第一章 1 ―― 虹 ――
ちょっと不思議な話となります。
そんなことはない、と思われるかもしれませんが、
暖かく読んでいただければ嬉しいです。
第一章
1
遠くを眺めた。
七月に入り一週間。例年よりも早く梅雨が明けて、夏の蒸し暑さを呼ぶ風が吹く校庭は、出遅れた雨によって濡れていた。
湿った地面を窓越しに高橋蓮は眺める。
視線を上げれば、数分前まで曇天に覆われていた空は、嘘みたいに青く澄み渡り、太陽が悠然と見下ろしていた。
蒼さを際立たせるそばには、鮮やかな虹が大きく弧を描いていた。
「……残酷だよな」
ふと呟き、意識を傾けた。外光によって反射した窓に映る自分と目が合ってしまう。
目尻が下がって、虚ろで情けなさを漂わせる眼差しは、溜め息を誘ってしまう。
眩しい虹がどこか苦しく、目を逸らして机に頬杖を突くと、教室を見渡す。
時間はすでに午後四時を回っている。放課後の教室に生徒の姿はまばらになっていたけれど、数人は友達同士の会話に湧いていた。
一日の授業を終え、解放感から各々の笑い声が弾けていた。話が盛り上がる背景には、先週に期末テストを終え、後は夏休みを待つ楽しみがあるからかもしれない。
女子の間からは、すでに夏休みはどこへ行こうか、と期待を膨らませているグループや、恋愛話で賑わう声が教室に舞っている。
「じゃぁな」
蓮の机のそばを一人の男子生徒が声をかけて教室を横切る。教室を後にする彼に「じゃぁな」と気さくに見送った。
教室で他愛もない会話を楽しむ者もいれば、彼のように帰る者もいて、並べられた机にも、空席は目立っていた。
「――あ、虹」
世間話に盛り上がっていた女子生徒の一人が外の虹に気づき、話を割って友人とともに窓際へと駆け寄って来る。虹を眺めて物珍しそうに自分のスマホを取り出すと、虹に向けて腕を伸ばして写真を撮り出していた。
「さっきまでもっと綺麗に出てたよ」
「そうなのっ? 早く言ってくれればいいのに」
先ほどより薄くなった虹を撮って楽しむ女子生徒に、蓮はイタズラっぽく笑ってみせた。
「ちょっと、なんで言ってくれなかったのよっ」
一人が恨めしそうに唇を尖らせながら責める。
「そんなに珍しくもないじゃん」
「珍しいよ、雨降ったって虹ってあんまり見ないよ」
「そっかな?」
首を傾げてとぼける蓮に三人は一同に残念がり、消えかけた虹を惜しむように再び窓の外にスマホを向けていた。
カシャ、カシャと音が耳のそばで鳴るなか、蓮は机横のフックにかけられたカバンを机上に置き、机の中からペンケースをカバンへと戻した。
まだ机には教科書が数冊残っていた。現文、数学……。 どれも蓮の頭脳を執拗に悩ませる物達を置き去りにして席を立つ。
「――あっ、知ってる? そぅいえば、一度、死んだ人にしか見ることのできない虹があるって」
「えっ? 何それ?」
「あるかもしれないんだって。ちょっと、ネットで噂になってるみたいよ」
「ウソでしょ、だって、死んだときのことって、禁句なんでしょ?」
「らしいけどさ、あ、バイバイ」
奇妙な噂話に花を咲かす三人。楽しむ三人の邪魔になるかな、と席を立つ蓮に、一人が手を小さく振る。蓮も「じゃ」と返事をして教室を後にした。
廊下に出る間際、教室を見渡すと、まだ噂話を続ける三人の話し声が不思議と強く蓮の耳に響いて残っていた。
廊下の窓際を歩いて行く。廊下では別のクラスからも生徒が出入りしていて、話し込む生徒や帰路を急ぐ生徒の声が雑音となって響いていた。
窓の外の青空を眺めていると、蓮はふと足を止めて、突然思い立ったように振り返る。
教室に繋がる廊下では誰も蓮に目線を送っていない。
彼自身、誰かを捉えてはおらず、呆然と視線を宙に彷徨わせていた。
ふと目蓋を閉じて耳を澄ませる。
「……鈴の音?」
幻聴かと疑いながらも呟き、きびすを返して足を進めた。
冷房が効いているはずのなかで、蒸し暑さが静かに押し寄せる。それでも急ぎ足になっていく。
蓮の教室は校舎の三階。帰路に就くはずの彼の意思は一階ではなく、逆の屋上へと向かっていた。
今後もよろしくお願いいたします。




