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Given No Name  作者: 真白しょう太
第二章:高瀬綾也
9/9

第9話:綾ちゃん

昼食の片付けを終えた透真(とうま)は、校舎の一室で洗濯物をたたんでいた。


この校舎の「家事見習い」になって数日が経った。


食事のちょっとした手伝いや、取り込まれた洗濯物をたたむこと。

雅に言われたことをこなしているだけでも、自分にもできることがあると思えるのは、ありがたかった。


畳み終えたタオルを重ね、次の一枚へ手を伸ばした時、外から車の音がした。


東雲(しののめ)先生が来たのだろうかと思い、透真は窓から外を覗いた。

けれど、校舎の前に停まった車は、見覚えのある車ではなかった。


透真がいる部屋からは、車両の後ろ側だけが見えた。

昇降口に横付けするように停められたのは、黒のハイエースだった。


「……誰だろ」


胸の奥が、ほんの少しざわついた。

(みやび)から言われていたことを思い出す。


――知らない人が訪ねてきたら、基本警戒して。


透真は畳みかけのタオルを置いて、部屋を出た。


廊下を少し進むと、左手に昇降口が見える。

下駄箱に隠れるようにして、そっと外の様子を(うかが)った。


引き戸の上半分は、格子状のガラス窓になっている。

その向こうに、フードをかぶった男が立っていた。


男は何の迷いもない様子で、引き戸に手をかけた。


「……っ」


反射的に、背中が強張った。


――追ってくるヤツね、獣だけじゃないの。


そう言っていた雅の声が、頭の中で蘇る。


透真はすぐ隣のリビングダイニングへ急いだ。

傷が引きつるせいで、まだ思うように走れない。

それでも、一刻も早く状況を伝えなければと足を動かした。


「雅さん、乱珠(らんじゅ)さん! 知らない人が……!」


リビングに飛び込み、ソファにいる二人へ叫んだ。

だが、言い終える前に、すぐ背後まで足音が迫った。


冷や汗が、背筋を伝う。


(りょう)ちゃんおかえり~」

「ああ」

「……え」


透真は固まった。

雅のあまりに軽い声に、張り詰めていた緊張が行き場を失う。


当然のようにリビングに入ってきた男は、透真の動揺など気にも留めず、フードを下ろした。


癖のないアッシュの髪。

長いまつ毛の奥にある、紫色を帯びた瞳。


フードの下から現れた整った顔立ちに、透真は思わず見入ってしまった。


綺麗な人だ、と思った。

男相手にそう思ったことに、透真は少し遅れて自分で驚いた。


けれど、目の前の男は、ただ整っているだけではなかった。

気だるげで、どこか近寄りがたくて、それでいて場の空気をすぐに把握しているような目をしていた。


雅はソファからひょいと立ち上がると、怯えたまま固まっている透真の肩に手を置き、くるりと男の方へ向き直らせた。


「透真くん、この人は綾ちゃん。高瀬綾也(たかせりょうや)。ここの同居人だよ」

「……本当に増えてるな」


男――綾也は、驚いた様子もなく、呆れたようにそう呟いた。


「増えました♡」

「たちの悪い冗談かと思った」

「えー? ちゃんと報告したじゃん。住人が増えますって」

「報告って言うならもっと具体的に伝えろ」


知らない男ではなかった。

少なくとも、雅と乱珠にとっては。


それが分かった途端、透真の中に残っていた緊張が、今度は別の形で跳ね返ってきた。


「す、すいません! 自分てっきり――」


――雅たちが言っていた、追手だと思った。


そう言いかけて、透真は慌てて口をつぐんだ。


綾也は透真を一瞥した。


透真より少し高い位置から向けられる、値踏みするような視線。

怒っているようには見えなかったが、透真は思わず背筋を伸ばした。


「警戒したんだろ」

「……はい」

「なら間違ってねぇ。知らない相手を警戒しない方が問題だ」


淡々とした声だった。

褒められたわけではない。

それでも、間違っていないと言われたことに、透真は少しだけ息を吐いた。


「あ……中原透真っす。お世話になります」


透真は慌てて頭を下げた。


「ああ。雅からある程度は聞いてる。巻き込んで怪我させたことも、しばらくここに住むこともな」

「いや、怪我は自分のせいなんで」

「透真くんのせいじゃないよ。私がちゃんと見てなかったから、ごめんね」

「そいつが飛び込んだのが悪い」


背後のソファから、乱珠の声が飛んできた。

背もたれの向こうにいるようだが、透真からは姿が見えなかった。


雅は振り返った。


「乱ちゃんはちょっと黙ってて?」

「……」


乱珠から返事が来ることはなかった。

語尾は柔らかいのに、雅の声は少しだけ低かった。


透真は困って視線を泳がせた。


あの時、出てくるなと言われたのに外へ飛び出したのは自分だ。

乱珠が危ないと思って、気づいた時には身体が動いていた。


だから、自分のせいではないと言われても、うまく受け取れない。

まして雅に謝られると、どうしていいか分からなくなった。


綾也はそのやり取りには口を挟まず、ソファへ向かった。

雅に軽く肩を押され、透真もその後ろをついていく。


L字ソファの前には低いテーブルがあり、その向かいにスツールが二つ並んでいる。

促されるままスツールに腰を下ろすと、雅も隣に座った。


綾也は持っていた荷物をソファの脇に下ろした。

それから、おもむろにジップパーカーを脱いだ。


パーカーの下には、信じられないものがあった。

透真はそれを見て硬直した。


「あ、綾ちゃん銃持ってるけど、大丈夫だから」

「え」


その説明で安心できる人間がどれだけいるのだろう。

少なくとも、透真は無理だった。


綾也は黒いショルダー型のガンホルダーを身につけていた。

肩から脇へ伸びるベルトの先に、左右に一丁ずつ拳銃が収まっている。


映画やゲームの中でしか見たことのないものが、当たり前のようにそこにあった。


透真は思わず息を呑んだ。


綾也は慣れた手つきでガンホルダーを外し、テーブルへ置いた。

ごと、と鈍く重い音がした。


無造作に置いたように見えた。

けれど、乱雑ではなかった。


透真は、目の前に置かれたそれを思わず見つめてしまった。

目を逸らしたいのに、逸らせない。


綾也がこちらを見ている気がして、慌てて視線を上げた。


「綾ちゃん、透真くんは大丈夫だよ?」

「それは俺が決める」


声は荒くない。

けれど、銃を見た透真の反応を見逃す気もないのだと、その目だけで分かった。


「さ、触りません」

「そうしろ」


綾也は透真から視線を外して振り返った。

透真の正面にあるL字ソファの片側は、だらしなく寝転がった乱珠に占領されていた。


「おい、避けろ」

「そっち座ればいいだろ」


乱珠は、空いている奥の席を顎で示した。


「今から話すんだよ」

「知らねぇよ」


乱珠は不満そうに舌打ちした。

それでも、投げ出していた足を下ろし、体を起こす。

綾也は空いた場所に腰を下ろした。


「俺たちのこと、どこまで話した」

「ほぼなにも。綾ちゃん帰ってくるの待ってた」

「……そうか」

「あ、紗耶華とはもう会ったよ」

「ん」


綾也は口元に手を当て、何かを考えるように黙った。

それから、隣に座る乱珠へ視線を向けた。


「……なんだよ」

「……別に」


短い沈黙が落ちた。

透真には、その視線の意味までは分からなかった。

けれど、二人の間で、言葉にしない何かが交わされたことだけは分かった。


綾也は視線を戻すと、立ち上がって入口近くにある充電スタンドへ歩み寄った。

そこには、小型の機器がいくつも並んでいる。


「透真」


綾也はそのうちのひとつを取り、透真へ放った。


「これって……」


手のひらに収まったのは、ワイヤレスイヤフォンのような機器だった。


「インカムだ。耳につけるだけでいい。全員の声が聞こえる。お前の声も拾える」

「インカム……」

「俺がこれで指示を出す。それに従え」

「指示?」

「ああ。非常時だけでいい。必ずつけろ」


その言葉に、透真はあの夜のことを思い出した。

外に出るなと言われたのに飛び出して、怪我をした夜のことだ。


「いいの? 綾ちゃん」

「連携が取れない方がリスクがある」

「たしかにねぇ」


透真は手の中の小さな機器を見下ろした。

ただのイヤフォンにしか見えないそれが、急に重く感じられた。


「充電が切れたらここで別のと交換して、常に持ってろ」

「……はい」


怖さはあった。

けれど、何かあった時、声を届ける相手として数に入れられた。

ただ守られるのではなく、連絡を取るべき相手として扱われた。

それが、少しだけ嬉しかった。


綾也はソファに戻り、脚を軽く組んだ。


「最低限、俺たちのことは説明しておく。知らないまま、また動かれても困るからな」


透真を責めているようには聞こえなかった。

ただ必要なことを、必要だからする。

そんな響きがあった。


透真は頷いた。

けれど、目の前に座る綾也をまっすぐ見返すことはできず、視線は自然と隣の雅へ逃げた。

乱珠は不機嫌そうに頬杖をついている。


「……なんだ」

「えっ」

「顔に出てる」


綾也に指摘され、透真は慌てて視線を泳がせた。

雅が隣でにこにこと身を乗り出す。


「なになに? 透真くん、聞きたいことあるなら言っていいよ~?」


ここに来た時から、ずっと思っていたことがある。

綾也を見てから、その疑問がさらに大きくなった。


それが、つい口から零れた。


「皆さん、なんでそんなにビジュアルがいいんすか……?」

「……あ?」


綾也にとって想定外の質問だったのか、それまで崩れなかった表情が、わずかに崩れた。


「ええ~!? 透真くん私のこと綺麗だって! いやん嬉しい、よしよししちゃう~♡」

「わぁ!?」


隣から飛びつくように、雅が頭を撫で回してきた。

乱珠は露骨に顔をしかめ、綾也は何も言わずに視線だけを逸らした。


「い、いや、なんで山奥にこんな綺麗な人たちが揃ってるのかなって……」

「私たちがこの姿になったのは昔の姿の影響だろうって、綾ちゃん前に言ってたよね」

「たぶんな」

「……昔の姿?」

「そ。人間になる前の姿」

「……ん?」

「ん?」

「今、さらっと……いや、え、気のせいですかね」


透真は固まった。


人間になる前の姿。


聞き流してはいけない単語が、あまりにも自然に出てきた。


「人間になる前って、なんすか?」

「あれ、それも言ってなかったっけ。私たち、中身は人間じゃないの」

「……!?!?!?!」


あまりにも軽いカミングアウトに、透真の脳は一瞬で限界を超えた。


「人間じゃない……? 人間じゃないってなんすか……?」

「なんすかって言われてもねぇ」


雅が困ったように首を傾げる。


「逆になんだと思ってたんだ」


ため息が混ざったような声が、テーブルの向こうから返ってきた。


透真は口を開きかけて、少し迷った。


かなり失礼な言い方になる気がする。

それでも、他に思いつかなかった。


「一般社会で生きられないアウトローな人たちなのかと……」


一瞬、変な間が空いた。

次の瞬間、雅が吹き出した。


「っ、あはははは! 一般社会で生きられないアウトロー!」


腹を抱える勢いで笑い出した雅に、透真は狼狽えた。

綾也もわずかに肩を揺らしていた。

片手で口元を覆っていたが、完全には隠しきれていない。


「……っ、いや、まあ……間違ってはねぇかもな」

「間違ってねぇのかよ……」


乱珠だけは笑っていなかった。

バカにしてんのか、とでも言いたげな目をしている。


「たしかに乱ちゃんと綾ちゃんはそう見えるよねー!」

「お前も人のこと言えねぇだろうが」

「てめぇらと一緒にすんな」

「銃やら刀やら持ってる人のほうがヤバいに決まってるっしょ!」


雅はひとしきり笑ってから、目尻を指で拭うような仕草をした。

それから、テーブルの向こうにいる綾也を見た。


「やっぱり、ちゃんと説明してあげないとね。綾ちゃん、あとはよろしく♡」

「丸投げかよ」

「だって最初から説明してもらうつもりだったし」


綾也は口元から手を離し、大きく息を吐いた。

その頃には、もう気だるげな表情に戻っていた。


まるで、最初からこうなることを分かっていたようだった。



お読みいただきありがとうございます。


次回は6/26(金)19:00更新です。

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