女伯爵は婿を決める事にし、王子は婿入り先を求めていた(4)
どうしてこうなったのか……ジスランはキリキリと痛みを訴える胃の辺りを摩りながら、数ヶ月ぶりに実家へとやって来た。執事長とメイド長の出迎えを受け、妹の在宅を確認してから彼女の部屋へと向かう。飴色の扉を軽くノックすれば、中から「どうぞ」と声が返ってきた。
「やあ、久しぶりだねニコル」
「あら、ジスランお兄様。急にいらっしゃるなんて、一体どうなさったの?」
こてりと首を傾げ目を瞬かせるニコルの、その愛らしい仕草にジスランの頬が緩む。幾つになっても妹は可愛いものである。しかも十歳も離れているのだ。可愛い以外の何があるというのだ。それしかない。
挨拶がわりのキスをニコルの頬にし、ジスランは上着のポケットから開封済みの封筒を取り出した。
「先日、ブノワから手紙が来てね」
「あー……」
「その顔は、心当たりがあるね」
「ありますね。思いっきり」
苦笑するニコルに、ジスランは「やはりお前が原因か」と片眉を上げる。己が友人は、夫婦共々ニコルを可愛がっている。第四王子から婚姻申し込みがあったと知ったら、何かしら自分に言ってくるとは思っていたのだが……まさか直接真意を聞いてこいだとは思っていなかった。
応接室へと移動するとすぐに古参のメイドが、二人分のお茶とお菓子をワゴンに乗せて持ってきた。野苺の絵が描かれている皿の上にはジスランの大好きな栗や胡桃を使った焼き菓子があり、嬉しくて自然と頬が緩んでいく。この家を出て十年は経っているが、嬉しい事にこうして帰ってくるたびに、自分の好きな菓子や料理を出してくれるのだ。
一礼してメイドが出ていくと、ジスランが先に口を開いた。まどろっこしい言い回しは好きではない。なのでズバッと要件を言う。
「フレデリク殿下とはまだ話せていないけれど、王太子殿下とは数日前にこの件について話しをしたよ。王太子殿下も二人の婚姻には賛成されている。とはいえ、お前が嫌だと思うなら、遠慮せずきっぱり断ってくれとの事だ」
「お兄様は……その……どう思いますか?」
いくら母親の身分が低いからといって、フレデリクはこの国の王子だ。伯爵である自分よりも上位貴族に婿入り出来るのではないかと問えば、ジスランはゆるゆると頭を振った。
「確かに公爵・侯爵家でも問題ないだろう。でもねぇ……殿下自身は良いのだけれど、やはり母君がねぇ……。それに上位貴族としても、殿下を婿にしたからといって得する事はほとんど無いんだよ。むしろ不安でしかない。まぁそれはリジェ伯爵家でも同じだけれどね。ただフレデリク殿下は騎士として上を目指しておられるから、母君と縁を切ってくだされば、私としてもニコルの婿に決めても良いと思っているよ」
本当は他に候補がいたんだけどねーーと、ジスランはふっと息を吐き出す。彼の中の婿候補達も仕事はしているので、伯爵家の財産を食い潰すような真似はしないだろう。
ただ彼らはではバランスが悪かった。
良くも悪くも彼らは普通の容姿なのだ。否、そうではない。どちらかといえば皆、整っている部類に入るのだろう。だがそれが、ニコルと並ぶと普通になってしまうのだ。それはジスランにとって望ましいものではない。愛らしくも美しい妹の横に立つのに、彼らでは物足りないのだ。
その点ブノワの弟は、容姿だけは及第点だった。人は見た目ではないが、ここはあえて見た目であると主張したいジスランである。
「父上にはもう言ったのかい?」
甘く煮た大粒の栗がゴロゴロ入っている焼き菓子を一口頬張り、変わらぬ美味さにジスランは双眸を細める。
「お母様には言ったわ。だからお父様にも伝わっていると思う」
「そう。で、母上は何て?」
もう一口頬張り、やはり美味いとさらに双眸を細めた。
「お母様は賛成だそうよ。フレデリク殿下なら浮気の心配はないからって」
どうして浮気をしないと断言出来るのか謎だが、母ドミニクの勘は何故かとてもよく当たるのだ。ちなみにマリオンも同意見である。親しく言葉を交わした事などないのに、だ。
前髪を軽く掻き上げ、ジスランはフッと息を吐き出す。フォークを皿の上に置くと、上着の内ポケットに手を突っ込み、そこから手紙を一通取り出した。それをニコルの前に出す。首を傾げた妹に「王太子殿下からだよ」と告げ、この場で読むようにと促した。
兄の言葉に素直に従い、ニコルは受け取ったそれを開封し、綺麗に折り畳まれた便箋を取り出し広げる。そこには美しい文字が並んでおり、弟の置かれている立場や、兄から見た弟の性格などが事細かく書かれていた。
「やだ……王太子殿下の弟愛が重いわ」
「否定はしない。王太子殿下とはそういう方なのだ。下手をしたら自分の妃よりも、弟妹を優先するかもしれない」
「は? それは……ダメではなくて?」
「……妃殿下とは長い付き合いだから、その辺りの事はよく理解なさっていらっしゃる。だから大丈夫だ」
「そうですの? なら良いですけれど……」
丁寧に畳み直し便箋を封筒へと戻すと、ニコルは机の抽斗から伯爵家の紋章の入った便箋を取り出した。少し考えた後、丁寧な文字で先日送られてきた婚姻の申し込みに対する返事を書く。
もちろんフレデリクにだ。
蝋で封したそれをジスランに渡し、フレデリク殿下に渡してくれるよう頼む。一瞬嫌そうな顔をしたものの、ジスランは渡されたそれを上着の内ポケットへと仕舞った。
「内容を聞いても?」
「一度お会いして、お話しをして、それから決めたいですと書いたわ」
「そう。それは王太子殿下の手紙を読んだから? それとも前から決めていた事なのかい?」
今まで数多の貴公子から婚姻の申し込みがあったが、一度だって相手と会って話をしたいなどと返した事はない。礼儀のなっていない、しつこい相手にだけ、断りの手紙を送っただけだ。
「王太子殿下は関係ありません。そろそろ決めなくてはいけないと、前から思っていましたから」
ただそれだけですーーと、ニコルは肩を竦めた。
フレデリクは母親の問題さえなければ、婿として迎えるのに一番良い相手なのだ。王太子からの手紙には、フレデリク自身も母親との縁を切る覚悟だと書いてあった。それが彼と会う、最終的な決め手となったと言っても良いだろう。
ニコルは伯爵家を自分の代で終わらせるつもりはない。兄夫婦に子供が多くできない限り、ニコルが夫を迎え子を成さなければ、親族から男児を選びオジェ家の後継にするしかないのだ。
できる事ならそれは回避したい。親族から選ぼうものなら、たとえ養子にもらった子は良い子でも、その親達がオジェ家の財を好き勝手に使ってしまう可能性があるからだ。冗談ではない。
だからニコルは、自分の血を受け継いだ子を作らなくてはならない。その為には婿がいる。
「お兄様とお義姉様の子供を養子に迎え、オジェ家を継いでもらおうと考えていたのですが……」
「あー……それは無理かな。残念な事に私達夫婦は子供と縁が無いようだ。そろそろ養子を選ぼうと、つい先日話し合ったばかりなんだよ」
そして養子選びはもうすでに始まっている。近しい親戚の中なら伯爵家と子爵家に、それから遠縁ではあるが男爵家に丁度良い年頃の男の子が何人かいるのだ。おそらくその中から、誰か一人を選ぶ事になるのだろう。ジスランとしては養子に迎えた子を実子と思い大切に育てる決意はできている。だが、できる事なら妻であるアニエスに似た子であれば嬉しい。
「そうですか……残念です」
「こればかりは、思う通りになんていかないからね。仕方がないよ」
すっかり冷めてしまった紅茶を一口飲み、ジスランは次の焼き菓子に手を伸ばす。今度のは手掴みでも食べられるやつで、胡桃の混ぜ込まれたそれもまた、子供の頃から変わらぬ優しい味がする。オジェ家を出る時に沢山これを持たされた事を思い出し、ジスランはふふふと小さく笑った。それを見てニコルも釣られて笑みを浮かべる。
「ねぇお兄様。マチューの作る焼き菓子は、昔も今も変わらず美味しいですね」
「ああ。できる事なら公爵邸に連れて帰りたいよ。あちらの料理人の腕も素晴らしいけれど、やはりマチューの味には敵わないよ」
「あら、それはダメですわ。マチューは我が家の大切な料理人ですもの」
あげませんわよーーと、ニコルはツンとそっぽを向く。もちろんジスランは本気で言っているのではないし、ニコルも本気にはしてはいない。互いに面白がって言っているだけだ。
二時間ほど滞在し、ジスランは籠に山盛りにされたマチューの焼き菓子を土産に、ご機嫌な様子で妻の待つ公爵邸へと帰っていった。




