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第1話 翼をください

 私は空が嫌いだった。


 正しく言えば、好きになれなかった。


 だって、空は自由だから。


 病室の窓から見える青空はどこまでも広がっているのに、私はそこへ行けない。


 飛べない鳥みたいだ。


「真っ青ね」


 誰に言うでもなく呟く。


 返事はない。


 当然だ。


 病室には私しかいない。


 真っ白な天井。


 真っ白な壁。


 真っ白なシーツ。


 ここが私の世界だった。


 昔は学校へ通っていたらしい。


 友達と遊んでいたらしい。


 運動会にも出たらしい。


 全部、人から聞いた話だ。


 覚えていない。


 気づけば私は病院にいた。


 病院にいることが当たり前だった。


 だから夢もなかった。


 やりたいこともなかった。


 生きているだけだった。


 そんな時だった。


 病室のドアが開いた。


「ユイ、お見舞いに来たよ」


 見慣れた顔。


 青いスカート。


 少し癖のある茶色い髪。


 そして無愛想な声。


「アユ……」


「これ」


 机の上にノートが置かれる。


「授業ノート」


「また持ってきたの?」


「頼まれたし」


「先生に?」


「うん」


 嘘だ。


 先生が頼んでいるわけじゃない。


 私は知っている。


 アユは毎回自分から持ってきている。


 でも本人は絶対に認めない。


「ありがとう」


「別に」


 相変わらずだった。


 私は少しだけ笑う。


 アユは不思議そうな顔をした。


「なに?」


「ううん」


 何でもない。


 ただ嬉しかっただけ。


 今日も来てくれたことが。



「授業どうだった?」


「普通」


「それ感想?」


「感想」


 アユは椅子に座る。


 窓の外を見ながら続けた。


「数学当てられた」


「答えられた?」


「当たり前」


「すごい」


「そう?」


「私は無理」


「ユイは授業出てないじゃん」


「それもそう」


 思わず笑う。


 アユも少しだけ笑った。


 その横顔を見ていると不思議な気持ちになる。


 胸が少し苦しい。


 でも嫌じゃない。


 むしろ。


 もっと見ていたいと思った。


「大変でしょ」


「なにが?」


「入院」


 私は肩を竦める。


「慣れた」


「そういうもの?」


「そういうもの」


「ふーん」


 アユは少し黙った。


 そして。


「病人の気持ちなんて分からないもの」


 そう言った。


 私は思う。


 心配してよ。


 もっと。


 大丈夫って言ってよ。


 でも言えなかった。


 そんな関係じゃないから。


 アユは幼馴染だ。


 それだけだ。


 それ以上じゃない。


 少なくともアユにとっては。



 夕日が病室を赤く染める。


「じゃあね」


 アユが立ち上がる。


「うん」


「また来る」


「うん」


 ドアが閉まる。


 静かになる。


 私は窓の外を見る。


 夕焼け。


 そして夜。


 青かった空は少しずつ黒くなっていく。


 私は目を閉じた。


 同じ真っ暗なら、こっちの方がマシだった。



 数日後。


 私は倒れた。


 呼吸が苦しい。


 体が重い。


 先生の声が聞こえる。


 看護師の声も聞こえる。


 でも遠い。


 どんどん沈んでいく。


 深い海の底へ。


 暗い。


 寒い。


 怖い。


 私は一人だった。


 そう思った。


 その時だった。


 遠くから声が聞こえた。


 女の子の声。


 優しい声。


 聞き覚えのある声。


 そして。


 歌声。


『この背中に鳥のように』


 私は目を開けられない。


 だけど聞こえる。


『白い翼つけてください』


 少し音程が外れている。


 上手じゃない。


 でも。


 不思議と安心した。


『この大空に翼を広げ』


 暗闇の中で空が見えた。


 どこまでも青い空。


『飛んで行きたいよ』


 私は笑った気がした。


 だって。


 その声の主を知っていたから。



 目を覚ました時。


 窓の外には青空が広がっていた。


「よかった」


 先生が安堵したように言う。


「アユちゃん来てたよ」


 私は瞬きをする。


「アユが?」


「うん」


 先生は頷いた。


「ずっといた」


 私は窓の外を見る。


 真っ青な空。


 あの歌声を思い出す。


 夢だったのかもしれない。


 幻だったのかもしれない。


 それでも。


 あの声だけは確かだった。


 私は空を見上げた。


 そして初めて思う。


 また、あの歌を聞きたい。


 そう思った。


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