第一章 「雷(いかづち)の娘」 二話
既に何年も前に完成しており、自サイトなどに掲載している長編を、少しずつ分割しながら連載投稿しています。
前作「月傾く淡海」よりは、ややライトなテイスト(ラノベより)で、恋愛要素もあります。
全五章で、一章が約十話弱です。
一話の長さにはばらつきがあります。
「だから、あなた自ら王にご辞退申し上げていただけないかしら。あなたがそう考えて、身を退いたと言うことで。それが、一番全てが丸く納まるのよ」
青帯の巫女が諭すように言う。
「--わかりました」
意外にも、斐比伎は素直に返答した。
身構えていた巫女達は、虚をつかれて眼をしばだたせる。
「巫女様達に呼び出されて、神事を辞退するよう説得されたこと--私の口から、間違いなく父上にお伝えしておきます」
そう言うと、斐比伎は立ち上がった。
唖然とする巫女達を振り返りもせず、すたすたと社から出て行く。
「ちょっと! 斐比伎姫っ。待ちなさいよ!」
慌てた巫女見習いの叫びが、空しく社の内に響いた。肝心の斐比伎はあっというまに姿を消し、後には呆然とした巫女達だけが残される。
「……なんって可愛げのない子なの!」
しばらくして、巫女見習いが忌ま忌ましげに呟いた。
「元はといえば、どこの馬の骨とも知れない捨子のくせに! 王が可愛がってるのをいいことに、我が物顔に振舞って!」
「本当に。斐比伎姫もそうだけれど、建加夜彦王にも困ったものよねえ」
今までずっと黙っていた盲の巫女が溜め息をついた。
「もう三十二にもおなりだというのに、いっこうに妻問いをなさるお気持ちがないというのもねえ。あの姫ばかりを可愛がって。結局お子様は養女の斐比伎姫一人ということになるのだし。……まさか、あの姫を次の女王に、などとお考えなのでは……」
「まさかっ。そんなこと許されないわっ」
巫女見習いが感情的に叫んだ。
「吉備の血を一滴も引かぬ者が、吉備の王になるなんて! そんなこと、一族も、我々も--いいえ誰よりも、大吉備津彦命がお許しにならないわ。次の王なら、あの姫でなくても、王族の中にふさわしい方がいくらでもいらっしゃるじゃないの!」
「……『次の王』などと、不吉なことを軽々しく口にするでない。建加夜彦王はまだまだお元気じゃし、これから先何年も生きなさる。巫女のくせに、言霊を忘れたか」
大巫女が、揺るやかに叱責した。はっと我に返った巫女見習いが、慌てて畏まる。
「申し訳ございませぬ、大巫女さま……」
「--先のことなど、今はよいのじゃ。それに、王選びなど、我らの口出しすることではないわ。それよりも、今問題なのは、目前に迫った神事。斐比伎姫は、まこと連なるを諦めてくれるや否や」 大巫女は困惑した顔で頭を振った。
青帯の巫女が、宥めるように大巫女に話しかける。
「けして、頭の悪い子ではないと思いますよ。時をおけば、わたくしたちの申したことも理解できるはずです。……ただ、年のわりに幼いところが多く残っていますね。そのせいか、性質にずいぶんと苛烈な部分が多い……」
「そう。それがあの姫の恐ろしいところじゃ」
大巫女は、両手を握り締めて言った。
「心と力は繋がっておる。心が荒れる程、力もすさぶるものじゃ。……吉備の血を継がぬ者が王族に紛れている事など、大した事ではない。そんなものは、表向きの理由にすぎぬ」
「大巫女様、それはいかに?」
巫女見習いが不思議そうに訊ねた。大巫女は、ただ独言のように言を続ける。
「吉備は大吉備津彦命と共に火之迦具槌神の加護を受ける火の国じゃ。……ここの社ならば、まだよい。しかし、あの姫を中山の吉備津の社に入れる訳にはいかぬのじゃ。あそこには、ご神体の『忌火』がある……」
「大巫女さまは、それを恐れておられるのですね?」
白髪の巫女が言った。
「わしは感じる。あの姫に対する根元的な拒絶の心--そう、『恐怖』と言ってもよいものじゃ。あれは異端者じゃ。けして、我ら火の巫女が、火の国が受け入れる事のできぬ者……。そんな娘をご神体に近づければ、どんな災いを受けることか……」
「建加夜彦王も困ったこと。一体どのようなおつもりで、あんな者を拾ってこられたのか」
盲の巫女が呟いた。
「姉巫女様? どういうことですか?」
今一つ理解しかねる巫女見習いが、盲の巫女に訊ねる。盲の巫女は答えず、大巫女の方を促した。
「はっきりとしたことは解からぬ。しかし、我ら焔の属性と相対するもの。真向かうもの。それは、恐らく……」