2-20 ヌイグルミを貰いました。……そして
その日、日本は騒乱に包まれた。
関東を震源地とする小規模な地震から始まり、次第に範囲を広げていく地震に、人々は過去の大震災を思い出して表情を暗くした。
それだけなら問題はない。地震に慣れきった日本人の感覚では、小規模な地震程度で仕事の手を止めるような者は居なかったからだ。
だが、その地震は何か違っていた。
揺れると言うよりも、単発的な衝撃に近い。
そして人々は見た。……空の色がわずかに変わるのを。
突然強い揺れが、東京だけを襲った。ビルが柳のように揺れて窓硝子に罅が走る。
東京が遠くに見える街の住人は、その上空に雲が渦巻く様子を目撃し、ごく一部の者は、巨大な蛇や熊のようなモノを見たと言ってネット上を騒がせた。
そして不思議な『声』を聞いた者も居たが、大多数がそれを否定したことで次第に騒ぎは収束していった。
だがそれを見過ごせない者達が居た。
宗教関係の一部や、政治家達が『声』の内容について何日も議論を繰り返した。
彼らも東京の上空に出現した『化け物』を目撃したからだが、議会が滞り、声が聞こえなかった野党の糾弾で通常に戻ったのはある意味、日本らしいと言える。
あの『声』は世界中に届いたが、一部の人間にしか聞こえなかったこともあり、その内容は表に出てくる事はなかった。
それでも、『声』を聴いた人間は確実に存在する。
魂の強い者ほどはっきりと聞こえ、精神が強い者ほどその『声』に秘められた恐ろしさを感じた。
今はまだ変わらない。
だが、強い魂の奥底にこびり付いた『畏れ』は、徐々に世界に浸透し、世界の各所で新たな『障気』を生み出すだろう。
人間は『畏れ』を思い出し、この世界に再び『魔』を呼び寄せる。『魔』はこれから永い時間を掛けて世界に根付き、世界に『魂の理』を取り戻す。
それは、衰退を始めた世界に爪痕として刻まれた『悪魔』の祝福であった。
***
空間の裂け目の中は、私が知っているものとは少し様子が違っていた。
真神【東京】が居たことで空間が何度か解れていたのか、自転車や植木鉢、商店の置き看板など日本の物が、衛星軌道上のデプリのように漂い散乱している。
軽自動車に白骨死体が乗っていたりと気になる物もあるけど、あまり気にしてもどうしようもない。
空間の裂け目の外からは、四十万くんが裂け目の修復を始めていた。
こちら側からはファニーがそれに合わせて修復をしているけど、もう少し時間は掛かるかな? 完全に地球から隔離される前に私はやっておきたいことがある。
「主様、コレはどうしたしましょうか?」
「んー?」
すでにダメージもメイド服も完璧に直したティナが、胸元にへろへろになったギアスさんを抱っこしてやってくる。
「このベヒんモスですが…」
「……ベヒモスね」
「このベヒモスですが、どうやら急激に成長させた反動で、上級悪魔並に退化しております」
「ええ~……」
魔力を放出してすっかり縮んでしまったギアスさんの見た目は、クマのヌイグルミのようになっていた。
私が余った魂をあげると子供のように喜んで、短い手足で魂を掴んでガシガシ美味しそうに囓っている。
あらやだ可愛い。……中身はおっちゃんだけど。……あれ? もしかして……
「ずいぶんと魂を食べるのに抵抗がないのね…?」
そう呟いた私の言葉に、テディベアが黒曜石のような丸い瞳で小さく首を傾げた。
『ガウ?』
「やっぱり……記憶がない?」
少し驚いてクマの顔を覗き込む私に、リンネが呆れたように教えてくれる。
「人間の頃の記憶をほとんど残しているユールシアのほうが珍しい。ある程度の人格は残っているが、ギアスのこの状態が普通だ。知識は少しずつ思い出すかも知れないが」
「へぇ……」
普通の転生体の悪魔ってそうなんだ? と言うことは、私ってかなり珍種だったんだね……。どうりで初めて会った時、リンネが興味を持つはずですよ。
私も自分自身の記憶は曖昧だけど、ギアスさんはもっと曖昧の範囲が大きくて、人間だったことも覚えていない感じ。
そのぶん悪魔としてすんなり馴染んでいるんだから、悪い話ばかりではない。
どっちにしろ今のギアスさんは、ちょっと強いだけの動くテディベアだ。
……そうなると、どうしようかな。
私は亜空間の中を意識して歩く。床も天井もないけど、『歩く』と意識すればその方角に進むことが出来る。
そうして進むと私はお目当ての場所に辿り着いた。
「……恩坐さん、聞こえてますか?」
「……よぉ…嬢ちゃん、……終わったか?」
「ええ、恩坐さんのおかげで、世界の脅威は居なくなりますよ」
私のことだけど。
恩坐さんは青い顔でふわふわ空間に浮いていた。
ファニーが作った布でぐるぐる巻きにされて手当てされているけど、胸を刺し貫かれたのだからいつ死んでもおかしくない。
むしろ生きていたのが不思議なほどの傷だった。勇者である四十万くんの回復魔法では、致死性の傷は癒せない。
私の治癒魔法なら治せるけど、恩坐さんは血を流しすぎて魂が減っているから、吸血鬼になってしまうかも知れないし、私が助けると『契約』によって恩坐さんの魂は私の物となり、今の魂の状況ではへたをしたらそのまま寿命を迎える。
だから……私は決断を恩坐さんに委ねた。
「恩坐さん、私は『悪魔』です」
「……ははっ、……そりゃすげぇな……」
冗談だと思っているのか、それとも理解して尚、笑っているのか。
「あなたはこのままでは死にます」
「……だろうなぁ…」
「そこで提案です。このまま『人間』として綺麗に死にますか? それとも『悪魔』となって意地汚く生きますか…?」
「…………」
恩坐さんが真面目な顔になって黙り込む。
これは新しい『契約』のご提案。恩坐さんは私を助けているので、前より良い条件で再契約をすることが出来る。
このまま『人間』として死ぬのなら、魂の契約は解除されて安らかな死を迎える。
でも魂が飽和した状態の地球では転生することも難しく、世界に溶けて新たな別人格の魂に生まれ変わるでしょう。
悪魔に転生すれば、その魂は私に永遠に縛られる。人間の記憶もほとんど無くなる。
でも、恩坐さんの人格は残される。
どちらが幸せなのか……。それを決めるのは恩坐さんだ。
「……嬢ちゃん……そんな顔…するなよ……」
「友達が死んだら、悪魔でも悲しいんですよ……」
「…はは……友達か……」
少し笑った恩坐さんは、どんな顔をしているのか自分でも分からない私に、ニヤリと笑った。
「……いいぜ……嬢ちゃんを…守ってやるよ……」
「……うん」
それで『再契約』は完了した。
そして新たに『私を守る』と口にしたことで、さらに上位の契約となった。
「ユールシア」
「ん?」
そんな私達を見ていたリンネがそっと近寄り、とんでもないことを口にする。
「恩坐の魂はもう限界だ。最初から強固だったギアスと違い、魔界ならともかくこんな亜空間では、依り代を用意しないと悪魔になっても魂が霧散しかねないぞ」
「え?」
「……え?」
私と恩坐さんの顔が思わず引きつった。
ちょ、ちょっと、折角良い雰囲気だったのに台無しですよ。依り代? そんな物がこの亜空間のどこにあるのよ!?
「……えっと、これは?」
そこら辺に漂っていた、薬局のケロちゃん人形を見せると、恩坐さんは尚更顔を青くして、ぶるぶる首を振った。我が儘言うんじゃありませんっ。
「ユールシア様ぁ、これ使う?」
「え、なに?」
空間の修復が終わったのか、やってきたファニーがロングスカートを捲ってごそごそと何かを探し始めた。
可愛らしいファニーが捲ったスカートに恩坐さんの視線が吸い寄せられていたので、バチンッと顔面を叩いておく。
「……恩坐、死ぬぞ」
「死ねば?」
呆れたリンネの声に、私はあっさりと答えた。男の人って……。
「あったよ、これぇ」
「これって……」
それは以前、ファニーの依り代となったファンテーヌが壊して、それを気にしたファニーがせっせと自分の髪と魔力で修復した、私のウサギのヌイグルミだった。
まだ持っていたのね……。
三歳の誕生日にお父様から貰ったそのウサギのヌイグルミは、リアル系の兎でなく、ディアドロップ型の胴体に棒状の手足と丸い頭が着いた、デフォルメされた可愛らしいウサギさんだった。
「良し、それでいきましょう」
「はーい」
「…え、ちょ、」
即決した私に恩坐さんが何か言っているけど、私は何も聞こえない。『悪魔だ』とか聞こえた気もするけど、今更何を言っているの?
それに【魔神】の思い入れがあり【大悪魔】が魔力を込めた素材なんて、かなり上質な『依り代』なんだよ? やったね、恩坐さんっ。
「私、ユールシア…【悪魔公女】の名において、汝の魂を悪魔に堕とす。依り代に宿りて私に永遠の忠誠を捧げよ……」
「ちょっまっ」
死にかけは大人しくしてなさい。恩坐さんが肉体ごと消滅して悪魔の魂となったところで、私は無理矢理ウサギのヌイグルミに恩坐さんを詰め込んだ。
「恩坐さん、あなたに悪魔としての『種族名』を授けます」
えっと……ウサギの悪魔は……
「生まれ出でよ、……悪魔【ラプラス】…」
時を観る悪魔。私としては『鏡の国のアリス』のウサギのイメージ。
上手くいったかな…?
ウサギのヌイグルミはむっくり起き上がると、不思議そうに辺りを見回してから私にこくんと頷いた。
たぶんギアスさんと同じ状態かな? そのうち記憶も戻るといいな。上位契約のおかげか上級悪魔くらいの力を感じるけど、生まれたばかりでこれなら上出来でしょう。
『………』
「ん~?」
恩坐さんは何かを指さすと突然どこかに走り出した。
何をするのかと思ったら漂流物の中から何かを目的の物を見つけたようで、また走って戻ってくる。
「……恩坐さん」
その手には焼酎っぽいお酒の瓶とグラスを持っていた。
『ガウガウ』
『……(こくん)』
それを見たギアスさんがちょこちょこと恩坐さんに近づき、クマとウサギの二体は、おっさん臭い仕草で酒盛りを始めた。
シュールですね……。まぁ、いいか。
聖王国への道はまだ分からない。でも、異世界召喚を行っている四十万くんの世界なら、何か手がかりがあると思っている。
それに……四十万くんを裏切った『勇者』達は、どんな味がするんでしょうね…?
ふふふ……。
「それではみんな、そろそろ行きましょうかっ」
第二章はこれで終わります。次回より第三章に入りますが、次からは若干更新頻度が下がるかと思います。次回は日曜予定です。
替わりと言っては申し訳ありませんが、以前予告した通り、同時進行の新連載を始めさせていただきます。
四十万くんの世界に召喚された少年?の物語。
【 異世界オワタ式 転生したら詰みました。 】を土曜日よりスタートします。
ユルとは直接絡みませんが、裏事情を知っているとハラハラするみたいな展開にできたらいいなぁと思っています。
こちらも宜しかったらお願いします。




