メイド長アイネ・グラフィール 後編
ふいに扉が開いた。
こちらが終わる方が先だったようだ。
茶会が終わる前に本邸の方を片づけたかったけれど時間切れね。扉が開き切る前に廊下の左右に立ち、お辞儀をして出迎えた。
「せっかく田舎まで来たんだ。雄大な山々でも見て帰るとするか」
「そうですな。ラインツ様、一晩お泊めいただいても宜しいですかな?」
「ふむ。それは構わぬが、お主たちの目的はソルレイかの 」
「ハッハッハ。いやはや隠しても仕方ありませぬな」
「私達からすると、次期当主の顔だけでも見ておきたいというのが本音ですね。もういつ代わってもおかしくないのでしょう」
フェルグスの言葉に耳を疑う。
なんて低俗な人達なのかしら。誰のせいでラインツ様が命を縮める羽目になったと思っているの。
こうなったらお早いお帰りを願うべきだわ。
たとえ後でラインツ様にお叱りを受けようともここでお帰りいただきます。
「ラインツ様、ご報告がございます。お客様の従者が母屋に無理に押し入ろうとしたそうですわ。ちょうどお茶会も終わったことです。お帰りいただく際にご当主にお諌め頂くのはいかがでしょう」
恥知らずな者たちを見下しながら微笑んでみせた。
「君、それは非礼だ。我々の話に使用人如きが口を挟むんじゃない」
「全くだ。恥をかくのはラインツ様だぞ」
気色ばむ公爵家の方々は、王都では我が物顔であるらしい。少しの嫌味で顔を赤らめて怒りを顕にするなど貴族らしからぬものだった。
「それが本当であるのなら少々困ったことになっていそうだの。フェルグス殿、そなたが連れてきた従者、あれは息子であろう?」
あら?
でしたら従者の不敬で済ますのは勿体ないわ。跡継ぎの失態なら泥がついたことになる。
「あーいや、その。コホン、どうしても行きたいと申しましてな。ラインツ様の魔法陣が好きなようです。本も買っているようですな」
執事長のアドリューが、静かに頷いた。
「ラインツ様の本は世界中で100冊限定で売られます。シリアルナンバーとご購入いただいた方はこちらで控えておりますが、ロット家の方にお売りした記憶はございません。転売は禁じておりまして、発覚した場合は、今後一切お売りしないという誓約書を頂戴しております。シリアルナンバーをお伺いしても?」
「わ、私は知らぬ故、執事の方に確認を取っておこう」
「息子さんにお伺いさせていただいても宜しいでしょうか」
「いや、駄目だ。さすがにシリアルナンバーまでは覚えておらぬだろう。それに明日の予定を思い出したところだ。午後に人と会うのでな。辺境領は本日中に抜けねばならぬ」
なんとまあ都合の良いご予定だこと。
話に置き去りにされたジルドールも気まずそうに頷き、『では、私も帰ることに致しましょう』と、言った。
ぞろぞろと本邸の方へ歩いて行くと、ラウルツ様の笑う子供特有の高い声と、真逆の怒り声が聞こえてくる。
「我が弟を愚弄する気か!」
「アハハ、どうしてそうなるの?」
カルムス様とダニエル様がラウルツ様の後ろにいるが、口出しせずに見守っているようだ。護衛だけが割って入れる位置にいた。
それにしても、本邸に入ろうとしたというからまだ子供かと思ったら、ヒゲを蓄えている。私より上なのか下なのかも判断がつかないわ。
「ラウルツ、どうしたのじゃ?」
ラインツ様が声をかけるとにっこりと笑った。
「聞いてよ、お爺ちゃん。勝手に家に入ろうとしたのをルースたちが止めたの。そしたら暴れて、うちの悪口ばっかり言うんだよ」
「ほう、それはいかんな」
「でしょ? こんな使用人はよくないねって言ったらそれにもまた怒ってくるの。みんな怖がるからもう帰ってもらってー」
「うむ。というわけじゃ。連れ帰ってくれるかの」
「ラ、ラインツ様。息子にも弁明の機会をやってください。このようなことを仕出かすとは思えませぬ」
「弁明したところでやったことは変わらぬぞ。そこなる従者よ。言いたいことはあるかの?」
全員の視線が従者と呼ばれたフェルグスの息子に注がれる。
名前を名乗らず挨拶もしていないので、従者のままこちらに歩み寄ってきた。
「お初にお目にかかります、ラインツ様。イグルス・ロットです。従者の身なりをしておりますが、私はロット家の跡取りでございますよ」
「そうであったか。身分に相応しい振る舞いとはとても言えぬようだが、言い訳をしたければするがよい。聞くだけは聞こう」
周囲を見渡し味方がいないことに気づくと汗を拭う。
「母屋に立ち入ろうとしたことは、誠に申し訳ございません。しかしながらそこなる者は、我が弟を侮辱いたしました。来年、弟が魔道士学校に入学するのですが、弟では白服を着れぬと申したのですぞ」
「ふむ、やったことは認めるのだな。使用人たちの制止を振り切ろうとしたこと相違ないな?」
「いや、それは、…………はい」
ラインツ様の眼力に負け頷いた。悔しそうにしているのは父親の方だった。息子に何を探らせたかったのかしら。
ソルレイ様とラウルツ様、カルムス様にダニエル様。屋敷は賑やかになったので使用人の数も増えている。止められて当たり前の警備体制となっているというのに。
「今日ここにジルドール殿もおって良かったのう。証人じゃ」
ジルドールはそう言われて嫌そうに顔を顰めた。ここにきて自分も利用されたのではないかと疑心が湧いたようだった。
「ラウルツ、この者は弟を侮辱されたと申しているがどうじゃ?」
「僕そんなこと言ってないよー」
「言っただろう!」
「えー、言ってないよ? 来年の1番は僕だから2番なら取れるんじゃない? って言ったの。6番目までが白服だから頑張れば着られるよ」
にこっと笑うラウルツ様に全身の力が抜けそうになった。公爵家に対しての侮辱ね。名乗っていなかったかったからどうにでもなるけれど、危ないわ。今後は気をつけていただかないと。
「お爺ちゃん、程度の低い使用人がいる家は、主も程度が低いって言われたの。だから来年は僕が1番になるよ。そうしたら最高の使用人たちだって言えるでしょ?」
「ハッハッハ」
ラインツ様が大笑いをして、『そうじゃな! では、来年の楽しみとしよう』と子供のように笑う姿を目にした。
特に咎めのないことに驚いた顔のままの客人たちを見送り、遠目になってから鼻息を1つ出して気持ちを切り替えた。
「さ、迎賓館を片付けますわよ」
「はい、アイネ。お兄ちゃんと一緒に作ったお菓子だよ」
可愛いラッピングまでされた包みを受け取りながら、出すぎていると頭をよぎるものの午前中のことを尋ねた。
「ラウルツ様、なぜあのような……」
「だってみんなは家族だもん。お兄ちゃんが言ったの。お爺ちゃんが“皆は家族”だって言うから大事にしようねって」
その言葉は使用人にとってはとても嬉しいものだけれど……。
「アイネ。僕はね、ラルド国がドラゴンに襲われた日に気づいたことがあるの」
「ラルド国でございますか?」
急に変わった話を飲み込むように頷いた。
「うん。僕の本当の家族は、お兄ちゃんだけだったんだよ」
「それはどういう……」
家族で仲良く暮らしていたとラインツ様からは伺っている。違ったのかしら。
「ドラゴンが来て、みんなで逃げることになったの。10歳以上なら避難地区に入れるからね。お兄ちゃんは8歳でもうすぐ 9歳になるところだったんだよ。だから、お母さんやお父さんはお前は連れて行くって言ったの」
それは、もしや……。
「誰も僕の顔を見ないの。だって僕は死ぬのが決まった子でしょ?」
「――――っ!?」
声にならない声が感情と共にせり上がってきた。
「お父さんは、お兄ちゃんに誤魔化せるから行くぞって言ってたし、お母さんも急ぎなさいって。お姉ちゃんも、一緒に行こうよって言ってたよ。家族の目に僕は映ってなかったの。みんなお兄ちゃんを取り囲んでいて、僕は蚊帳の外だった。だから、お兄ちゃんがリュックの用意を終えて僕を見た時はびっくりしたの」
「なんと声をかけられましたか?」
私は目の前にいるラウルツ様の目線まで体を折り尋ねた。
弟思いのソルレイ様、どうか言葉をかけていて。
「ふふ。『行かないよ。ラウルを一人で置いていく気はない』って。僕を抱きしめてそう言ったの」
よく笑う方だが、私が知る中で1番の笑顔だった。
「家族が説得するのに早く行ったほうがいいよって言うの。それでね、僕には大丈夫だ。お兄ちゃんがいるって言うの」
実際のところ、一緒に死ぬために残ってくれたのだと最初は思ったけれど、一緒に生き抜くためにあれこれ考えてくれていたと知り、その日が来ても幸せに死ねそうだと思ったという。
「アイネ、僕はここに来て、家族が増えたよ。お爺ちゃんもカルムお兄ちゃんも、ダニーも。モルもベンも。使用人のみんなが僕の家族だよ。お兄ちゃんと僕が逆の立場だったらってたまに考えたの。同じようにはできないかもしれないって。僕は僕のまんまみんなを守るね」
来年、1番の白服を着るのは僕だよと、言い切ったラウルツ様がとても眩しく見えた。
この方に必要なのは同情ではなく献身だ。
「家庭教師はダニエル様だけで不足はございませんか」
「うん! ダニーもお兄ちゃんも教えるのが上手いからね。必要になったら言うよ」
「かしこまりました」
私達使用人は、安心できる主のもとで働けるだけではここを出て行かない。
大切にしたい相手に家族だと言ってもらえるこの幸せは絶対に他家では味わえないと知っている。
膨らんだお菓子のラッピングを一撫ですると、胸に押し抱き私達を守ると言った小さな主に敬意をもって頭を下げた。
どんな時も私達が必ずお支え致しますからね。




