悪役令嬢は、怒りで身を堕とし
「マリー・ゴールド公爵令嬢を捕らえよ……!」
ハイドレンジア王子の怒号が、ホールに響いた。
その命を受けて、控えていた兵士がわたくしをとりかこんだ。
「あ、あぁ……!」
なんてことを。
なんてことを、してしまったの。
わたくしは、自分の手を見た。
やわらかな彼女の体を、階段からつきとばした自分の手を。
震えながら、視線を王子へと移す。
いつもは穏やかな光をたたえているハイドレンジア王子の瞳は、今はわたくしへの怒りで燃えていた。
12年、婚約者として寄り添って育ってきた王子の、こんなにも怒りにみちた顔は、初めて見る。
けれど、それも当然だろう。
わたくしは、王子が大切にする少女を害しようとした現行犯なのだから。
王子は、震えながら腕にすがりつく黒髪の少女をそっと抱きしめる。
「だいじょうぶですよ、アン。あなたは、なにがあっても私が守ります」
優しく、少女にそう囁く。
少女はうつむいていた顔をあげ、なみだでうるんだ瞳で王子を見つめた。
なだめるように王子が少女の頭をなでると、少女はぎゅっと王子に抱き付く。
城の、高い階段から突き落とされそうになったのだ。
少女がおびえるのは、当然のこと。
少女をつきとばしたわたくしに許されるのは、彼女への許しをこうことくらいだろう。
そう、わかっているけれども。
胸にわきあがるのは、怒り。
少女への、おさえがたい怒りだ。
王子の婚約者として、みずからを律することに慣れたわたくしは、最近ではアンへの怒りに振り回されてばかりいる。
こんな、凶行をみずから行ってしまうほど。
そのことを省みることすらできないほど。
王子のとなりは、わたくしの場所だったのに……!
悲しみと、怒りが、わたくしの心を荒れ狂う。
目の前では、少女をなぐさめるように、少女のほうへ青年たちがかけよってきていた。
宰相の子息グレン、財務大臣の子息マニオン、近衛兵ソル。
いずれも地位や後ろ盾のある美青年ばかりで、少女はそんな彼らにひとりずつ甘えるように抱き付いた。
……せめて、彼女が、王子だけに好意を示していたのなら、わたくしもこんな怒りを抱かなかった。
けれど、アンは、この国で人気のある男たちにはだれかれとなく媚をふりまいた。
いまだって、王子に背中を預けながら、グレンに頭を撫でられ、ソルの手に頬を摺り寄せている。
幼げな容姿に似合わぬ、娼婦のような振る舞いの女……!
あんな女に、王子は夢中なのだ。
あんな女のために、わたくしは王子との婚約を解消されたのだ……!
5歳の時から、12年もの長い間、わたくしはハイドレンジア王子の婚約者だった。
初めは、政略的な婚約だった。
それでもわたくしは初めての顔合わせの時、怜悧なまでに整った顔の王子がはにかんで笑ってくれた瞬間、恋に落ちた。
王子妃の勉強はたいへんだったけれど、王子と手を取り合って学び、成長する日々は幸せだった。
ダンスが苦手なわたくしに、王子は根気よく練習に付き合ってくださった。
そのかいあって、初めて二人で出席した舞踏会では、上手に踊れた。
王子は「がんばったご褒美だよ」と、綺麗な花束をくださった。
二人ともが苦手な王国史を自習していたとき、二人してうたたねしてしまった時もあった。
目が覚めて、二人してくすくす笑いあって、それからまた勉強して。
祝祭日の花火は、いつも二人、城のテラスで見ると決めていた。
初めてキスをしたのは、15歳の祝祭日、花火を見ながらだったことは、今でも大切な思い出だ。
王になったら、王妃になったらと語り合った日も、何度もある。
わたくしの未来は、ハイドレンジア王子とともにあると、ずっと信じていたのに……!
彼女さえ、聖女・アンさえ現れなければ……!
それは、どこまでも利己的な、悪意に満ちた想いだ。
許されるものではないと、わかっている。
けれど、止められなかった。
暴走する想いのままに暴走し、とうとう彼女を害してしまった。
自分で、自分に失望する。
ずっと夢見てきた大人になったときの自分は、こんな惨めで愚かな人間ではなかった。
いつも凛として、王妃としてふさわしいふるまいのできる賢い女のはずだった。
なんて醜く、なんて愚かなのだろう。
自分がこんなふうになってしまうなんて、ひと月前の自分ならかけらも信じなかっただろう。
アンが、この世界へ召喚されるまでは。
震えながら、王子たちを見た。
ハイドレンジア王子のアンを見る目は、いたわりに満ちて、優しい。
あの目は、わたくしへとずっと向けられていたはずなのに……!
わたくしの激情にみちた視線に気づいたのだろうか。
ふと、アンがこちらへ顔を向けた。
彼女の漆黒のまるい目が、わたくしを見る。
その目にうかぶ表情は、恐怖ではなく憐憫。
そして、あざけり。
かぁっと、頭の芯が熱くなる。
あの、女……!
王子にすがるように抱き付きながら、わたくしをあざ笑う女。
あんな女が、聖女?
わたくしたちが、必要とした少女?
あんな女がいなければ、この世界は崩壊してしまうというの?
だったら、こんな世界など……!
いえ。だめよ。
世界は、救われねばならない。
だから、聖女は必要だった。
それは、わかる。
王子妃としての教育を受けてきたわたくしには、わかりすぎるほどわかっている。
聖女アンを召喚したために、この世界が安寧を取り戻したことは。
けれど、なぜ聖女がアンだったのだろう。
あんな、男を侍らせることばかり考えているような女だったのだろう。
少しでも、この世界の女のような慎みのある女性だったのなら、婚約者のいる王子の妻になることを望んだりはしないはずだ。
ましてや、他の男たちにも媚を売ったりはしないはずだ。
召喚された聖女が、アンでなければ。
もっとまっとうな女性であれば……!
なぜなの?
どうしてなの?
どうして、わたくしがこんな目にあわなくてはならないの?
王子の隣には、わたくしが立つはずだったのに。
あの腕に守られるのは、わたくしのはずだったのに……!
騒ぎを聞きつけて、人々が集まる気配を感じた。
わたくしの罪は、一時で国中に広まるだろう。
王子がわたくしとの婚約を解消した時のように。
アンが、王子の心を奪った時のように。
ハイドレンジア王子の元婚約者が、いま王子に愛されている少女を害しようとしたと、人々は噂するだろう。
議会は、わたくしの罪状を裁決するだろう。
聖女に危害を加えた逆賊として、わたくしは裁かれるだろう。
せめて、その罪が嫉妬に狂った少女の愚かなものだると、罰が自分のみにとどまるように許しを請うべきだ。
わたくしは、惨めに、あわれに、人々の前で、いま、彼女の慈悲をこうべきだ。
理性は、そう指示する。
けれど、わたくしは兵にとらわれたまま、頭ひとつさげず、彼女を睨んだ。
こんな少女にすがってまで、生きてなどいたくなかった。
もはや王子の婚約者でない、ただの公爵令嬢となった身なら、そんな愚かな判断も許される。
今だけは、そんな偽りに身をまかせていたかった。




