1-3 命の恩人
建物から出てきた二人の人影を確認すると、璃々はその二人の視界に入らない場所に隠れた。
時刻は夕刻――それほど注意しなくとも二人に発見される恐れは少なかったが、璃々は過敏なほどに警戒を続ける。
あれから、言われたとおりに『特異点』と呼ばれる人物を監視していた璃々。
その表情は、ずっと見つからないようにと気を張っていたせいか、少し疲労の色が見える。
「………」
無言で二人の監視を続ける璃々は、どこか悲壮感のある顔つきをしており、どうやらそれは疲労から来るものだけではないようだった。
「いけない――気を引き締めないと……っ!」
小声で自らを鼓舞するように言いながら、璃々は自分の頬をパチンと叩く。
そして、一瞬だけ観察対象から眼を離している自分に気付き、焦りながら首をキョロキョロと動かす。
幸いにも、観察対象は雑談をしながらゆっくりと歩いていたので、再び見つけるのは容易だった。
二人を発見した璃々は、必ず二人の死角に入るように移動しながら観察を続ける。
しばらく移動する二人を見ながら、璃々はどうやら二人が電車に乗ろうとしていることに気付いた。
「しまったな……どうしよう………」
璃々は急に焦りだし、困ったようにあたりをキョロキョロと見廻し始める。
電車に乗って移動する二人を追うには、自分も電車に乗らなければならない。
だが、璃々はまだ電車に乗って移動することに慣れていなかった。
それは、電車で移動することが多いこの街の住民としてはかなりおかしなことだったが、彼女の今まで生きてきた環境と、彼女自身の特異な能力のせいで電車に乗る機会があまり無かったのであった。
だが、だからといって二人の追跡を止めるわけにはいかない。
仕方が無いので璃々は、二人の先回りをして駅に向かうことにした。
「――はぁっ……はあ……はぁっ!」
二人に見つからないよう裏道を通り、息を切らせながら璃々は目的の駅に辿り着く。
「まずは……切符を買わないと――」
そう呟きながら券売機の前に立つ璃々だったが、
「えっと………どうするんだっけ………」
いくつもの数字が並ぶ券売機に混乱し、どうすればいいのか分からなくなる。
『ユグドラシル』は独立した都市なので駅が少なく、普通の券売機よりも買いやすいはずなのだが、切符をあまり買わない璃々からすれば、まずどこに硬貨を入れればいいのかすら分からない。
「どうしよう……早くしないと追いつかれちゃう――」
焦ってボタンを押すが、料金が入れられていない券売機はピクリとも動かなかった。
あまりに長い間立ちつくしているので、後ろに並んでいた人も別の券売機に行ってしまう。
そのことにより、さらに璃々は焦るが、切符は買えないままであった。
「――あのね? まずお金入れないとダメだと思うよ?」
急に聞こえた声に、璃々はビクッと大仰に驚く。
振り返ると、そこには璃々に向かって笑顔を向ける夢依が居た。
「――っ!? ………夢依……さん?」
璃々は、一瞬かなり動揺した顔を浮かべ、その声は妙に緊張していた。
それはまるで、会いたくない人物に急に会ってしまった時のような、そんな反応だった。
「ん? そーだけど、どしたの? そんなに驚いちゃってさ?」
きょとんとした顔で夢依は璃々に聞く。
璃々が動揺するのは理由があった。
何故ならば、璃々が観察対象として追っている人物こそ、眼の前に居る『篠森夢依』なのだから――。
「えっ…と……なんでもないです。ちょっとビックリしただけですから――。あ、ありがとうございますね。そういえばそうですよね。お金を入れないと動くはずないですもんね?」
璃々は、そう言いながら少し震える手で硬貨を券売機に入れる。
ようやく動き出した券売機を操作しながら、璃々は考える。
(どうしよう――まさか尾行をしているのがバレたんじゃ――ううん、多分それはないと思うけど……なんとか、感付かれる前に離れないと――)
そして、さりげなくその場から去ろうとしたその時――。
「まったく……夢依っ! どうしたのよ急に走りだしたりして――って、あれ、璃々ちゃん?」
後ろから理恵の声が掛けられ、璃々は夢依から離れるタイミングを逸してしまう。
「うん、昨日会ったばっかりなのに、よく会うよね?」
「そ、そうですね……まぁ狭い街ですから………」
璃々は、そう言いながら必死にこの二人から離れる方法を考える。
そんな璃々の考えなど知る由もない夢依は、気軽な様子でなるほど、と頷きながら、
「たしかに、会うのはそう不思議じゃないか……ところで璃々ちゃんはどこ行くの? 電車、乗るんでしょ?」
「え、ええ……ちょっとお買いものに行こうと思って………」
璃々は、夢依達がこれから帰るのだと考え、とっさにそう嘘をつくが、
「商業エリアに行くの? じゃあ、あたしらと行くとこ同じだね。一緒に行こうよ?」
夢依のその一言で、璃々は思わず硬直してしまう。
「え?」
「電車、まだ一人じゃ乗りなれてないんでしょ? あたしが教えてあげるよ」
「いや…その……悪いですし――」
やんわりと断りながら、けれどそれだけでは断りきれないことに璃々は気付いていたが、かといってどうやって断ればいいのかも思いつかなかった。
(なんでこんなことに――でも、下手に断ったら逆に怪しまれるかもしれないし――)
夢依のその行動は、電車に不慣れな璃々を気遣ってのものだろう。
だが、夢依に気付かれず彼女を尾行しなければならない璃々からすれば、それは余計なお節介そのものだった。
一緒に行動すればどうしても不自然さを隠しきれない上に、下手をすれば尾行をしているのがバレてしまうかもしれない。
では一体どうすれば――、と璃々が考えていた時、意外な場所から助け船が回ってきた。
「こら夢依、ダメじゃない。また勝手に決めようとして――。ごめんね璃々ちゃん。この子可愛い子には目が無いから――」
明らかに迷惑がっている璃々の様子を察したのか、理恵はそう言って夢依を制する。
「えー、いいじゃん。別に悪いことするワケじゃないんだしさー」
「そういう問題じゃないでしょ? まったく……」
そうどこかじゃれ合うように会話を交わす夢依と理恵。
そんな二人を視界に捉えながら、璃々は一つの言葉を復唱していた。
「……かわ…いい……?」
璃々は、半ば茫然としたような表情を浮かべていた。
まるで、自分に対して言われたことが信じられないといった風である。
これに、真っ先に反応したのは夢依であった。
「あれ? 他の人から言われない? おっかしーなー、璃々ちゃんこんなに可愛いのに?」
そう不思議がりながら夢依は璃々の全身をじろじろと無遠慮に観察する。
「う……」
その視線で見られていると、なんだか少し恥ずかしくなってきた璃々は、自分の体を隠すように身を縮こませる。
そんな璃々の様子を見かねた理恵は、おもむろに夢依の服の襟を掴むと、
「夢依……貴女はちょっと慎みを持ちなさい――ホラ行くわよ。それじゃあね――」
「あ、ちょっと――服引っ張んないでよっ! じゃあまたね璃々ちゃーん」
そう言いながら、夢依は理恵に引きずられるような形で駅の奥へと消えて行ってしまう。
嵐のように現れて一瞬で消えていった夢依の姿を、璃々はしばらく茫然と眺めていたが、
「あ、いけない――あの二人を追わなきゃいけないんだった」
そう思い直すと、二人に見つからないように隠れて移動する。
そして、改札口を無事に抜け、夢依達が居る隣の車両の電車に乗り込む。
動き出す電車の中で、夢依達を観察しながら、璃々はぼんやりと考える。
(かわいいなんて言われたの……初めてだな………)
遠目から見れば、物思いに耽っているように見えるその少女の口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。
電車から降り、商店街を進んでビル群が並ぶエリアへと夢依達は進んでゆく。
璃々は、道路を挟んで向こう側の道を歩いて夢依達を追跡していた。
近くでは工事をやっているのか、クレーンが物を動かす音や、やけに激しい音が辺りに響いている。
そんな中をしばらく歩いていた二人だが、不意にあるビルの前で止まる。
そのビルには特に看板らしい看板も無く、なんの建物なのかは璃々の場所からは分からなかった。
しかし、どうやら理恵の目的の場所はそこらしく、夢依に何かを言ってからそのビルの中へと入って行った。
ひらひらと手を振って理恵と別れた夢依は、どうやらそのビルの横の建設現場の前で彼女を待つことにしたようだ。
夢依はヒマそうに壁にもたれかかり、手をプラプラと揺らしながら行き交う車を眺める。
その頭上ではクレーンが壁や床に貼る部材パネルを上に持ち上げ、忙しなく移動させていた。
璃々は、その様子を反対側の道路からじっと見つめていた。
辺りにはあまり風は吹いておらず、車が規則正しく通り過ぎる音と、建設現場からの工事の音が響き渡っていた。
そのあまりにも何も変わらない光景の連続で、少し眼が疲れてきた璃々は、焦点を合わすために空を見上げる。
そして――気付いた。
璃々が上を見上げる少し前――建設現場のクレーンは次の部材パネルを持ち上げていた。
そして、パネルを予定の場所に移動させようとしたその瞬間――不意に強風が巻き起こった。
その程度の風ではビクともしないクレーンだったが、パネルを引っ張っていた金属製のワイヤーは別だった。
ずっと重いパネルや鉄筋を引っ張ってきたそのワイヤーの限界が来てしまったのである。
それは――普通ならばまず起きない筈の事故であった。
本来ならば、点検されてしかるべきのワイヤーの強度。
しかしその日に限っては、おざなりな点検しか行われていなかったのである。
これぐらいならばまだ使えるだろう。――そんな軽い気持ちで使用されたワイヤーは、強風の衝撃によっていともあっさりと千切れてしまう。
ワイヤーに支えられていたパネルの加重バランスが崩壊し、もう一方を支えていたワイヤーも加重に耐えきれずブツリと切れた。
かくして、空中に吊られていたパネルは、いとも簡単に空中に投げ出された。
パネルは未だに吹く強風に煽られ、その落下地点を工事現場の外へと変える。
見た目は軽そうなパネルだが、コンクリート製のパネルの重さは五百キログラム。
それに落下の加速が加われば、その下にあるものはただでは済まない。
そして――そのパネルの落下地点には、篠森夢依が立っていた。
しかし、夢依自身は自分の上にパネルが落ちてくることにまるで気付いていない。
「――っ!?」
そのことに気付いた璃々は、慌てて声を上げようとする。
だが、すぐにそれは無意味だと気付く、声は車の音でかき消されてしまうからだ。
ならば、駆け出そうと前を見るが、やはり車が邪魔して進むことはできない。
もはや迷う暇もなかった。どう足掻いても夢依を助けることは出来ない――。そう目撃者全員が思うほどに。
そして、その絶望的な光景を、ちょうどビルから出てきた理恵も目撃する。
「夢依危な――ッ!!!」
理恵は、叫んで夢依に危険を知らせようとするが、もう間に合わなかった。
――パネルは重力に導かれるように高速で落ちてゆき、轟音と共にアスファルトの歩道へと直撃した。
衝撃で土煙が巻き起こり、砕けたパネルの破片が道路へと散らばる。
破片はさほど大きなものではなかったため、幸いにも交通事故は起こらなかったが、パネルが落ちた場所からはもうもうと土煙が立ち上っており、明らかに巨大な物質が落下したことを表していた。
ちょうど事故に遭遇した人達は、一瞬なにが起こったのか理解できないという風に黙りこみ、事故現場は少しの間静寂に包まれる。
そしてその静寂の中で――
「夢依っ!?」
一足早く我に返った理恵が、悲鳴に似た声で叫んだ。
――篠森夢依は、自分に何が起こったのか理解できないでいた。
視線の少し先には、未だに土煙を上げる事故現場が見えた。
事故が起きたことにようやく気付いた人達が、混乱しながら右往左往している光景が夢依の視界に入る。
「えっ――。あれ?」
つい先ほどまで、自分は工事現場の前に居たはずだった。なのに、これはどういうことだろうか?
まさか自分はもう死んで幽霊になって客観的に自分の死んだ光景を見ているのか――そんな不安を感じた夢依だが、どうやらそんな心配は杞憂だったようで、夢依は自分の身体の存在を確かめるように手を握ったり開いたりする。
そして、身体に傷が付いていないか確認するために下を見て、ようやく気付く。
「璃々………ちゃん?」
そこには、必死な顔をして夢依にしがみついている璃々の姿があった。
それは、事故が怖くて自分に抱きついてきた。というものではなく、荒い息を吐いてぐったりした様子で夢依にもたれかかっている。
「大……丈夫………でしたか………?」
璃々は少し弱々しい声で、夢依に向かってそう話しかける。
夢依は、状況がまだ完全に理解できていなかったが、とりあえず彼女を安心させるために、
「だ、だいじょぶだよ。なんか知んないけど、助かったみたいだね………」
と、苦笑いを浮かべながら答えた。
「よかった……です………少し、焦っていたんで、失敗したかと思いました………」
一体何を失敗するところだったのか、それを夢依が聞こうとした。その時。
「夢依ーーっ!」
遠くから聞こえてきたのは、心配そうな理恵の声であった。
夢依が視線を上げると、少し足をもつらせながら夢依に向かって走ってくる理恵の姿が見えた。
理恵はしばらくしてから夢依の元へと辿り着き、息を切らせながら言う。
「はぁっ……良かった……どうにかして事故現場から逃げれたのね………心臓が止まるかと思ったわよ」
「あ……いや……現場には居たんだけど……なんかワケわかんないことになって助かったみたい。あはは………」
自分の身に何が起こったのか分からない夢依は、苦笑しながらそう言うことしか出来なかった。
「なによそれ……ところで、貴女……どうして璃々ちゃんを抱き抱えているの?」
「いやー、それも分かんないんだけど………なんでだろね?」
理恵の当たり前の疑問にも、夢依は答えられずに苦笑するばかりであった。
すると、夢依の腕の中にいた璃々が、
「もう……大丈夫です………離してください………」
そう言って、密着した夢依の身体から離れようとした。
言われた通りに夢依は手を離すが、ヨロヨロと弱々しく立ちあがる璃々を見て、
「あ、ごめんね。でもホントに大丈夫なの? なんか顔色悪いよ?」
そう言って璃々の顔を心配そうに覗き込む。
「いえ……いいんです。……それはともかく、助かってよかったですね」
璃々は、まるで無理矢理話題を逸らすようにそう言った。
それは、夢依が誰かに助けられる様子をまるで見ていたかの物言いだったが、
「え……ああ、うん………」
まだ助かった理由を理解できていない夢依は、曖昧にそう返事をすることしか出来なかった。
「それではわたしはこれで失礼します。少し用事を思い出したので………」
まだ混乱している夢依を尻目に、璃々はそう一方的に言って夢依から遠ざかろうとする。
そんな明らかに不自然な態度をとる璃々を、誰も引き留める者は居ない――。そう思われたが、
「――璃々ちゃん、ちょっと待ってくれないかしら?」
そう言って、璃々の後ろ姿に話しかけたのは、理恵だった。
「………なんですか?」
辺りに緊張感を張らせながら振り返った璃々に対して、理恵は次の瞬間、とんでもないことを口走る。
「もしかして、夢依を助けたのって、貴女じゃないかしら?」
「えっ!?」
驚く声は、助けられたはずの夢依の声だった。
「………」
言われた璃々は、理恵のことを注意深く観察するように、ジッと黙って見ているだけである。
璃々が何も言わないのを見て、理恵はそう思った根拠を話し始める。
「私の見間違いだと恥ずかしいんだけど、夢依が事故に巻き込まれる瞬間、一瞬だけ貴女の姿が夢依に重なって見えたのよ。だから、もしかして貴女の『IEM能力』を使って夢依を助けてくれたんじゃないかって思って…ね?」
理恵は、どこか表情が険しくなった璃々に対して、安心させるように不敵な笑みを浮かべる。
一瞬見た――、たったそれだけの理由で、そこまでの結論に至る理恵の状況判断能力は凄まじいものがあったが、それはあくまで理恵の主観によるものであり、確証は何もない。
だが、意外にも璃々は、理恵の言葉にあっさりと同意する。
「………そうです。わたしが夢依さんを助けました。でも、よくわかりましたね。わたしの能力のこと、理恵さんに話したことありましたっけ?」
それは、さりげない確認の言葉だった。
あえて自分の能力のことを認め、その上で自分のことをどこまで知っているのか探りを入れているのである。
もしその質問に詰まるようならば、理恵は彼女の正体に感付いている可能性が高くなる。
璃々は、相手の嘘を見抜く技術に長けており、ちょっとした動作や相手の表情から嘘を読み取ることが出来るのだった。
だが、そんな璃々の質問に対し、理恵は間髪入れずに即答する。
「いいえ、無いわ。でも、この街にいるなら貴女がIEM能力者である可能性は高いし、助かった夢依の姿を見れば、貴女が空間移動系のIEM能力を使ったんだと簡単に推測できるでしょ?」
すらすらと出てくるその推理は道理にかなったものであり、嘘をついているようには璃々には見えなかった。
「いや……助けてもらったあたしは全っ然っ分かんなかったけどね」
二人の間に漂う空気を読まずに、恥ずかしそうに頬を掻きながら、夢依がポツリと呟いた。
「まぁ、貴女は自分の状況に気付いていない様子だったし、私も貴女が事故に巻き込まれる瞬間を見ていなかったら、その可能性を思いつかなかっただろうしね」
のんびりとした様子で夢依に教える理恵は、どうやら璃々に害を為すつもりで先ほどの言葉を言ったつもりではないようだ。
それを見て、璃々はひとまず警戒を解き、どうして今まで能力を隠していたのかという理由を考えていると、
「ふーん、そんなもんかな? ――っていうことはさ! 璃々ちゃんは私の命の恩人ってことでいいんだよね?」
急に夢依がそう言って、眼を輝かせながら弾け飛ぶように璃々の方へと向き直った。
「えっ、と、そう……ですね。命の恩人というほどではないかもしれないですけど……」
いきなり話題を振られた璃々は、驚きながらしどろもどろにそう返すと、
「なーに言ってんのっ! 璃々ちゃんが居なかったらあたし絶対死んでたよ!? 凄いことだよ? もっと自信持っていいって!」
やけに興奮した様子で、夢依は璃々の手を掴みながらブンブンと振り回す。
「はぁ……」
急に元気になった夢依のテンションについていけないという風に、璃々が溜息混じりにそう答えると、
「うーん、イマイチ反応が鈍いなぁ……そうだ! ねぇ璃々ちゃん――。あたしに何かお礼させてよ! 流石に命に釣り合うようなお礼は出来ないけど、あたしに出来ることならなんでも言って?」
名案を閃いたように、夢依は璃々にそう提案する。
「いえ……そんな、私そんなつもりで夢依さんを助けたワケじゃないですから……この前の私が迷子になった時のお返しだと思ってくれれば……」
遠慮するようにそこまで言った所で、璃々はふと考える。
(そういえば――どうしてわたしは夢依さんを助けようと思ったんだろう――?)
それは、璃々の中に生まれた小さな疑問。
(恩を売っておけと言われたからそうしたの? でも、そこまで考える余裕があの瞬間にあったかな?)
考えるが、その理由はどうにもハッキリしなかった。
だが、それでも璃々は考えて、その結論を出そうとするが、
「それじゃあたしの気が済まないの! ね、お願い。あたしに何かお礼させてよ?」
思考に割り込むように入ってくる夢依の声で、それは中断せざるをえなくなった。
「え…と……そう言われても……どうすれば……」
自分が何を言われたのか思い出しながら、璃々が困ったようにそう答えると、
「それなら、こういうのはどうかしら? 夢依がなにか食べ物を璃々ちゃんに奢ればいいのよ。――璃々ちゃんはそれほど大きなお礼は必要としてなくて、夢依は何かお礼がしたい。両方の意見を合わせるならそれくらいが妥協点だと思うわ」
理恵が助け船を出すように、そう提案した。
璃々は、その提案をどうするか少し考えて、それだけなら問題が無いと思ったのか、
「そうですね。まぁ、それぐらいなら………」
「うん、あたしもそれでいいよ。っていうか、あたしのお財布的に考えてもそれくらいが嬉しいかも……」
二人の同意を得て、理恵はその場を取り仕切る現場監督のように、
「それじゃあ、決まりね。ならちょっと移動しましょうか。ここは少し騒がしくなりそうだから――」
そう言うと、にわかにざわめきだした事故現場から離れるように、少し速足で歩き出した。
「ねぇねぇ、なにがいい? ここにあるのならなんでも奢るよ? 璃々ちゃんは何が好きなの?」
事故現場から少し離れた場所にあるショッピングモールを歩きながら、嬉しそうに夢依が聞いた。
「えっと……そうですね………」
なし崩し的に夢依に奢られる事となった璃々は、辺りを物珍しそうに眺めながら、迷うようにそう言った。
「遠慮をすることはないわよ。これは貴女の行いへの正当な対価なんだから」
緊張する璃々に対し、理恵が優しくそう言うと、
「じゃあ……その………ソ、ソフトクリームをお願い出来ますか? あっ、そこのあのお店のでいいです」
妙に動揺した口調で、珍しく興奮気味に璃々が通りにある一つの店を指差した。
「ソフトクリーム? そんなのでいいの? あたしもっと美味しくて高いアイスのお店知ってるよ?」
さすがに安すぎると判断したのか、夢依が璃々にそう提案するが、
「そんなの、じゃありません。わたしはソフトクリームがいいんです。それ以外に考えられません」
ジロリと夢依を睨みつけるように見ながら、璃々が怒気を押さえるような口調で言った。
「す、すごい好きなんだねソフトクリーム……いいよ。じゃあそれにしよっか、何の味がいい?」
珍しく感情を噴出させている璃々にたじろぎながら、夢依が璃々に聞くが、
「………? ソフトクリームにバニラ味以外なんてあるんですか?」
返ってきたのは、そんな疑問の声だった。
「ええっ!? あるよいっぱいっ! そんなに好きなのになんで知らないの?」
心底驚いたという風な口調で、夢依が大げさに騒ぎ立てると、
「………そんなことはどうでもいいことです。わたしはバニラ味しか知りませんからバニラ味でいいんです」
恥ずかしがるようにそっぽを向いて、璃々は素っ気なくそう言った。
それは、普段大人びた態度を取る彼女がふと見せた、年相応な子供っぽい態度だった。
「もしかして、照れてる? いいんだよ、知らなくたって。知らないことはそれほど恥ずかしいことじゃないって」
恥ずかしがる璃々がよほど可愛く見えたのか、夢依はそう言って少しからかうように璃々の顔を覗き込む。
「照れてなんかいません。それより、早く買いに行きますよ」
璃々は、平静を保ったような声でそう言ったが、その白い肌がわずかに赤く染まっていることを夢依は目ざとく見つけ、
「ほら照れてる。ほっぺ真っ赤っかで可愛いねー」
凄く嬉しそうに、夢依がそれを指摘する。
夢依も悪気があってからかっているわけではないのだが、璃々の滅多に見れない感情表現に興奮し、嬉しくて暴走しているのである。
「子供扱いはやめてください。わたしだってそろそろ怒りますよ?」
ニコニコと笑いながら言う夢依の言葉で流石に頭に来たのか、璃々が少しむくれるようにそう言うと、
「夢依、璃々ちゃんをからかうのはそれぐらいにしておいて、ソフトクリーム買いに行くわよ。まさか、ソフトクリームを買うお金が無いなんて言わないわよね?」
理恵が夢依の心臓にグサリと刺さるような一言をポツリと言った。
「さ、さすがにそれぐらいはあるよ………あるよね?」
そう言って財布の中身を確認する夢依は、どこか青ざめた顔をしていた。
それから、夢依達と別れた璃々は、とある報告の為に自らの住処へと戻ってきていた。
「た、ただいま帰還しました」
璃々は、どこか嬉しそうに声を上ずらせながら、薄暗闇の中から現れた。
「ああ、帰ったか。それで成果は――? 何を手に持っている?」
男は、帰ってきた璃々を見るなり、不思議そうにそう尋ねる。
小さな璃々の手に大事そうに握られていたのは、一つのソフトクリームだった。
璃々はそのソフトクリームを、溶けないように慎重に持ちながら、
「その……特異点の命を救ったお礼としてもらったものです………」
どこか得意げな、少し嬉しそうな顔をしながらそう報告する。
璃々の報告を聞いて、男は僅かにその口角を上げて、
「そうか、恩を売ることに成功したか、それはご苦労だったな。それはお前が自由に処理してかまわん。もう下がっていいぞ……」
どこか優しげな、それでいて少し素っ気ないような言葉を璃々に掛ける。
それでも、璃々は自分の功績を褒めてもらえたと思ったのか、かなり嬉しそうな声で、
「あの――」
と男を呼び止めるように声を掛けた。
「――なんだ? まだ何か報告することがあるのか?」
男は、わずかに眉根を寄せながら、少し高圧的な言い方で璃々に聞く。
璃々は、その男の反応に、少し身体をビクッと震わせて、
「いえ、そういうわけではないのですが、あの、その、よかったらでいいのですが………」
かなり緊張した声で、しどろもどろに言葉に詰まっていると、男は業を煮やしたのか、
「……何が言いたいのだ? 言葉はハッキリと丁寧な口調で言え、いつもそう言っているだろう」
少し苛立ったような声で、子供を叱る親のようにそう言って璃々の言葉を促す。
「はい……えと、それで……このソフトクリームのことなんですが………」
璃々は、言葉に詰まりながらも、ようやく本題に入る。
「……処理してかまわんといったはずだが?」
同じことを二度言わせるな、というような顔をしながら男が璃々に言うと、
「そうではなくて。あの……よかったら一緒に食べませんか? 一つ余分にもらったもので……」
少し恥ずかしそうに、眼を色んなところに動かして動揺しながら、璃々が勇気を出してそう切り出した。
そんな少女の反応を見て、男は露骨に迷惑そうな表情を浮かべて、その顔を璃々から隠すように背を向けながら、
「…………私には必要ない。そんなものを食べているような心境ではないのでな」
そう冷たく言い放った。
そんな冷たい態度を取られても、璃々はそれでもめげずに、
「でも、とても美味しいですよ。それに、なんだか思い出しませんか、わたしがあなたに初めて会った時に――」
笑顔でそう言いながら、男にソフトクリームを差し出す。
だが、その少女の精一杯の好意を打ち砕くように、男は叫ぶ。
「――必要無いと言っているだろうっ!」
衝動に任せて振るった腕は、璃々の腕に当たり、持っていたソフトクリームが地面に叩きつけられる。
「あ………」
璃々は、地面に落ちてしまったソフトクリームを茫然とした眼差しで見つめた。
その表情は、ひどく悲しそうで、落ちてしまったことよりも、男に拒絶されたことの方がショックに感じているようだった。
その璃々の顔を見て、さすがに男は自分の行動を恥じたのか、
「……すまないな。少し感情的になりすぎているようだ。片付けは私がやっておく。だから――私が少し冷静になる為に、下がってくれないだろうか?」
そう言って謝りはしたが、あくまで上からの言葉で璃々に命令する。
「はい……わかりました………」
すっかり元気を無くした璃々は、しゅんとしながら頷いて、男の傍から離れた。
璃々が遠ざかっていく気配を感じながら、男は深刻そうな顔をして、
「……が無…な………計…を少し……る……があ…そ…だ………」
ボソボソと自分に向かって呟いているような言葉を背中に聞きながら、璃々は思う。
(一体、なにをそんなに焦っているのですか――)
少女のその想いは、男には届かず、現在の二人の距離を表すように、璃々は男から遠ざかってゆくのであった。




