第十話「連続する欠落」
朝の市場は、静かだった。
いや、正確には“静かになっていっている途中”だった。
エルドはその変化を、もう見逃さなかった。
「間隔が短くなっている」
隣のリリアが顔を上げる。
「何のですか?」
エルドは短く答える。
「崩れの周期だ」
リリアは帳簿を抱えたまま歩く。
「昨日よりさらに悪化しています」
市場の奥へ向かう。
そこにあるはずの場所。
パンの屋台。
そしてミアたち。
だがその光景を見た瞬間、エルドはわずかに目を細めた。
ミアの顔色が悪い。
「あ、おはようございます……」
声は出ている。
だが明らかに弱い。
リクが言う。
「今日も少ない」
ミアは反射的に笑おうとして、止まる。
「……そんなこと、ないよ」
その言葉に力がない。
ルナが小さく言う。
「一個、ない」
エルドは見る。
パンの数は昨日よりさらに減っている。
リリアが小声で言う。
「エルド様……減少速度が上がっています」
エルドは頷く。
「連続している」
ミアが不安そうに言う。
「昨日も、同じでしたっけ」
リクが首を傾げる。
「いや、昨日はもっとあった気がする」
その瞬間。
ミアの表情が止まる。
(気がする)
まただ。
エルドはその言葉を拾う。
「“気がする”が増えているな」
ミアは驚く。
「え?」
エルドは続ける。
「確信が消えている」
リリアが震える声で言う。
「記録も、記憶も、現実も一致していません」
エルドは短く答える。
「その通りだ」
市場の奥で商人が叫ぶ。
「昨日の仕入れと違うぞ!」
別の声。
「いや同じだ!」
混乱。
だがエルドには、もうそれが“異常の結果”だと分かる。
ミアが小さく言う。
「なんで、こうなるんですか」
エルドは答えない。
代わりに視線を上げる。
空気が、少しだけ重い。
――ゴォン。
鐘。
今度ははっきりと“揺れ”が伴う。
市場の一部が止まる。
そして戻らない。
リリアが息を呑む。
「また……範囲が」
エルドは静かに言う。
「広がっている」
ミアが不安そうに見る。
「これ、私たちだけですか?」
エルドは一瞬だけ間を置く。
「違う」
その一言に、空気が変わる。
リクが言う。
「じゃあ、他でも?」
エルドは頷く。
「可能性ではない。進行だ」
ミアが小さく震える。
「進行って……」
エルドは答える。
「止まらないということだ」
沈黙。
市場の音が遠い。
ミアはパンを見る。
「これも、また消えるんですか?」
エルドは短く答える。
「すでに消えている」
ミアが息を呑む。
「でも、ここにあります」
エルドはミアを見る。
「あるように見えているだけだ」
その言葉に、ミアは黙る。
リリアが言う。
「エルド様、どうしますか」
エルドは少し間を置く。
そして言う。
「止める」
リリアが驚く。
「止める……?」
エルドは続ける。
「原因に近づく」
その言葉で初めて、彼は“観測者”ではなくなる。
ミアが小さく言う。
「危ないですよね」
エルドは即答する。
「今さらだ」
ミアは少しだけ笑う。
「エルドさんって、やっぱり変です」
その笑顔は、まだ残っている。
だが、弱い。
エルドは思う。
(もう限界は近い)
(このままでは、残らない)
リクが言う。
「ねえ姉ちゃん」
「うん?」
「俺、なんか今日さ」
「うん」
「昨日のこと、思い出せない気がする」
その瞬間。
ミアの顔が凍る。
エルドはその反応を見る。
(来た)
“記憶の欠落”。
物ではなく、現実そのものが削れ始めている。
ミアが小さく言う。
「それ、やばくない?」
エルドは静かに答える。
「もう始まっている」
――ゴォン。
鐘。
今度は、すぐ近くで鳴った気がした。
ミアが耳を押さえる。
「これ……」
エルドは空を見上げる。
(次の段階だ)
世界は、確実に壊れている。
そしてミアは、その中心にいる。




