第二章 11 ―― 残酷 ――
11
弥生の笑顔を見たのは久しぶりの気がして、その日、蓮の気持ちは晴れていた。
「機嫌がよさそうじゃないか」
月明かりで薄暗いなか、気持ちを当てられ慌てる。
夜、蓮はまた虹の畔へと来ていた。相変わらず月灯りが池を照らし、幻想的に水面を輝かせていた。
「まさか、また来るとは思わなかったんだがな」
水際の石に腰かけている老人が今日もいた。
「ここに来る者は体外、思い悩んだ奴が多いんだがな」
シワで堀が深くなった頬を緩め、唇を吊り上げて冷笑し、皮肉を込めた言い方をする。
老人の冷たい態度は蓮に緊張を誘う。頬が強張っていき、穏やかさは消え、般若のごとく、冷たさが宿る。
「ま、ここに来る以上、何かあるようだな」
「あなたに一つ聞きたいんです」
水辺に立ち、老人に向かって言う。老人との距離は離れていたが、周りが静かなので小声でも通る。
何より警戒心は解けず、老人に近づく気にはなれない。
「一度死んだ人を捜すにはどうしたらいいんですか?」
「ほぉ、意外だったな。また自分はどうしてここに来たのか分からない、と言うと思ったんだがな」
蓮の発言に感心するように何度も頷く。
「僕だって、まだ自分がどうしたいのかなんて分かんないですよ」
前回の老人の意味深な指摘がよぎる。
「……待っているものはなんなのかなんて」
「ハハハ、そこまで混乱しているのは面白いな、お兄ちゃん。自分で言ったじゃないか。一度死んだ人を捜してるんだろ。だからここへ来たと言っただろ」
「――違うんです」
身を乗り出しかぶりを振る蓮に、不敵に笑っていた老人が唖然とする。
「僕は会えました。会いたい人に。僕の場合は分かっていたから」
「会えたか。ほぉ、よかったじゃないか」
「その、教えてほしいのは、一度も死んだことのない人が、蘇った人を捜す方法を」
一気にまくしたてると、最後は声を張り上げていた。話終えると蓮は息を呑む。彼の発言に老人が険しく睨んだために。
「お兄ちゃんじゃないのか?」
なかば咎めた口調で言う老人の豹変に、恐る恐る頷く。
蓮が言っているのは、今日出会った大杉沙紀のことであった。
「他人の心配事など、余裕だな」
嫌味にも取れる反論に、胸が詰まる。
蓮自身、沙紀のことに耳を傾ける理由も余裕も見当たらない。それでも、多少ではあるが胸にしこりが残っている。
「その人は必死で人を捜していた。周りから白い目で見られても気丈に振舞って。それを見てたら考えてしまったんです。自分はどうなのかなって。あなたに言われた、「誰かを待っているんだろ」って、あれ、実際に今も悩んでいます。僕は死んだことがあるからすぐに見つけられたけど、本当に見つけられたのかなって…… って、あれ?」
話しているうちに、弥生の顔が浮かぶ。だが、内容が自分の伝えたいことと歪みが生じ、たどたどしくなっていくのに気づいて困惑する。
迷いや疑念を振り払おうとかぶりを振る。
気持ちに疑念がありながらも、沙紀のことを考えてしまう。
「ただ、あそこまでできるのが羨ましくて、だからちょっと。あなたなら何かを知っていそうだったから」
「それは甲斐かぶりすぎているよ。ワシだって知らないことはある」
気の障ることでも言ってしまったのか、老人は難しい顔で押し黙ってしまう。重苦しい空気が張り巡らされ、黙って池を眺める老人の横顔に蓮は硬直する。
息苦しい空気から逃れようと、顔を背けると、池のそばに一輪の花が咲いているのを見つけた。以前訪れた際には気づかなかった花を。
「……これは」
「……勿忘草だな」
青く小さく咲いた可憐な花。蓮の呟きに老人が答える。
「勿忘草って、あの歌と同じ」
「ワシも今日気づいた。昨日はなかったのにな。一体、この花は何を伝えようとしておるんだろうな」
老人の問いかけに、花は風に揺れていた。
とても小さく、それでいて懸命に咲き誇る花が、蘇った際に刻まれる歌と同じ名であるのはどこか皮肉に思えてならなかった。
「お兄ちゃんは人の理をどう思う?」
突然、話を振られて蓮は視線を老人に戻し、面喰ってしまう。
人の理――。
人は人生で命を落としても三度蘇る。老衰、病死を除いて。
「不思議なもんだな。いや、残酷だ。三度死ぬにしても、どの死にも不条理さがある。人の死は平等じゃない」
おっとりとした口調に、蓮はなぜか苛立ちを抱きそうになっていた。人の理など、誰もが知っている。まして、蓮は当事者でもあるのだから。
釈然としない気持ちをそのまま老人にぶつける。
「この場所もそう。歌もそう。すべて、死者を想う楔。決して触れてはいけない」
非難の眼差しを注ぐ蓮に、老人はこちらを伺うと苦笑する。
「……分からんかったか。一応、今のが、答えのつもりだったんだがな。人の死は、人に与えるものも、形も色々だと。お兄ちゃん、あんたが悩んでいる答えもそこにあるとワシは思うぞ」
意味深に聞こえる話は、助言にも説教にも捉えられた。だからこそ、温厚に振舞う老人の顔を直視できずにいた。




