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寿命カウンター持ちの俺は、七日後に死ぬ幼なじみを何度でも助けたい  作者: 妙原奇天


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後編

第十五話「二周目のスタートライン」

 放課後のチャイムが鳴り終わると同時に、教室の空気がゆるむ。

 文化祭の準備だ、寄り道だ、部活だと、クラスメイトたちが思い思いの方向へ散っていく中で、俺はひとり、タイミングを計っていた。

(ここだ)

 一周目の記憶が、背中を押す。

 このあと、ひなたは「帰りコンビニ寄ろーよ」と誰かを誘いながら教室を出る。

 その前に、声をかけないと、流れが一周目のトレースになる。

「空木」

 わざと名字で呼ぶと、窓際でプリントを丸めていたひなたが顔を上げた。

「なに、あさぴー。プリント投げつけ合戦する?」

「しない」

 ツッコミを入れながら、彼女の机の前まで歩いていく。

 心臓が、さっきからうるさい。

「今日さ」

「うん?」

「勉強、教えてやろうか」

 ひなたの動きが止まる。

「……は?」

 お約束通りの反応だ。

 一周目と同じ台詞。でも、一周目の俺とは、ここから先が違う。

「ほら。数学、小テスト返ってきて、やばかったろ」

「やばくないし。あれは先生の採点が厳しかっただけだし」

「二十五点は、どの採点基準でもやばいんだよ」

「うっ」

 ひなたはプリントで自分の頬をばしばし叩いた。

「でもまあ、確かにちょっとヤバいかもとは思ってたし……」

 そこで、じっと俺を見上げてくる。

「なんで急に? もしかして、お小遣い欲しいから家庭教師ビジネスでも始めるの?」

「取らねえよ。図書室で、今日一時間だけな」

「今日?」

 ひなたは窓の外にちらりと目をやる。

「今日って、みんなで寄り道――」

「そのメンツなら、明日でも明後日でも行けるだろ」

 言いながら、自分でも驚くくらい、声がまっすぐ出た。

「今日じゃないと、ダメなんだ」

 ひなたのまぶたが、すっと上下する。

 軽口を返そうとして……やめた、という動きだった。

 からかうように笑っていた目が、じわじわと真剣な光に変わっていく。

「……分かった」

 少しだけ息を吐いて、ひなたはプリントを机に置いた。

「今日だけ特別ね。優等生あさぴー先生のありがた〜い授業、受けてあげますか」

「上からだな」

「いいじゃん、先生と生徒ごっこ」

 ふざけた言い方だけど、その声の奥に、ほんの少しの緊張が混じっているのが分かった。

 俺も同じだ。

 図書室へ向かう廊下の途中で、何度だって引き返せる。

 「やっぱり勉強だけにしよう」と笑ってごまかすこともできる。

 でも、それをしたら、一周目と何も変わらない。

     ◇

 放課後の図書室は、人がまばらだった。

 テスト前でもないし、文化祭準備で残っているやつはそっちに行く。

 ここにいるのは、静かな場所が好きな数人だけだ。

 窓際の席をキープし、参考書とノートを広げる。

「うわ、ちゃんと予習してきてる感じのノートだ」

 ひなたが、俺のノートを覗き込んで素直に感心する。

「当たり前だろ。これでも学年上位なんですけど」

「はいはい。あたしの推しは成績優秀イケメンくんですよーって自慢して回ろっかな」

「誰の推しだよ」

「クラスの女子の半分はそう思ってるって。ね、図書委員さん」

 カウンターの向こうで本を整理していた図書委員の男子が、突然振られて固まった。

 その頭上に、「00032:***」という寿命カウンターが揺らいでいるのが見える。

 一周目では、文化祭当日に軽い怪我をしてスケジュールがずれたのを覚えている。

 その光景を二度目の目で見ながら、俺は一度、深呼吸をした。

「で、何から教えてもらえるわけ?」

 ひなたが椅子に座り、机に肘をつく。

「連立方程式? 関数? それとも人生設計?」

「最後のは、俺も教えてほしい」

 軽く笑ってから、真顔に戻る。

「……その前に」

 ペンを置く。

 ひなたが、きょとんとした。

「大事な話がある」

「またそれ?」

 ひなたは、さっきと同じ言葉を繰り返した。

「さっきから“今日じゃないとダメ”とか“大事な話”とか、プロポーズ前のフラグみたいなことばっかり言うじゃん」

「プロポーズは、もうちょっと状況整えてからにさせて」

「えっ、そこ否定しないの?」

 素で驚いた声が出る。

 ツッコミどころは多いけど、一つずつ拾っていたら日が暮れる。

「冗談じゃなくて、本当に大事な話だから」

 光の加減で、ひなたの表情がわずかに引き締まる。

「……分かった。じゃあ、ちゃんと聞く」

 その言い方は、一周目の最後に聞いた言葉と似ていた。

『あたしの命の話なら、ちゃんと席に座って聞くから』

 あの時は間に合わなかった。

 今度は間に合わせる。

「変な話に聞こえると思う」

 前置きしておく。

「でも、最後まで聞いてほしい」

「うん」

 ひなたは姿勢を正し、真っ直ぐ俺を見る。

 逃げ道は、もうない。

「……変な夢を見たんだ」

 導入としては、プロット通りのやり方を選ぶ。

 いきなり「二周目です」と言うより、まだ現実に近い言い方だ。

「夢?」

「ああ。すごく長い夢。七日分くらい」

「七日……」

 ひなたの頭上のカウンターが、ぴくりと揺れた気がした。

 今のタイミングでその数字を口に出すのは、偶然じゃない。

「夢の中で、俺は“人の寿命が見える力”を持ってた」

 ひなたの目が、丸くなる。

「寿命?」

「ああ」

 右目を指でさする。

「頭の上に、数字みたいなのが浮かぶんだ。残り日数、みたいなやつが」

「……へえ」

 ひなたは、まだ半分くらい冗談だと思っている顔だ。

「ゲームのステータス表示みたいだね。HPバー的な」

「そんな感じ」

「で、あさぴーはチートスキル“他人の寿命が見える眼”を手に入れて、無双する、と」

「しない」

 即答した。

「むしろ、だいぶ最悪だった」

 息を整え、言葉を選ぶ。

「夢の中で、お前の頭の上には、“七日”って数字が浮かんでた」

 ひなたの指先が、ぴくりと震えた。

「七日後に、お前は死ぬことになってた」

 図書室の空気が、きゅっと冷えるような気がした。

 さっきまで、炭酸みたいに軽かったひなたの表情から、一気に色が消えていく。

「……やだ、その夢」

 ひなたが、小さく笑ってみせる。

 笑っているのに、目は少し潤んでいた。

「普通さ、夢の話って、“実はあんたに告られた夢見ちゃって〜”とか、“宝くじ当たる夢見た!”とか、そういうハッピーなやつじゃない?」

「悪いけど、ハッピー要素は薄かった」

 自虐気味に言ってから、続ける。

「文化祭の準備が始まって。体育館のステージで事故が起きて。照明が落ちて、人が押し寄せて」

 言葉を重ねるたびに、一周目の光景が脳裏に蘇る。

 悲鳴。

 鉄のきしむ音。

 天井が割れる音。

 血の色。

「お前は、誰かを庇って飛び出して、そのまま天井パネルの下敷きになった」

「……やめてよ」

 ひなたの声が、震える。

「そんなの、聞きたくない」

「俺も見たくなかった」

 正直に言う。

「でも、見た」

 あの時、自分の足が止まった感覚。

 伸ばした手が、届かなかった後悔。

「俺は、間に合わなかった」

 一周目で、何度も何度も自分を責めた言葉。

 吐き出すたびに、胸の奥がきしむ。

「夢の中の話、だろ?」

 ひなたは、ぎゅっとスカートの裾を握りしめた。

「夢の中で、あたしは死んで、あさぴーは後悔して、起きたら『あー悪い夢見た!』ってなるやつでしょ」

「……そうできたら、どれだけよかったか」

 苦笑が漏れる。

「でも、目が覚めて、カーテン開けて、通学路歩いて、学校行って」

 そのたびに確認したもの。

「お前の頭の上には、ちゃんと“七日”って数字が浮かんでた」

 ひなたが、息を呑む音が聞こえた。

「さっきから、“夢の中では”って過去形で話してるけど」

 喉の奥が、ひりつく。

「今の俺も、その“寿命が見える力”を持ってる」

「……やめて」

 ひなたの声は、さっきよりも小さい。

「本当にそうなら、あたしの頭の上、今どうなってるか分かっちゃうじゃん」

「分かってる」

「聞きたくない」

「今は言わない」

 そう約束して、俺は視線だけをそらした。

 頭上に浮かぶ「0000:07:**:**」という数字が、こちらを見返している気がする。

「で」

 沈黙を切り裂くように、ひなたが口を開いた。

「その夢の中のあさぴーは、何してたの」

 泣きそうな目のまま、まっすぐ問いかけてくる。

「……“七日後に幼なじみが死ぬ”って分かってて」

 言葉が刺だらけになっているのが、自分でも分かる。

「あんた、一人で全部抱え込んでたの?」

 図書室の空気が、さらに重くなる。

「クロに相談して、ルカっていう変な子に釘刺されて、燈央に怪しまれながら」

 ひとつひとつの名前に、一周目の記憶がくっついている。

「それでも、最後までお前には何も言えなかった」

 ひなたが、ぐっと唇を噛む。

「なんで」

「怖かったからだよ」

 情けない理由しか出てこない。

「怖かった。信じてもらえないのも。お前の顔が変わるのも。寿命の数字を見て、怯えるお前を見るのも」

 あの時、ひなたに「寿命」の話を振ろうとして、飲み込んだ瞬間を思い出す。

「それに、ルール的にも、あんまりベラベラ喋るなって言われてたし」

「ルール?」

「死神の」

 そこで、ひなたの眉がぴくりと動いた。

「さっきからサラッと出てくるけどさ」

 ひなたは、テーブルの上に身を乗り出す。

「寿命見える眼とか、ルールとか、死神とか。全部まとめると、あんたはどこかの神さまか悪魔に“やり直し”させられてるってこと?」

 まとめ方が雑なようで、かなり核心に近い。

「神さまかどうかは知らん」

 肩をすくめる。

「でも、死神はいる」

「いるんだ」

 即答。

 ひなたの顔から、冗談めいた色が消えていく。

「ここにも?」

「いる」

 俺は、図書室の隅をちらりと見た。

「さっきから、本棚の影でこそこそしてる」

 ひなたがびくっと振り向いた。

 だが、普通の人間には何も見えない。

「……はいはい、出てきなよ」

 俺がぼそっと言うと、空気がわずかに揺れた。

 図書室の、一番奥の棚と棚のあいだ。

 窓から差し込む光と影の境目から、黒髪の少女がふわりと姿を現す。

「ちょ、呼び出し方雑じゃない?」

 クロが、呆れたように言いながら近づいてくる。

「あたし、今いい感じにフェードアウトして見守ってるモードだったんだけど」

「最初から見てたなら、ちょうどいいだろ」

「よくないよ。こういうのはもっとドラマチックにだね――」

 そこまで言って、クロの目がぴたりとひなたで止まった。

 ひなたもまた、目を丸くしてクロを見ている。

 ふたりの視線が、がっちり噛み合う。

「……見えてる?」

 俺が問うと、ひなたは小さく頷いた。

「黒髪ロングで、制服着てて、ちょっと眠そうな顔で、エネルギー飲料片手に持ってる女の子」

「誰がいつも眠そうだって」

 クロがむっとする。

「飲みかけのエナドリ隠しなさいよ……」

「ここ、人間界の図書室なんだけど」

「い、今はそのツッコミじゃない」

 ひなたは、両手で頬を押さえた。

「え、え、あさぴー。今の子、もしかして」

「死神見習い。仮名クロ」

 ろくでもない紹介のされ方だったが、クロは「まあ合ってる」と小さく咳払いした。

「ども。死神管理局の末端でーす」

「末端とか言うな」

 図書室の静寂の中に、小さな声だけが響く。

 他の利用者には、クロの姿も声も届いていないらしい。

 ひなたには見える。俺にも見える。

 特例案件の観察対象、というやつだろう。

「えっと」

 ひなたは、おそるおそる手を挙げた。

「初めまして、でいいのかな。空木ひなたです」

「初めまして……でいいかどうかは微妙だね」

 クロは、ひなたをじっと見つめる。

 その頭上のカウンターが、彼女の視界にも見えているのかどうか。

 少なくとも、クロの目には、はっきりと数字が表示されているのが見えているはずだ。

「まあ、一応死神側の人間だから」

 クロは、肩をすくめた。

「今回の“やり直し”に巻き込んでごめんね、ってところかな」

「やり直しって、やっぱり」

 ひなたが、ぎゅっと手を握りしめる。

「あさぴーの話、本当なんだ」

「本当だよ」

 クロがあっさり認める。

「この世界は今、“一周目”の記録を参考にしながら、二周目のタイムラインを走ってる」

「タイムラインって、ゲームみたいに言わないで」

「こっちから見れば似たようなもんだし」

 クロは、黒い手帳をぱらぱらとめくってみせる。

「まあ、上の連中は“観察データ”とか“感情波形”って難しい言葉使ってるけど、要は、二人がどう足掻くか見てみたいってこと」

「最悪だな、その言い方」

「最悪なのは、そう判断される条件を満たしちゃったあんたたちだからね」

 クロの視線が、俺とひなたを交互に刺す。

「七日で死ぬ予定の幼なじみと、その寿命を見える目を持たされた契約者。そりゃ上も食いつくよ」

 ひなたが、息を呑んだ。

 クロの言葉ひとつひとつが、現実を締め付けていく。

「じゃあ」

 震える声で、ひなたが問う。

「あたし、本当に七日後に死ぬ予定なんだ」

「予定、ね」

 クロは、少しだけ言葉を選ぶようにしてから首を傾げた。

「寿命カウンター的には、そのあたりが“トリガー予定日”なのは確か」

「トリガー……」

「でも、あんたの命が“世界の流れ”とまとめて結びつけられてるから、単純にそれだけとは言えない」

 クロの説明は、あくまで“システム側”の視点だ。

 ひなたには、そんな専門用語はどうでもいい。

「そんなことより」

 ひなたは、ぎゅっと拳を握った。

「一周目のあさぴーは、その“予定”を知ってて」

 真っ直ぐ、俺を見る。

「七日間、何も言わなかったわけ?」

 図書室の空気が、再び重くなる。

「……何もしてなかったわけじゃない」

 それは、さすがに自分のためにも否定しておく。

「事故のトリガー潰そうとしたり、クロに噛みついたり、ルカに脅されたり、燈央に殴られそうになったり」

「初耳の固有名詞が多すぎる」

「後で全部話す」

 そう前置きしてから、続ける。

「ただ、一番肝心な“お前に話すこと”だけは、最後までできなかった」

「どうして」

 ひなたの目が、潤む。

「さっきは“怖かったから”って言ってたけどさ」

 その声には、怒りも悲しみも混ざっている。

「怖いからって理由で、あたしの命に関わること黙ってたわけ?」

「……ああ」

 逃げずに頷く。

「俺が臆病だったから、お前は一回死んだ」

 自分で言って、喉が焼ける。

 ひなたの手が、机の上で震えていた。

「バカじゃないの」

 絞り出すような声だった。

「あんた、頭いいくせに」

「それはよく言われる」

「今は褒めてない!」

 ぱん、と机を叩く音が図書室に響き、他の利用者が一瞬こちらを見る。

 ひなたは、慌てて小さく頭を下げたあと、俺の方に身を乗り出した。

「七日後に死ぬって分かってて、それを一人で抱えて、勝手に決めて、勝手に後悔して」

 涙が今にもこぼれそうな目で、睨みつけてくる。

「勝手に、あたしを一回殺してるんだよ」

 その言葉が、一番刺さった。

 クロでさえ、目を伏せる。

「……ごめん」

 搾り出せたのは、その一言だけだった。

「ごめんじゃない」

 ひなたは、首を横に振った。

「謝ってほしいわけじゃない」

 涙を拭おうとして、逆に目尻を赤くしてしまう。

「だったら今度は、最初から二人で半分こしよって話」

「半分こ?」

「そう」

 ひなたは、深呼吸をひとつして、少しだけ笑った。

「寿命が見える眼とか、死神とか、世界のバランスとか、そういう難しい話、あたしにはちゃんとは分かんないかもしれないけど」

 それでも、と続ける。

「“あたしの命の話”なら、ちゃんと席に座って聞くから」

 図書室の椅子に腰かけたまま、まるで宣言のように言った。

「あさぴーが一人で全部抱えるんじゃなくてさ。怖いなら、一緒に怖がればいいじゃん」

 その言い方が、ひなたらしくて。

 一周目では聞けなかった答えで。

 胸の奥の何かが、少しだけ軽くなるのが分かった。

「……それ、結構重いぞ」

 冗談めかして言う。

「人の寿命の話なんて」

「知ってる。ちょー重い」

 ひなたは、両手を広げてみせた。

「だから、あさぴー一人じゃ持ちきれないでしょ? 二人でも重いかもだけど、少なくとも、一人で膝ガクガクさせてるよりマシ」

「例えがひどい」

「事実でしょ」

 そう言って、ひなたはそっと俺の右手を取った。

 図書室の静けさの中で、その体温がやけに熱く感じる。

「七日しかないとか、世界がどうとか、正直まだ頭が追いついてないけど」

 ひなたは、笑いながらも目に涙を浮かべていた。

「“あたしが死ぬ未来を知ってて何も言わない”って選択だけは、絶対イヤだから」

「……了解」

 それは、二周目の最初の約束になった。

 クロが、ぽん、と手を叩く。

「はいはい、じゃあ」

 黒い手帳をぱたんと閉じて、くすりと笑った。

「死神立会いのもと、“二周目の作戦会議”を始めますか」

「タイトルコール雑!」

「どうせならかっこよく言いなさいよ。“運命改変プロジェクト、第一回ミーティング”とか」

「長いよ!」

 図書室の隅で小さな言い合いをしながら、俺たちは三人並んで座った。

 人間二人と、死神一人。

 窓から差し込む夕日が、机の上のノートと、ひなたの涙の跡と、クロの黒い手帳を同じオレンジ色に染めていく。

 七日間のループは、ただの悪夢なんかじゃない。

 二周目のスタートラインに立った俺たちは、もう一度、運命に噛みつく準備を始めていた。


第十六話「真実を話す放課後」

 その日の放課後、教室には、俺たち三人しかいなかった。

 帰りのホームルームが終わってから一時間。

 文化祭準備組は体育館や特別教室に散っていき、部活組はグラウンドに出て行った。

 日直の黒板消しだけが取り残されたみたいに、前の黒板にはまだ今日の連絡事項が残っている。

「……じゃ、ここからは“ガチ作戦会議モード”に入ります」

 そう宣言しながら、俺はチョークを握った。

 ひなたは一番後ろの窓際の席に座り、机に頬杖をついている。

 クロは、教卓の上にあぐらをかきながらペットボトル入りのエナドリをちゅうちゅうやっていた。

「まず、一周目のタイムラインをざっくり書き出す」

 黒板の左端に、大きく「一周目」と書く。

 その下に、縦に線を引きながら日付を書き込んでいく。

「文化祭七日前――お前の頭上に“七日”って数字が浮かんだ日」

「それ、今なんだよね」

 ひなたが、自分の頭をポンと叩く。

「今のあたし、まさに“余命七日目ヒロイン”ってことだ」

「そんな肩書きいらないから」

 そう言いつつも、数字は事実だ。

 黒板に「七日前:寿命カウンター発覚」と書く。

「この日から、俺の“寿命見える右目”が発動して、お前の残り時間がずっとカウントされてた」

「発動って言うとちょっとかっこいいよね。中二っぽい」

「内容はだいぶシャレになってないけどな」

 ひなたの冗談に軽く返しながら、チョークを走らせる。

「六日前――クラスの文化祭企画決め。メイド喫茶確定。体育館事故の前兆なし」

「そこはわりと平和だったよね、一周目」

「その平和さが、今になると逆に不気味なんだけど」

 その下に「五日前:体育館で照明器具落下未遂」と書き込む。

「脚立から照明が落ちかけて、俺が飛びこんで、お前をかばった日」

「ああ、あれね」

 ひなたは、ぽんと手を打った。

「抱きしめられたやつだ」

「そこだけ切り取るな」

「だって、あさぴーの腕の中にインしたのなんてあの日くらいだし」

「“イン”って言うな」

 そういうところは変わらない。

「そのとき、一回お前の寿命カウンターがちょっと伸びた」

 チョークで矢印を書き込む。

 元のラインからちょっと上に跳ね上がるグラフを描くみたいに。

「代わりに、俺のカウンターががっつり削れた」

「他人の危機を肩代わりすると、契約者の寿命が減る」

 クロが、教卓の上から補足する。

「“保護対象一名の安全確保”と引き換えに、“契約者一名の安全を削る”仕様。死神契約のテンプレだね」

「テンプレとか言わないでほしい」

 それも黒板の端に書き足す。

 契約のルール。

 他人の寿命に干渉したときのペナルティ。

「四日前――保健室でルカと遭遇」

「白っぽい髪の子?」

 ひなたが首をかしげる。

「保健室で一回会った気はするけど……あんま覚えてないな」

「一周目だと、お前が熱出して寝てる隣で、あの子が意味深なこと言ってた」

「あたしの残り時間がどうとか?」

「そう。“このままだと、予定より少し早く死ぬよ”みたいな」

「怖っ!」

 ひなたが両腕を抱える。

「それ、完全にホラーじゃん」

「あの子はあの子で、“上位死神の観測用ボディ”だからね」

 クロが、エナドリを机に置いて肩をすくめた。

「寿命データの“結果だけ”を見てるタイプ。善悪とか感情じゃなくて、数字の推移を気にする人たちの代理人」

「そういう人に“予定より早く死ぬ”ってさらっと言われたの、普通にトラウマなんだけど」

「一応、あれはあれで“警告”だったんだけどね」

 クロは、ひなたの方を見る。

「“このままじゃ、あんたの死に方、世界の帳尻合わせに使われるよ”っていう」

「帳尻合わせって言い方、余計ひどくない?」

「事実だから」

 クロがきっぱり言い切る。

「世界全体の寿命のバランスを保つために、“誰か一人の死”を起点に調整をかけることがある」

 黒板にまた新しく項目を書く。

「“トリガー死亡”」

「やめろ、その単語を黒板に書くな」

「だって、空木さんのケース、まさにそれなんだもん」

 クロは足をぶらぶらさせながら続ける。

「学校全体。地区全体。その先の流れまで含めて、“ここで一人死んでくれた方が、全体のバランスがいい”って判断された」

「言い方!」

 ひなたが思わず立ち上がりかけて、机に手をついた。

 その頭上のカウンターが、ピリ、と揺れる。

「世界側の理屈に悪意はないよ」

 クロは淡々としていた。

「“洪水を防ぐために、どこかに堤防を作る”のと同じ発想だから」

「でも、その堤防になる人間からしたら、たまったもんじゃないだろ」

 俺が口を挟む。

「そういう話」

「そこを、あんたたちがどう“壊す”かを見るのが、今この二周目の狙い」

 クロが、薄く笑う。

 世界側の理屈と、俺たちの感情。

 そのぶつかり合いを、上の連中は観察している。

 それも、黒板の端に小さく書いた。

「世界のバランス」と「個人の寿命」。

 前者は冷たい。後者は熱い。

 その矢印が交錯しているのが、今の状況だ。

「三日前――ひなたの家に行った日」

 話を先に進める。

「勉強教えに行くって名目で、家の事情を聞いた」

「うっ」

 ひなたは、分かりやすく顔をしかめた。

「そこ掘り返す?」

「今日のテーマは“真実の共有”だろ」

「分かってるけどさ」

 ひなたは椅子に座り直し、深呼吸をひとつした。

「……あのアパート、ほんとボロいよね」

「ボロいって言うな」

「事実じゃん。階段ギシギシ鳴るし、玄関のドアちょっと斜めだし」

 それでも、ひなたの家は温かかった。

 笑いながら夕飯を作る母親。

 冷蔵庫の中身。

 テーブルに開きっぱなしの家計簿。

「一周目ではさ」

 ひなたは、自分から口を開いた。

「あんまりちゃんと、“お金の話”とか“進路の話”とか、あさぴーにしてなかったと思う」

「いや、十分重かったぞ」

「あれでもセーブしたつもりだったんだよ」

 自嘲気味に笑う。

「“お父さんほぼ帰ってこないんだよねー”くらいの、軽めの愚痴でごまかしてた」

 黒板のタイムラインに、「家族事情」と小さく書き加える。

「でも、一周目のあの夜」

 ひなたは、窓の外をちらりと見る。

「“ここじゃないどこかに行きたい”って口に出したあとで、ちょっとだけホっとしたの覚えてる」

「ホっと?」

「言えないまま終わらなくて良かったって」

 その言葉は、一周目のエピローグでは聞けなかったやつだった。

「だから、二周目の今は」

 ひなたは、こちらを見た。

「セーブしないで全部話す。家のことも、お金のことも、進路の不安も」

「そんな重い話、十代女子がサラッと言うなよ」

「十代女子なめんなよ。意外とみんな、いろいろ抱えてんだからね」

 冗談めかしながらも、その目は真剣だ。

「で、二日前と一日前は――」

「体育館トラブルと雷雨」

 俺が先に言うと、ひなたが小さく頷いた。

「雷、嫌だなあ。あれだけは何回見ても怖い」

「一周目だと、あの雷雨で当日のプログラムが大幅変更になって、事故パターンがずれた」

 黒板に、「前日:雷雨→スケジュール改変」「当日:照明落下→天井パネル落下」と矢印で結ぶ。

「だから今回は、その雷自体を“回避できるかどうか”もポイント」

「雷って回避できるの?」

「完全には無理でも、“外部情報”を使って事前に警報出すくらいはできる」

 クロが補足する。

「管理局のデータベースには、“自然災害シミュレーション”もあるからね。雷雲の発生確率、時間帯、規模。ある程度見える」

「ずるっ」

 思わず口を挟む。

「なら、一周目のときに教えてくれよ」

「そのときは、そこまでの権限なかったもん」

 クロは、悪びれもせずに言った。

「二周目だからこそ、“上”もデータの一部を開示してる。うまく使うかどうかは、あんたたち次第」

 世界側のルールの都合で、こっちに渡るカードも増減している。

 それもまた、不公平だ。

「最後。当日」

 黒板の一番下に、大きくこう書いた。

「文化祭当日:ステージ事故→空木ひなた死亡」

 ひなたが、書かれた文字をじっと見つめる。

 しばらく、何も言わなかった。

 やがて、小さく息を吐く。

「……ゲーム攻略みたいだね」

 ぽつりと漏らした。

「“この日にこういうフラグ立つから、ここでこういう回避行動取りましょう”って、全部攻略本に書いてあるみたいな」

「まあ、実際、一周目の記録が攻略本になってるようなもんだし」

 俺もそれを否定はしなかった。

「でも、違うのは」

 ひなたが顔を上げる。

「これ、あたしが死ぬか生きるかの話なんだよね」

 黒板の「死亡」の文字を指でなぞりながら言う。

「ゲームオーバーになっても、“はいリセット”って気楽に言えないやつ」

「そうだ」

 チョークを握る手に力が入る。

「ただ、一周目と違うのは」

 今度は俺が、ひなたの方を見る。

「今度はお前にもコントローラーを渡す」

「……プレイヤー2ってこと?」

 ひなたが、ちょっとだけ照れ笑いした。

「人生ゲームの協力プレイ、って感じ?」

「そんな生易しいものじゃないけど」

 苦笑しつつも、彼女の比喩は悪くない。

「一周目は、俺が勝手に一人でプレイして、勝手にバッドエンドまで突っ走った」

「それを自分で言えるあたり、反省はしてるんだね」

「反省してる。全力で」

 だから、二周目は最初から協力プレイだ。

「作戦の共有」

 黒板の右側に、「二周目対策」と書いて、箇条書きを始める。

「一つ目。文化祭当日に体育館に近づかない」

「それ、あたしの出番どうするの」

 ひなたが即座にツッコミを入れた。

「メイド喫茶の出し物、体育館周辺の動線に巻き込まれるじゃん」

「そこは、クラスの担当を調整する」

 具体的には、客引き担当を別の場所に移すとか、タイムテーブルをいじるとか、そういう細かい話だ。

「二つ目。照明リグに近づく人間を減らす」

「減らす?」

「機材いじれるやつを限定する。適当なやつが勝手に触らないようにする」

 バスケ部の先輩が、「ちょっと見せて」と言って手を出していた場面が頭に浮かぶ。

「あれで一個、ワイヤーに負担かかった可能性ある」

「そこまで覚えてるの、ちょっと怖いんだけど」

「一周目で、そこしか見てなかったからな」

 ステージの上。照明の吊り具。ワイヤーのテンション。

 あのとき、俺は数字と金属ばかり見ていた。

「三つ目。雷雨回避」

 クロが、教卓から指を立てる。

「これは、あたし側の協力も必要かな」

「やっとまともな協力案出してくれたな」

「褒めて褒めて」

「褒めない」

 ひなたが、少しだけ笑う。

「天気予報アプリじゃ足りないから、管理局側の“雷雲シミュレーション”データを部分的に流す」

 クロは空中に手をかざし、見えない画面を操作するような仕草をした。

「明日の夕方以降から、雷の発生確率が上がる地点と時間帯を、あんたのスマホに“バグった通知”っぽい形で送る」

「バグった通知?」

「普通の天気アプリの通知に紛れさせた、“管理局からの裏通信”ってやつ」

 便利なのか迷惑なのか、よく分からない仕掛けだ。

「それを見て、学校側に“安全のための提案”って形で動いてもらう」

 体育館の使用時間の調整や、機材の電源管理の徹底。

 間接的なトリガー潰しだ。

「……ていうかさ」

 箇条書きが増えていく黒板を眺めながら、ひなたがぽつりと言った。

「歴史を大きく変えると、それを修正するための別の事故が起きる可能性、ってあるんだよね」

 クロが、無言で頷いた。

「“歴史修正力”ってやつ」

「言い方」

「大きな分岐を無理矢理ねじると、別のところで歪みが出る」

 クロは、教卓の端に腰をかけて足をぶらぶらさせる。

「一周目で、あんたが照明器具から空木さんを守った瞬間も、本来の予定からは“はみ出した”行動だった」

「そのせいで、別の場所でショートが起きて、スケジュールが変わって、天井パネル事故につながった」

 黒板の矢印が、その流れを視覚化している。

「だから二周目は、“全部を完璧に変える”んじゃなくて」

 クロは、黒板の「トリガー死亡」と書いた部分を指で叩いた。

「どの線までいじるか、慎重に選ばなきゃいけない」

「その線、“空木ひなたが死ぬ”ってところは絶対いじりたいんだけど」

 ひなたが真顔で言った。

「そこいじれなかったら、何のための二周目なの」

「それはそう」

 俺も即座に同意する。

「そこをいじるために、他をどこまで許容するか、って話だな」

「誰か別の人が代わりに死ぬのはイヤだよ」

 ひなたの声が、少しだけ震える。

「“あたしの代わりに誰か”とか、そんなの絶対イヤ」

「……分かってる」

 俺の頭の中にも、一周目の事故で怪我をした生徒たちの顔が浮かんでいた。

「誰も死なないルートを探す」

「そんなルートあるの?」

「なかったら、あってもらうように殴り書きする」

 無茶なことを言っているのは分かっている。

 でも、二周目の俺たちに許されたのは、それくらいしかない。

 黒板の「空木ひなた死亡」を、ぐしゃっと塗りつぶす。

 チョークの白が、黒板の黒に荒々しく混ざる。

 そこに、新しく書き直した。

「空木ひなた生存」

 ひなたが、それを見て、小さく笑った。

「……いいね、それ」

 その笑顔は、さっきまでより少しだけ強い。

     ◇

 ひと通り説明が終わったあと、教室には静けさが戻ってきた。

 窓の外はオレンジ色に染まり、机の影が長く伸びている。

 黒板の前でチョークを置いた俺に、ひなたがふと問いかけた。

「ねえ、あさひな」

 いつものように、「あさぴー」じゃなく名字で呼ぶときは、ちょっと真面目な話の前触れだ。

「もしさ」

 ひなたは、自分の指先を見つめながら言う。

「二周目でもダメだったら、その次もあると思う?」

「その次?」

「三周目、四周目、五周目……って、何回もやり直しさせられるのかなって」

 クロが、言葉を飲み込む気配がした。

 俺も、すぐには答えられなかった。

「分からない」

 正直に言う。

「一回目のループだって、本来ならありえない特例なんだろ」

「そうだね」

 クロが小さく頷く。

「これ以上、何周もやらせるなんて、あたしたちから見ても“前例なし”」

「だから、“二周目でダメだったら三周目もある”って決めつけるのは、逆に危険」

 俺はひなたを見る。

「一回一回を、全部本番だと思ってやるしかない」

「……そっか」

 ひなたは、しばらく黙っていた。

 やがて、ふっと笑う。

「じゃあさ」

 窓の外を見ながら、さらっと言った。

「今度の文化祭で、あたしちゃんと告白するから」

「…………は?」

 脳が、一瞬理解を拒否した。

「こ、告白?」

「うん。告白」

 ひなたは、机に頬杖をついてこちらを向く。

「誰にとは言わないけど」

「誰にとは言わないけど?」

「そう。誰にとは言わないけど」

 何度も繰り返すな。

 俺の心臓のカウンターが、変な意味でゼロに向かっていきそうだ。

「や、やめとけよ、そんなフラグ立てるの」

「フラグとか言わない」

 ひなたは笑う。

「だって、さっきあたし言ったじゃん」

 黒板の「空木ひなた生存」の文字をちらりと見やる。

「言えないまま終わるのだけはイヤだって」

「……まあ、な」

「だから、告白する」

 さらっと、とんでもないことを言う。

「七日後に死ぬかもしれないならなおさら、“この人が好きです”ってちゃんと自分で選んで、ちゃんと自分の口で言って終わりたい」

「……その、“この人”ってやつは」

「誰だと思う?」

 ひなたが、いたずらっぽく笑う。

 言われなくても、察している。

 幼なじみで。

 ずっと隣にいて。

 今も、寿命のことで頭を抱えている、この俺だ。

 でも、それを口に出した瞬間、何かが決定的に変わりそうで。

「さあな」

 あえて、スルーする。

 ひなたは、「だよねー」と肩をすくめた。

「まあ、いいや」

 それで話は終わった、という顔をしながらも、頬がほんの少しだけ赤い。

 クロが、そんな二人を眺めて肩をすくめた。

「やれやれ。感情の揺れが増えれば増えるほど、上の連中が喜ぶってのに」

「それ今言う?」

「でもまあ」

 クロは、黒板の文字を見上げた。

「楽じゃない方を選ぶ人間、見てて嫌いじゃないよ」

「それ、褒めてる?」

「褒めてる。多分」

 適当な言い方に聞こえるのに、その目はどこか柔らかかった。

     ◇

 片付けを終えた教室を出るころには、外はすっかり夕暮れだった。

 廊下の窓から差し込む光が、床をオレンジ色に染める。

 俺たちは三人、並んで歩いていた。

 ひなたが真ん中。

 右に俺。

 左にクロ。

 十代の高校生二人と、誰にも見えない死神見習い一人。

 廊下の端で、部活帰りの生徒たちが笑いながら走り抜けていく。

 その頭上に浮かぶ寿命カウンターを、俺はちらりとだけ確認する。

 ゼロに向かって急降下している数字は、ひとつもなかった。

「なんかさ」

 ひなたが、ぽつりと言う。

「こうやって三人で廊下歩いてると、“ちょっと特殊な放課後”って感じで楽しいね」

「特殊具合のベクトルはだいぶおかしいけどな」

「死神さんと一緒の放課後とか、なかなかレア体験だよ?」

「レアだからって喜べる種類じゃない」

 でも、不思議と、足取りは重くなかった。

 一周目の終盤、学校の廊下は“事故の気配”しか感じなかった。

 今は、“何かを変えようとしている気配”がある。

 準備は、静かに始まっている。

 二周目の文化祭に向けて。

 空木ひなたの寿命を、ゼロから引き剥がすために。

 夕暮れの廊下に伸びる三人分の影が、ほぼ同じ長さで並んでいた。


第十七話「死神と人間のルール」

 保健室のカーテン越しに、昼休みのチャイムの余韻がかすかに響いていた。

 白いシーツのにおいと、消毒液のツンとした匂い。

 窓から入る光はやわらかいのに、ここだけ時間が少しズレているみたいだ。

「で、体調は?」

 ベッドの脇の丸椅子に座りながら、俺は問いかけた。

 カーテンの内側。ベッドの上で、ひなたが小さく肩をすくめる。

「んー。体育の持久走サボりたくなった病?」

「診断名ふざけてんだろ」

「でもさ、胸がきゅーってして、息しづらくなったのは本当だよ?」

 ひなたは、病人らしくないテンションで言いながら、枕にほっぺたを押しつけた。

「先生には“ちょっと過呼吸気味かな”って言われた。ストレスとか不安とか、そういうやつ?」

「まあ、そりゃあるだろ」

 余命七日宣告(二周目)を受けて、未来の話をして、世界のバランスがどうとか説明されて。

 心が落ち着いている方がおかしい。

「……ごめんな」

 俺がつい口にすると、ひなたは顔だけこちらを向いた。

「なんであさぴーが謝るの」

「だって、原因の半分以上、俺だろ。寿命の話とかループの話とか」

「半分どころじゃないよ。八割九割あさひな要因だよ」

「フォロー入れて?」

「でも、“知らされないまま死ぬより百万倍マシ”って昨日言ったの、もう忘れた?」

 ひなたは、枕に顔を押さえたまま目だけ動かして、じっと俺を見た。

「だから謝罪禁止。代わりに、責任取って一緒に悩んでください」

「……了解」

 そう返しながら、ひなたの頭上に視線を向ける。

 数字は、ゆっくりと。けれど確実に、ゼロへ向かっていた。

 その動きが、さっきよりも少し安定している気がするのは、気のせいか、それとも――。

「においが変わった」

 不意に、カーテンが勝手に開いた。

 白い布が揺れて、その向こうから、銀に近い白髪がすべり込んでくる。

 保健室特有の白と光に溶け込むような、無表情の少女。

 深雪ルカ。

 ひなたがびくっと身を起こした。

「ちょ、いきなりカーテン開けないでよ!」

「ノックしても、死神の気配がうるさくて聞こえないでしょ」

 ルカは、当たり前のようにベッド脇まで歩いてきて、俺の顔を覗き込んだ。

 真っ直ぐに、右目だけを。

「……やっぱり」

 薄い唇が、かすかに笑みの形になる。

「時間レールに触ったやつの匂いがする」

「時間レール?」

 ひなたが眉をひそめる。

「また物騒な単語出てきたんだけど」

「今忙しいんだけど」

 俺も、ルカを睨む。

「こっちはこっちで、二周目の作戦会議中なんだよ」

「だから来たんだよ」

 ルカは、ベッドの足元にちょこんと腰を下ろした。

 保健室の先生は席を外している。

 ここにいるのは、人間二人と、死神一人と、死神寄りの何か一人。

「様子見にって言われたの。“監査官”として」

「監査官?」

 ひなたが首をかしげる。

 クロが、壁際のスツールの上でエナドリをくるくる回しながら、ため息をついた。

「あーあ、とうとう自分で名乗るんだ」

「隠しても、そのうちバレる」

 ルカは肩をすくめる。

「あたしは死神の中でも、時間レールと寿命データの“監査官”。不正とかバグがないかチェックする役」

「バグって言うな」

 俺が即座にツッコむ。

「いや、事実バグってるからね、今」

 ルカは、俺の右目を指さした。

「人間の契約者が、世界線を一回分巻き戻した上で、寿命カウンターの値を持ち越してる。普通に考えて、ログが真っ赤になる案件」

「ログ真っ赤って表現やめてくれ」

 想像してしまう。自分のせいで真っ赤に染まった管理局の画面を。

「で」

 ひなたが、おそるおそる口を挟んだ。

「その、監査官さんは、あたしたちを“消しに来た”的なポジションの人?」

「消すかどうか判断する人」

「一周回って怖いわ!」

 ひなたが、布団の上でじたばたした。

 ルカは、そんな反応にもあまり興味なさそうに瞬きをする。

「今のところ、“即時削除案件”ではないよ。むしろ、上の方はしばらく観察する気満々」

「観察、ねえ」

 クロが小さく笑う。

「つまり、ルカは“世界側の監視カメラ係”ってこと」

「カメラって言うとちょっと傷つく」

「どこが」

 いつもの掛け合いをしながらも、話は少しずつ核心に近づいている。

「でさ」

 ひなたが、布団を握りしめたまま言った。

「監査官さん……ルカちゃん?」

「好きに呼んで」

「ルカちゃんは、あたしたちの味方なの? 敵なの?」

 素直すぎる質問。

 ルカは、少しだけ考えるように目を細めてから答えた。

「どっちでもない」

「出た、中立」

 クロが肩をすくめる。

「ルカは“結果だけ見てる側”。世界が壊れなければ、プロセスはどうでもいいタイプ」

「どうでもよくはない」

 ルカは、小さく否定した。

「“どうしてそうなったか”もちゃんと記録する。でも、どっちが正しいかを決めるのは、あたしたちじゃない」

「決めてほしいんですけど?」

 ひなたが、布団から片手を出す。

「あたし、今、“自分が死ぬはずだった”って言われてて、“世界のバランスがどうこう”って言われてて、“二周目だから頑張って”って言われてる側なんだけど」

 自分でまとめながら、状況の理不尽さに顔をしかめる。

「その上で、“どっちでもないです”って言われると、なんか腹立つ」

「感情的には分かるけどね」

 クロが、ひなたの足元をつついた。

「ルカの仕事は、“感情抜きで線を引く”ことだから」

「線?」

 俺が聞き返すと、ルカは保健室の棚から白いメモ用紙を一枚拝借し、ボールペンを手に取った。

 ざっと横線を一本引く。

「ここ、人間の世界」

 線の上側を指でなぞる。

「で、この下側が“死神側のシステム”。寿命データとか、時間レールとか、いろいろ詰まってる層」

「時間レールって、さっきから当たり前みたいに言ってるけど」

「簡単に言えば、“この世界の時間の線路”」

 ルカは淡々と続ける。

「いつ誰が生まれて、どこで何が起こって、いつ誰が死ぬか。全部、ざっくりとした形で敷かれてる道」

「ざっくり、なんだ」

「細部までは決まってない。あくまで“予定”。人間がどう動くかで、レールの上でも多少左右に揺れる」

 メモの上に、ゆらゆらした線を重ねて描く。

「で、死神との契約は、このレールに“触っていい範囲”と“絶対触っちゃダメな範囲”を決めるもの」

「触っていい範囲……」

 俺は、自分の右目に意識を向ける。

「例えば?」

「例えば、自分で命を絶とうとした人の前に、“別の選択肢”を置くのはセーフ」

 ルカは、線の上に小さな分岐点のマークを描いた。

「“ここで飛び降りる”って選択肢の横に、“たまたま誰かが声をかける”とか、“たまたま雨が降って足を滑らせる”とか、“たまたまスマホにメッセージが届く”とか。そういう“偶然のきっかけ”を用意するのは、許容範囲」

「なんか細かい具体例出さないで」

 ひなたの肩が、ぴくりと震えた。

 ルカは、一瞬ひなたを見てから、さらっと付け足した。

「今のは一般論。空木さん個人の話じゃないから」

「……うん」

 ひなたは、深呼吸して気持ちを落ち着かせる。

「逆にアウトなケースは?」

「他人の犠牲を強制的に肩代わりさせること」

 線の別のところにバツ印をつける。

「“あの子の代わりにこの子を死なせて”って、レールを書き換えるのは全面的に禁止。世界のバランスから見ても不正な操作だから」

「じゃあ、俺が自分の寿命を削ってひなたを助けるのは?」

「グレーゾーン」

「グレーかよ」

 曖昧なところで止まった。

「人間の意思で、“自分の寿命を差し出す”のはギリギリセーフ。ただし、“差し出される側”がそれを認識していない場合、アウト寄り」

 ルカは、ペン先で俺を指す。

「一周目のあんたは、“空木さんに何も言わないまま”自分の寿命を削ってた。だから、アウト寄りのグレー」

「寄らないでほしい」

「でも、今回二周目でその情報を共有した。空木さんは“自分の命の扱いに関与する権利”を持った」

 ルカの視線が、ひなたに移る。

「だから、同じように寿命を削る行為でも、“決定に関わる人間の数”が増えた分、少しだけセーフ寄りになる」

「何その理屈」

「簡単に言えば、“当人の同意があるかどうか”だよ」

 ルカは、メモ用紙に丸を一つ足した。

「命のルールを決めるとき、本人がテーブルにつけているかどうか。それだけで、グレーゾーンの色合いは変わる」

 ひなたは、無意識に自分の胸元を握りしめていた。

「……ラノベの設定資料みたいだね」

 ぽつりと漏らす。

「“契約ルール一覧”みたいな」

「実際、設定資料だよ」

 クロが軽く笑う。

「管理局の内部資料、分厚いからね。ここで全部読む?」

「遠慮します」

 ひなたは即座に首を振った。

「ただでさえ、寿命だの世界線だの頭パンパンなのに、それ以上詰め込んだらオーバーヒートする」

「要点だけでいい」

 俺も、ルカの描いたメモを覗き込む。

「触っていいレールと、触っちゃダメなレール。その線引きがルカの仕事ってことだろ」

「そう」

 ルカは、あっさり認めた。

「だから、今回みたいに“時間レールそのものを巻き戻す”ケースは、本来ならあたしの許可が必要」

「必要、なんだ」

「本来ならね」

 ルカは、わずかに眉をひそめた。

「あたしが知らないところで、上層部が勝手にレールを巻き戻した。その時点で、すでにルール違反ギリギリ」

「ギリギリ……?」

「だから、あたしが派遣されてる。“この特例案件を監査せよ”って」

 淡々とした言い方だけど、その裏に、少しだけ不満の色が見えた。

「上層部は、“今回のループには観測価値がある”って判断してる。けど、その裏には、別の意図もある」

「別の意図?」

 ひなたが身を乗り出す。

「どんな」

「それはまだ、あたしにも全部は見えてない」

 ルカは、わざとらしく肩をすくめた。

「ただ、一つだけはっきりしているのは――」

 白い指先が、すっとひなたを指す。

「空木ひなたの死は、“ただの一人分の死”じゃないってこと」

 保健室の空気が、ぐっと重くなる。

「どういう意味だ」

 俺が問うと、ルカはメモ用紙の別の場所に、新しい線を描き始めた。

「本来の世界線」

 文字を書き込み、そこから矢印を伸ばす。

「空木ひなたが文化祭の事故で死ぬ。ニュースになる。学校の安全管理の不備が全国に広まる」

 ひなたの表情が、固まる。

「その結果、“似たような構造の体育館”や“照明リグを設置している学校”に、緊急の安全点検が入る」

 ルカのペン先が、さらに先をたどる。

「そのうちいくつかは、“あと少しで大事故につながるミス”を抱えている。それが、このニュースをきっかけに発見されて、修正される」

「つまり……」

 言葉が、喉でひっかかる。

「お前が死ぬことで、別の場所での大事故が防がれる」

 代わりにルカが言った。

「そういう“世界線”が、本来の予定だった」

 保健室の時計の音が、やけに大きく聞こえる。

 ひなたは、シーツを握る手に力を込めた。

「……なんそれ」

 笑っているような、泣いているような声。

「“あたし一人が死んだら、他の人たくさん助かります”って?」

「そんなヒーローみたいなポジション、頼んだ覚えないんだけど」

「頼まれたわけじゃない」

 ルカは、あくまで静かだ。

「世界側の計算で、たまたまそうなっただけ」

「たまたま、で済ませないでよ」

 ひなたの声が、少しだけ上ずる。

「そんな計算、勝手にしないでよ」

 俺は、言葉を失っていた。

 分かりやすく、最悪な構図。

 空木ひなたの死と引き換えに、どこか知らない誰かが助かる。

 その“どこか知らない誰か”の家族は、きっと後で「助かってよかった」と涙を流すんだろう。

 でも、そのために――。

「じゃあ」

 やっとのことで、声を絞り出した。

「じゃあ、俺たちがここでひなたを救ったら、その人たちが代わりに死ぬのか」

 問い詰めるような声になっていた。

 ルカは一瞬だけ目を伏せ、それから、顔を上げる。

「可能性としては、そう」

 あまりにもあっさりと。

 俺の中で、何かがぶちっと切れた。

「“可能性”で片づけんな」

 自分でも驚くくらい荒い声が出た。

「“誰かが死ぬかもしれない”って話を、“可能性としては”って言うなよ」

「事実は事実」

 ルカは、揺れない。

「一周目の世界線では、空木ひなたが死んで、別の事故が防がれた。二周目でそれを変えたら、どこか別の場所に歪みが出る」

「その歪みが、“誰かの死”じゃない可能性もあるでしょ」

 ひなたが、震える声で割って入った。

「例えば、“怪我で済む”とか、“ちょっとスケジュールが変わる”とか」

「もちろんある」

 ルカは、あっさり認める。

「“あんたを生かしても、誰も死なないで済むルート”も、理論上は存在する。問題は、そのルートを選ぶのがどれだけ難しいか」

「だから観察してるんだよ」

 クロが、珍しく真面目な声を出した。

「世界としては、“空木ひなた死亡で丸く収まる線”が、一番計算上楽」

「“一番楽”って言わないで」

 俺が睨むと、クロは肩をすくめた。

「でも、あんたとあさひなが、“楽じゃない方”を選ぼうとしてるから、今こうして二周目がある」

 その言葉は、ひなたにも届いたらしい。

 彼女はシーツを握っていた手を放し、そっと胸に当てた。

「……もし」

 ひなたは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「もし、誰かが死ななきゃ世界が回らないなら」

 その目は、真っ直ぐだった。

「その役は、あたしがやるよ」

「は?」

 あまりにも自然に言うから、意味が理解できるまで一瞬かかった。

「いや、待て」

「だって」

 ひなたは、微笑んだ。

 悲しそうで、でもどこかすっきりした顔で。

「知らない誰かが死ぬくらいなら、あたしが死んだ方がまだマシかなって」

「マシじゃねえよ!」

 自分でも驚くほど大きな声が出た。

 保健室の空気が震える。

「何勝手に“世界のために死にます宣言”してんだよ」

 胸の奥から、言葉が溢れた。

「そんなヒーローみたいな役目、押しつけられて喜ぶほど、お前は安い人間じゃないだろ」

「別に、喜ぶとかじゃなくて」

「じゃなくて、じゃねえ!」

 言葉が止まらない。

「“誰かが死ななきゃ回らない世界”だとしても、その誰かをお前だって決める権利、世界にはない」

 ひなたが、目を見開く。

「お前の命は、“世界のバランス”のためのコマじゃない」

 言いながら、自分の手が震えているのが分かった。

「俺の幼なじみで、文化祭のことで悩んでて、進路で迷ってて、母親の手伝いしてて、くだらないことで笑ってる女の子の命だ」

 そんな当たり前のことを、今、必死に叫んでいる。

「それを、“世界のために死にます”で納得したくない。お前自身がそう言ったとしても、なおさら嫌だ」

 ひなたの唇が、震える。

「……あさひな」

「世界がどうとかニュースがどうとか関係ない。俺は、お前に生きててほしい」

 ようやく、言葉にできた。

 一周目のとき、口の中で溶けてしまった言葉を。

 ひなたは、しばらく何も言わなかった。

 やがて、ぽつりと漏らす。

「ヒーローみたいな役目、押しつけたくないって言ってたけどさ」

 涙をこらえるみたいに笑う。

「あさぴーの方がヒーローっぽいこと言ってるよね、それ」

「そうか?」

「そうだよ。普通こんな状況で、“世界よりお前の命が大事”なんて言えないって」

「言っちゃったからな」

「言われちゃったからね」

 ひなたは、目頭を指で押さえた。

「……ずるいなあ」

「何が」

「二周目ズルい」

 涙声で笑う。

「一周目、言ってくれればよかったのに」

「それはほんとごめん」

 そこだけは、どうしても謝るしかない。

「今言ったから、ギリギリセーフってことで」

「グレーゾーン多用しないで」

 ひなたは笑いながら、ぽろぽろと涙をこぼした。

 ルカが、その様子をじっと見つめている。

 観察者の目で。

 でも、ほんのわずかに、そこに揺らぎが混ざっていた。

「……ねえ」

 ひなたが、涙を拭いて顔を上げた。

「ルカちゃんはさ。あたしが“世界のために死ぬ役やります”って言ったら、それが一番楽な線だって分かってて、止めないの?」

「止めない」

 ルカは即答した。

「止める義務はない」

 ひなたは、ほんの少しだけ肩を落とした。

「でも」

 ルカは、そこで一拍置く。

「“楽じゃない方を選ぶ人間”を見るのも、嫌いじゃない」

 クロが、目を丸くした。

「へえ、珍しいね。感情入った?」

「入ってない」

 ルカはきっぱり否定する。

「ただの“観測対象としての興味”」

「それを世間では“感情”って呼ぶんだよ」

 クロが小さく笑う。

 ルカは、それには答えず、立ち上がった。

「どっちにしても」

 窓の外の光を一度見てから、俺たちを振り返る。

「このケースは、記録としてかなり面白い」

「言い方」

「だからこそ、あたしたちは見届ける必要がある」

 白髪を揺らしながら、不気味なほど静かな笑みを浮かべた。

「空木ひなたが世界のために死ぬのか。朝比奈蒼真が世界を敵に回してでも守るのか。その先で、世界がどうバランスを取り直すのか」

 ルカの瞳に、俺とひなたとクロの姿が小さく映る。

「全部、ちゃんと最後まで見ておかないと」

 それは、「敵の台詞」にも「味方の台詞」にも聞こえなかった。

 ただ、世界の向こう側から届いた、冷たい好奇心だけがそこにあった。


第十八話「運命の書き換え」

 文化祭二周目――それは、一周目と同じようでいて、最初から決定的に違っていた。

「なあ、あさひな。今日、なんか顔こわくね?」

 昼休みの教室で、月島燈央がチョコパンを片手に俺の顔を覗き込んできた。

「いつもより眉間にしわ寄ってる。おっさんかよ」

「おっさん言うな」

 いつもの調子で返しながらも、心臓の鼓動は落ち着かない。

 今日は、二周目の大きな分岐点の一つだ。

 一周目では何も知らなかった親友を、このループでは最初から巻き込むと決めた日。

「燈央。ちょっと、話したいことがある」

「ん?」

 燈央がパンをかじる手を止める。

「今日の放課後。体育館じゃなくて、中庭行こう」

「中庭?」

 きょとんとした顔。

「なんだよ改まって。告白か?」

「違う」

「そこ、即答なのちょっと傷つくんだけど」

 軽口でごまかしてくれるのがありがたい。

「いや、マジで大事な話。笑いごとじゃないやつ」

 俺の声のトーンがいつになく真面目だったのか、燈央は少し目を細めた。

「分かった。放課後な」

 そう言って、パンの袋を丸めてゴミ箱に放り込む。

 その頭の上に浮かぶ寿命カウンターは、今日も安定して長い数字を示していた。

 問題は、そこじゃない。

 問題は、別の場所でゼロへ向かっている数字だ。

 窓際の席で、配られたプリントを丸めて遊んでいる幼なじみ。

 空木ひなた。

 その頭上のカウンターは、一周目と同じく「七日」からのカウントダウンを続けている。

 二周目の俺は、その数字から目をそらさないと決めた。

     ◇

 放課後、中庭は風が強かった。

 落ち葉が敷き詰められたベンチの前で、俺と燈央は向かい合って立っていた。

 ひなたは、今日はクロと一緒に教室側の作戦確認。こっちは燈央担当だ。

「で、話って?」

 バスケバッグを地面に置き、燈央が腕を組む。

「まず最初に言っとくけど、たぶん意味分かんねえ話だ」

「意味分かんねえ話、割と慣れてるけどな。空木のテンションに」

「あいつ基準にするな」

 一呼吸置いて、言葉を選ぶ。

「俺さ。人の寿命が数字で見える」

「……は?」

 案の定、間があいた。

「いや、何。急にファンタジーいく?」

「ファンタジーかどうかはともかく、事実として見える」

 中庭を横切っていく下校中の生徒たち。

 その頭上に、秒単位で減っていく数字が浮かんでいる。

 燈央の頭の上にも、長い桁のカウンターが静かに動いていた。

「で、その数字がきっかけで、俺は一回、文化祭当日に“最悪の未来”を見た」

「最悪の未来?」

「体育館の照明が落ちて、天井パネルが崩れて、ひなたが――」

 喉が詰まる。

 一周目の映像がフラッシュバックする。

 血の匂い。

 白くなった唇。

 カウンターがゼロに向かっていく感覚。

「ひなたが死ぬ未来だ」

 できるだけストレートに言った。

 冗談だと笑わせないために。

 燈央の表情から、ふざけた色が一気に消える。

「……夢でも見た?」

「夢ってことにした方が楽なんだろうけど、残念ながら現実だった」

「現実?」

「一回、俺は文化祭当日に頭打って意識飛んで、そのあと“真っ白な空間”で死神に会って、時間を巻き戻された」

「ちょっと情報量」

「分かってる。でも全部話さないと通じない」

 俺は、できるだけ淡々と、一周目の流れを説明した。

 照明器具の落下未遂。

 雷雨によるスケジュール変更。

 体育館での将棋倒し。

 天井パネルの崩落。

 ひなたが身を投げ出して誰かを守り、その代わりに下敷きになったこと。

 俺が間に合わなかったこと。

「……で、気づいたら時間が戻ってた。余命七日を見た最初の日の朝に」

「タイムリープものかよ」

 燈央は、頭をかきむしった。

「いや、ごめん、信じろって方が無茶だろこれ」

「信じてもらうために、一つだけ証拠出す」

 俺はポケットから自分のペットボトルを取り出した。

「今から、これ落とす」

「は?」

「で、中身が誰の足元にこぼれるか言い当てる」

 燈央の眉がぴくりと動く。

「一周目の昼休み、お前自分のスポドリ落としただろ」

「お、おう」

「そのとき、中身がかかったのは、前の列の席に座ってた清水だ」

 廊下側の真ん中あたりの席。眼鏡の男子。

「清水は“うわ冷た”って叫んで立ち上がって、先生に怒られて、みんなで笑った」

「……」

「そのあと、拭こうとした拍子にお前が消しゴム踏んで、転びかけた」

「……そこまで、言う?」

 燈央の顔から血の気が引いていく。

「俺以外で、そのシーン覚えてるやつは?」

「いない。あれ、そんな目立たなかったし」

「じゃあ、やるぞ」

 俺は、ペットボトルのキャップをゆるめる。

 教室の様子は、一周目と同じ。

 この時間、清水は確かに前の席にいた。

 中庭の窓の向こう、教室の中で人影が動くのが見える。

「三分後。お前のスポドリが清水にかかる」

「いや、今持ってるの、お前のペットボトルだし」

「さっき、自販機で買ってたやつだろ」

「見てたの?」

「見てた」

 燈央は、しばらく黙っていた。

 そして、ため息をつく。

「……分かったよ。そこまで言うなら、三分後に教室覗いてやる」

「頼む」

 二人で、校舎の影に体を隠しながら、窓の向こうをじっと観察する。

 時計の秒針が一周する。

 ふた周、み、――

「あ」

 燈央が声をあげた。

 教室の中で、彼が席を立ち、スポドリを机に置こうとして、ノートに引っかけ、そのまま床に落とした。

 中身が、前の席の清水の足元にざばっとかかる。

 清水が跳ね上がる。

 先生が怒る。

 クラスが笑う。

 何もかも、一周目と同じ。

 燈央はしばらく窓の外を見つめたまま動かなかった。

「……偶然、じゃねえな」

 低い声で言う。

「ここまで同じなら、偶然って言い張る方がきつい」

「だろ」

 俺も息を吐いた。

 数秒してから、燈央はこちらを向く。

「分かった。ひなたが死ぬって話も、本気で受け取る」

「ありがとう」

「で?」

 燈央が腕を組む。

「俺は何すればいい。体育館で暴れる照明を素手で止めればいい?」

「いや、それは無理だろ」

 でも、その頼もしさには少し救われる。

「頼みたいのは一つ。文化祭当日、体育館に人を集めすぎないように協力してほしい」

「人を、集めすぎない?」

「一周目では、体育館ステージの全体イベントの時間帯に人が集中しすぎて、将棋倒しと天井落下が重なった」

 だから、そこを変える。

「ステージイベントの前後で、人の動線をばらけさせる。体育館に行かないで済む選択肢を増やす」

「なるほどな」

 燈央は顎に手を当てた。

「バスケ部のネットワーク使えば、他のクラスにも声かけられる」

「危ない噂は広がるの早いからな」

「そういうこと。体育館の照明が老朽化してるとか、ステージのリグがやばいとか、ちょっと盛った噂を流す」

「盛るんだ」

「完全な嘘じゃないからセーフ」

 クロ辺りに怒られそうな理屈を自分で言いながら、俺は続ける。

「先生たちには、“ネットで見た他校の事故例”を引用して、ガスコンロとか電源タップの危険性をしつこく訴える」

「お前、意外とこういうの得意だよな」

「必死なだけだ」

 燈央は、少しだけ笑った。

「分かった。俺も乗る」

「いいのか」

「ひなたに何も言わずに死なせるルートが一回通ったって話なんだろ」

 燈央は、遠くの体育館を見やった。

「そっちのルートよりは、“みんなで足掻くルート”の方がまだマシだろ」

 その言葉に、胸の奥が熱くなる。

「ありがとう。本当に助かる」

「礼は、ひなたが生きて文化祭終わってからでいいよ」

 燈央は、バッグを肩に担ぎ直した。

「それまで、お前の無茶につきあってやる」

     ◇

「体育館の照明さあ」

 その日の放課後。クラスの文化祭準備の時間。

 俺は、わざと皆に聞こえるような声量で話を切り出した。

「ネットの記事で見たんだけど、別の高校で落ちたらしいよ。古いワイヤーが切れて」

「え、それマジ?」

 クラスの男子が振り向く。

「ニュースになってた。ステージ照明、老朽化してると結構危ないらしい」

 スマホ画面には、クロが裏で用意してくれた架空のニュース記事が映っている。

 本物のニュースサイトに紛れ込ませた“管理局製フェイク記事”だ。

 これを、俺はさも本当のニュースみたいな顔で見せびらかした。

「ほら。“体育館ステージで照明器具落下。生徒数名軽傷”って」

「うわ、写真付きじゃん」

「こわ」

 女子たちの顔が青ざめる。

「あのさ、うちもさ、装飾とか照明、体育館のやつ頼りすぎない方がよくね?」

 あくまで、「安全を考える優等生」の顔で続ける。

「教室側の飾り付けに多めに力入れて、ステージ上の照明は最低限にしといた方が」

「でもさ、暗いと映えないじゃん」

 ひなたが、メイド服のカタログを片手に口を挟んだ。

「照明で盛ってなんぼでしょ、文化祭って」

「命より盛り?」

「うっ……」

 俺の言葉に、ひなたが言葉を詰まらせる。

「盛りも大事だけど、事故起こったら元も子もないぞ」

 燈央もさりげなく援護に入る。

「ほら、俺らバスケで体育館使ってるけど、マジであのリグ古いから。ギシギシ言うし」

「マジ?」

「マジ」

 実際、一周目の記憶では、照明の吊り具は確かに不穏な音を立てていた。

 ここまで言えば、クラスの空気も変わる。

「じゃあ、体育館は最低限のライトだけにして、あとは教室で勝負する?」

「廊下側にフォトスポット作るとか」

「メイド喫茶の客寄せ、校舎中でやるのは?」

 提案がいくつか出て、黒板に書き込まれていく。

 となりで、ひなたが小声でつぶやいた。

「……分かったよ。命より盛りは撤回する」

「分かればよろしい」

「その代わり、教室の装飾、あさぴーも一緒に死ぬほど盛り上げてよ」

「死ぬほどって言い方やめろ」

 そんなやり取りをしながらも、クラスの方針は少しずつ変わっていく。

 体育館頼りから、教室中心の企画へ。

 一周目ではステージ上に集中していた照明や装飾の負荷が、この時点でいくつか分散された。

     ◇

「先生、ちょっといいですか」

 廊下で、俺はターゲットを変えた。

 理科の佐久間先生。

 落ち着いた中年男性だが、安全管理にはうるさいタイプだ。

「文化祭当日の模擬店のガスコンロのことで」

「どうした、朝比奈」

「ネットで、別の学校の事故を見て。ガスコンロ付近に延長コードがあると危ないって」

 スマホ画面を、さっきとは別の記事に切り替える。

 これもまた、クロ製の“それっぽい事故例”だ。

「感電とか火災につながるって書いてあって。うちの体育館の電源タップ、古いの多いじゃないですか」

「確かに」

 先生の表情が、少しだけ引き締まる。

「家庭科の先生とも相談して、配置変えるかどうか決めてほしくて」

「よく気づいたな、朝比奈」

 先生は、軽く頷いた。

「責任者会議で共有しておく。体育館のコンセント周りは、一度全部点検しよう」

「お願いします」

 こういうとき、優等生の仮面は便利だった。

 俺の頭上の寿命カウンターがじわりと減っているのが見えるけれど、それには今触れない。

 代わりに、体育館の天井付近のカウンターを確認する。

 一周目で、不穏に短い数字を示していた照明リグの周辺。

 そこに浮かぶ数字が、ほんの少しだけ伸びているのを見て、胸をなで下ろした。

     ◇

 雷の問題は、クロとルカの出番だった。

「明日の午後の雷雲、発生確率六十パーセント」

 放課後の教室。誰もいなくなった窓際で、クロがスマホを覗き込みながら言う。

「管理局のシミュレーションだと、夕方四時前後に一番強くなる」

「天気予報だと、そこまで強くなさそうに見えるけどな」

「細かいところはこっちの方が正確」

 クロは、俺のスマホに“バグった通知”を送信する。

 画面の上に意味不明な文字列と一緒に、「雷注意」の文字が一瞬だけ表示され、すぐに消えた。

「これを、普通の天気アプリの通知だと思って学校側に見せればいい」

「便利だな、世界側チート」

「チートって言うと怒られるからやめて」

 怒ってるのはたぶん管理局だ。

「で、あたしはあたしで、上に報告上げとく。“雷雨による事故トリガーは、別イベントに分散済み”って」

 ルカが、黒板に背中を預けながら言う。

「これで、天井パネル落下コースはかなり確率が下がるはず」

「かなり、ってのが怖いんだけど」

「ゼロにはならない」

 ルカは、淡々と続ける。

「でも、世界線は一周目から少し離れた別ルートに入り始めてる」

 その目は、どこか期待を含んだ観察者の目だった。

「問題は、その先で“別の歪み”がどこに出るか」

「そこなんだよな」

 俺は窓の外の体育館を見下ろす。

「照明事故を軽くした分、別の場所に危ないポイントが移る」

「それを全部手で潰すのは無理」

 クロが肩をすくめる。

「だから、“ひなたの周り”と“致命的なトリガーだけ”に絞って動くしかない」

「イタチごっこにならないように」

 ルカの言葉に、ひなたが小さく頷いた。

「……でもさ」

 ひなたは窓ガラスに額を預ける。

「一周目では、あたし何も知らないまま文化祭迎えて、何も知らないまま死んだわけでしょ」

 その言い方はあまりにもストレートだったけど、誰も否定できなかった。

「だったら二周目は、ちゃんと知って、ちゃんと選んで、ちゃんと足掻いてから迎えたい」

 ひなたは笑う。

「その方が、まだマシでしょ」

 その笑顔の頭上で、寿命カウンターが一瞬だけ揺れた。

     ◇

 そして、文化祭二周目当日。

 校舎は、色とりどりの装飾で埋め尽くされていた。

 廊下の壁にはクラスごとのポスター。

 教室前には手作りの看板。

 メイド喫茶仕様に飾り付けられた俺たちの教室は、廊下側にフォトスポットが設置されている。

 ひなたはメイドエプロンをつけて、教室の外で客引きに回っていた。

「いらっしゃいませご主人様、お嬢様!」

 いつもの声が、廊下に響く。

「はい、こちらのメニューがお得ですよー。今なら店員のスマイル無料でーす!」

「スマイル無料は最初からだろ」

 思わずツッコむと、ひなたは笑いながらウィンクを飛ばしてきた。

 その頭上のカウンターは――一周目の同じ時間より、ほんの少しだけ長い数字を示していた。

「体育館、行かなくていいのかよ」

 燈央が、客用のトレーを抱えながらひなたに声をかける。

「あっち、全体イベントで盛り上がってんじゃね?」

「いいの。今日は教室でがんばる」

 ひなたは、あえて視線を体育館から外すように、廊下の反対側を見た。

「どうせ体育館の方は、あさぴーと燈央とクロとルカちゃんが目光らせてるんでしょ」

「丸投げすんな」

「信頼と丸投げは似て非なるものだよ」

 言いながらも、お互いに分かっている。

 ひなたが体育館に近づかない。それだけでも、一周目から大きく違うのだと。

「じゃ、行ってくる」

 燈央がトレーをひょいと持ち上げる。

「体育館の様子、ちょっと見てくる。何かあったら連絡入れる」

「頼んだ」

 俺は、メイド喫茶の手伝いをしつつ、スマホをポケットに忍ばせる。

 クロとルカは、すでに体育館周辺の“数字”を監視中だ。

 通知が来たらすぐに動けるように。

     ◇

 体育館の中は、一周目と同じようにざわめいていた。

 だが、数字は違っていた。

「照明リグ、負荷二割減」

 ステージの上、天井付近を見上げながらクロがつぶやく。

「電源タップ周りも、前よりすっきりしてる。コードの絡まり少なめ」

「雷雲のエネルギーも、一周目ほどは集中してない」

 ルカが、空の色を確認する。

「さっきから雷鳴ってないしね。プログラムの前倒し、効いてる」

 それでも、ゼロにはならない。

 ステージ上方のカウンターは、まだじわじわと不穏に揺れていた。

 やがて、照明器具の一部が揺れ、ギシ、と嫌な音を立てる。

「来る」

 クロが小さく息を呑む。

 その瞬間、体育館の一部で悲鳴が上がった。

 照明器具を吊るしていたワイヤーの一本が、限界を迎える。

 金属音と共に、一台のライトがステージ脇に落下した。

 床が割れ、破片が飛び散る。

 直撃は免れたが、観客席前列の生徒たちが一斉に立ち上がる。

 ざわめき。

 叫び声。

 ざっと退避する人の流れ。

 一周目の悪夢が頭をよぎる。

 だが、決定的に違うことが一つあった。

「天井、持ちこたえてる」

 ルカが、上を見上げたまま言う。

 蜘蛛の巣のように張り巡らされたワイヤーと鉄骨。

 一周目ではここから連鎖的に崩落したパネルが、今回はぎりぎりでこらえていた。

「負荷が分散されてる。体育館イベントのタイムテーブルをいじったのが効いてるね」

「被害は、軽傷数人ってところかな」

 クロは、落下地点周辺のカウンターをざっと確認する。

「死ぬやつはいない」

「ひなたは?」

「ステージ周辺にいないから、ここからの直撃はない」

 二人は、そこでようやく少しだけ息を吐いた。

 そのとき。

「先生!」

 体育館の外から、別の悲鳴が聞こえた。

 校舎の方角。

 クロとルカが同時に振り向く。

 世界線は、確かに一周目からずれた。

 その分の歪みが、別の場所に出始めている。

     ◇

 校舎裏の階段に、俺は全力で駆けていた。

 体育館での照明落下の報せは、スマホの通知で受け取っていた。

 被害は軽傷。

 天井崩落なし。

 ひなたのカウンター、生存。

 安心する暇もなく、次の通知が飛んできた。

 校舎裏、老朽化した外階段付近のカウンターが一気に揺れた、と。

 足の悪い教師と、その教師を追いかける生徒の数字が、不安定に跳ねる、と。

「くそ……!」

 靴底がコンクリートを叩く音が、耳の奥で反響する。

 角を曲がった瞬間、視界の先にそれはあった。

「先生、危ない!」

 段差を踏み外しかけた佐久間先生。

 その腕を掴もうとして、足を滑らせた女子生徒。

 二人とも、階段の中ほどでバランスを崩していた。

 先生の頭上のカウンターが一気に減る。

 女子生徒のカウンターもつられて揺れる。

「っ……!」

 考えるより先に、体が動いた。

 階段下から駆け上がり、俺は女子生徒の背中に体当たりするように飛び込む。

 その勢いで、先生の体が反対側の手すりに倒れ込み、ぎりぎりで踏みとどまる。

 代わりに、俺の足元が空を切った。

「あさひな!」

 誰かの叫び声。

 世界がぐるりとひっくり返る。

 外階段の手すりに片手を引っかけて、なんとか落下だけは免れる。

 右肩に鈍い痛みが走り、息が詰まりそうになる。

「朝比奈、大丈夫か!」

 先生の声。

「だ、大丈夫です……!」

 無理やりそう答えながら、俺は上を見た。

 先生のカウンターは、さっきまでより長くなっていた。

 代わりに、俺の頭上の数字がざくっと削れている。

 女子生徒のカウンターも、安定域に戻っていた。

「……マジで、イタチごっこだな」

 息を整えながら、苦笑する。

 誰か一人の死を潰すと、別の誰かの死が顔を出す。

 それを潰すと、また別の所が歪む。

 全部に手を出していたら、こちらの寿命がいくらあっても足りない。

 そんなことは分かっていたのに、結局こうして体が勝手に動いてしまう。

「だから言ったのに」

 階段の踊り場に、クロがふっと現れた。

「個別に全部救おうとしたら、自分が先に死ぬって」

「それでも、見たら動くだろ」

 手すりにしがみつきながら、俺は笑う。

「見て見ぬふり、できるタイプに見えるか」

「見えない」

 クロは、ため息をつく。

「そこがあんたのいいところで、悪いところ」

 そこへ、息を切らせたひなたが駆け込んできた。

「あさぴー!」

 メイドエプロン姿のまま、階段を駆け上がり、俺の腕を掴む。

「だから体育館じゃなくてこっちで事故起きてんじゃん! 何やってんの!」

「いや、それは俺も聞きたい」

 肩の痛みをごまかしながら、冗談を返す。

 ひなたの頭上のカウンターは――。

 ゼロにはなっていなかった。

 ただ、安定しているとも言い難い。

 桁の途中にノイズが混じるように、数字がぶるぶると震えている。

「ひなた」

 俺は、彼女の顔を見た。

「お前の寿命、ゼロにはなってない」

「……ほんとに?」

「ほんとだ」

 カウンターは、まだ時間を示している。

 一周目のように、まっすぐゼロへ向かう線ではない。

 かといって、落ち着いて伸びていく線でもない。

 どこにも収束しない、中途半端な揺れ方。

「“非定常状態”だね」

 いつの間にか来ていたルカが、階段の上から見下ろして言った。

「空木さんの寿命データ。ゼロにもならず、かといって安定した未来にも繋がらない」

「そんな状態、ありなの?」

「特例中の特例」

 ルカは、興味深そうにひなたを見つめる。

「世界が、“まだ決めきれてない”ってこと」

「決めきれてない?」

「“空木ひなたが死ぬ世界線”と、“空木ひなたが生きる世界線”」

 ルカは、目に見えない線を指でなぞる。

「その分岐のど真ん中で、足踏みしてる状態」

「だから、世界も落ち着かないし、彼女のカウンターも落ち着かない」

 クロが、階段の手すりに座り込んだ。

「このままじゃ、そのうちどこかでもっと大きな歪みが出る」

「……ってことは」

 ひなたが、息を整えながら言う。

「今のまま“中途半端に助かってる状態”が続くのは、ダメってこと?」

「ダメだね」

 ルカは、はっきりと言い切る。

「どこかで、決定的な答えを選ばなきゃいけない」

 生きるのか。

 死ぬのか。

 誰も死なない第三のルートを叩き出すのか。

「世界も、あんたたちも」

 ルカの言葉が、静かに落ちる。

 ひなたは、自分の胸の前でぎゅっと拳を握った。

「……だったら」

 震える声で、それでも笑う。

「その“決定的な答え”、世界に決められるのはイヤだな」

 ひなたの目が、俺を見る。

「どうせなら、あたしたちで決めたい」

 その視線を受け止めながら、俺も頷いた。

「中途半端で終わらせない」

 階段の上。

 体育館のざわめきが、遠くに聞こえる。

 照明落下は防ぎきれなかった。

 でも、天井崩落も、ひなたの死亡も避けた。

 代わりに、別の事故が顔を出しかけた。

 それを救った代償として、俺の寿命はまた削れた。

 ひなたのカウンターは、ゼロにも安定にも行けず揺れている。

 このまま続けば、世界も彼女も、どこにも落ち着かない。

 だからこそ――。

「ちゃんと終わらせるルートを探そう」

 俺は、階段の上でそう宣言した。

「あの時みたいに、“間に合わなかった手”で終わるんじゃなくて」

 今度こそ、届くところまで。

 世界のルールを知った上で。

 死神たちの都合も踏まえた上で。

 それでも、俺たちの答えを叩きつけるために。

 運命の書き換えは、まだ途中だ。

 中途半端なまま止まったカウントダウンをどう動かすか。

 その答えを見つけるまで、俺たちの二周目は終わらない。


第十九話「非表示という答え」

 その発想にたどり着いたのは、正直、開き直りに近かった。

「寿命を変えられないならさ」

 放課後の教室。カーテンを半分だけ下ろした窓際で、俺はノートパソコンの画面を睨みながら言った。

「いっそ、“寿命の扱われ方”を変えればいいんじゃないか」

「扱われ方?」

 ひなたが、机の上に乗せた頬杖をゆっくりと起こす。

「寿命そのものの数値は世界のルール。でも、そのデータをどの死神が管理してるかとか、どう表示してるかとか、そういうとこには“運用ルール”がある」

 俺の隣で、クロが腕を組んだ。

「運用ルールをいじるって、一番怒られるやつだよ」

「でもさ」

 ルカが、教卓に腰掛けたまま、退屈そうに足をぶらぶらさせる。

「禁じられてるのは“寿命を伸ばすこと”と“勝手に削ること”でしょ。“誰の担当としてカウントするか曖昧にする”くらいなら、ギリギリグレーゾーン」

「グレーゾーンって自分で言ってる時点でアウトくさいんだけど」

 クロがジト目になる。

「そもそも、管理タグを書き換える権限なんて、現場の死神には――」

「あるよ」

 ルカが、あっさり言い切った。

「あたし、“監査官”だから。どこまで現場に権限降りてるか、大体知ってる」

「お前さあ、その話先にしろよ」

 俺が思わずツッコむと、ルカは肩をすくめる。

「だって、“ルールいじりたい”って人間の方から言い出すか見たかったんだもん。面白いし」

「人間を実験動物みたいに言うんじゃねえ」

 ひなたがペンケースを投げるふりをすると、ルカはひょいと身をかわした。

 そのやりとりさえ、今の俺には救いに見える。

「聞かせてくれ」

 俺は姿勢を正す。

「具体的に、何ができて何ができない」

「簡単に言うとね」

 ルカは、黒板に歩み寄り、チョークを手に取った。

 そして、白い線で二つの四角を描く。

「こっちが“寿命データ本体”」

 一つ目の四角の上に「本体」と書き込む。

「こっちが“管理情報”」

 もう一つの四角の上に「タグ」と書く。

「本体の方は、上位しか触れない。今回みたいに“事故で死ぬ予定”って決まってるやつは、あたしたち現場がいじるのは完全にアウト」

「だよな」

「でも、“誰がそのデータを監視してるか”とか、“どのレーンで処理するか”とか、いわゆるタグ情報は、現場にもある程度書き換え権限がある」

 タグ、と書かれた四角の中に、ルカがいくつか単語を書き込んでいく。

「例:担当死神ID、管理レーン、優先順位、表示フラグ」

「表示フラグ?」

 俺が思わず聞き返す。

「うん。“この対象の寿命カウンターを、人間側のインターフェイスに表示するかどうか”って設定」

 ルカは、黒板を振り返った。

「朝比奈くんの右目みたいな、特例端末ね」

 右目。

 反射的に、そこに手がいく。

 ひなたの頭上、クロの肩口。

 誰かの寿命カウンターを見るたびに、じわりと痛む気がしていたこの目。

「つまり」

 ひなたが、ペンをくるくる回しながら言う。

「あたしの寿命そのものは変えられないけど、“どの死神が見るか”とか“どの端末に表示するか”は変えられるってこと?」

「そう。極端な話、“誰も担当してない”ってことにすることも、理論上はできなくない」

 ルカの声が、少しだけ低くなる。

「……ただ、それやると“管理対象外データ”としてシステムからはじき出される。世界側から見たら、“どこの部門の責任か分からないバグ”になる」

「バグ」

 その単語に、ひなたが目を輝かせた。

「かっこよくない?」

「いや、かっこよくはないだろ」

 俺が即座に否定する。

「管理側からしたら悪夢だからね」

 クロがこめかみを押さえた。

「“担当不明の寿命データ”なんて出したら、上が発狂する」

「でもさ」

 俺は、あえてそこに踏み込む。

「今のまま、“ひなたの死が世界を救うトリガーです”って決められてる方が、俺たちからしたら悪夢だ」

 黒板の「本体」と「タグ」の四角を見比べながら、続ける。

「本体の寿命には手出しできない。でも、“誰がどう見るか”はまだ余地がある。なら、そこをいじって、“ひなたの死を前提にした未来”そのものを見えづらくすることはできないか」

「見えづらく、か」

 ルカの目が少しだけ細められる。

「“消す”じゃなくて、“非表示にする”」

 俺は、用意していた言葉を口にした。

「世界の上層部が、“空木ひなた”って名前をダイレクトに参照できない状態にする。ひなたの死を起点に組み立てられたシミュレーションも、一度壊す」

「そんなことしたら」

 クロが、ゆっくりと口を開く。

「あんたも、あたしも、消されるかもしれない」

 いつもの軽口じゃない。

 本気の声だった。

「管理情報いじるのは、ギリギリ“調整”として許されるライン。でも、“死のトリガーの特定そのものを曖昧にする”のは、明確な反逆」

「知ってる」

 ここだけは、もう迷わない。

「ひなたが死ぬか、ひなたを助けて別の誰かが死ぬか。それしかない二択なら、どっち選んでも後悔する」

 胸の奥からこみ上げてくる言葉を、そのまま出す。

「だったら、二択そのものをぶっ壊したい」

 沈黙。

 ひなたが、チョークの粉で白くなった黒板を見つめていた。

 そして、静かに笑う。

「……なんかさ」

「ん?」

「自分の寿命をシステムから外すって、ちょっとワクワクするね」

「お前さ」

 思わず苦笑が漏れる。

「いや、怖いよ? めちゃくちゃ怖い」

 ひなたは自分の胸に手を当てた。

「でも、“どっちに転んでも誰かの死が確定してるルート”を歩き続けるよりは、まだ、“自分で選んだバグで死ぬかもしれないルート”の方が、マシな気がする」

「死ぬ前提で話すな」

「ごめん。でもさ」

 ひなたの瞳が、真正面から俺を射抜いてくる。

「どっちみち今のままだと、あたしは文化祭で死ぬ予定なんでしょ」

「……ああ」

「だったら、その“予定”書いたやつの顔、ちょっとくらいは殴っておきたいじゃん」

 冗談交じりの言い方だったけど、その奥にある本音は痛いほど伝わってきた。

「だから、やろう」

 ひなたは、にかっと笑う。

「空木ひなたというバグを、世界に投げつける作戦」

「名前つけんな」

 クロが頭を抱える。

「……分かった」

 ルカが、チョークを置いた。

「いいよ。あたしも乗る」

「お前まで」

 クロの目が見開かれる。

「あたし、もともと観測者寄りだからね」

 ルカは、いたずらっぽく笑う。

「“数字どおりに流れてくれた方が、仕事は楽”なんだけど」

 小さく、呟くように続けた。

「……でも、楽じゃない方を選ぶ人間って、見てて嫌いじゃない」

 その一言で、クロの肩から力が抜けた。

「ほんと、最悪の監査官引いたなあたし……」

 文句を言いながらも、その目は覚悟を決めていた。

「いいよ。やるならとことん付き合う。どうせバレたら一緒に怒られる」

「クロ」

「勘違いすんなよ」

 そっぽを向きながら、クロが言う。

「これはあたしが勝手にやるだけ。契約者の希望がどうとかじゃなくて、あたしの趣味だから」

「はいはい。趣味で反逆する死神さんね」

「うるさい」

 クラスメイトたちの笑い声が遠くで響く中、教室の一角だけが、別の温度を持ち始めていた。

     ◇

 文化祭の喧騒から少し離れた場所に、校舎の片隅にあるコンピュータ室がある。

 普段は情報の授業でしか使われないその部屋は、今日はほとんど無人だった。

「鍵、借りてきた」

 燈央が、コンピュータ室のドアを開けながら言った。

「職員室の先生、“文化祭の記録まとめる”って言ったらすぐ貸してくれた」

「ナイス」

 ひなたがサムズアップする。

「ほんとに“記録”まとめちゃうんだね、世界の」

「スケールが違うわ」

 笑い合いながら、中に入る。

 部屋の中には、古めのデスクトップがずらっと並んでいた。

 蛍光灯の白い光が、無機質な机の列を照らす。

「よし」

 クロが、教卓のパソコンの前に陣取った。

「ここをゲートにする」

「ゲート?」

「人間界と管理局ネットワークの中継点」

 クロは、キーボードに手を置く。

 ほんの一瞬だけ、教卓の周囲の空気がびりっと震えた気がした。

「あ、今なんか、変な匂いした」

 ひなたが鼻をひくつかせる。

「死神専用LANの匂いだよ」

「そんな匂いやだな」

 ルカは、隣のパソコンに座り、自分の指先をUSBポートに軽く触れさせる。

 ――カチ。

 画面が一瞬暗転し、見慣れない黒いウィンドウが立ち上がった。

 文字化けしたような記号と、見たこともないフォントの英数字が、画面いっぱいに並ぶ。

「ゲート開通」

 ルカの声が、コンピュータ室の静寂に溶ける。

「ここから先は、あたしたち死神の仕事場」

「ゲームの裏画面みたいだな……」

 俺は、思わず呟いた。

「朝比奈」

 クロが、こちらを見る。

「右目、貸して」

「貸すも何も、ついてるの一個しかないけど」

「その一個が必要」

 クロは俺の前に立ち、そっと右目の下に指を添えた。

「少し痛いかも」

「またそれ」

「今回はマジで」

 そう言った瞬間、視界がぐんと引き伸ばされた。

 コンピュータ室の天井も床も消え、代わりに、漆黒の空間に白い線が網目のように走る。

 無数の光点が、線の交点で瞬いていた。

「……なに、これ」

「寿命データのネットワーク」

 声だけが、耳元に届く。

「本来なら人間の契約者が見る画面じゃないんだけど、あんたの目はもう半分向こう側だからね」

 白い線の中の一つのノードが、ぽん、と明滅した。

「対象ID:AKR−0815」

 クロの声。

「朝比奈蒼真。あんたのデータ」

「へえ」

 別に見たくなかった。

「で、こっちが――」

 別のノードが、淡いオレンジ色に光る。

「対象ID:UKG−0312。空木ひなた」

 その瞬間、心臓が強く跳ねた。

 ノードの周囲には、いくつものタグがぶら下がっている。

 担当死神ID、管理レーン、事故トリガーID、優先度。

 そして――予定寿命。

「……」

 その数字を見た瞬間、本能的に視線をそらしたくなった。

 でも、今回はそらさないと決めている。

「予定死亡イベント:学校事故K−21」

 ルカの冷静な声が、どこか遠くから響く。

「関連イベント数、三十二。派生救済人数、最大五百七十八」

 ひなたの死をトリガーに、救われるはずだった人間の数。

 一周目で聞かされた“世界の都合”が、文字列として突きつけられる。

「これを“ゼロ”に書き換えることはできない」

 クロの声は、いつになく真面目だった。

「でも――」

 タグの列の中に、「表示フラグ」という項目を見つける。

「ここにアクセス権が残ってる」

「“現場権限:書き換え可”」

 ルカが確認する。

「表示フラグを切れば、“寿命カウンターの表示”と、“一部の自動監視システム”からは外れる」

「ただし」

 クロが続ける。

「監査ログに、“不正な表示変更”として記録される。間違いなく、あとで調査が入る」

「調査されるのは?」

「あたしとルカ。あと、協力した端末」

「端末って」

 いやな予感しかしない。

「朝比奈くんの右目」

「だよなあ」

 俺は苦笑する。

「まあ、この目もそろそろ役目終えていいかなって思ってたとこだし」

「軽く言うなよ」

「軽く言わないとやってられない」

 視界の端で、ひなたのノードが静かにまたたく。

「ひなた」

 俺は呼びかける。

「最後に確認させてくれ」

「ん」

 現実の世界で、ひなたの声がする。

「あたしの寿命の表示を消して、“誰のものでもないデータ”にする。多分、そのせいで俺も、クロも、ルカもタダじゃ済まない」

「うん」

「それでも、本当にやるか」

「……」

 少しの間の後、ひなたは言った。

「さっきも言ったけどさ」

 笑っているのが、声で分かる。

「どっちみち、“このまま文化祭で死にます”って予定組まれてるなら」

 ひなたは、ひとつ息を吸い込んだ。

「どうせ死ぬ時くらい、自分で選んだバグ踏んで転びたい」

「比喩のセンスどうなってんだよ」

「あと」

 ひなたは、少しだけ声のトーンを落とした。

「もし生き残れたらさ」

「うん」

「“予定どおり死ななかった空木ひなた”って、なんかかっこよくない?」

 世界の期待を裏切った少女。

 寿命システムに大穴開けたバグ。

「……そうだな」

 俺は笑った。

「最高にだせえけど、最高にかっこいいよ」

「今“ださい”って言ったよね?」

「褒めた」

「どこが!」

 やりとりの間にも、時間は過ぎていく。

「クロ」

 ルカの声が、少しだけ硬くなる。

「そろそろ、決めないと。監査プロセスが動き出してる」

 視界のあちこちに、「不正アクセス検知」「監査キュー追加」という文字列が赤く点滅し始めていた。

「分かってる」

 クロは、小さく息を吐く。

「表示フラグ、書き換えるよ」

 ひなたのノードにぶら下がる「表示フラグ」の項目が、強く光った。

 現設定:表示

 変更先候補:非表示/監査専用/管理外

「どれ」

 ルカが問う。

「“非表示”だけだと、上の手が届く。ちょっと賢い監査システムならすぐ見抜く」

「“監査専用”は?」

「それだと、あたしとルカも触れなくなる」 

 クロは、数秒だけ考えてから言った。

「“管理外”」

 ルカの目がわずかに見開かれる。

「マジでやる?」

「中途半端な抜け道じゃ、また誰かが潰される」

 クロの声は、震えていなかった。

「やるなら、徹底的にバグらせる」

「……了解」

 ルカは、どこか楽しそうに笑う。

「じゃあ、“管理外”にドロップ。監査官ルートの抜け道、このために取っておいたんだよね」

「取っておくなそんなもの」

 ひなたが遠くでツッコんでいた。

「施行するよ」

 クロが告げる。

「対象ID:UKG−0312、空木ひなた。表示フラグ変更、“管理外”へ移送」

 その言葉と同時に、視界の中のひなたのノードが激しく点滅した。

「警告。権限外操作検知」

 冷たいアナウンスが、空間に響く。

「ログ記録開始。監査プロセス起動」

 真紅の文字列がいくつも踊る。

 頭の奥で、焼けつくような痛みが走った。

「っ……!」

「朝比奈!」

 現実の世界で、ひなたが俺の肩を掴む感覚がする。

「大丈夫、大丈夫だから」

 クロの声が、すぐ近くで聞こえる。

「あと少し。耐えて」

 ひなたのノードが、白く燃え上がるように輝いた。

 ぶら下がっていたタグのいくつかが、次々とちぎれて消えていく。

 担当死神ID、管理レーン、優先度。

 最後に、「予定死亡イベント」の文字が、ぶちっと音を立てて切断された。

「……!」

 世界線が揺れる感覚。

 俺自身のカウンターが、ざくりと削れるのが分かった。

「対象データ、管理テーブルから除外」

 別のアナウンスが流れる。

「状態:表示不可/管理対象外」

 ひなたのノードが、ふっと色を失った。

 代わりに、その場所には「表示不可」という文字列だけが浮かんでいる。

 寿命を示す数字も、予定された事故IDも、そこにはもうなかった。

「……成功、だね」

 ルカが、静かに言う。

「本体の寿命データは残ってるけど、“誰がいつ、どのタイミングで参照するか”のルートは全部あいまいになった」

「簡単に言うと」

 クロが、俺の視界を現実に引き戻しながら言う。

「世界側は、“空木ひなた”という個人を、スケジュールから外さざるを得なくなった」

「トリガーが、消えた」

 頭がまだぐらぐらする。

 けれど、その一言の意味ははっきり分かった。

「代わりに」

 ルカが、黒板に新たな丸印を描く。

「“誰かが死ぬことで世界が回る仕組み”そのものは残る。けど、その“誰か”は、もう最初から決まってない」

「……」

 ひなたは、自分の胸に手を当てた。

「つまり、“あたしじゃなくていい”ってこと?」

「理屈の上では、そう」

 ルカは頷く。

「ただし、“誰でもよくなった”ぶん、世界線のブレは大きくなる。事故の形も、タイミングも、場所も、読めなくなる」

「元から読めてなかったようなもんじゃん」

 ひなたは、笑おうとして、半分だけ成功した。

「少なくとも、“ここでこの子が死ねば全部うまく行く”っていう、クソみたいなラインは消えたわけでしょ」

「言い方」

 でも、その通りだ。

「代償もある」

 クロが、小さく手を上げる。

「あたしとルカは、しばらく人間界に来られなくなるかもしれない。最悪、このままあんたたちの前から消える」

「そんな……!」

 ひなたの声が揺れる。

「朝比奈の右目も」

 クロが、俺を見る。

「さっきから、だいぶガタがきてる」

 言われてみれば、教室の蛍光灯が妙にぼやけて見える。

 右目の中で、誰かの頭上に浮かんでいた数字たちが――薄くなっていた。

「寿命カウンターのインターフェイスから、あんたの目を切断する処理が始まってる」

「……そうか」

 思った以上に、すんなり受け入れられた。

「この目のせいで、いろいろ見えすぎたしな」

 ひなたの数字。

 クラスメイトの数字。

 先生の数字。

 誰かの死に向かうカウントダウン。

「でも、そのおかげでここまで来れた」

 ひなたが、俺の手をぎゅっと握る。

「ありがとね、この目」

「目に言うな」

 笑いながらも、喉の奥が熱くなった。

     ◇

 文化祭の夜。

 校庭の真ん中に、仮設のやぐらが組まれていた。

 屋台の明かりが列をなし、焼きそばとたこ焼きの匂いが風に流れる。

 空には、これから打ち上がる花火の発射台が光っていた。

「寒い」

 ひなたが、自分の腕をさすりながら言う。

「さっきまでメイド服で走り回ってたくせに」

「動いてるときはいいの。止まると一気にくる」

 夜空を見上げながら、俺たちは人混みの少し外れた場所にいた。

 クロとルカは、もう姿を見せていない。

 あのあとコンピュータ室で、「監査プロセスがこっち来る前に戻る」と言って消えた。

 次にいつ会えるか、そもそも会えるのかどうかも分からない。

「……ねえ、あさひな」

「ん」

「まだ、見える?」

 ひなたが、少しだけ不安そうに笑う。

「あたしの、頭の上」

「試してみるか」

 俺は、彼女の顔から少しだけ視線をずらし、その頭上を見た。

 ――何も、ない。

 いつもなら、そこに数字があった。

 七日から始まり、どんどん減っていった残り時間。

 一周目のゼロ。

 二周目の揺れ続けるカウンター。

 今は、そこに何も表示されていない。

 真っ黒でもなければ、∞でもない。

 ただ、“空白”。

「どう?」

 ひなたが、少しだけ息を呑む音が聞こえた。

「……何も、ない」

 正直に言う。

「お前の頭の上、真っさら」

「ふーん」

 ひなたは、ぽつりと言って、夜空を見上げた。

「なんか、変な感じ」

「不安?」

「んー……」

 少し考えてから、首を横に振る。

「数字がっつり減っていくの見せられるよりは、だいぶマシ」

「それはそうかもしれない」

「あとは、自分で決めろって言われてる感じする」

 ひなたは、両手を空に伸ばした。

「どこで誰と笑って、どこで誰のために泣くか。そういうの全部、自分で決めていいよって」

「いい解釈するな、お前」

「ポジティブ担当なので」

 その瞬間、夜空に一発目の花火が上がった。

 ドン、と腹の底まで響く音。

 色とりどりの光の粒が、校舎の上で咲いては散っていく。

 周囲から歓声が上がる。

「そういえばさ」

 花火の光を受けながら、ひなたが言う。

「あたし、まだ決着ついてない約束あんだよね」

「約束?」

「二周目入る前に言ったじゃん。“今度の文化祭で、ちゃんと告白する”って」

 心臓が、嫌な音を立てた。

「あれ、誰にとは言わないって言ったけど」

「……うん」

「今、言っていい?」

「今?」

 ちょっと待て、と言おうとしたけど、喉がうまく動かなかった。

「どうせ、この先のことも、寿命のことも、全部“不確定”なんでしょ」

 ひなたは、笑いながら続ける。

「だったら、“言わない”って選択肢だけは、もう取りたくない」

 花火の光が、ひなたの横顔を照らす。

 その頭上の空白が、やけにまぶしく見えた。

「……聞く」

 それしか、言えなかった。

「うん」

 ひなたは、一度だけ小さく頷く。

「好きです」

 花火の音が、一瞬だけ遠のいた気がした。

「幼なじみとしても、人としても、男子としても、全部ひっくるめて」

 言葉一つ一つが、胸の奥に刺さっていく。

「あの日、死ぬ前にほんとは全部言ったつもりだったのにさ」

 ひなたは、少し照れくさそうに笑った。

「また言えるチャンスもらっちゃったから、二回目もちゃんと言っとこうと思って」

「……ずりいな、それ」

 やっとのことで出てきたのは、そんな言葉だった。

「二回目でもちゃんと緊張するんだぞ、こういうの」

「何回でも緊張させたるわ」

 ひなたは、いたずらっぽく笑う。

「で、朝比奈くんは?」

「俺は?」

「今度は、ちゃんと“間に合う返事”聞きたい」

 世界が、俺たちをどう扱おうと。

 寿命のシステムがどんなに理不尽でも。

 この瞬間の答えだけは、俺のものだ。

「俺も」

 喉の奥が熱い。

「お前が好きだよ」

 ひなたの目が、かすかに潤む。

「一周目でも、二周目でも、多分その先でも。たぶん、一生そうなんだと思う」

「うん」

 ひなたは、涙をこぼしながら笑った。

「じゃあさ」

 花火がまた一つ、夜空に咲く。

「生きよっか」

「当たり前だ」

 俺は、彼女の手を握り返した。

 寿命カウンターの見えない世界。

 ひなたの頭上には、何も表示されていない。

 俺の右目にも、誰の数字も浮かんでいない。

 それでも、今この瞬間だけははっきり分かる。

 ――この手の温度が、ここにある。

 世界がどうログを取ろうと、どんな罰を下そうと。

 その先に何周目が待っていようと。

 ひなたと一緒に笑って泣いて、生きていくルートを選ぶ。

 それが、“非表示”という答えの、俺たちなりの意味だと思った。


第二十話「カウントダウンのない世界で」

 朝、目を開けた瞬間、いつもと違う静けさを感じた。

 ……音じゃない。もっと、目の奥の方の話だ。

 布団の中で天井を見上げる。

 白い天井。貼りっぱなしのポスター。蛍光灯。

 そこまでは、いつもと何も変わらない。

 だけど――

「……ない」

 小さくつぶやいた。

 寿命カウンターが、見えない。

 いつもなら、視界の端っこで、天井の向こう側を横切るように無数の数字が流れていた。

 壁の向こうの家族の分。隣の部屋で支度してる誰かの分。

 目を閉じても、まぶたの裏に張り付いて離れない、あの数字の群れ。

 それが、きれいさっぱり消えていた。

 右目を指で押さえてみる。痛くはない。

 けれど、あの異物感――「別のレーンにつながっている」みたいな感覚は、どこにもなかった。

「……これが」

 天井に向かって、息を吐く。

「普通の世界、か」

 なんてことない、日本のどこかの高校生の、ありふれた朝。

 数字も、カウントダウンもない。

 耳を澄ますと、台所から食器の音とテレビのニュースの音が聞こえてきた。

「蒼真ー、遅刻するわよー!」

 母さんの声も、ちゃんといつも通りだ。

「あー、今起きたー!」

 返事をして、布団から転がり出る。

 足の裏がフローリングに触れる感触も、冷たい洗面台の水も、全部が妙に新鮮だった。

 階段を降りながら、何度も右目を瞬かせる。

 下の階でうろうろしている母さんの頭上にも、テレビの画面の隅にも、やっぱり何の数字も浮かんでいない。

 ちょっとだけ、不安になる。

 あまりにも、静かだから。

 でも、その不安は、すぐに別の感覚に上書きされた。

 ――肩の力が、すっと抜けていく。

 世界の隅々にまで貼りついていたカウントダウンが消えたら、こんなに呼吸がしやすいのか、と少し笑ってしまう。

「何ニヤニヤしてんの?」

 テーブルに座ると、母さんがじろっと見てきた。

「いや、別に」

「もしかして文化祭でなんかあった?」

「……まあ、いろいろ」

 文化祭。事故。ループ。死神。

 口に出せない単語が、頭の中でぐるぐる回る。

 それでも、朝ごはんの味噌汁はしみじみと美味かった。

     ◇

 学校は、いつもの朝より少しだけどよめきが薄かった。

 文化祭が終わった翌週。

 廊下の掲示板には、まだクラス企画のポスターや案内の紙が半分ちぎれたまま残っている。

 靴箱で上履きに履き替えるとき、自然とあたりを見回した。

 数字は、どこにもない。

 階段を上がる途中で、すれ違った他クラスの女子が友達と笑い合っていた。

 その頭上にも、過去の世界線で見た「あと三十何年」とか「残り四日」とか、そういう数字は一切浮かんでいない。

 それだけのことが、やけにありがたく思えた。

「おはよ、あさひな!」

 いつもの調子の声が、斜め後ろから飛んできた。

 振り向く。

 そこに、空木ひなたがいた。

 制服のリボンをゆるく結んで、いつものように片手を大きく振っている。

 頭上は、何もない。

 真っさらな、青い空だけが広がっていた。

「……おはよ」

 気づけば、ちょっと声が掠れていた。

「なにその感じ。寝起き?」

「まあな」

「文化祭おつかれさま会、またやろうねーってグループラインで盛り上がってたのに、あさひな既読スルーひどくない?」

「体力の限界だったんだよ」

 教室に入ると、文化祭の後片付けモードだった。

 黒板の端には「実行委員おつかれ」だとか「来年もがんばろー」だとか書かれている。

 教室の隅には、使い終わった飾りの残骸や、すだれの切れ端が積まれていた。

「おーい席につけー」

 担任の声で、皆がなんとなく自分の席に戻っていく。

 ホームルームは、案の定、反省会だった。

 体育館での照明トラブルの話が出たとき、教室の空気が一瞬だけ硬くなる。

「まー、幸い大きな怪我人はいなかったし」

 担任が、プリントを配りながら言う。

「今後の安全管理のためにも、今日中にこのアンケート書いとけよ。怖い思いしたやつもいるだろうし」

 体育館の天井。落ちかけた照明。悲鳴。

 一周目の光景が、まだ脳裏に焼きついている。

 でも、あの時みたいな白い閃光も、真っ赤な血も、この世界では起こっていない。

 天井パネルの一部には補修された跡があるらしい、とあとで聞いた。

 ニュースにも、学校名がさらっと出たくらいで、あっさりと流されていった。

 「大事故のトリガー」だったはずの出来事が、「ちょっとしたトラブル」として片づけられている。

 それが、こんなにも尊いことだなんて、前の俺は知らなかった。

「なあ、あさひな」

 反省用紙にペンを走らせていると、前の席から月島燈央が振り返ってきた。

「お前、あの時体育館の裏で先生止めてたってマジ?」

「誰情報だよ」

「実行委員長」

 燈央がニヤっと笑う。

「“朝比奈くんに“危ないかも”って言われてなかったら、あのままステージ使ってたかも”ってさ。なんか感謝されてたぞ」

「……たまたまだよ」

 実際は、たまたまじゃない。

 一周目の記憶と、死神たちの助言と、自分なりの足掻きの結果だ。

 だけど、それを正直に話すわけにはいかない。

「まあ、そういうことにしといてやるよ」

 燈央は肩をすくめると、声を潜めた。

「空木のやつ、こないだから機嫌いいよな」

「そうか?」

「そうだよ。なんか、前より“今”にちゃんと足ついてる感じする」

 その感覚は、俺にも分かっていた。

 一周目のひなたは、どこかでずっと「ここじゃないどこか」を見ていた。

 窓の外とか、空の向こうとか。

 今のひなたは、ちゃんと「この教室」を見ている。

 ループのことも、寿命のことも知っている上で、ここに立っている。

 その差は、大きかった。

     ◇

「クロたち、どうしてるかな」

 昼休み、廊下の窓にもたれかかりながら、ひなたがぼそっと言った。

 窓の外では、昼の太陽がグラウンドを照らしている。

 サッカー部がボールを追いかける声が、風に混ざって聞こえてきた。

「どうだろな」

「絶対怒られてるよね、“管理外バグ発生させました”って」

「そりゃそうだろうな」

 コンピュータ室でのあの瞬間を思い出す。

 アラートの音。真っ赤な文字列。クロの真剣な横顔。

 そして、その横で楽しそうに笑っていたルカ。

「また遊びに来てくれるかな」

 ひなたが、窓ガラスに額をこつんと当てる。

「死神の“遊びに来る”って、感覚狂うからやめろ」

「だってあいつら、完全に悪い人じゃなかったじゃん」

 あいつら、という言い方に、すこしだけ温度が乗る。

「クロ、最後までちゃんとビビりながら付き合ってくれたし。ルカもさ、“記録としては面白い”とか言いながら、結局こっち側に手貸してくれたし」

「まあ」

 俺は、窓の外を見た。

「どっかで見てる気はする」

「うん」

 ひなたは、にかっと笑う。

「だから、そのうち“監査で来ましたー”とか言って現れるよ、多分」

「嫌な形の再会だなそれ」

「でも、来たらまた全力で振り回してやろ」

 そう言って笑うひなたの頭上には、やっぱり何も浮かんでいない。

 未来も、終わりも、数字では示されない。

 それでも、今この瞬間が確かに存在していることだけは、数字なんかなくても分かる。

     ◇

 放課後。

 いつものようにホームルームが終わって、クラスメイトたちがそれぞれの予定に散っていく。

 部活へ行くやつ。寄り道するやつ。まっすぐ帰るやつ。

「ねえ、あさひな」

 教室を出ようとしたところで、ひなたに呼び止められた。

「屋上、行こ」

 その言い方が、妙に真剣だったので、俺は何も言わずに頷いた。

 屋上への階段は、文化祭の準備中に何度も往復した場所だ。

 一周目で、本音ゲームをした場所。

 二周目で、作戦会議の帰りに三人で歩いた場所。

 ドアを開けると、夕焼けの空がいきなり視界に飛び込んできた。

 オレンジ色に染まった校庭。体育館の屋根。遠くの住宅街。

 フェンスの向こうに広がる景色は、あの日と同じで、でも少し違って見えた。

「風、気持ちいー」

 ひなたがフェンスに近づき、両手を広げる。

 髪が夕風に揺れた。

 そのシルエットが、胸の奥のどこかをぐっと掴んでくる。

「で、何の用だよ」

 わざと軽い声で聞くと、ひなたはくるっと振り返る。

「約束してたでしょ」

「約束?」

「文化祭で告白するってやつ」

 心臓が、嫌な音を立てた。

「……あー」

 たしかに、言っていた。

 二周目の作戦会議のとき。

 「今度の文化祭で、ちゃんと告白するから」と。

 誰にとは言わない、と言いつつ、誰に向けた言葉かはほとんどバレバレだった、あの宣言。

「文化祭当日はバタバタしてさー」

 ひなたは苦笑する。

「事故の軽トラブル処理とか、クラス企画とかでいっぱいいっぱいで、タイミング完全に逃した」

「“軽トラブル”って言い方やめろ」

「だから」

 ひなたは、フェンスから一歩下がって、俺の正面に立った。

 夕焼けを背負っているせいで、表情は逆光で少し見えづらい。

 それでも、その瞳が真っ直ぐこっちを見ているのは分かった。

「今、ここで続きする」

「……ここで?」

「ここが一番、あの日の“続き”に近いから」

 一周目で、俺が何も言えなかった屋上。

 二周目で、「今度は最初から一緒にやる」って決めた屋上。

 その全部をひっくるめた「今ここ」で、ひなたは深呼吸をした。

「改めて言うね」

 夕風が、少しだけ強くなる。

「あたし、朝比奈蒼真が好き」

 言葉は、驚くほどシンプルだった。

「幼なじみとしても、人としても、男子としても。ぜんぶ込みで」

 胸の奥がきゅっと縮まる。

「一周目でも、ちゃんと言ったつもりだったけどさ」

 ひなたは、照れくさそうに笑う。

「途中で終わっちゃったし、あれはあれで“ゼロカウント直前の勢い”で言った感じだったから」

「言い方」

「だから、カウントダウンも寿命の数字もない場所で、ちゃんと同じこと言っておきたかった」

 ――カウントダウンのない世界で。

 その言葉が、頭の中で反芻される。

「もう、“言わない”で終わりにしたくないから」

 ひなたは、かすかに拳を握りしめた。

「だから、今度はちゃんと、間に合う告白にする」

 夕焼けの光が、その横顔をやさしく照らしていた。

 俺は、喉の奥に溜まっていたものを、ひとつ飲み込んだ。

 言いたくて仕方なかった言葉。

 ずっと怖くて飲み込んできた言葉。

 あの日、ゼロカウントに間に合わなかった返事。

「……ずりいな、それ」

「なにが」

「二回も告白してもらってるの、俺の方なんだよなって」

 情けない笑いがこぼれる。

「二回とも、ちゃんと緊張してる。むしろ今のがやばい」

「二回目でもちゃんと緊張させられたなら、告白スキル高いってことでいい?」

「どんなスキルだよ」

 でも、逃げるのはもうやめると決めた。

 寿命カウンターのせいにして、世界のせいにして、自分の言葉を後回しにするのは、もうやらない。

「俺も」

 夕焼けの中で、はっきりと言う。

「空木ひなたが、好きだ」

 ひなたの目が、少しだけ潤んだ。

「いつからって聞かれたら、多分、思い出せないくらい前から」

 夏祭りの夜。

 小学生のとき、一緒に帰った雨の日。

 受験前にくだらないことで喧嘩した冬。

 寿命カウンターなんて見えなかった頃から、ずっと。

「一周目でも、二周目でも、その先でも、多分一生そうなんだと思う」

「……反則」

 ひなたは、鼻をすすりながら笑った。

「そんなのずるいでしょ。“一生”とか言うの」

「数字ないから、適当言ってもバレないしな」

「そういうとこだよ!」

 ひなたが俺の胸をぽかぽか叩いてくる。

 それを受け止めながら、俺はふっと息を吐いた。

「でもさ」

 少しだけ真面目に言う。

「数字が見えてた頃より、“一生”って言葉、ちゃんと重く感じる」

「どういうこと?」

「前は、“あと何年”とか“あと何日”とか、そういうのが全部数字で出てたからさ」

 俺は、右目を軽くこする。

「それにすがってれば、安心できる気がしてたんだよ。“ああ、まだ三十年ある”とか、“あと五日だ”とか」

「うん」

「でも、実際はその数字があるから余計に怖かった。ゼロに近づいていくのが分かるし、“残り時間が減っていく自分”に縛られてた」

 一周目のひなた。

 あのゼロカウントの瞬間。

「今は、何も見えない」

 夕焼け空を見上げる。

「ひなたが明日死ぬかもしれないし、百歳まで生きるかもしれない」

「ちょっと極端」

「でも、その“分からなさ”込みで、“一生好きでいたい”って言ってるからさ」

 俺は、ひなたを見る。

「さっきより、ほんのちょっとだけ勇気いるんだよ、それ言うの」

 ひなたは、しばらく黙っていた。

 夕風が二人の間を通り抜けていく。

「……うん」

 やがて、ひなたは小さく頷いた。

「じゃあさ」

 少し照れたような笑顔で、言う。

「一生、お願いします」

「こちらこそ」

 手を伸ばす。

 ひなたの手が、そこに重なった。

 寿命カウンターのない世界で、握った手の温度だけがやけにリアルだった。

     ◇

 その後のことは、多分、他人から見ればどこにでもある高校生活だ。

 文化祭の後片付けで、段ボールを運びながらクラスメイトとバカ話をする。

 実行委員の反省会で、照明トラブルがネタにされて笑いが起こる。

 部活帰りの燈央に「マジで付き合い始めたのかよ」とニヤニヤされる。

 ひなたの家に勉強を教えに行って、夕飯をごちそうになって、進路パンフレットを一緒に広げて頭を抱える。

 「東京行きたい」とか「地元残ったら負けた気がする」とか、ひなたは相変わらずめちゃくちゃなことを言う。

 それでも、「その時一緒にいられたらいいな」と、当たり前のように思えるようになった。

 クロとルカからの連絡は、ない。

 管理局のどこかで怒られているのか、それとも別の世界線の監査に回されているのか。

 想像はいくらでもできる。

 でも、俺たちはもう、彼女たちに頼らなくても一日を過ごせる。

 寿命カウンターがなくても、明日の天気はアプリで分かるし、テストの点数は勉強次第だ。

 誰がいつ死ぬかなんて、分からないままでいい。

     ◇

 放課後。

 校門をくぐるとき、自然と空を見上げた。

 青くて、何も浮かんでいない空。

 ひなたが隣を歩いている。

 肩が、時々小さくぶつかる。

「ねえ、あさひな」

「ん」

「終わりが見えないって、ちょっと怖いね」

 ひなたが、空を見たまま言った。

「前はさ、“あと七日”って数字が見えたから、“その七日どう使うか”ってことばっか考えてたけど」

「そうだな」

「今は、“いつ終わるか分かんない七万日”みたいな感じがする」

「七万日は言いすぎ」

「どっちみち、いつかは終わるんだよね」

 ひなたの声に、少しだけ影が差す。

「それが明日か、十年後か、五十年後か分かんないだけで」

「……そうだな」

 寿命カウンターが消えても、「いつか終わる」という事実は消えない。

 永遠なんてどこにもなくて、どこかで必ずゼロが来る。

 そのゼロが見えなくなっただけだ。

「でもさ」

 ひなたは、ふっと笑った。

「終わりが見えないからこそ、今日をちゃんと大事にできる気がする」

「今日?」

「うん。だって、“あと三日”って見えてたら、“この三日を特別にしなきゃ”って空回りしそうになるじゃん」

「あー」

「今は、明日も明後日も一週間後も、終わりが見えないからこそ、“今日どう過ごすか”で全部決めていくしかない」

 ひなたは、俺の顔を見た。

「数字に追い立てられるんじゃなくて、自分で時間使ってく感じ。そっちの方が、ちょっと怖いけど、でも楽しそう」

「……そうだな」

 俺は笑う。

「数字に頼らない未来の方が、ちょっと怖くて、でも楽しみだな」

「お、いいこと言った」

「昔から俺、名言メーカーだから」

「初耳」

 笑い合いながら、俺たちは校門を出た。

 夕日に照らされた道を、二人で並んで歩く。

 頭上には、何の数字も浮かんでいない澄んだ空が広がっていた。

 世界は、静かに回っている。

 誰かのカウントダウンを数字で示すことなく、当たり前のように、今日から明日へと繋がっていく。

 その流れのどこかで、俺たちは笑って泣いて、喧嘩して仲直りして、きっとまた迷う。

 それでいい。

 寿命の数字に縛られていた頃よりも、ずっと不確かで、ずっと面倒で、ずっと愛おしい。

 カウントダウンのない世界で、俺たちはようやくスタートラインに立ったのだと思う。

 ここから先の時間は、俺たちが選んでいく。

 数字じゃなくて、言葉と気持ちで。

 ――そう決めて、俺はひなたと並んで歩き続けた。



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