3-00 勇者召喚
第三章の始まりです。
今回から四十万くんの故郷のお話になります。
石造りの壁に囲まれた大きな部屋。
異様に高い天井には巨大な水晶球が照明のように吊り下げられ、湯気のようにたゆたう蒼白い光を放っていた。
さらに異様だったのは部屋の造りであろう。窓一つ無く、巨大な両開きの扉が一つあるだけなのも異様だが、その部屋は円形になっており、床一面に民家ならば軽く納まりそうな巨大な魔法陣が描かれていた。
蒼白い光が不意に暗くなり、また仄かに明るくなる。
誰も居ない無人の部屋で、天井の水晶球が鼓動するようにゆっくりと点灯し、闇と光が交互に部屋全体を染めていく。
満ちていく魔力の波動。それに呼応するように床の魔法陣が輝きを放ち始めた。
バチンッ!!
何かが弾けるような音がすると、蒼白い光が部屋の隅まで照らし、景色が歪むと室内をドライアイスのような濃厚な霧が覆う。
天井からの光が収まり、また静寂が戻る。だが、先ほどまでとは何かが違った。
「……いってぇ……なんだ?」
少年……もしくは年若い青年のような声が聞こえた。
その少年……大地は痛む額を手で押さえながら、横になっていた冷たい床から身体を起こす。何が起きたのか分からない。いや、覚えてはいるがあまりにも現実から掛け離れた出来事で、大地の頭はそれを現実と受け止めきれずにいた。
「何だ……ここ…どこだよ!?」
腰まで包むような深い霧。上の方はそれほどでもなく、石造りの壁がそこを部屋のような空間だと知らしめる。
その中で大地は霧の中に動く影を見つけた。
「誰かいるのかっ」
大地がそこに駆け寄る。こんな得体の知れない場所で見つけた物がもし危険な生物だとしたら、大地の行為は愚かとしか言えない。だが見つけたのは幸運にも人間で、それも大地の知る人物だった。
「ほむら!? おい、しっかりしろっ」
「……う…ん」
大地が肩を揺さぶると、ほむらと呼ばれた少女がゆっくりと目を覚ます。
目を覚ました少しきつめの顔立ちをした少女は、辺りの光景に目を見開き、自分の顔を覗き込む短髪の少年を見て、慌てて自分の胸元を抱き寄せた。
「だ、大地っ、私に何を、」
「してねーよっ、いきなりなんだよ、お前はっ!」
睨み合う少年と少女。その顔があまりにも近いことに気づいて、真っ赤になった二人は慌てて距離を取る。
「こ、こんな事してる場合じゃないよねっ」
「お、おうっ」
突然大人しくなってちらりちらりと互いを見る二人。その雰囲気に耐えきれなくなったほむらがまた大きな声を出しそうになった時、二人の話し声で目を覚ましたのか近くから呻き声が聞こえた。
「え、だ、だれ?」
「こっちに人が……風太っ!?」
「こっちも、瑞樹だわっ」
大地とほむらは何故か少しホッとした顔で新たに見つけた二人へと駆け寄る。
見つけたのは大地とほむらのクラスメイトである少年と少女。瑞樹と呼ばれた少女はほむらの顔を見て少しだけ微笑みを浮かべたが、すぐに不安げに辺りを見回した。
もう一人の少年、風太はずれていた眼鏡を直すと、少し神経質そうに口元を歪めて大地に問いかける。
「ここは何処だ……?」
「いや、俺にもさっぱりわからん。……風太、起きる前のこと覚えているか?」
「……ああ、確か学校で…」
「そうよっ、放課後地震があったから、落ち着くまで教室にっ」
「う、うん」
風太が言いかけた声に被せるようにほむらが叫び、その隣で小柄で大人しそうな瑞樹が小さく頷いていた。
四人は思い出したことを語り、記憶を繋ぎ合わせる。言葉を遮られた風太が若干顔を顰めていたが、いつもの事なのか軽く溜息を付いて、結局何も文句を言わなかった。
大地とほむらは幼稚園、風太と瑞樹は小学校からの幼なじみであり、そのまま同じ中学、高校へと進んだ四人は一緒に行動することが多かった。
私立高校の二年生の教室で放課後のお喋りをしていた彼らは、突然起きた地震に顔を見合わせる。他の生徒も残っていたが、彼らは地震が起きたことで帰宅を選び、四人は瑞樹が怯えたことで、地震が収まるまで教室に居ようと話し合った。
ところが地震は止むことなく、次第に衝撃のような強い地震が起こるようになった。
しばらくして地震が完全に終わったと確信した時には、辺りは薄暗くなって学校に生徒は彼らしか残っていなかった。
その途中で瑞樹が『空から変な声が聞こえる』と言っていたが、他の三人は何も聞こえず、特に気にもしなかった。
怯える瑞樹を宥めるようにして彼らが帰ろうとすると、校庭に出た瞬間、四人を包むように光る魔法陣が現れ、四人の意識はそこで途切れた。
「……おそらく、異世界召喚だと思う」
「はぁ?」
呟くように漏らした風太の声に、ほむらが呆れたような声を出す。
「風太、本好きなのは良いけど、変なこと言わないでよ。瑞樹が怯えるじゃない」
「う、ううん、ほむらちゃん大丈夫よっ、風太くんいっぱい識ってるからっ」
瑞樹が少し赤い顔で風太を擁護する。その小動物のような姿に、ほむらは不機嫌になればいいのか瑞樹を愛でればいいのか微妙な顔をしていると、その横から大地が声を上げた。
「ああ、俺も風太から借りて読んだことあるぞっ。なんだっけほら、勇者だっけ?」
あまり真剣に読んでなかったのか、大地が適当な知識を披露する。
「そうだ。馬鹿なことを言ってると俺も自覚しているから、少し聞いてくれ。俺達が学校の校庭でいきなり四人纏めて誘拐されたのなら、この霧も周りの光景も不自然だ。俺達を騙すだけにこんな金を掛ける奴が居るか?」
風太の言葉に三人は自分を納得させるだけの反論を思い付かなかった。
営利目的の誘拐とは思えないし、こんな大掛かりな舞台やセットまで使って彼らを騙すような目的も思い付かない。
「……だから異世界だって言いたいの?」
ほむらの掠れたような声に風太はゆっくりと頷く。
「これがもし異世界の召喚なら、大地が言ったように『勇者召喚』かも知れない。本の知識で申し訳ないが、そうなった場合、無理矢理戦わされる可能性がある」
「そんな…」
不安そうな声を漏らす瑞樹に、風太は少し照れくさそうにその肩に手を置いた。
「大丈夫だ、俺達が付いてる。変な要求は…」
「まてっ、何か居るっ」
唐突に大地が警戒する声を上げた。
それまで足下を漂っていた霧が何かに押されるように流れている。
流れてくる方角に、大地と風太が二人の少女を庇うように前に出て、咄嗟に動けるように身構えた。
見えたのは静かに歩いてくる二つの影。その二つの影が霧の中からその姿を現すと、四人は驚きに目を見張る。
それは高校生である四人よりもあきらかに年下に見える、ロングスカートの上質そうなメイド服を着た、二人の小柄な少女達だった。
一人は綺麗な金髪を縦ロールの巻き髪にした、冷たい美貌の少女。
一人はさらりとした銀髪を肩まで伸ばした、微笑んでいる少女。
そのどちらも今まで見たことの無いような綺麗な少女で、大地がポカン…と口を開けて見つめたことで、ほむらが口をへの字に曲げた。
風太と瑞樹も驚いていたが、それよりも二人が胸に抱いているヌイグルミのほうに視線と意識を奪われていた。
金髪の少女がクマのヌイグルミを抱き、銀髪の少女がウサギのヌイグルミを抱いていたが、その見るからに高価そうなヌイグルミ達が、まるで自分の意思があるように辺りを見回し、手足を動かしている。
風太がそれを異世界の魔法による物かと警戒したのに対し、瑞樹は動くヌイグルミをキラキラした瞳で見つめていた。
金髪と銀髪の少女は四人の手前数メートルまで足を止めると、何も語ることもせず、ジッと彼らを値踏みするように見つめた。
そんな静寂の中で風太がじれたように声を掛けようした時、……空気が変わった。
「「「「…っ!」」」」
二人の少女がすっ…と左右に一歩ずれると、その奥からもう一人の少女が静かにその姿を現した。
星空を紡いだような、黒と銀のロングドレス。
仄かに輝くような黄金の糸を思わせる、艶やかな長い髪。
あらゆる負を取り除いた、神の手で創り上げた人形のような冷たい美しさに、四人は感動するよりも恐怖を覚えた。
その恐ろしいまでの美しさが、ここを異世界だと認識させる。美しさが受け入れがたい現実を冷たい水のように染みこませて、心を麻痺させる。
その張り詰められた四人の精神が限界を迎える寸前……
フッ……と、淡い金色の瞳が柔らかく微笑み、四人を呪縛から解き放った。
その美しい少女に抱かれていた黒猫が小さく鳴き声を漏らすと、四人はやっと息を継ぎ、瑞樹はその場で腰を抜かしたように腰を落とした。
そんな彼らに少女はそっと手を差しのばす。
「ようこそ、異世界の勇者様。お待ちしておりました」
少女のその言葉に、これが現実だと理解したほむらと、異世界だと確認できた風太が少女を睨み付ける。
大地はまだ唖然としたままで、瑞樹はヌイグルミと黒猫に瞳を輝かせているので役に立ちそうにない。
「……い、異世界って」
ほむらがやっと漏らした言葉に、少女はゆっくりと頷く。
「その通りです。あなた達は異世界より勇者として召喚されました。これから…」
「待てっ!」
言いかけた少女の言葉を風太が遮る。
「何故、俺達を召喚した? あなたはその格好からするとお姫様か?」
自分達に頼みがあるのか、奴隷のように利用しようとしているのか分からないが、相手の都合の良いように進められたら堪らない。
だが風太の無礼な物言いに、少女は軽く微笑み、メイド達の表情も変わらなかった。
「ええ、お恥ずかしながら、そのように呼ばれておりますよ」
少し恥ずかしそうに言う少女の微笑みに、……その美しさに風太は幻覚でも見たように頭を振って、もう一度少女を睨む。
「そんな立場の人間がこんな事をして良いと思っているのか? これは誘拐だぞ」
良くある展開だが、風太はこれが効果的だと思っていた。
とりあえずこちらの話を聞いて貰い、怒らせずに交渉できるようにするのが自分の役目だと考えた。すでに最初の態度から失敗したかと思ったが、それほど狭量な人物ではないらしい。
風太はこの状況からどうやって良い条件を引き出すか考えていたが、少女の言葉は、風太が思いもしない言葉だった。
「いいえ、召喚魔法陣に強制力はありませんよ?」
「……は?」
頭の中になかった展開に、風太の口から間抜けな声が漏れる。
「精神生命体なら魔力で強制できます。知恵のない動物ならある程度の強制も出来ますが、人間のような知的生命体は、相手の同意が無くては召喚出来ません」
「…なっ、俺達は勝手に召喚されたぞっ!」
「召喚の承諾は、言葉だけではありません。その心理や行動も含まれます。召喚陣を見ることが出来て、召喚陣だと認識して足を踏み入れれば、それは承諾と見なされます」
「馬鹿を言うなっ! 俺達はそんなことしていないっ」
「では、何処にも行きたくなかった…と?」
「あたりまえよっ、私は現実世界で…その…」
突然声を張り上げたほむらが、最後にちらりと大地を見る。
「なるほど、勉強は嫌だ。受験なんてしたくない。悩むことのない夢のような世界に行きたいと、一度も考えたことがなかったと?」
「…そ、それは、」
思い当たることがあったのか、ほむらが言い淀む。
「馬鹿な……俺達の責任だって言うのかっ! お前達が召喚なんてしなければ何も起きなかったんだぞっ」
風太の頭にあった交渉の為の言葉も仲間を守ろうとする決意も崩れ、責任感の強さから怒りに満ちた瞳を向けてしまうと、少女の笑みが少しだけ深くなる。
「あなたは夢を見過ぎね……。異世界召喚なんてそんなものよ。道を開けば勝手にやってくる。勝手に来るから利用する。あなた達もこちらを利用しなさい。それが大人の付き合い方よ」
「ふざけるなっ! お前のせいで…」
「あら、私には何の責任もないわよ?」
そう言って少女は愉しそうに嗤い、左右のメイド達がまるで悪魔のような笑みを浮かべた。
「………っ」
そのあまりにも無責任な言葉と態度に、風太だけでなく大地も拳を強く握りしめて前に出る。
大地と風太の怒りの視線を受けても、異世界の少女達の微笑みは、わずかに崩れることもなかった。
張り詰めた緊張の糸が切れそうになったその時……この部屋にただ一つだけの大扉が音を立てて開き、外の光が差し込まれた。
「初めまして、異世界の勇者様、お待ちしておりましたわっ。わたくし、このセイル国第二王女、ビアンカ・フォン・ド・セイルと申します。あなた方を召喚した者として歓迎いたしますわっ」
扉から現れたのは、十名ほどの騎士を連れた16歳ほどの豪奢なウェーブのかかった白金髪の少女で、この国のお姫様と名乗っていた。
そしてこの人物こそが四人を召喚した張本人らしいと知って、四人は思わず目を瞬かせた。
そしてビアンカもその場の雰囲気と、予定より多い人数に驚き、今まで召喚した勇者達とは違う雰囲気を持つ、貴族のような少女達に目を丸くする。
それを見て四人も少女とビアンカを唖然とした顔で交互に見つめ、四人とビアンカは奇しくも同時に同じ言葉を口にした。
「「「「「……あんた誰…っ!?」」」」」
ユルはおちゃめ。
この三章と同じ世界でのお話し。
『異世界オワタ式 転生したら詰みました。』も始めております。
『悪魔公女』は大国中心。『異世界オワタ式』は小国中心の話になります。
宜しかったらそちらもお願いいたします。




