついてたんだが……こんなにうまくいくとは」
森の中を指し示しながら、五十猛は平然と笑った。
「あなたねえ……」
唖然とした斐比伎は五十猛を怒ろうとしたが、結局一緒になって噴き出してしまった。
まあ、結局、世間知らずだった自分が愚かだったということだ。本当に、五十猛には色々といい勉強をさせてもらった。
(なんか、もう、この人のこと憎めないなあ……)
笑いをおさめた斐比伎は、これで最後なんだと覚悟しながら、五十猛に向かって言った。
「さよなら、五十猛。……また、会えるんでしょう?」
「ああ。嬢ちゃんも、元気でな?」
斐比伎の頭をポンポンと叩くと、五十猛は身を翻し、森の奥へ消えていった。
「……さて、少彦名。私達も、加夜へ帰ろうか」
五十猛が去ってしまうのを見届けると、斐比伎はにっこり笑って少彦名に言った。
「うむ」
少彦名が答える。
二人は、麓へ向かって、もう怖くはない森の中をゆっくりと歩き始めた。




