第三章 「吉備の反乱」 六話
五十猛は、前へ向かってずんずんと進んでいく。斐比伎はその背を追いながら、見失わないようにするので精一杯だった。
短期間の森小屋生活で斐比伎がうろついていたのは、周辺のごく限られた範囲でしかなかった。今歩いている場所など、どこなのかまるでわからない。見知らぬ森の中は、昼なお暗く、無気味である。斐比伎は、はぐれないように必死についていっていたが、不意にふとあることが気にかかり、五十猛に声をかけた。
「……ねえ、五十猛」
「なんだよ」
五十猛は前を向いたまま答えた。
「考えてみれば、あなた最初から少彦名と馴染んでたわよね。彼を見て驚かなかったの?」
「……」
五十猛は暫く無言のまま歩いていたが、やがてぼそりと言った。
「あんたは、少彦名を見たとき驚いたかい?」
「始めは驚いたけど……すぐ慣れちゃったわ」
「俺も同じさ」
五十猛は振り返り、斐比伎をからかうように笑った。
「世の中には、いろんな奴がいる。そういう嬢ちゃんだって、結構変わった生き物だろ」
「それはそうだけど……」
「言っとくが、この俺だって、わりと嬢ちゃんと似たような生き物なんだぜ」
「ええっ!?」
斐比伎は驚愕の叫びを上げた。
「あなた、巫なの!?」
斐比伎は、改めて五十猛をまじまじと凝視した。
その野性味溢れる姿からは、とてもではないが、巫の威容や神秘性は感じられない。
「さあて、どうだろな……おっと、着いたぜ」
はぐらかすように言うと、五十猛は足を止めた。
「ごまかさないでよ!」
「ごまかしてなんかないさ。本当にここなんだ。ほら、嬢ちゃん見てみな」
五十猛は、すぐ前の鬱蒼とした木々を指さした。斐比伎は憮然とした表情で示された方に目をやる。
木々の中には、小さく古ぼけた、汚い『祠』が鎮座していた。
「なによこれ。社じゃなくて、祠じゃない」
斐比伎は呆れたように言った。
「まあ、大きさ的にはそうだな」
五十猛は平然と答える。
「ねえ、それで、ここで何すればいいのよ」
「まあ、ちょっと待ってな」
言い置くと、五十猛は祠の真正面に立ち、声を張り上げた。
「連れてきたぜ。出てこいよ、若日子建命っ」
静寂の森に、五十猛の声がこだまする。その連呼が消えたとき---祠の前に、一人の青年が現れた。
「ひっ……」
驚いた斐比伎は、恐怖に声を詰まらせる。
顔をひきつらせる彼女に、少彦名がそっと囁いた。
「恐れることはない。神霊じゃ」
「神霊……?」
斐比伎は恐々と青年の姿を眺めた。彼は髪を角髪に結い、白い浄めの衣を纏っていたが……その姿は、半透明に透き通っていた。
「……我は守人。若日子建なり」
青白い表情のない顔で、神霊は淡々と告げた。
「よお、久しぶりだな。『俺』がわかるか?」
眼前の神霊を恐れることなく、五十猛はいつもの調子で話しかけた。
「……わかる」
若日子建は五十猛を凝視し、抑揚のない声で言った。
「だったら、話ははえーや。……約束通り、こいつを連れてきたぜ」
言うと、五十猛は斐比伎の手をつかんで自分の前に押し出した。
「ちょ、ちょっと……」
抗おうとした斐比伎は、眼前の若日子建が自分を見つめているのに気付き、吸い寄せられるように顔を向けた。
対峙したまま、斐比伎と若日子建は無言で見つめあう。
若日子建の黒瞳は奥深く、そこには何の意思も読み取れない。沈黙は神聖だが重々しく、硬直した斐比伎は息苦しさを感じた。
「……確かに、これは、我の待ち続けたもの」
若日子建は厳かに告げた。
「娘よ。では、そなたに『資格』があるかどうか試そう」




