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短編集  作者: 朔良こお
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レオノール(前編)

王太子とお飾りの妃と彼女に想いを寄せる王太子末弟のお話。


 同盟の証にと、小国から姫君が輿入れしたのは十年前。名をレオノールといい、柔らかな白金色の髪に、澄んだ紫色の瞳の愛らしい少女だった。


 そう、“少女”だったのだ。


 この時王太子フェルナンは二十五歳で、二人の年の差は十六もある。故に、フェルナンからしてみれば正妃(レオノール)はまだまだ子供であり、幼女を愛でる趣味はこれっぽっちもなかった。


 フェルナンには既に、寵愛する側妃が一人あった。

 王宮騎士の娘ロザリーである。

 とある貴族の屋敷に侍女として働いていた彼女を、その貴族主催の夜会にお忍びで出席したフェルナンが見初め、己が側妃にと召し上げたのだ。レオノールが輿入れする一年半程前の事で、フェルナンは誰が見ても側妃(ロザリー)を深く愛していた。


 正妃(レオノール)の存在など、フェルナンは最初から気にも留めておらず、それが周囲にどう影響を及ぼすか……ロザリーしか見ていないため、フェルナンがそれに気づくことはなかった。頼れる者が誰もいない他国の王宮で、九歳のレオノールができることは、息を潜めて生きていくことだけであった。周囲の目が、己に良い感情を持っていないことくらい、レオノールとて分かっている。幼いとはいえ、姉姫達よりも聡明であるが故に、フェルナンの妃に差し出されたのだ。だからこの同盟が生国にとって、いかに大切であるか……レオノールは重々理解していた。していたからこそ、周囲の好奇の目や、蔑むような、嘲るような目にも耐えてきたのだ。妻である自分の存在を無いもののように振舞う夫が、毎夜どこでどのようにして過ごしているのか、わざと耳にいれる女官の意地悪にも平静を保ち堪えてきた。


 だがもう、それも限界であった。


 王太子が側妃を伴い、周辺諸国を外遊するという話を聞き、ぷつり――と彼女の中で何かが切れてしまった。


 その場で意識を失い、ようやく目を覚ました時には、感情というものを全て失っていた。この時ばかりはフェルナンも見舞いに訪れたのだが、人形のようなレオノールに言葉をかけることができなかった。


 病気療養と称しレオノールが離宮へと移ったのは、倒れてから半年……輿入れから六年後のことである。

 僅かな侍女と騎士とを連れて、王都から馬車で半日ほどの行ったところにある湖畔のそれは、先々代の王妃の為に作られた物であった。


 一年経っても病状は回復せず、レオノールは離宮から出ることはなかった。

 その為、必要な場合は側妃が王太子妃代理を務め、その回数が増えれば増えるほど、王太子妃(レオノール)の存在は薄れていった。

 四年経った今では、側妃(ロザリー)が王太子妃のようであり、周囲もそのように接している有様だ。正妃であるレオノールの居場所は、この離宮以外どこにもなくなっていた。


「おはようございます」


 騎士服姿の青年が、にこやかな笑みを浮かべレオノールの傍へとやってきた。彼の手には大きな箱があり、綺麗な色のリボンがかけられている。


「これはクロード殿下。おはようございます」


 優雅に腰を折り、レオノールの侍女デボラは主に代わり挨拶を返す。


 現れた青年――第四王子クロードは王太子の末弟であり、騎士団に身を置いている騎士でもある。王子として公の場に立つこともあるが、基本的に騎士として動いている事の方が多い。彼は十三歳で士官学校に入学し、十六歳で準騎士となり辺境砦へと配置された。そして十八歳で正騎士になると、大聖堂のある第二王都の騎士団に配属された。クロードが第一王都(こちら)に戻ってこれたのは、今から約一年ほど前である。


「おはようデボラ。これを預かってきたよ」


 誰から――とは言わない。言いたくもない。

 差し出されたそれに、一瞬顔を歪めたデボラである。が、すぐにいつものような笑みを浮かべ、「お預かりいたします」と言ってクロードから箱を受け取った。


「殿下、朝食はおすみですか?」

「まさか! こちらでいただけると思って、何も食べてこなかったよ」


 もしかして、もうすんでしまったの?――と、クロードが心配そうに訊くので、デボラはくすりと笑って「これからです」と答えた。それを聞きクロードは安心したように頬を緩ませる。


「ここ数日前から随分と温かくなりましたので、今朝は庭で召し上がってはいかがでしょう?」

「いいね。そうしておくれ」


 畏まりました――と、デボラは頷くと、クロードから受け取った箱を衣裳部屋へと持っていき、そのまま朝食の準備のために部屋を出て行った。


 静かに扉が閉まると、クロードはレオノールの正面へと周り、片膝を床へとつき視線を合わせる。そして白く滑らかなレオノールの手を掬い上げ、その指先にそろりと口付けた。


「レオノール姫……兄上の即位が決まりました。母上の退位と同時に、兄上が新王として即位します。式典には王妃となる貴女も出席しなくてはいけないからと、近いうちに貴女を王都へ連れ帰るよう、今朝、兄上に言われてしまいました」


 端整な顔を歪め、レオノールの腕を引き長椅子から立たせると、クロードは己が腕に彼女の手を置き、バルコニーから階段を下りて庭へとおりる。朝食の準備ができるまで庭を散策することにしたのだ。今の時期、あまり多くの花は咲いていない。あともう二ヶ月ほど経てば、色鮮やかな花々が咲き始め、この庭も賑やかになる。


「兄上は酷い方だ。こんなにも長い間貴女を放っておいて、即位するから戻すだなんて……」


 悔しげに唇を噛み、クロードは目の前にあった白く花弁が大きな花を、躊躇うことなく握り潰した。




 フェルナンが己の犯した過ちに漸く気がついたのは、レオノールが離宮へと移って三年ほど経った頃だった。この頃にはもう、彼は離縁を考えており、レオノールの生国にも強引ではあったが了承を得ていた。あとは彼女の意志で、離縁状に署名すればいいだけの段階であった。


 そう……既に離縁の準備は整っていたのだ。きっと、あれを見つけなければ、フェルナンはレオノールと離縁していただろう。だが、彼はそれを見つけてしまったのだ。


 あの日、フェルナンはレオノールの私室を訪れた。

 主がいなくなって久しいそこは、夫であるフェルナンの私室の隣であり、廊下を通ることなく中で行き来ができる作りになっていた。一度も訪れたことのないそこを、ロザリーに使わせたらどうかと宰相に言われ、離縁がまだ成立していないのに良いのだろうかと疑問に思いつつも、フェルナンはレオノールの私室へと入った。華美ではないが、品の良い上質の家具が並ぶそこで、フェルナンは寝台と壁の間に落ちていた日記帳を見つけた。


――レオノールの物だろうか?


 罪悪感はあったものの、好奇心が勝り、フェルナンはそれを読んでしまった。

 だが、彼の予想は大きく外れる。

 それはレオノールが書いた物ではなく、彼女の侍女デボラが書き留めた日誌のようなものだった。そこには、その日一日の出来事が詳細に書かれており、それを読んだフェルナンは言葉を失った。


 何故なら、側妃側の人間から心無い言葉を言われ、嫌がらせを受け、心も体も傷ついていたことが事細かく書かれていたからだ。

 しかも彼女の存在を無視していた自分が、さらなる追い撃ちをかけていたことも………。


 ロザリーは大切だ。彼女が伯爵家以上の出であれば、誰にも反対されることなく正妃にすることができた。だが、彼女は騎士の娘であり、父親に問題はなかったが、親族にいささか問題があった。それ故、ロザリーを側妃にすること自体、実は半数以上の重臣達が反対していたのだ。そこを押し切って、フェルナンはロザリーを召し上げた。そうする事が、彼にはできたからだ。それだけの権力を、彼は持っていた。


 フェルナンはこの国の王太子である。国のために、どこからか正妻として王女を迎えることは理解していたし納得していた。愛など、そこには必要ない。国同士の繋がりが強くなる事が大事だ。それに王太子の正妃になるということは、いずれはこの国の王妃になるということで、個人的な感情でどうこうできるものではないのだ。そう教えられてきたし、それを疑問に思ったことなどフェルナンにはなかった。


 だからといって、十六も年下の妻に愛情を感じるかといえば……それは無理な話である。

 レオノールは愛らしい。だが、せいぜい妹か従妹止まりだ。

 どう愛せばいいのか、フェルナンには分からなかった。ロザリーがいたからかもしれない。


――だが、今までのことを謝らないでいいわけではない。


 今でもあの時の、人形のようなレオノールの、感情が抜け落ちた顔を覚えている。忘れようにも、忘れることなどできない。あそこまで追い詰めたのは、他の誰でもない……夫である自分だったのだから。


 フェルナンはそれを読んだ翌日、馬を飛ばし離宮へと向かった。あの日から一度も、彼女の顔を見ていなかった。報告だけは定期的に受けていたが、会おうとは思わなかった。


 先触れもなく離宮を訪れた王太子に、必要最低限しか人を入れていない為に対応できる者はおらず、フェルナンは案内もなく中へと入りレオノールのいる部屋へと向かった。彼女がどの部屋を使っているのか、事前に確認してあったので、迷うことなく二階へと上がる。廊下の一番奥の扉をノックもなしに開けると、驚いた侍女を横目に中へと進んだ。居間の長椅子に、求めていた相手が座っていたからだ。


 できるだけ優しい声で、フェルナンは名を呼ぶ。だが、レオノールは無反応であった。彼は顔を顰め、彼女の傍まで行くと正面に回った。そして王家の特徴である赤味がかった瞳を、驚きで大きく見開いたのだ。そこには最後に見た時よりもさらに大人び、美しく成長したレオノールがいたのだ。心を鷲掴みされたような感覚に、フェルナンは苦しげに顔を歪める。そしてふと、彼女が輿入れしてきた日の事を思い出した。大きくなった――と、感慨深げにレオノールを見つめ、許しを請うように、彼は彼女の指先に口付けた。


 翌日から、離宮には色々な物が届くようになった。全てレオノールへの贈り物であり、年頃の娘であれば喜びそうな物ばかりだった。それらを届けるのはフェルナンの侍従であったが、末弟のクロードが王都に戻ってからは、彼がその役目を担うことになった。




 兄のレオノールに対する態度が急に変わったことに、クロードは嫌な予感がしていた。

 それがつい先日、現実のものとなる。

 フェルナンはレオノールとの離縁をとりやめる――と、先日の議会で皆の前で言ったのだ。


「姫」


 細くしなやかな体を引き寄せ抱き締め、クロードは白金色の髪に頬を寄せる。


「貴女を王宮になど帰したくない。名実共に己が正妃とするため、兄上は貴女を抱くでしょう」


 正妃なのだから、それは当たり前の話である。だが、散々蔑ろにし、放置しておいて、今更ではないか。


「姫……姫……知っていますか? 貴女は本当は、私の妻になるはずだったのですよ。それなのに……」


 貴女は兄上の妻になってしまった――クロードは震える声でそう呟くと、レオノールの体をそっと押し離した。



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