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短編集  作者: 朔良こお
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レオノール(中編)

 十歳の時にクロードは、自分にも兄達同様“妃候補”という者が複数いることを知った。

 国内の貴族令嬢はもちろんのこと、周辺諸国の王女も何人かおり、その中の一人が三つ年下のレオノールであった。

 彼女の国と交流はあるものの、特に親密というわけではない。なので当時のクロードは、国名と首都名くらいしか知らなかった。


 妃候補がいると知った当初クロードは、己が妃になるのは、同じくらい大国の王女か姫あたりが妥当だと思っていた。だが自分の乳母がかの国出身であることを知ると、その国の王女であるレオノールに興味を抱いた。


 はっきり言ってしまうと、レオノールと結婚しても自国にとってそれほど益にはならない。レオノールの国は北方に位置するため、土地自体が痩せていて貧しいのだ。これといった特産物もなければ、銀山や宝石といった貴重な資源もないのである。ただ、唯一良い所といえば、真夏でも比較的涼しいという点だろう。避暑をするにはうってつけの国なのである。そのため、近隣諸国の王族や貴族の別荘が建ち並ぶ場所――避暑地――があった。


 暑さが和らいだ頃、クロードはレオノールの国に赴いた。避暑――ではない。視察――である。とは言っても、もちろんそれは建前であり、本当は見合いのようなものであった。それは自分に“妃候補”がいると知らされた翌年の事で、紫色の花が咲く白亜の王宮でクロードは、八歳のレオノールと初めて顔を合わせた。


 愛らしい――レオノールに対する、クロードの第一印象はそれである。母王妃譲りの容姿も、小鳥が囀るような声も、緩やかな仕草も、何もかもが愛らしかったのだ。


 幼いながらも、彼女とずっと一緒にいたいと思った。自分が生涯、彼女を守っていきたいと思った。だから国に帰ってからクロードは、母女王にその事を願い出た。誰か一人を娶るのならば、レオノール姫が良い――と。クロードは末王子ゆえ、結婚にはあまり制約はない。だからうまみのない(・・・・・・)国の王女であっても、何も問題はなかった。


 真剣な顔でそう言った末王子に女王は、笑って「その時がきたらそうしよう」と、息子の頭をくしゃくしゃと撫で回した。彼女が十歳になったら、正式に婚約を結ぼう――と。それなのに………。


「どうして……どうして貴女だったんだ」


 クロードが訪れた一年後、レオノールの国で銀が取れる山が次々と見つかった。今まで見向きもしなかった国が、一斉にそちらへと目を向けたのだ。クロードの国もそうだ。同盟を餌に、レオノールの国を取り込もうと考えた。一番手っ取り早い方法――王太子と王女との婚姻――で。


 レオノールには三人の姉王女と兄王子が一人いる。

 一番上の姉は既に宰相の息子と婚約してしまっていたので、年齢的に考えて二番目か三番目の姉王女がフェルナンに嫁ぐと思っていた。実際、外交担当同士の遣り取りでもそうなっていた。それなのに、それなのにである。花嫁の馬車から下りたのは、自分の妻になると思っていた末姫レオノールだった。


 あの時の衝撃は、今でも覚えている。忘れたくても忘れられない。だってそうだろう。自分の妃になるはずだった少女が、十六も年上の兄王太子の妃になってしまったのだから。


 祝宴も終わった深更、母女王にどうして彼女なのかと詰め寄れば、女王も当日まで知らなかったようで、困惑した表情で書簡をクロードに渡した。それは彼女の父王からで、そこには直筆で「大国の王太子妃となるのに一番相応しいのは、末娘レオノールであると判断した」というような事が書かれていた。まだ九歳の少女なのに――だ。


 これは後々分かった事なのだが、上の姉姫二人は性格に難があったようで、どちらを嫁がせても国の恥となる懸念があり、何度も話し合いを重ねた結果、幼いものの聡明なレオノールを輿入れさせる決断を王は下した。もちろん泣く泣く――である。二人の年の差を考えれば、釣り合いが取れていないことくらい、王だって重々承知の上である。分かっていて、それでも彼女を嫁がせたのだ。


 今は幼く、妻としても王太子妃としても役に立たないが、いつまでも幼いままではない。数年もすればレオノールだって、妻としても王太子妃としても充分役に立つ。例え夫となる王太子に寵愛する側室がいようとも、正妃としてレオノールを遇し、慈しんでくれるだろう――と、王は心からそう思った。心からそう願った。

 だが、その願いは叶わなかった。

 フェルナンはレオノールを省みることなく、ロザリーしか見ていなかったのだ。彼女以外は見ようとしなかったのだ。


「兄上は即位したら、第一王子を姫と養子縁組させるつもりです。そうすれば書類上、第一王子は王妃の子となり、彼が王太子となるのに何の問題もないですからね」


 この十年もの間に、フェルナンとロザリーの間には王子が二人と王女が一人誕生している。ただ、生母の身分が低いので、第一王子を次の王太子にするかどうか……議会で意見が分かれていた。

 そもそも、問題なのは生母の身分だけでは無い。

 第一王子は、かなり出来が悪い(・・・・・)のだ。

 誰が見ても王の器ではない。残念なことにフェルナンだけに、それが見えていなかった。


 ギリッとクロードは奥歯を噛み締める。子供だと思って無視していた正妃が、会わなかった間に美しく成長し、その姿を目の当たりにして、フェルナンは手放すことが惜しくなったのだ。公然とロザリーを寵愛し、優遇しておいて……今更ではないか。しかも彼女を、ロザリーの生んだ子供の為に利用しようとしているのだ。卑怯過ぎる。


 許せるものか。


 絶対に許せない。


「レオノール姫、貴女は兄上をどう思っているのです?」


 答えが得られないと分かっていても、クロードはそれを問わずにはいられなかった。レオノールの顔を覗き込めば、紫色の瞳に己が顔が映っている。だが、自分を見ているわけではない。それがクロードは悲しかった。


「昨日、兄上に言われてしまいました。いい加減、妻を娶れと……」


 まだ二十二歳なのにね――と、クロードは肩を竦める。彼の兄達は全員妻帯している。独身なのはクロードだけだった。気ままな末っ子であるが、王族として王家に有益な妻を迎えろと、フェルナンに言われてしまった。今まで一度も、そんな事を言ったことはなかった。きっと自分がレオノールの許に、足繁く通っているのが面白くないからだろう。嫉妬など、できる立場ではないくせに。


 近くにあった花を手折ると、クロードはそれをレオノールの髪に挿した。彼女の瞳と同じ、紫色の花弁が美しい花である。リガニアという名のそれには「愛の告白」という意味があり、好きな相手に想いを伝える時によく使われる花であった。


 リガニア――それは十二年前のあの日、生国に戻るクロードが、別れ際に今と同じように彼女の髪に挿した花でもある。彼女の国にはこの花が、そこかしこに咲いているのだ。


「やはり似合いますね」


 レオノールの腕を引き、クロードは噴水の傍までやってくると、水面を鏡にし彼女を映した。水面に並んで映る自分達を見ていると、挿し込みが甘かったのか……レオノールの髪からリガニアが落ち、水面に小さな波紋を作る。


「ああ、落ちてしまった」


 すっ――と、クロードは水面に浮かぶリガニアへ手を伸ばした。花弁に触れた刹那、小さな白い手が横から伸びて、彼の手の甲に指先が触れる。驚き、クロードはレオノールへと顔を向けた。


「ひ、め?」


 そこには凛とした表情のレオノールがいた。今までの、虚ろな瞳ではない。正気に戻ったのだ。否、感情の蓋を、レオノールが自ら開いたのだ。


「クロード様、リガニアの花言葉をご存知ですか?」


 静かにそう問われ、クロードの唇が微かに震える。最後に彼女を声を聞いたのは、随分と昔のことだが、その時よりも幾分しっとりとした感じであった。


「……もちろんです」


 愛の告白でしょう――と、クロードは視線をそらさず告げれば、レオノールの目許が僅かだが和らいだ。ぴちゃりと水面に手を突っ込むと、水に濡れたリガニアを掬い取る。濡れた花弁にそっと口付け、レオノールはクロードにリガニアを差し出した。


「十日後、王宮へ参ります」

「姫……」

「わたくしはわたくしの仕事をしなくては……」


 薄く微笑むと、レオノールは後ろを振り返る。デボラが朝食を持って、こちらにやって来るのが見えた。いつもと違う主の様子に気がつくと、デボラは目を大きく見開く。急いで東屋のテーブルに朝食を載せた盆を置くと、よろめきながらレオノールの傍へと行った。


「姫さま……」

「デボラ、心配かけました」

「いいえ……いいえ……」


 ブルブルと頭を振るデボラに、レオノールは優しく微笑む。そして横に立つクロードへと顔を向けると彼の腕にそっと手を乗せた。


「霧の中を彷徨っていたわたくしの耳に、いつも聞こえていたのはデボラの声と、クロード様……わたくしを心配してくれる貴方の優しく温かな声でした」


 ありがとう。心を閉ざしたわたくしを、今日まで支えてくれていたのは、夫ではなく貴方です――と、レオノールはクロードに頭を下げた。


「殿下とは離縁します。確か……父の了承は得ているのでしたね?」


 はい――と頷くデボラに、レオノールは少し双眸を伏せると、何かを考えるように頬を何度も擦った。考えが纏まったのか……ふいに顔を上げてクロードを見上げる。


「クロード様。父に手紙を書きますので、届けてもらえますか?」

「構いませんが……」

「殿下はわたくしと離縁するのは止めたと言ったのでしょう? でも、わたくしは離縁したいのです。ロザリー殿の生んだ王子を養子になど、わたくしはしたくありませんから。ですから父に、わたくしと離縁してくれるよう、お義母様に手紙を書いてもらおうと思うのです」


 理由は幾らでもある。

 だが、最大の理由は長過ぎる白い結婚だろう。

 しかも事実上夫婦となれる年齢になっても、フェルナンはレオノールの存在を無視し、毎夜ロザリーの許に通っていたのだから。


「王太子殿下は、見る目がありませんわ」


 デボラはフンと鼻を鳴らした。ロザリーはフェルナンの前では従順な、虫すら殺せない様子であるのだが、実際は彼女の指示により、数々の嫌がらせをレオノールは受けていたのだ。部屋の前やバルコニーに動物の死骸が置かれていたり、食事に虫が入っているのはまだ可愛い方だ。スープやサラダに少量の毒(半日舌が痺れたり、立っていられないほど眩暈がしたり、体が重く起きていられなかったりする程度の物)が混じっていた事だってあったのだ。


 それでもレオノールは我慢した。

 生国のために――と、彼女は我慢していたのだ。

 そしていつかきっとフェルナンが、自分を正妃として遇してくれると信じていた。この国で彼女が頼れるのは、夫であるフェルナンしかいないのだから。それなのに………。


「分かりました。急いで届けましょう」


 レオノールの生国まで、馬を飛ばせばここからならば二日ほどで行ける。幸いにもクロードの愛馬は、国でも一・ニを争うほどの駿馬だ。あっという間に目的地へ着くだろう。


「お願いします。ああ、でも……」


 騎士としての職務はどうするのかと心配そうに問えば、クロードは「問題ありませんよ」とにっこり笑った。離宮(こちら)で体調を崩したので、良くなるまで休ませてもらうと、離宮付きの老医師に一筆書かせそれを使用人に王宮へと持って行かせた。



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