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竜国の姫らしいですが、田舎で静かに暮らしたい  作者: コフク
第三章 光の国へ――闇を解くために

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第10話 橙の課題――救いの雪嶺を駆けろ

 雪嶺に吹く風は、清らかな寒さだった。


 課題の一日目を終えた翌朝、次に私たちが連れて行かれたのは、白くまぶしい雪原の中に築かれた救助基地だった。

 周囲の白に埋もれない、淡い橙色の石造りの建物は低く、屋根には厚い雪が積もっている。だが周囲には整然と道具が並び、縄、担架、温熱石、簡易テント、そして大小さまざまな足跡が残っていた。

 遠くから、低く響く獣の声がする。

「……狼?」

 セレフィナが目を細めると、吹雪の向こうから一団が現れた。

 先頭にいたのは、小柄なハーフリングの少女だった。ラディエルと同じような白金の衣に橙の刺繍をまとい、身体に似合わぬ大きさのフェンリルに軽やかにまたがっている。後ろには、犬型魔獣や若い雪狼、そして少し小さいフェンリルに乗った救助隊が続いていた。一番前のフェンリルが大きく息を吐くと、白い吐息が朝の光を受けてきらめいた。

「私は橙の長オランシア」

 オランシアは二人の前で止まると、にこやかに片手を振った。

「ようこそ、橙の領分へ。ここは光の国の、主に山岳地帯の救助を担当している救助隊の本拠地だよ」

 その声は柔らかかったが、周りの救助隊の動きはきびきびしていて、緊張感があった。


「ここでは、救助訓練に一緒に参加してもらう」

 オランシアは後ろの一人から、小さな金属の水筒を二つ受け取った。

 細長い筒で、表面には橙の紋が刻まれている。

「これは『慈愛の水筒』」

 私たちの前に差し出す。

「助けたい相手を思い浮かべて、訓練用の救助路を魔獣に乗って走ってね。“救いたい気持ち”で、水筒に力が溜まる。救助路に落ちている人形を拾って持ってきて。途中で出会ったものは見捨てても、助けてもいい。どう動くかは、おまえたち次第」

 私は水筒を受け取る。

 肩掛けのベルトが付いた細長い水筒。ひんやりとしているのに、奥にわずかな柔らかさがあるような、不思議な感触だった。

「これを、いっぱいに?」

「そう」

 オランシアは笑う。


「さあ、好きな子を選んで」

 救助隊の後ろで待っていた魔獣たちが、一斉に耳を動かした。

 大きなフェンリル、引き締まった雪狼、荷を運ぶ丈夫そうな犬型魔獣、そして少しだけ離れた場所で、まだ若いフェンリルが、こちらをじっと見ていた。

私は、ふとその子と目が合った。

 灰白のふわっとした毛並み。成獣に近い大きさだが、まだ身体は細い。緊張しているのか、尾の先が落ち着きなく揺れていた。

「……この子がいいかな」

 そう言うと、オランシアが少しだけ目を細める。

「へえ。大きくて速い子じゃなくて?」

「この子、気になった」

 そのフェンリルが、ぴくりと耳を立てた。

『……こわいの、ばれた?』

 私は目を瞬いた。

「怖いの?」

『あれ? もしかして、ボクの話、分かる?』

 私はうなずく。

『ちょっと、怖い。でも、走るのは好き』

「じゃあ、一緒に頑張ろう。名前は?」

『ルル』

「私はリリ。ちょっと似てるね。よろしくね」

 私がそっと首筋を撫でると、ルルは少しだけ胸を張った。


 一方でセレフィナは、別の一頭の前で足を止めていた。

 黒に近い濃い灰色の毛並み。他の子より大き目でがっしりしているのに、目を伏せがちで、どこか一歩引いている感じがある。

(……何か、この子)

 ちょっとだけ、あの皇子に似ている。不器用そうで、言いたいことをうまく言えないまま黙っていそうな目。

(いや、違う。何考えてるの、私)

 自分で打ち消しながらも、セレフィナはその子の前にしゃがんだ。

「あなたにする」

 救助隊員が教えてくれる。

雪影犬スノウシェードのリムです」

 リムは、小さく鼻を鳴らした。


 オランシアが手を叩く。

「よし。決まったね」

 彼女の背後で、救助隊の一人が旗を上げた。

 その先には、雪原を縫うように作られた訓練用の救助コースが見えている。細い橋、氷壁、斜面、崩れかけた雪道、そして途中には倒木や、救助対象を模した小さな影がいくつも置かれていた。

「ただ速く走るだけじゃだめだよ」

 オランシアが言う。

「助けたい相手を思い浮かべながら走るんだ」

 私は水筒を肩から下げ、ルルの背にまたがる。

 軽い。けれど、そのぶん心細さもある。

『すべったら、ごめん』

「ううん。私も助けるから」

 ルルが小さく唸って、前を向いた。


 セレフィナもリムにまたがる。

 こちらは安定していて、静かだった。

「……よろしくね」

 リムは返事のように一度だけ耳を動かした。


「始め!」

 旗が振り下ろされる。


 まず飛び出したのは私とルルだった。

 ルルは足が速いが、雪の上でまだ少し不安定だ。前方の斜面を駆け上がりながら、私は村のことを思い出していた。


 おばあちゃんの畑仕事。土魔法の苦手な私は、相変わらず風魔法で運ぶくらいしかできない。それでも、手伝いたいと思う。

 フルールが捕まった時も助けたいと思った。あの後連れて行った領主の息子とも話して、皆で和解のお茶会をして、それが菓子学校にもつながった。

 最近あまり行けていないけれど、村の森の魔獣たちも元気だろうか。今も時々薬草を届けてくれている。困っていないだろうか。

(助けたい)

 その思いに呼応するように、水筒の底でごく小さな橙の光が灯る。

「……光った」


 次の瞬間、ルルの足が雪に取られた。

『わっ』

「危ない!」

 私はすぐに風をまとわせ、身体を軽く支えた。ふわりと浮かせるようにして体勢を立て直す。

『たすかった……』

「大丈夫?」

『うん。でも、ちょっとだけ、かっこわるい』

 私は思わず笑ってしまう。

「私も、転ぶ時あるよ」

 水筒が、ちょっとだけ光った。


 そのまま二人は先へ進む。

 途中、沢を越えるための丸太橋が半ばずれていた。ルルは足を止め、困ったように鼻を鳴らす。

『これ、こわい』

 私は橋を見た。

「このままじゃ危ないね。少し待って」

 私は手をかざし、風を細く橋の下へ流し込む。ずれていた丸太が、ぎぎ、と軋みながら元の位置へ押し戻される。

「これで行けるかな」

 ルルが慎重に前足を乗せ、それから振り返った。

『……いける!』

「うん、行こう」

 今度は水筒が強く光る。たぷん、と揺れた。


 その先で、雪に埋もれた人形を見つける。

「目的の物、これかな?」

 ルルがうなずく。私はルルから降りて人形を引き上げ、背中に括りつけた。

『重いね』

「うん。ルルが走りやすいように、風魔法を使って、軽くするね」

 その言葉に、腰の水筒の光がまた一段強くなる。


 道をまた走りだす。水筒はまだ満ちていない。

(今、誰よりも助けたいのは……)

 象たちの妻の顔を思い浮かべた。

 泣いていた。夫たちを返してほしいと、ただそれだけを願っていた。象の夫たちは今も囚われている。


「助けるって、全部を一人で何とかするとは限らないんだな」

 でも、この先困るかもしれない人がいたり、困っている人や泣いているものを見たら、少しでも幸せな暮らしに戻れるようにしたい。

 私は、そういうふうに助けたい。


(象の夫たちを取り戻して、エレティンたちを笑顔にしたい。あと……父も。帰ったあと、一か月後に手鏡で見られるかな)

 その思いが胸の奥で強くなるたび、水筒の光も重さも増していった。


 一方、セレフィナはリムとともに、別のコースを走っていた。

 ざくっざくっと雪を割るように進みながら、彼女の頭に浮かぶのは、四姉妹で戦いながら逃げた日のことだった。追っ手、冷たい空気、振り返る暇もなく走った時間。

 あの時、自分は皆が戦いやすいよう、支え続けた。

(彼女たちを、支えたいと思った)

 その思いに、水筒の中で橙の光が揺れる。

 姉妹を支えたい。父や母を助けたい。自分の国の人達も助けたい。

 亡命して出会った、リリや皆の力にもなりたい。


 セレフィナの胸の奥に、また別の温かさが広がった。水筒の重みが、少し増す。


 途中、窪地に小鹿のような魔獣の親子がいた。

 子が雪にはまって動けなくなっているらしい。母親は警戒しているが、逃げずに子のそばを離れない。

「……あのままじゃ、凍えちゃう」

 そのまま行くこともできる。

 だが、セレフィナは迷わず足を止めた。

 彼女はリムから降りると、詠唱し、小さなハープを軽く爪弾く。

「湧きあがれ、ミルクティーの力――」

 紅茶を思わせる、温かな魔力が、魔獣の親子の身体をそっと包み込んだ。親子たちの力が湧くとともに、子のまわりの雪をやわらかく崩した。

 すると、子が自分で母親に近づき、母親の魔獣が口にくわえてそっと子を引き上げた。

「良かった。もう大丈夫だね」

 親子が寄り添うように身を寄せる。水筒の光が増す。

 すると、子がはまっていた場所の近くに、雪に斜めに半分埋もれた人形を見つけた。

「目的の人形って、もしかしてこれかな」

 リムは匂いを嗅ぎ、セレフィナをちらりと見ると、人形を掘り出した。

「子供の魔獣、もしかしてこれに近づいて、はまってしまったのかもね。よし、戻ろう」

 親子を後に人形を持ってリムに乗り、また走り出す。


 水筒は、まだ満ちきっていない。


 レオグリムを思い出す。祭りの時、足りないものがあると感じた彼に、私は焼きリンゴの温かいお菓子を選んで渡した。

 再会し、「家の者も喜んだ」と言われた時、心がくすぐったかった。助けになったのだ、とその時思った。


 私は前に出て全部を解決する力はない。

 でも、お茶やお菓子や支援魔法で、その人が落ち着いたり、前を向けたり、自分の力を出せるようにすることはできると思う。

(私にとって助けるって、そういうことだ)


 来てくれ、と言われた。

 腹は立った。今でも立つ。

 でもそれとは別に――


(本当は、彼を助けたいって思ってる)


 その瞬間、水筒の橙の光が一気に増した。

「え……」

 セレフィナが思わずそれを見る。中身はほとんど満ちていた。


「……そういうことだ」

 オランシアの声が、いつの間にかすぐ後ろから聞こえた。

 彼女は大きなフェンリルの背から二人を見て、にこりと笑う。

「厄介でも、もどかしくても、放っておけない。それも、ちゃんとした、助ける気持ちだよ」

 セレフィナは少しだけ頬を熱くした。

「別に、そんな」

「うんうん。今は言わなくていいよ」


 その頃には、私の前にもゴールが見えていた。

 最後の斜面で、ルルがまた少し足を取られる。私は今度は風を背中から押すように使い、一緒に駆け上がった。

『ついた!』

 ゴール地点に飛び込んだ瞬間、私の水筒も橙の光でいっぱいになる。


 オランシアが二人の前で止まり、大きなフェンリルからひらりと降りた。

「よくできました」

 彼女は二人の水筒を受け取り、その中の光を手に持った結晶に流し込む。すると、橙の光はとろりとした蜜のように揺れながら、結晶に吸い込まれていった。

 できあがったのは、小さな橙色の塊だった。花の蜜を閉じ込めたように透き通り、近づくだけでやわらかい香りがする。

「これが、橙の素材。『慈愛の蜜糖』」

 オランシアはそれを私の手の上に乗せた。

 温かい。赤の火糖とは違う、胸の奥をほどくようなほんのりとしたあたたかさだった。

「誰を救うために走るのか。その気持ち、忘れないで」

 私は蜜糖を見つめる。


 夫を助けたいと泣いていた象の妻たち。ずっと会えない父。村の森の魔獣たち。おばあちゃん。フルール。

 そして、ルル。


 ルルが少し照れたように鼻を鳴らした。

『……リリ、助けてくれてありがとう』

 私は目を瞬いた。

「ううん。私の方が助けてもらった。一緒に頑張ってくれてありがとう」

 ルルは今度は、さっきよりもっとしっかり胸を張った。

 その姿を見て、私まで嬉しくなる。


 セレフィナも、橙の光を見つめながら小さく息をつく。

 姉や妹。両親。国の人達。リリたち。

 支援魔法とお茶やお菓子で支えたい人たち。

 そして――まだ言葉にしきれない、あの皇子のこと。


「答えが全部きれいにまとまってなくてもいい」

 オランシアが最後に言う。

「でも、ちゃんと自分の中で温かいなら、一緒に前へ進める」

 そう言うと、後ろの救助隊員から小さな包みを二つ受け取り、こちらに差し出した。


「あと、これはご褒美。救援用ビスケットだよ」

 布に包まれていたのは、少し硬そうな焼き色のついたビスケットだった。素朴だが香ばしい匂いがして、ほんのり蜂蜜の香りも混じっている。

「救いたい気持ち、ちゃんとあったね。魔獣たちともちゃんと協力して走れた。これは、救援隊の仲間として認めた子に渡してるんだ」

 オランシアは笑う。

「自分で食べてもいいし、誰かお腹の空いた子を助ける時にあげてもいい」

 セレフィナがひとつ受け取り、少し目を輝かせた。

「こういうの、好き」


 私も受け取って口にしようとした時、隣でルルがじっとこちらを見ているのに気づいた。

 灰白の耳がぴんと立って、鼻先がわずかに動いている。

「……これ、魔獣にあげてもいいの?」

 私が聞くと、オランシアは少しだけ目を丸くしてから、にっと笑った。

「もちろん。救援隊の子たちも食べるよ」

「そっか」

 私はしゃがみ込んで、ビスケットを少し割った。

「ルル、一緒に頑張ったからね」

 ルルは目をぱちぱちさせてから、そっと口を寄せる。

 かり、と控えめな音を立てて食べたあと、ぱっと顔を上げた。

『……おいしい!』

 その声が、少し誇らしそうだった。


 隣では、セレフィナもリムにビスケットを差し出していた。

「あなたも、頑張ったものね」

 リムは最初控えめに匂いを嗅いでいたが、一口食べた途端、ぱたぱたと尻尾を振り始めた。

「わ、気に入ったの?」

 その無邪気さに、セレフィナは一瞬、祭りの日のことを思い出す。お菓子を受け取って少しだけ表情をゆるめた、あの皇子の顔。お菓子で喜ぶところまで似ている気がして、妙に胸がざわつく。

 次の瞬間、リムが嬉しそうに身を寄せてきて、そのままセレフィナの顔を舐めようとした。

「ちょ、待って、そこは――」

 セレフィナはあわてて顔をそらした。

 危うく口元を舐められそうになって、ぎりぎりで避ける。

 私は思わず、くすっと笑ってしまう。

「すごく喜んでるね」

「ええ、まあ……それはいいんだけど、口はだめね」

 リムは悪びれもせず、なおも尻尾を振っていた。

 オランシアが楽しそうにその様子を見ている。

「うんうん、ちゃんと懐かれてる。いい救助だったってことだね」


 私は蜜糖を箱の橙の窪みに収めた。

 かちり、と小さな音がして、赤の隣に橙の光が灯る。

 箱の中で、二つの色が並んで静かに輝いていた。


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