2-15 神様になりました ③
真面目です。
黒銀ドレスを膝丈に戻して、私は一人夜道を歩く。
そう言えば一人で行動するのも、ずいぶんと久しぶりのような気がしますね。
悪魔に生まれ変わってからはいつもリンネと一緒にいた。また人の身体を得てからはお母様や侍女達が側に居た。
一人で出歩ける歳になっても、護衛をする騎士達や、私を追ってきた従者達がいつも近くに控えてきた。
そう言えば魔王領に行く時だけ一人になっていたけど、あの時はリンネに会いに行くという目的があったから、一人という感覚はなかったんだよね。
私がこうして現代の日本をまた歩けるなんて、本当だったら奇跡に近い。
琴美さんの死んだ妹さんが『私』だったとしたら、15歳で死んだ私も、こうやって一人で歩いていたのかな?
あの『夢』で見た最後の記憶は、真っ白な病室の中で意識が暗闇に飲まれていくことだった。
でもそのことに恐怖はない。
悪魔として生まれ変わったせいか、今の私にとって『死』はとても遠いところに存在していた。
「…………」
歩きながら軽く指で触れた街路樹に軽く障気を流しただけで、一瞬で枯れ果てる。
「う~ん……やっぱりそろそろ潮時だよねぇ」
あのおじさん……『御山』のお坊さん達から要請を受けて、私はこの国に現れた怪異を討伐することになりました。
何か話を聞くと、どう考えても最初の原因は私っぽいんだけど、そこは気にしない。顔に出したら負けである。
契約内容でちゃんと『魂を賭けて貰う』と言ってあるので、討伐するその地に赴くのは、この国の為に『来世を捨てても良い』と志願してきた者だけにした。
折角鍛えた魂も、完全リセットしてミトコンドリアからやり直す羽目になるけど、それでも……魂を賭けてでも来る人が十数人いるらしい。
ホントにいいの?
まぁ、彼らがそれを望むのなら悪魔として断ることはしないんだけど。
彼らはそのまま『御山』に戻って、参加者を連れてそのまま東京に向かうらしい。
でも東京って、そんな霊的に凄いところだっけ? まだ京都とか恐れ山とか、そっちなら話は分かるんだけどねぇ。
私も明日、東京に入ることを決めている。
送迎も提案されたけど断った。今更おじさん達の接待を受けながら何時間も移動したくなかったから仕方ない。それに……何となく普通に入れない気がしているんだよ。
あの『力』の正体が何となく分かる。
私の知識じゃなくて、【魔神】となった魂が、あれが【敵】だと囁いている。
話が終わって、帰りもあの高級車で送ってくれると言われたけど、私はそれも辞退した。ちょっとこうして考えたいことがあったんだ。
彼らは私のことを認めてくれているけど、そうでない人も居る。
彼らは『国家権力』とも繋がっていて、私のことは必ず伝わっているはず。この国の為に命を投げ出し、私に協力を懇願していても、私のことを脅威に思うはず。
きっと国の権力者達は、私に接触して懐柔して利用しようとする。そして私はそれを受け入れない。彼らはにこやかに微笑んで手を差し伸べる同じ手で、美紗や商店街にも手を出してくるはずだから。
……それはそれで愉しそうだけど、私とリンネを相手にしたら、この国がどうなるか分かんないし、そうなったら父ちゃんや琴美さんにも迷惑が掛かる。
今夜、美紗達と別れるしかないんだよね。……どう考えても。
私はさっき手に入れた幾つかの『魂』を口に放り込む。
考え事をしたいから夜のお散歩をしてたんだけど、それだけじゃなくて美紗の家を監視していた、お坊さんとは違う人達を根こそぎ始末してきたところです。
これで当面は静かになるかな? あの“死に様”を見て、また手を出す根性があったらそれは素直に褒めてあげる。
「……(ただいま)」
聞こえないほど小さく呟いて、私は飯野家の勝手口から家に入った。
こっそり入れれば良いんだけど、私の侵入スキルはサンタさんは遠く及ばない。
家の電気は消えていたけど、お店のほうにはまだ灯りが付いていた。
父ちゃんはまだ起きているのかな? 別れの挨拶をするのは苦手なので、私は食材保管庫に『魔王領産高級乾燥ワカメ』を天井まで隙間無く埋め込んで別れの挨拶にした。
……嫌がらせにしか見えないな。いや、きっと父ちゃんならこのワカメの価値に気づいてくれるでしょう。うん。
私はそのまま居間に上がると、リビングのテーブルにラップを掛けた夕食と、そこで眠りこけている美紗の姿を見つけた。
……待っててくれたの?
私は少しニヤニヤしそうになる頬を引き締めて美紗の肩に適当な物を掛けると、ホテルからお土産に貰ってきた200個ほどのケーキで美紗を飾り立てた。
……飾ってどうする。
冬だからたぶん腐らないでしょう。
私は着の身着のままでこっちの世界に来たから、特に荷物はない。買ってもらったり作ってもらった物はあるけど、それは全部置いていくつもり。
「……ゆるひゃん…」
「………」
甘い匂いに刺激されたのか、美紗が涎を垂らしながら私の名を呼んだ。なんで?
「……四十万くんはちゃんと帰すからね」
私は小さくそう言ってから、琴美さんがよく使う棚に、一枚しかない虎の子のタリテルド金貨を置いた。
全然足りないと思うけど、これで勘弁してね。
目的を果たした私は、来た時と同様にこっそり家を出る。
この髪のせいでまったく闇に潜めない悪魔だった私だけど、どうやら上手くいったみたいです。
「……ユルちゃん」
「………」
ダメだったようです。
「……こんばんは、琴美さん」
「ユルちゃん、これはなに?」
私を追って家から出てきたらしい琴美さんが持っていたのは、あの金貨でした。……なんか怒っていらっしゃる。
「これ、ユルちゃんのお母様が持たせてくれたって、言ってたよね?」
「うん。だからお世話になった人に渡したかったんだ。……ダメ?」
私がニッコリ微笑んでそう言うと、琴美さんは疲れたような顔で息を吐く。
「……ユルちゃんだって、もう家族みたいなものよ。……出て行くの?」
「……うん、そろそろ『家』に帰ろうかと」
「そう…なんだ。家に帰るんだね。……私の実家にも紹介したかったんだけど」
「ごめんね、琴美さん」
今更、家族だったかも知れない人と会うつもりはない。
この世界に思い出は作っても、『人間』としての心は残していかない。
私は『人』ではなく『悪魔』だから。
「美紗には何も言わないの? ……ケーキで埋まってたけど」
「美紗とか学校の子達には前から言ってあるしね。それに……美紗は妹みたいに感じてたから、ちょっと辛いし…」
「ユルちゃんのほうが年下なのにね……」
「ホントにね」
私と琴美さんは、そう呟いて少しだけ笑う。
「とりあえずユルちゃん、こんな高価なものは受け取れないわ」
琴美さんは近づいてくると手に平の載せた金貨を私のほうへ向ける。
「琴美さん達からもっと沢山貰ったよ?」
「そんなの気にしなくても…」
「受け取って欲しいの。私という『人』がいた証として」
「………ユルちゃん」
私の言葉に何か感じたのか、少し何か考えるように黙ってから、金貨ではなく自分がしていたマフラーを私の首に巻き付けてくれた。
「寒いから、これしていきなさい」
「……うん。ありがと」
暖かなマフラーに顔を埋めると、懐かしい匂いがした。
私は琴美さんから静かに数歩分だけ離れると、最後に『私』ではなく【私】の贈り物をする。
「……『祝福の光在れ』……」
私達の周りを……飯野家の人達を……優しい人達が住む商店街を、柔らかな光の粒子が満たしていく。
聖なる祝福じゃない。……これは悪魔の『呪い』……。
幸せにならないと許さない。優しい人達に害をなす者に、永遠の呪いあれ。
そんな怖くて恐ろしい、悪魔の呪い……。
そして私はそのまま姿を消す。
『さよなら……お姉ちゃん』
「………柚…子?」
*
私は黄金のコウモリの翼を広げて夜空に舞い、東京へと進路を取った。
この世界で『人』としてやることはやった。残っていたこの世界への望郷の念もすべて昇華された。
後は『悪魔』としてやることがある。
この世界に『傷跡』を残そう。『畏れ』を無くした愚かで傲慢な人間の心に、けして消えない『痛み』を残そう。
悪魔達が消えてしまったこの世界で、私は悪魔の『役目』をする。
魂の衰退が始まったこの世界が滅びないように……。
忘れていたことを思い出せてあげる。
私は唐突に理解していた。人としての『想い』が昇華されたからか、本当の意味での悪魔になれたのかも知れない。
この世界に簡単すぎるほどあっさり戻れた意味……。
人の心から精霊も悪魔も消えてしまったこの世界が悲鳴をあげている。
「…っ?」
私は不意に違和感を感じて、コウモリの翼を止めた。
空中において私の速度は魔界最速だ。車で数時間かかるような距離でも、私だったらラーメンを食べおわるより早く移動できる。
それが関東に入った辺りで急に進まなくなった。
「……よっぽど悪魔と会うのが嫌みたいね」
たぶん、関東を覆うように結界がある。高速道路を通ってるトラックが見えるから、人間は通れる。……違う、弱い者なら通れる…かな。
次元を渡る悪魔である【魔神】の力が空間の不自然さを教えてくれた。
空間に太い杭のような歪みがパズルのように組み合わされていた。杭が太すぎて弱い者なら通り放題だけど、私は通れない。
そして私は太ってない。
「普通の悪魔なら通れなかったのにね」
要するにこれはパズル。強者のみを対象とした結界。
人間の知恵と【魔神】の次元突破力があれば、この程度のパズルはちょちょいと……あれ? こうして…あらら?
「…『輝聖翼』っ!」
コウモリの翼に金色の羽毛が生まれ、そこから吹き上げる魔力と勢いで、私はこの結界を突破した。
れべるあっぷ。【悪魔公女lv2】になりました。
補足。この世界では、
精霊は魂を運び残滓を得る、花粉を運ぶ『蜂』のような習性を持ち。
悪魔は、増えすぎた虫や害虫を食べる『蜘蛛』のような習性があります。




